7話:追跡、村外れの猫と悪ガキ・1
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大河の流れる大町から歩くこと二日弱。
西へ西へと進むライアスは、再び山道を登っていた。
川の下流域の平野に広がる大町からだとこれまた結構な登り調子になっているが、しゃきしゃき歩くライアスの足取りは力強い。
歩く道の両側には一面に田んぼが広がっていて、涼やかな風が吹くとまだ刈り残された稲穂が重そうに揺れた。
今か今かと刈り取られる時を待っているかのようだ。
収穫を行う者、刈った稲穂を運ぶ者、何人もの人間が田んぼやあぜ道で動き回り、額に汗を流している。
まともな労働行為に従事したことのないライアスは、まさしくあれこそが働く者の姿なのだろう、と勝手な想像を膨らませ、満足げに頷いた。
「うんうん」
『何を急にひとりで頷いているのですか?』
「いやぁ、美味しいお米はこうして作られるのか、と思ってね」
『美味しいお米、ですか?』
「そうそう」
ライアスは両手を広げてぐるりと回ってみせた。
「この一面に広がる田んぼを見てみてよ。この辺りは、このトサ之国でも有数の米所なんだ」
今更ながらにウルスラは、ライアスが生きるこの土地が「トサ之国」という国の領土だということを知った。
そしてもっと言えば、この辺りはトサ之国の中でも西の端に近いところだ。
さらに西に行けば海に突き当たり、海の向こう側にはサツマ之国やシュラ之国といった別の国があるという。さすがのライアスも海を越えたことはないので、詳しくは知らないが。
「農業自体はどこの町村でもやってるだろうけど、この先にある村は特にお米が美味しいことで有名なんだ。そしてその村の人たちが丹精込めて作ったお米が、今、俺のまわりの田んぼの中で揺れているというわけ」
『なるほど』
「えへへ、しかも神様の智謀のおかげで久しぶりに懐が暖かいから、その村で欲しいもの買ったあとは、美味しいご飯を食べようかなと」
『智謀というほどの事もしていませんが……、まぁ、たまにはちゃんとしたものを食べてくださいな』
ウルスラが知る限り、ライアスが一番まともにご飯を食べていたのはシンタロウにごちそうになったあの時である。次点が素うどんと白玉ぜんざいか。
それ以外のときは、だいたい水だけ飲んで誤魔化すか、安く買った干し芋や野菜クズを食べてしのいでいた。
毎日三食きちんと食べているウルスラとはえらい違いだ。
ひもじすぎる。
「とれたての新米、楽しみだなー」
『それはそうと、欲しいものというのは以前言っていたお金を使いたい用事のことですよね。何を買うつもりなのですか?』
実は、ライアスの目的地への道のりからいえば、この村を通ると若干の遠回りになる。大町の大河を渡ったあとは支流の川沿いを行けば道も平坦で距離も近いのだが、ライアスはわざわざこの村に足を運んだ。
それもひとえに、この村で買いたいものがあるからである。
「ここの村はね、お米が美味しいのと同時にお米から作ったお酒も美味しいことで有名なんだよ。お父もお母もお酒が好きだから、手土産に買っていこうと思ってね」
『お酒……。種別はなんでしょう?』
「どぶろくだよ。神様も飲みたい?」
この村では昔からどぶろく造りが盛んに行われていて、各家庭単位で自家製どぶろくが製造されているぐらいだ。
その大半は造った家庭で飲まれているのだが、造りすぎた分を外向けに販売していたりもする。
本日のライアスはそれを買いに来たわけだ。
『いただけるのなら、ぜひ』
「神様もイケる口なの?」
『たしなむ程度には。他の神から御供えもののお裾分けでもらうことも多いですし』
「飲むなら何が好き?」
『ハチミツとか果実から造ったものが好きです』
「甘党だねぇ」
『そういうライアスは?』
「なんでも飲むけど、強めのやつが好きかな。あんまり薄いと飲んでる気がしない」
『言ってたとおりザルなのですね』
そんなこんなと話していると、目当ての村に着いた。
ライアスは村内を歩き回り、宿と食堂と販売店が一緒になったような建物を見つけると、期待に胸を膨らませてそこに向かう。
「こんにちはー! やってる?」
「いらっしゃい。やってるよ」
やってた。良かった。
ライアスは、お酒を買いたいこととご飯を食べたいことを告げる。応対してくれた老齢の女性は「かまえてくるから、座って待っててちょうだい」と言って奥に引っ込んだ。
しばらく待っていると、お米の炊ける匂いと、お味噌の香りが漂ってきた。これだけでもうライアスは、お腹がぐぅぐぅと鳴っている。よだれが垂れそうだ。
そこに、竹筒を抱えた別の店員がやってきた。
「はいこれ、先にどぶろくを渡しておくよ。ご飯はもうちょっと待ってね」
「はーい。お代もまとめて払っとくね」
お酒は竹筒一本に二合ほど入っていて、ライアスはそれを五本、一升分買っている。
店員が戻っていったあと、ライアスは買ったお酒をウルスラに渡した。
「預かってくれる? それと、一本は神様の分だから飲んでいいよ」
『分かりました。ライアスは飲まないんですか?』
「んー。俺はお父とお母に会ってから一緒に飲むつもり」
『そうですか。では私もその時に飲むことにします』
「先に飲んでてもいいよ?」
『ひとりで先に飲んでも美味しくないでしょう?』
それもそうだけど、とライアスが思っていると、食事が運ばれてきた。
「お待たせしました。ごゆっくり」
「おお……!」
炊きたてのご飯と根菜の入ったおみそ汁。
川魚の塩焼きに、菜のおひたしとお漬け物。
完璧な布陣だ。ライアスは手を合わせると「いただきまーす!」と元気よく言った。
まずは白いご飯を一口。
「んー……!」
噛むほどに、お米の甘味が口の中に広がる。美味しい。ご飯だけで何杯でもいけそうだ。
そこに焼き魚を合わせる。塩加減が絶妙で、さらにご飯が進む。一気にご飯をかっ込み、みそ汁をすすって漬け物をつまんだ。
まとめて飲み込むと、おひたしにはしを伸ばしてさらにご飯。ライアスはホクホク顔を浮かべている。大盛りで頼んでいたご飯が、またたく間にライアスの胃袋へと消えていく。
なお、見ているとお腹が空くのでウルスラも一緒にご飯を食べている。今日のメニューはライアスに合わせてアユの塩焼きだ。こちらも美味しい。
「はぁ、ごちそうさまでしたー」
食べ終わるとライアスは満足そうに手を合わせた。ご飯を二回お代わりしたので、満腹である。
そして、食後のお茶でも持ってきてもらおうかな、とライアスが考えていると。
「…………」
額に手拭いを巻いた少年が、店の中に入ってきた。




