5話:翻弄、ヒモドリの魔女・1
今年も一年、よろしくお願い申し上げます。
◇
見渡す限りに木々が立ち並び、山の斜面のなだらかなところを縫うようにして、人ひとりがようやく通れるような細い獣道が走っている。
天から差す淡い日の光も折り重なった枝葉に遮られてほとんど届かず、薄暗くてどこかじめっとした柔らかい土を踏みしめ、ライアスは獣道を歩いていた。
『なんだか、山道ばかり歩いている気がしますわ』
「実際に歩いてるのは俺だけどね」
ウルスラが文句を言うと、ライアスが茶化した。
ウルスラは「そうではなくてですね、」と続けた。
『今までとことこ歩いてきたところも、ほとんどが山道だったではないですか。もっとひらけたところや平地に道を作ればいいのにと思いまして』
「その平地がないからねー、この辺の土地には。海の向こうのヤマト之国とかシュラ之国とかは広い土地がたくさんあって栄えてるらしいけど、ここはちょっとね」
『山ばかりということですか』
「うん、ほとんどが山。海岸沿いとかじゃないと平らな土地はないかなー。この先の町なんかは、大きな川が流れてることもあって、わりと平らな土地だけどね」
ライアスは、顔の高さに伸びている蔦をひょいと潜り、先へ先へと進んでいく。
「それに、今俺たちが向かってる墓地はもっと上のほうにあるらしいし、山道を登るのは仕方ないよ」
『存外、集落から離れていますよね』
「それこそこういうことになったときに集落に近すぎたら、それだけで住民がやられちゃうからね。埋めるにしても足元がしっかりしてないといけないし」
向かう先は、ユイたちが住む集落の共同墓地。
シンタロウからの依頼を受けて、ライアスは墓地に溜まった大量の瘴気を祓い飛ばしに行っているのだ。
ちなみに、シンタロウから話を聞いたあと、集落のまとめ役の老人からも正式に依頼されたので、ライアスは住民たちの期待を一身に背負うことになった。それだけでもう、ちょっとお腹が痛い。
『やはり、話のとおり無縁仏たちの怨念でしょうかね』
「どうかなー。他に原因はなさそうだったけど、見てみないとなんとも」
『よほどのことになっても瘴気を祓うだけなら大丈夫だとは思うのですが、先般の熊のような、予期せぬことが起きたら――』
「やめて神様、言霊を宿すのは……」
ライアスはウルスラの言葉を遮る。
そういうことを言うと、そういうことになったりするのである。余計なことは言わないでほしい。
『そうですね、失礼しました。では……、大丈夫ですよライアス! なんとかなりますって! 予期せぬことなんて絶対起きませんし行ってきて祓ってそのまま終わりですよ!!』
「どうしよう、どっち向きに言われても不安しかないや」
『なんでですか!?』
神様が普段から根拠のない自信に満ち溢れているのでたぶんそのせいだ、とライアスは内心で思った。怒られるので口には出さない。
「まぁでも、そうそう変なことは起きないよね。わざわざ余計な心配してお腹痛くするのもバカらしいか」
『そうですよ、もっと楽しいことを考えましょう。たとえば、見事瘴気を祓っていただけたなら是非ともお礼がしたい、とシンタロウが言っていましたよね』
「言ってたね。そういうのはいいって言ってるのに」
『いったい何がいただけるのだと思います?』
「なんだろね。差し上げられるものがないって話だったのに、……ん?」
ライアスがピタリと立ち止まる。
「あれなに?」
ライアスが指し示す先、木々と木々の間に何かがある。
とたんにライアスは、げんなりとした顔になる。
「……かみさまー?」
『なんですか』
「さっそく何かあるんだけど」
『少なくとも私のせいではないですわ』
それはそうなんだけど、と言いながらライアスは、その何かに近寄ってみる。
見ればそれは、ピンと張られた紐のようであった。
『なんでしょうね、これ。……鋼線?』
「わいやー? それは怖いやー。なんちゃって」
ウルスラは無言で御守袋を引っ張りながら、じっとよく見てみる。
何でできているのか見ただけでは分からないが、少なくとも麻や木綿などというものではない。磨きあげられた鉄のような、つやつやとした黒色をしている。
紐の太さは、今まさに首を絞められているライアスの人差し指ぐらいだ。
「ぐえぇっ……!」
じたばたしはじめたので、ウルスラは引っ張るのをやめた。
『触っても大丈夫なのでしょうかね』
「ごほっ、ごほ……、ど、どうだろうね。試してみる?」
『危なくないですか?』
「でも、この先に進むならどのみち触ることになると思うよ。ここから先、めちゃくちゃたくさん張られてるし」
ライアスの言うとおりこの不思議な紐は、ライアスの行く手を阻むようにして大量に張り巡らされている。道の上もそうであるし、獣道を外れた木立の間にも、無数に紐が通っている。遠回りしても無駄そうだ。
「絶対、誰かの仕業だよね」
『まさかまた妖魔でしょうか?』
「かもねー。よくないものの気配はする?」
聞かれて、ウルスラは首を振った(ようにライアスは感じた)。
『いえ……、墓地とおぼしき場所に瘴気が溜まっているのは分かりますが、妖魔らしき生物の気配は感じませんわ』
「んー、そうか。こんな不思議な紐、てっきり妖術の類いかと思ったんだけどな」
『妖術、ですか』
「うん。妖魔の中には溜め込んだ瘴気を使って火を出したり風を吹かせたりできるやつもいるから、そうかなって」
ちなみに、妖術にも色々種類があり、鬼火や狐火を灯したり鎌鼬を走らせるものもあれば、幻覚を見せるもの、遠くを見通すものなどもある。
『なるほど。もし、この紐が瘴気を使った妖術によるものなら、煤祓で消せますよ』
「ほんと?」
『はい。大元の瘴気を祓い落としますから』
ライアスは手近な紐に箒をかざすと、煤祓を使ってみた。
箒から広がる淡い光は紐に吸い込まれていくが、しかし紐に変化はない。
『妖術によるものではなさそうですね』
「そっか。えいっ」
ライアスは箒で紐を叩いてみる。
紐はよほど強く張られているのか、びよんと強い手応えを感じ箒が跳ね返ってきた。ぐいぐい押しても紐はほとんど伸びない。
「固いなー。これ、俺が乗っても余裕で支えられるんじゃないの?」
『本当にワイヤーのようですね。もしくはリングロープ?』
「よく分かんないけど、とりあえず先に進むよ。もう触っちゃったし、乗り越えてく」
張られた紐を掴んでひょいひょいと乗り越え、ライアスは奥へと進んでいった。木々と紐の間に身体をねじ込んだり、紐にぶら下がって伝ったりもしつつ、獣道に沿って進んでていく。
やがてある程度進むと、張られている紐の量が減り、紐を押し退けなくても普通に通れそうになった。
「おや、抜けた?」
ライアスは、道に降りて再び歩くことにする。
『まばらになりましたね。どちらかと言えば、そのあたり一帯だけ網の目になっているみたいです』
「とおせんぼしてるってこと?」
『かもしれません。理由は分かりませんが』
ふーん、とライアスは不思議そうに首をひねると。
「ほんとに、誰がこんなことしたんだろう……?」
誰ともなく呟いた。別に、答えを求めてのものではなかったのだが。
「おいオマエ! そこで止まれ!!」
「へ?」
突然、答えのほうからやってきた。