4話:活用、箒の特殊技能・3
ずんずんと手を引いてくる女の子に付いていきながら、ライアスは色々話をしてみる。
「君のお名前は?」
「ユイっていうの」
「そっか、ユイちゃんっていうのか。俺はライアス、好きに呼んでくれていいよ」
「分かったわ、お兄さん」
「ユイちゃんは、どうしてこんなところにひとりでいたの?」
「これをとりにきてたの」
そう言うとユイは、背中の背負いカゴを傾けて中を見せてくれた。中には柿やアケビが入っている。どれもよく熟れていて美味しそうだ。
「たくさんあるね。全部自分で採ったの?」
「うん。近くにいっぱいとれる所があって、三日に一回ぐらいきてるの。持ってかえって、お父さんとか、みんなにあげるとよろこんでくれるんだ」
「美味しいものもらうと嬉しいもんね」
「お兄さんもひとついる?」
「じゃあ、ユイちゃんがみんなに配ったあとで余ってたらもらおうかな」
「分かった、ちゃんと残しておくね!」
ユイは楽しそうにニコニコ笑って、さらにライアスの手を引いていく。
余ったらでいいのになー、とライアスはひとりごちた。
「ところでこれ、俺はずっと手を離しちゃダメな感じかな?」
「離しちゃダメ! ちゃんと付いてこないと怒るからね!」
「ちゃんと付いていくけど、手を離すのはいいんじゃない?」
「ぜったいダメ!」
「どうしても?」
「ダーメーなーのー!」
絶対に離さないとばかりにギュッと強く握りしめられたので、ライアスは困ってしまう。
このままユイの住む集落までお手々をつないでいくのは、少々気恥ずかしいのだが。
どうしたものかな、とライアスが考えていると、ふいに背後の茂みからガサガサという音が聞こえた。
「ひゃっ!?」
「うんっ?」
びくりと肩を跳ねさせて、ユイが立ち止まる。ライアスが振り返ってみると、またしても茂みがガサガサと揺れた。
「っ……!」
「おっとと」
怯えたユイが、ライアスに隠れるようにしてしがみついてきた。
ライアスの服を握りしめてぶるぶると震え、顔はとっくに青ざめてしまっている。
そんなに引っ張られると動けない、と言える雰囲気でもなく、ライアスは茂みをじっと見つめた。
もし万が一のときは、自分を盾にするしかなさそうだ。
『……少なくとも、妖魔ではありませんわ。それと、こちらに対する敵意も感じません』
「……分かった」
神様がそう言うならそうなのだろう、とライアスは少しだけ気が楽になる。
やがて茂みの中から雀が飛び立った。どうやらこの雀が茂みの中で動いていただけらしく、ライアスはほっとする。
「スズメさんだったみたいだよ。大丈夫だいじょうぶ」
「…………」
ユイは返事をしない。身体を強張らせて怯えたままだ。
考えてみれば、ユイは先程までとても怖い目に遭っていたのだ。ささいな物音に対しても敏感になっているのだろう。
「……んー。ユイちゃん」
「…………」
「手ぇつなごっか。はい、ぎゅっと」
「あ……」
ライアスはユイの手を取ると、ユイが安心できるようにしっかりと握った。
「怖いことがあったばかりだもんね、びっくりしたよね。大丈夫になるまで、手ぇ握ってていいからね」
「……うん」
「さ、お家に戻ろっか」
「うん」
ユイは再びライアスの手を引いて歩き出した。今度はユイが引っ張るのではなく、ふたりで並んで歩いている。
その様子を見たウルスラが、ライアスに話しかけた。
『なかなか優しいではないですか、ライアス』
「まあ、さすがにねー」
『童女趣味だというのも、あながちウソではなかったみたいですね』
「あれ、ひょっとしてまだ根に持ってる?」
『別に。そんなこともありませんわ』
「……そう」
めんどくさい神様だなー、とライアスは思った。
ユイの住む集落に着いたライアスは、そのままユイの家まで付いていった。
立て付けの悪い木戸を引き開けると、ユイに続いて中に入る。
「お父さんただいま!」
履き物を脱いで板間に上がっていくユイ。ライアスはひとまず土間のところで待つことにした。
『なかなか、年季の入った家ですわね』
ウルスラが、なんとはなしに言う。
壁や床の木板はあちこち穴が空いていて、建てられてからの長い年月を窺わせる。端的に言うとボロい。すきま風とか寒そうだ。
「いやぁ、このあたりならこんなものでしょ。俺が昔住んでたとこも似たようなもんだったよ」
『そうですか。そういうものなのですか』
「そうそう」
ライアスは頷く。人の少ない集落の家などそうそう建て直せるものではないので、結果として長く住むことになるのだ。
そんなことを話していると、ユイに呼ばれる。
「お兄さん! そんなとこにいないで上がってきてよ!」
手招きするユイに頷いてみせ、ライアスも板間に上がって奥に入る。
「おじゃましまーす」
『おじゃましますわ』
ユイが待っている部屋の前に来ると、中を覗く。
ユイの隣には、ユイの父親らしい男性もいた。齢は四〇を少し越えたぐらいか。線が細く、面長で丸い眼鏡を掛けている。
