3話:復活、町の名物温泉・3
「これって、……ホウキ?」
ライアスの手に乗っていたのは、柄の長い一本の箒であった。
柄は頑丈そうな木の棒で、穂は動物か何かの毛を束ねたもの。穂の形状は筆状で、それはそれは鮮やかな、青い色に染められていた。
この青さを、ライアスはどこかで見たことがあるような気がした。
『そうです。ホウキですわ』
「これが、神様の言ってた依り代?」
『お掃除をするにはピッタリでしょう?』
「それはそうだけど。もっとこう、侍たちが使ってる刀とか、魔女の使う杖とか、そんな感じのものかと思ってた」
『そんなもの物騒ではありませんか。それに、私の力は穢れを祓って浄める力です。その力を使うのであれば、それが一番適した形だと思いますけど?』
「んー、それもそうか」
ライアスは、見た目にそれほどこだわるたちではないし、大事なのは使いやすさと性能だと思っている。
使えるならそれでいいか、思うことにした。
「それで神様、このホウキでどうすればいいの?」
『まずは、その窪みの中の湯に浸けてください』
「こう?」
箒の穂先をちゃぷんと浸ける。
『それから念じてください。キレイにするぞー、とか、ピカピカになーれ、とか、穢らわしきは滅するべし、とか。お掃除をするときに考えることを思い浮かべるのです』
「俺、掃除するときに滅するべしとか考えたことないけど……」
それでもライアスは、言われた通りに思い浮かべる。
とりあえずは分かりやすく、「キレイになれ」と。
すると、効果はすぐに現れた。
穂先の浸かっているところの周りから、濁ったお湯がすうっと透明になっていく。
「お? おおお? あれ、これホントにスゴいぞ……!」
あっという間に窪みに溜まったお湯が透き通り、その力はさらに、湧き出す源泉にも及んでいく。
ウルスラは、ライアスの驚く顔に気分を良くしながら、源泉の様子を確認する。
『今、清めの力がお湯を伝ってしみ込んでいっています。源泉の奥の奥、大元のところまで。しばらくそのまま待っていてくださいな。一番奥まで浄化が完了したらお教えしますので』
「今、どこまでキレイになってるかって、分かるの?」
『もちろんです。そもそも私の力ですし、その依り代も私が作ったもの。私が分からない訳がありませんわ』
それに、とウルスラは続ける。
『私はこれでも神様ですから。貴方には見えないものだってきちんと見えています。私のくもりなきまなこは、どんなに小さな汚れも穢れも見逃しません』
「なるほどねー」
そういえば、とライアスは思い出す。
昨日妖魔に襲われる前、神様は妖魔の接近に先んじて気付いていた。あれはつまり、妖魔の身体に蓄えられた瘴気に反応していた、ということか。
「神様って、やっぱりスゴいんだね」
『ふふふ。そうでしょう、そうでしょう』
「なんてったって甘党だし」
『それ、関係あります?』
そんなこんなと話しているうちにも、源泉の浄化は進んでいく。
その様子を見て感心していたライアスは、ふと疑問を覚えた。
「ねぇ、神様。これは今、温泉のお湯をキレイにしてるんだよね。まさかとは思うけど、キレイにしすぎてただのお湯になっちゃったりしないよね?」
ウルスラは「なにをバカな」と、若干呆れたように返す。
『そんな、洗濯したら色柄まで消えた、みたいなお間抜けなことにはなりませんわ。そのあたりはうまく調整します』
「本当に?」
『私はそんなおっちょこちょいではありませんから!』
「失礼しちゃいますわ!」とウルスラは言うが、ライアスはいまいち信用しきれていない。
箒をぱしゃぱしゃと動かしてお湯の状態を確かめてみる。見た目では分からない。
なんだか不安になってきた。
『そんなことよりも、貴方はこのあとの帰り道の心配をしなさいな! 登りと下りでは、通れるところも変わってきますわよ?』
「あぁ、うん、それは大丈夫。なんとかするから。それより、そろそろ終わるかな?」
ライアスの問いから少しして、源泉の浄化は終わった。
箒を片付けてしばらく様子を見たが、再び濁り始めることはなかったので、ライアスは町に帰ることにする。
「湯屋が営業再開してるといいんだけど」
それだけ呟くと、ライアスは下山を開始した。
「あらあら、さっきの兄ちゃんじゃないか。ちょうど良いところに戻ってきたね。つい今しがた、お湯の濁りが取れて入れるようになったところだよ」
町に戻ったライアスは、脇目も振らず湯屋に直行し、湯屋の玄関戸を叩いた。
これでダメだったら宿に戻ってふて寝してやろうか、とライアスは思っていたが、どうやらうまくいったようだ。
湯屋の中から出てきたオバちゃんはご機嫌そうだった。
思ったより早く温泉が元に戻ったからだろう。
「ところでアンタ、どうしてそんなに汚れてるんだい? さっき来たときはもう少し綺麗な格好をしてたのに」
