5話:翻弄、ヒモドリの魔女・2
薄暗い山中に鋭い声が響き、木々の葉がざわざわと揺れる。
なんだなんだ、とライアスが思っていると、さらに続いて声がした。少し高めの、少女のような声だ。
「そうだ、そこで止まれ!」
思わず立ち止まるライアス。
どこから聞こえてきているのかと、周囲を見回すが。
「それ以上進むな!」
まるでお風呂場の中にいるみたいに、鋭く響く声はそこら中から反響して聞こえてくる。どっちを向けばいいのかライアスには分からなかった。
「神様これどうなってんの?」
問われたウルスラ。推測を述べた。
『この声、張り巡らされた紐全体から聞こえてきているように感じます。おそらく、ピンと張った紐を糸電話のように使っているのではないかと』
「いとでんわ、って……何?」
『遠くにいる者に声を届けるための道具ですわ』
なにそれ便利、とライアスは驚く。
そこにまた、声が飛んできた。
「アタシの紐を乗り越えてくるなんて、オマエ、この先になんの用だ! 言え!」
「……もしかして俺、話しかけられてる?」
「そうだ! 答えろ!」
『そうみたいですよ』
声の主がどこにいるか知らないが、どうやら会話ができるようだ。ライアスは誤魔化す意味もないので正直に答える。
「この先の共同墓地に用があるんだけど」
「なに? オマエ、墓地に行くつもりなのか?」
「そうだよ」
そのとたん、声の主は声を荒げた。
「ダメだダメだ! 墓地になんて行かせないぞ! すぐに引き返せ!」
「えぇ、なんで」
「オマエ、この先の墓地がどうなってるか知らないのか!」
ライアスは困ったように「知ってるよ」と答える。
「瘴気が溜まってるんでしょ。下の集落の人たちから聞いたよ」
「知ってるのに行く気なのか!? このバカ! アンポンタン! オタンコナス!」
『ひどい言われようですわね』
声の主の怒りに応じるように、木々の葉がさらにざわざわと揺れる。声の主は、「あー、もー!」と唸った。
「オマエなー、瘴気が溜まってるとこ行ったら危ないだろーが! 病気になったらどうするんだ、バカ!」
その言葉を聞いて、ライアスは「ん?」となった。
「ひょっとしてこれ、……心配してくれてるのかな?」
『私もそう聞こえます』
「オマエらみたいなフツーの人間は瘴気に耐えられるようにできてないだろーが! だからアタシが紐を張って近付けないようにしてるんだよ! そこだって風向きが変わったら瘴気が漂ってくるかもしれないし、そうなったら本当に危ないんだぞ!」
「う、うん」
「だから体調崩す前にさっさと帰れ! あ、帰ったらうがいと手洗いを忘れるなよ」
「優しい」
なんか良い人っぽいぞ、とライアスは思う。だいぶ口は悪いが。
しかし、帰れと言われて帰るわけにもいかない。
こちらも約束があるのだ。
「えっと、……心配してくれてありがとね。けど、俺は大丈夫だから先に進むよ」
「大丈夫ってなんだ! 何を根拠にそんなことを!」
「俺、生まれてこの方風邪ひとつ引いたことないし」
「はぁ!?」
『そうなんですか』
なんちゃらは風邪を引かないというやつだろうか。ウルスラはそんな失礼なことを思った。
「ほんとほんと。身体だけは生まれつき頑丈なんだ」
「え……、いやいや、それでもダメに決まってるだろ! バカかオマエ!?」
「じゃ、そゆことで」
「待て待て、進むんじゃない! ……おいコラ無視するな!」
慌てる声を無視して、ライアスはすたすた先に進む。
「止まれったら! 止まらないと怒るぞ! アタシが怒ったら怖いんだからな!」
「墓地まであとどれぐらいかな」
「話を聞けー!」
紐の主はわいわいと言ってくるが、ライアスが全く言うことを聞いてくれないため、とうとうこんなことを言い出した。
「よし分かった、今からそこに行くからちょっと待ってろ!」
「え、別に来なくても」
「うるさい! いいから待ってろ!!」
それだけ言い残すと、紐の主は全力で移動を開始した。来なくていいのになー、と思いながらも、仕方なくライアスはその場で待つことに。
しばらくして、ウルスラがその姿を捉えた。
『来ましたよ、ライアス』
「え、どこ?」
『その奥の木と木の間に張られた紐の上にいますわ。紐から紐に跳び移ってきているようです』
「……ほんとだ」
なんとも身軽なものだ。紐の上をぴょんぴょん跳ねて近付いてくる。
『紐の張力と反動を利用してますね』
