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ウルスライアス清掃紀行  作者: 龍々山 ロボとみ
第一章:誕生、浄神の使徒
1/67

序話:対決、イシヅチ山ホウキ坊

 イシヅチ山、と呼ばれる高い山がある。


 古くから伝わる言い伝えでは、此の山に入った者は誰一人として帰ってくること能わず、などとも言われている。それはもう、高い山だ。


 近隣をぐるりと見回してみても、この山より高いところはない。この地方一帯でもっとも標高の高いところが、この山なのだ。頂上を見上げれば雲に遮られ、登っていけば途中で雲海を抜けることになる。山の中腹ぐらいからはゴツゴツした岩石地帯になっていて、人が登っていくにはずいぶんと難儀するだろう。


 さらに付け加えれば。

 この山は、山の至るところから濃い瘴気の湧き出す瘴源地(しょうげんち)だ。


 山から降りてくる瘴気のせいで山の周囲には人が住んでおらず、山とその周囲に住んでいるのは、瘴気に適応した妖魔たちばかりである。

 腕に覚えのある退魔師ですら滅多には近寄らず、世俗からは半ば見捨てられた土地となっていた。


 そんなイシヅチ山のふもとに、何故か人がいた。


「ねぇ、ホントにここ登るの?」


 まだ歳若い童顔の青年である。

 ボサボサに伸びた黒髪は襟足の部分でまとめて縛り、首からは御守袋を提げている。

 着古した上衣を着て、裾のほつれが目立つ裁付袴を履き、いかにも素浪人然とした姿の青年は、向こうから聞こえてくる物音に耳をすませた。


「すっごく恐ろしい鳴き声とか、聞こえてきてるんだけど」


 ガァガァと、不気味な鳥の鳴き声が木霊する。

 もしここに、この青年以外の誰かがいたとすれば、その者はすぐさま青年の腕を引っ張って、この山から引き離そうとしてくれるだろう。あいにくと、そのような親切な人間はこの場にはいないのだが。


 青年は山を見上げ、見るからに怯えた表情を浮かべた。


「一回引き返さない?」


 独り言のように弱音をこぼす。首から下げた御守袋を、ぎゅっと握った。

 そんな青年を、叱り付ける声がする。


『何を仰いますか! ここまで来て、そんな弱気ではいけませんわ!』


 叱り声は、少女の声のようだった。

 風鈴のように涼やかで、それでいて凛とした。強い意志を感じさせる声である。

 どこからともなく青年にだけ聞こえる形で、頭の中に声が響いてくる。


『あれだけ村を出てくるときに大見得を切っておいて、のこのこ引き返したらお間抜けもいいところですわ! さぁ、進みましょう、進みましょう!』

「あれ、なかったことにできないかな」

『いまさら無理ですわよ! それに、大丈夫。貴方なら必ずできます。私の言葉を信じなさいな』

「いつも思うんだけど、その無責任な自信はどこから出てくるの? 俺、自分のことですらそんな自信満々になれないよ?」


 いわんや、他人事をである。もっとも、他人事だからこそ、なのかもしれないが。


「でも確かに、これで引き返してもひんしゅく買うだろうなぁ。お礼の先払いってことで、ご飯ごちそうになっちゃったしなぁ」

『そうですわよ。あれだけ食べといて、出来ませんでしたー、なんて言ったら袋叩きに遭いますわ』

「だよねー……。気は進まないけど、とりあえず登ってみるしかないか。もしかしたら意外とすんなりいくかもしれないし」


 とうとう決心し、青年は山に向かう。

 ため息ばかりが零れているが、向かう足取りはしっかりとしていた。


「この山も、本当に瘴気が濃いね」

『そうですわね。今まで見てきたどの瘴源地よりも、濃密で大量の瘴気を垂れ流していますわ』

「住んでる妖魔の強さは、どんなものかな」

『そのうち出てくるでしょうが、大物以外はそこまで警戒しなくても大丈夫でしょう』


 獣道、というにも荒れすぎている道を、青年は歩く。

 しだいに勾配がつきはじめ、イシヅチ山に入山したのだと知れた。そうでなくても、入山と同時に絡み付くような気配を感じるようになり、やはりこれは、すんなりとはいかないだろうな、と青年は思った。


