7話:追跡、村外れの猫と悪ガキ・3
「やぁやぁこんにちは! ちょっといいかな?」
「っ……!? アンタさっきの……!」
ライアスの姿を目にしたとたん、少年は目を白黒させて立ち上がった。手元のおにぎりを慌てて口に詰め込み、あっという間に飲み込む。
丸くなっていた三毛猫がするりと起き上がり、焼いていた魚をくわえてこちらに向き直った。
「ま、まさか盗ったもん取り返しにきたのか!? けど残念だったな、もう食べちゃったから返せるもんはないぜ!」
「うん、それは見てたから知ってる。それと、さっきのおにぎりとその魚は俺がお金払っといたから」
「……なに?」
ウルスラが、そっとライアスに耳打ちし、ライアスは少年たちに分からないように頷いた。肩に担いだ箒を下ろし、地面に付く。
「返せとは言わないよ。お腹が空くのはつらいことだし、仕方のないことだ。それに、たくさん食べなきゃ大きくなれない」
「……」
「けど、盗まないと食べられないというなら、その事情を聞かせてほしい。どうして君は、こんなところにいるのかな?」
「それ聞いて、どうするつもりだ?」
「別にどうするつもりもないよ。今のところはね」
少年は、疑わしげな目でライアスを見ている。
ライアスは気にせずさらに続けた。
「もし話を聞いて何かできそうなことがあるのなら、それはその時考える。だから、とりあえず今は君の話が聞きたいだけだよ」
「…………」
「どうかな?」
ライアスが、一歩踏み出す。
少年が叫んだ。
「来んな! 話が聞きたいだけ? んなこと誰が信じるか! どうせアンタもオレを捕まえて、村の奴らに突き出すつもりなんだろ!」
「そんなこと、すると思う?」
「するに決まってるだろ! じゃなけりゃこんなトコまでわざわざ来るもんか! どいつもこいつも同じことを言うんだよ、もう騙されないぞ!」
ウルスラが、「何度も似たようなことして捕まっているのでしょうね」と呟く。ライアスも、なんとなくそんな事だろうという気はしていた。
「ふーん、他のところでも同じようなことをしてきたわけか。それなりに痛い目にも遭ったんじゃない?」
「何度も殴られたよ!」
「そうすると、食べ物を勝手に取るのはいけないことだってのは、分かってる?」
「バカにしてんのか! 分かってるよそんなこと!」
「けど、お腹が空いたらそうするしかない、と。なるほどね」
ライアスは、話を引き出しながらも「これ以上踏み込むと逃げられそうだなー」と思ったので、ちょっと引っかけてみることにした。
「ねぇ君。ご両親は元気?」
「っ……!? アンタには関係ないだろ!!」
「分かった、もういないんだね。ひとりで生きるのは大変だよねぇ」
その言葉を聞いて少年が激昂した。
「うるせー! やれっ、ミケ!」
「ニャーッ!」
今まで魚を食べていた三毛猫が突如として起き上がると、ライアスに向かって口から火の玉を吐いた。
拳大の火の玉がライアスに迫る。が。
「煤祓」
ライアスは慌てることなく箒を構えると、飛んでくる火の玉を防いだ。煤祓を受けた火の玉は、雨に濡れたろうそくの火のようにかき消える。煙すら残らなかった。
「なっ……!?」
「いきなりそれは、ちょっと危ないと思うんだけど」
『やはり妖魔でしたか』
ライアスは、先ほどウルスラからその猫が妖魔であると耳打ちされていたので、火の玉を吐いたぐらいでは驚かない。
しかし少年は、これほどあっさり防がれるとは思っていなかった。おおいに驚き、うろたえる。
「なんで……!?」
「ねぇ、姿を隠す妖術は君が使ってたの? それともやっぱりそっちの猫?」
「そ、それを聞いてどうするんだ!?」
手にした箒をずいっと差し伸ばして、ライアスは少年に告げた。少年を威圧するように、若干、芝居がかった口調で。
「これを見てごらん。このホウキは神様からもらった特別なホウキでね、振るえばたちどころに瘴気を祓い、妖魔を殴ると浄化して、消滅させることができるんだ」
「……!」
「その猫が、人目を忍んで火を付けるような危ない妖魔だというんなら、……この場で退治する。さぁ、どうなんだい?」
さらにずずいと箒を突き付けると、少年は猫をかばうようにして両手を広げた。少年の目には怯えの色がありありと浮かんでいる。心底、ライアスの言葉を恐れているようだ。