「でんぐり返しの練習をしてたんだ。おむすびの気分になってみたくて」
実際のところは、下山中に近道をしようと小さな崖から飛び降りて、着地に失敗したりしたのが原因なのだが、説明が面倒なのではぐらかした。ちなみにケガはしていない。
「なにを言ってんのさ。ま、せっかく来てくれたんだ。ゆっくり浸かって汗を流していきなよ」
そう言うオバちゃんにお金を払って、ライアスは湯屋に入る。
脱衣所で手早く全裸になって、洗い場で身体を洗ってから、温泉に浸かった。
湯船に浸かると、気持ち良さそうな声が漏れた。
「くぁーー……っ、しみるなぁ……!」
ばしゃばしゃと顔を洗って、手足を大きく伸ばす。
浴場内に他に誰もいないので、気兼ねなく伸びができる。
ついでにと、給湯口から出てくるお湯を一口飲んでみた。
「んー……?」
川や井戸の水と味を比べてみて、温泉が真水になってやしないかを確かめてみたかったのだが。
「やっぱ飲んでも分かんないなー」
そもそもライアスは、元の味を知らなかった。
『だから、大丈夫ですってば』
「おや、神様。俺の裸を見ても大丈夫なの?」
『今は貴方の姿が見えないところに行っていますし、そういう意味ではありません』
そうなのか。それにしても、こちらの声や姿は神様からはどのように見えたり聞こえたりしているのだろうか。
ライアスは不思議に思いながら、頭に乗せた手拭いが落ちないように乗せ直した。
「それで、大丈夫ってのは?」
『私のほうでこの温泉の成分を検査しましたが、きちんと元の温泉に戻っています。決して、決して、私の手落ちなどありませんわ』
「わざわざ確かめたの?」
『貴方が気にしているようでしたから。それに、私の力を見くびってもらっては困りますからね!』
その言葉に、ライアスは困ったように返す。
「別に、見くびってるわけじゃないんだけどなー」
『? では、なんだというのですか』
「いやぁ、単純に強力すぎて調整が難しそうだと思っただけ。どちらかといえば、ちゃんと俺に扱えるんだろうか、っていう不安のほうが強いや」
ライアスが、ふぅーとため息を吐く。
はじめてまともにウルスラの力を使ってみて、その想像以上の効力に、ライアスは感心と畏れが混ざり合った気持ちになっていた。
過ぎたるは及ばざるが如し。過ぎた力は身を滅ぼす。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
今のライアスには、この大きな力を使いこなす自信はない。
『なんだ、そうだったのですか』
それを聞いたウルスラは、得心がいったとばかりに頷いた。
『でも、それも大丈夫ですわ』
そして、自信満々にそう言った。
『最初に言ったとおり、その力を一番適切に使えるのは、貴方をおいて他にはいません。もっと自信を持ってください。貴方ならきちんとやれますわ』
「……そうかな?」
『そうですとも。間違いありません』
相変わらず、なんの根拠もなさそうな言葉であったが、今はその自信満々さが、ライアスはありがたかった。
『それに、貴方がきちんと力を扱えるように、私はこのホウキを作ったのです。せっかく作ったのに、怖がって使わずにいられたら私も嫌ですわ!』
「うわっ!」
ウルスラは、いきなりホウキを渡してくる。御守袋から飛び出してきた箒が、温泉の水面にぷかりと浮かんだ。
『そのホウキの使い方はその時々で必要に応じてお教えしますが、道具というものは、使えば使うほど馴染んで使いやすくなるものです。扱いに不安があるというのなら、もっとばんばん力を使って、早く扱いに慣れてくださいな』
「……それもそうだね」
『そうですよ。貴方には、この世界をピカピカにしてもらわなくてはならないのですから。やることは多いですよ』
ライアスは箒を手に取った。そして、その青い穂先を見つめた。
「すぐには無理だけど、……いずれはすいすい使いこなせるように頑張るよ」
『ええ、お願いします』
「せっかく神様が、髪を切って作ってくれたんだもんね」
『ええ。……え?』
ウルスラは、驚いて問い返した。
『気付いていたのですか?』
「だって、よくよく見ててみればこの穂先の青さ、神様の髪の毛と同じだし。俺でもそれくらいは気付くよ」
こんなに綺麗なものがそうそうあるはずもないし、という言葉は口に出さなかった。
「ちなみに、髪は女の命だってよく言うけど、それは神様にとっても同じことなの?」
『……まぁ、そうですね』
それを聞いたライアスは、そうだよねー、と嘆息し。
「それを、これ作るためにバッサリやって、神様ってほんとに思い切ったことするよね。……ここまでされたら、俺も頑張るしかないじゃないか」
それからちょっとだけ、やる気が上がった。