 しばらく歩いていた青年の前に、黒い何かが現れた。

 木の枝にとまってこちらを睨んできている。品定めでもされているみたいだった。


「む、出てきたな」


 赤い目を怪しく光らせているのは、カラス、のようであった。

 ただし、ただのカラスではなく、妖魔化している。

 瘴気の毒に冒された果ての末路は、いつ見ても気持ちのいいものではない。


「邪魔するんなら、退治するよ」


 言葉が通じるほど知性があるとも思えなかったが、青年はそう告げた。あるいは、どこかで見ているであろうこのカラスたちの親玉に対して言ったのかもしれない。


 どちらにせよ、返事はなかった。

 代わりに妖魔カラスたちが、一斉に羽を広げた。


「ガァ、ガァ、ガァ! ガァ 、ガァ、ガァ!」


 耳障りな鳴き声であった。青年を取り囲むようにして、そこら中から聞こえてくる。


『来ますわ』

「来るね」


 数羽のカラスが飛び込んでくる。

 ギラギラとしたクチバシを突き出して、青年の身体を貫こうとしてきた。


『右!』

「はっ!」


 少女の声とともに、青年が跳んだ。

 躱されたカラスたちが唸りをあげて旋回する。


「ガアァ!」


 残っていたカラスたちも次々に襲ってきた。

 二度三度と躱すが、とてもじゃないが全ては躱しきれない。


『前!』

「ほっ!」

『左後!』

「やっ!」

『みだり!』

「……うぇっ!?」


 どっちなの!? と確認する間もなく。

 一羽のカラスが青年の左側頭部にぶち当たった。


「っ! 痛ったいなぁ!」


 お返しに青年はそのカラスをぶん殴った。

 振り抜いた拳は見事にカラスを捉え、地面に叩き落とす。カラスはそのまま動かなくなり、やがてドロリと溶けていった。骨の髄まで瘴気が染みた妖魔は、倒されると黒いタール状に溶けるのだ。


「うりゃ! おりゃあ!」


 青年は足を止め、向かってきたカラスたちを殴り落としていく。

 避けるのをやめたのは、避け続けるのは難しいだろうと考えたのと、一度喰らってみて、このカラスたちの突撃がそこまでの脅威ではないと感じたからだ。

 それに、動いて追わずとも向こうから飛び込んでくるなら、待ち構えて迎撃するほうが手間が省ける。ぶつかったあとのカラスたちは弾かれて、立て直すまでに隙ができる。そこを逃さず叩けばいい。