「俺が触ったやつはあんなに伸びなかったのに」
『伸びと張りをある程度調整できるのでは? 自分で張ったものたと言っていましたし』
最後に大きく反動をつけて跳ぶと、紐の主はライアスの目前、目線より少し高いところに着地した。足場にしているのはやはり自分の紐で、彼女が跳び込んでくると同時に一瞬で足元に現れ、何もない空間に張り渡された。
「来てやったぞ、このバカ!」
紐の主は、少女のような見た目をしていた。
年の頃は十代後半くらいで、わりに高い背丈と、すらりと長い手足が印象的だ。衣服の丈は全体的に短く、二の腕や太ももどころかおへそまで見えてしまっている。
右のほほに紅で二本の線を引いていて、髪はいくつかの束にまとまってくるくると渦を巻いていた。
『大胆な格好ですわね』
ウルスラが自分の格好を棚にあげて(着物の丈は膝上何寸かである)そう呟く。
見上げるライアスに向かって、紐の主は名乗りをあげた。
「アタシは魔女。人呼んでヒモドリの魔女だ! オマエ、名を名乗れ!」
『……魔女?』
ウルスラが不思議そうに繰り返すが、ライアスは「やっぱりそうか」と思っていた。
何もない空間に一瞬で現れる大量の紐。
これが妖術ではないのだとすれば、ライアスの知る限り、このような奇異な現象を起こせるものはふたつしかない。
すなわち、神主や巫女が神様の力を借りて使う神業か。
もしくは、願いを叶えるという魔女の魔法だ。
「俺の名前はライアスだよ」
「オマエなー! アタシのこと無視するなんていい度胸だぞ!」
「いやほら、男は度胸、女は豊胸って言うでしょ?」
「ケンカ売ってんのか!?」
『言い値で買いますよライアス』
なんで神様まで怒るの、と思いながらライアスは首を横に振る。ケンカなど売っていない、ライアスは本当に父親からそう習ったのだ。
まぁ、当の父親もその言葉を教えてくれたとたん母親に頭を叩かれていたので、なにか変だなとはライアスも思っていたのだが。
「というかあれなの? 君も胸ペタンコなの気にしてるの? 大丈夫だよ、そこが慎ましやかなほうがいいって人もたくさんいるし」
「気にしてねーしアタシは別にペタンコじゃあないだろ!? ちゃんとあるからホラ!」
「そんな、両手で寄せて無理に谷間作ってみせられても……」
見ていて物悲しくなる。
涙がちょちょ切れそうだ。
そんなライアスの表情を見て、ヒモドリの魔女も自分の行動のバカさ加減に気付いた。顔をしかめて頭を抱える。
「なんでアタシはこんなバカ相手に谷間作って見せてるんだ……!」
「ホントだよね」
「オマエのせいだろこのバカ!! ……あー、もー!」
ヒモドリの魔女はなんとか気を取り直して、ライアスをぐっと見据えた。
「話を戻すぞ! ここから先には進むんじゃない! 今すぐ引き返せ!」
「無理だって言ったら?」
「これやるから言うことを聞け」
そう言うと魔女は、そこらへんで採ってきたであろう柿を取り出した。なんか、あまり熟れていなくて固そうである。
せめてもうちょっと美味しそうなやつを採りなよ、とライアスはげんなりした。
「……いらないし、先に進むよ」
「あ、おい!」
『柿ならすでに貰ってますものね』
ライアスは無言で頷いた。墓地を綺麗にして帰ったらユイからまとめて貰うことにしているのだ。わざわざここで貰う必要がない。
ライアスは魔女の足場になっている紐をくぐって先に進もうとした。が、地面に降りてきた魔女に立ちふさがられた。表情は見るからに怒っている。
「どーしても、墓地に行くつもりなんだな?」
「そうだよ」
「それならアタシも、――――本気で止めるぞ」
その言葉と同時にヒモドリの魔女から猛烈な戦意がほとばしった。ライアスは思わず目をみはる。
「っ――!?」
向けられた視線が肌を刺すような鋭さを帯びていた。
明確な敵意。意識だけで恐怖心をあおられた。
ライアスは、本能的な危機感を感じ大きく跳び下がる。
もう軽口をたたく余裕もない。
『思っていたより手強そうですよ』
「……これは、ちょっと」
まずいかな、と続けようとしたライアスは、魔女がこちらを指差してきたのを見て口を閉じた。
何をするつもりだろう。五間以上は離れたはずだけど。と、思っていると。
「こっちに来い」
「えっ……?」
気付いたときには、引っ張られて伸びに伸びた紐が、何本もライアスの背中に押し付けられていた。
そして、伸びた紐は、元に戻る。