どこか身体を悪くしているのか、青白い肌をしていて、布団の中で上体だけ起こしていた。
「どうぞお客人、座ってください。たいしたおもてなしもできませんが、それでも娘の恩人を立たせたままにしておくのは心苦しい」
少しかすれた声でそう言われ、ライアスは部屋に入って空いていたところに腰を下ろした。箒はとりあえず、自分の背後にそっと置く。
「ユイの父の、シンタロウと申します。お客人、名は?」
「ライアスといいます」
「ライアス殿、どうやら、私の娘の危ないところを助けていただいたようで、なんとお礼を申せばよいのやら。感謝の言葉もございませぬ」
「いやぁ、たまたま近くを通りかかったんで、はい」
「何かお礼をせねばならないのでしょうが、生憎とうちには差し上げられるような物がなく、どうしたものかと考えているところです」
「そういうのは別にいいんだけど……」
ライアスとしては、ユイを助けてここまで連れてきた時点で目的を達しているし、お礼だなんだという話はあまり興味がなかった。
なので、そんなことで困らなくていいのに、というのが偽らざる気持ちであったが……。
「そういう訳にはいきませぬ」
と、シンタロウが言うので、ライアスは「それなら……」とユイのほうを見る。ユイはなぜか、少しだけ居ずまいを正した。
「ねぇ、ユイちゃん」
「う、うん」
「さっき、ユイちゃんとここに来るときに、採ってきた柿とかが余ったらちょうだいって話になったでしょ。それ、これのお礼として貰えないかな」
「え、……それでいいの?」
「うん。言ったでしょ、美味しいもの貰えたら嬉しいって。一番美味しそうなやつを、ユイちゃんに選んでもらえたら嬉しいかな」
ユイはしばらく何か言いたそうにもじもじしていたが、やがて立ち上がると、ぱたばたと部屋から出ていった。たぶん、美味しいやつを選びに行ってくれたのだろう。と、ライアスは思った。
「……本当に、それだけでよろしいので?」
「? はい」
「……そうですか」
シンタロウは、ふぅと息をはいた。
『……なんだかこの方、安心したような、残念なような、そんな感じの表情をしていますわね』
「なにそれ」
『なんとなく、ですけれども』
ライアスはよく分からずに首を傾げた。
「ところで、シンタロウさんはどこか悪いの?」
「ん……。ええ、恥ずかしながら。腹の中によくないものが溜まってしまったようで、しばらく前からこの様です」
「よくないもの? もしかして、瘴気の毒でも吸い込んだ?」
「はい。手足がしびれるようになって、体も重く、起き上がるのにも難儀する始末。ユイにも負担をかけてしまっております」
ライアスは腕を組んで「んー」と唸り、それからウルスラにそっと尋ねた。
「神様」
『はい』
「瘴気の毒ってことなんだけど」
『はい』
「いける?」
『もちろん。さぁ、ホウキを手に』
ライアスは、後ろに置いていた箒を掴むと穂先をシンタロウの腹に当てた。
「ライアス殿、なにを……?」
突然のライアスの行動に戸惑うシンタロウ。
『りぴーとあふたみー、ライアス。――煤祓』
「えぇっと……、煤祓」
余計なこと言わないで神様、と思いながらライアスは、ウルスラに倣って宣言する。
神様特製の箒からふわりと燐光が舞い、シンタロウの腹を、身体を、優しく包む。光は淡雪のように溶けて、シンタロウの身体に染み込んでいった。
「おお、ほんとに出来た!」
「今のは……?」
「シンタロウさん、身体の調子はどう?」
「え? えぇと……身体の調子と言われましても、特に変わりは……おや?」
ライアスに言われて、シンタロウは気付く。先程まで身体を覆っていた重い倦怠感が、さっぱりと消えていることに。
「こ、これは……!?」
手を握り締め、開き、布団から出て立ち上がる。手足のしびれも取れて力強く動くようになり、シンタロウは往事の健全な肉体を取り戻していた。
煤祓によって、瘴気とその悪効を打ち消したのだ。
「よかったよかった、ちゃんと治ったみたいで」
『これぐらいなら当然ですわ』
「シンタロウさん、シンタロウさんの身体を蝕んでいた瘴気は綺麗さっぱり消えてなくなったみたいだから、これでもう大丈夫だよ」
シンタロウは、しばらく何が起きたのか分からないような表情を浮かべていたが、はっと気を取り直すと、ライアスに尋ねた。
「ライアス殿は、退魔師なのですか?」
「退魔師というよりは、巫女や神主のほうが近いかもしれない。神主、というわけでもないんだけど」
ウルスラが「ライアスは私の使徒ですわ」と言うが、もちろんシンタロウには聞こえていない。
「ライアス殿、……恥を忍んでお願いがあります」
「どうしたの?」
「実は……、この集落の共同墓地が、瘴気に覆われてしまっているのです。ライアス殿の御力で、祓っていただくことはできないだろうか?」
「そこが、シンタロウさんを苦しめていた瘴気の溜まり場なの?」
シンタロウはこくりと頷く。それを見て、ライアスも頷いた。
「分かった。詳しい話、聞かせて?」