「やめろ! こいつはそんな悪いやつじゃない!」
「俺に向かって火を吐いたのに?」
「オレがやれって言ったからだ! 普段はそんなことしない!」
「じゃあ、姿隠しの妖術も君に言われて使ったの?」
「そ、そうだ!」
「頼まれたら人の悪事に手を貸すのか。それは、普通の妖魔より危ないね」
「っ――!!」
少年の顔がさぁっと青ざめる。見開いた目には涙が浮かび、思わず後ずさりした。
「おっと、逃げるなら地の果てまでも追いかけるよ。もし襲ってくるなら立てなくなるまで引っ叩く。どちらにせよ、危ない妖魔は退治しないと」
少年の目には、ライアスはさぞ悪人のように映っていることだろう。今にも泣き出しそうな声で少年はライアスに懇願する。
「や、やめろ、……やめてよ……!」
ライアスは答えない。箒を突き付けたままじりじりと少年に迫る。
少年がさらに何か言おうとした、その時である。
「……タマヒコを脅かすのはそこまでにしていただけないか、箒の青年よ」
「っ!」
少年のすぐ後ろから声がした。低い、男性的な声であった。
タマヒコ、と呼ばれた少年は慌てて振り返る。
「ミケっ!」
「この子の咎なら僕が引き受ける。煮るなり焼くなり好きにしてくれていい。だから、これ以上タマヒコをいじめないでくれ」
「いきなり何を言うんだ!? あっ!」
ミケ、と呼ばれる三毛猫はするりと少年の横を抜けると、ライアスの前にやってきた。
少年はそれを止めようとして、しかし震えて体が動かない。
ライアスの箒が頭上にある状態で、ミケはライアスに話しかけてきた。
「青年よ、名は?」
「……俺は、ライアス。驚いたな、君は人の言葉を使えるのか」
「これでも、ライアス殿より何倍も長く生きている身でね。そこらの猫よりはお利口なつもりだよ。体のほうはこのとおり、だらしなく太ってしまっているけどね」
ははは、と笑うミケに、「冗談まで言えるのですね」とウルスラは感心する。
ライアスも驚きを隠せないまま、ミケに尋ねた。
「タマヒコ君とミケさん、でいいんだね」
「いかにも。この子はタマヒコ、僕はミケだ」
「君たちは、友達なの?」
その問いに、ミケより先にタマヒコが叫ぶ。
「そうだよ! ミケはオレの友達だ!」
「タマヒコ……」
「大切な、友達なんだ。だから……!」
こぼれそうな涙を堪えて、タマヒコは言う。
ライアスはその言葉を聞いて、ふむふむと頷いた。
「ミケさんは、タマヒコ君と友達になって長いの?」
「……それほど長くはないよ。僕がタマヒコに出会ったのは、この夏のことだ」
「それでもタマヒコ君のことは、そこらの者よりは詳しかったりするんじゃない?」
「もちろんだとも」
「じゃあ――」
ライアスは、ポイと箒を後ろに投げ捨てた。
ウルスラが慌てて回収する間に、ライアスはこんなことを言う。
「恥ずかしがって教えてくれないタマヒコ君の代わりに、タマヒコ君のことを教えてよ。そしたら俺も、君たちにひどいこと言ったの謝るからさ」
「分かった。僕の知る限りをお話ししよう」
「……え?」
思わぬ言葉に、タマヒコはきょとんとする。
「どうしたのタマヒコ君? キツネにつままれたような顔をして」
「ミ、ミケを退治するんじゃないの……?」
「なんで? 俺は危ない妖魔は退治するって言ったんだよ? 理知的で話が通じるミケさんのこと、俺は危ないとは思わないけど?」
「理知的とは、少々過分な評価にも思うが」
「それとミケさん、タマヒコ君の咎とか言ってたけど、今日タマヒコ君が食べたご飯は俺がお金払ってあるから、そんな大層なこと言わなくてもいいよ。そこの魚も含めて俺のおごり。今日より前のことは、俺の知らないことだし」
「そうであるか。では、ありがたく」
ミケはするりとタマヒコの横を抜け、魚をくわえ直すと、いまだ話の流れに付いていけてないタマヒコを促して、近くの切り株に座らせた。
その様子を眺めながら、ライアスは小さくため息をついた。
「どうにかこうにか、話が聞けそうだ」
『友好的にいく、とは何だったのですか』
「手は出してないから友好的じゃない?」
『友達を盾に取って脅すのが友好的なのですか?』
「それを言われると、返す言葉もないんだけどね」
ウルスラも、呆れたようにため息をついたのだった。