「っだあ! この! ……痛ってぇ!」


 やがて、青年の足元に、汚泥のように溶けたカラスの死骸が溜まってきた。

 結構な数を倒したはずだが、カラスはまだまだたくさんいるようだった。次から次へと飛び掛かってくる。青年は腹立たしげに吼える。


「キリがないね!」


 脅威ではないとはいえ、当たれば痛いものは痛い。

 何度も喰らっていると、いい加減にうんざりしてくる。


『そろそろ瘴気も濃くなってきましたわ!』

「じゃあもう、やっちゃおっか!」


 溶けたカラスの死骸からは、濃縮された瘴気が立ち昇っていた。妖魔の死骸からは溜め込まれた瘴気が漏れ出すため、その周辺は瘴気が濃くなっていく。


 瘴気の濃度が上がればそれだけ妖魔たちの力が高まる。

 そうなる前に、一気にケリを付けることにした。


 青年は後方に跳び下がる。大きく、大きく、何度も何度も。

 付近にいるカラスたち全てを、自らの前方に捉えるために。


 下がりきると同時に、青年は、首から下げた御守袋を握り締めた。


「――神様(・・)!」

『任せなさいな!』


 青年の呼び掛けに、少女の声(かみさま)は応じる。

 御守袋を通じて青年に、ひとつの道具を手渡した。


「せーのっ、」


 青年は、長い柄を両手で掴む。真横から大きく引き、構え、そして力強く振り抜いた。


清風(きよかぜ)ぇえええっ!!」


 澄んだ風が、びゅうと吹き抜けていった。




 イシヅチ山の中腹にある(ほこら)の前では、ひとりの男が眼下を見下ろしていた。


 男の名前はホウキ坊。

 この山を住み処としている天狗である。


 元は人間で、高名な神官でもあった彼は、ずいぶんと昔に訳あってこの地に流れ着き、瘴気にあてられて天狗となった。

 それ以来、この山の主として妖魔たちを取り纏め、実力でもって従えている。

 この山で一番強い妖魔が、このホウキ坊なのだ。


「ほう、ほう、ほう」


 ホウキ坊は、久しぶりの入山者に対して配下の妖魔たちをけしかけ、その実力を測っていた。

 どのぐらい強いのか。ここまで登ってくるだけの実力はあるのか。自分を脅かすことはできるのか。

 千里眼をもってすれば、この場にいても戦いの様子は手に取るように分かる。


 ひとまず及第点ではある、とホウキ坊はそのように判断した。

 身のこなしはそれほどでもないが、拳は固く、なにより頑丈な身体をしている。

 この若造なら、ここまで登ってくるだろう。


 早く来い、早く来いと念じながら。

 ホウキ坊は、その時を待った――。



「やぁやぁ初めまして、天狗さん」


 そして、とうとうやってきた。

 長い道のりを乗り越えて、青年はこの祠まで登ってきた。


 長く伸びた鼻の先をかきながら、ホウキ坊は背中の黒羽をばさりと動かした。


「アンタがこの御山の大将かい?」

「いかにも。我こそが大天狗、イシヅチ山ホウキ坊である」

「お偉いアンタにお願いがあるんだけど、いいかな」

「はて、さて、お願いとな?」


 何事かと問えば、青年は。


「俺は今から、この山を大掃除するんだ。その邪魔をしないでもらいたい」

「大掃除、というのは、具体的に何をするつもりだ?」

「この山の瘴気を祓う(・・・・・)んだよ、ホウキ坊。ここは空気が悪すぎる」


 そんなことを、うそぶく。

 ホウキ坊は、「かっかっか」と愉快そうに笑った。


「瘴気を祓う、とな? なるほど、言うことは立派であるな、若造よ。冗談にしては少々もの足りぬが」

「冗談? きちんと本気だよ。そうじゃなけりゃあこんなとこ、わざわざ登ってきたりしない」


 青年は、手に持っている道具で肩をとんとんと叩いた。

 道中で何度か使用して、そのまま持っているそれは。


「このホウキ(・・・)で、この山を隅から隅まで綺麗にする。邪魔をするなよホウキ坊。同じホウキのよしみじゃないか」


 柄の長い、一本の箒であった。


 柄は頑丈そうな木の棒で、穂は動物か何かの毛を束ねたもの。穂の形状は筆状で、それはそれは鮮やかな、青い色に染められていた。

 長い長い時を生きたホウキ坊をして、お目にかかったことのない青だった。藍染などよりも遥かに青く、そして美しい。

 一見して、凡常のものではないと分かる。


「ふむ、ふむ、ふむ」


 ホウキ坊は、先程この青年がこの箒を使って妖魔退治している様を、千里眼で見ていた。

 おそらく、何処ぞやの神が力を注いだりしているのだろう。

 あれを振るうと、周りの瘴気が浄化されるらしい。道中で青年が倒した妖魔たちから溢れる瘴気は、全てあれで清められていた。


 なるほど、目の前で見るとよく分かる。あの箒に籠められた神威が。

 この山の瘴気を祓いに来たというのは、本気なのだろう。

 あの箒なら、それができる。あの箒には、それだけの力がある。

 この世の不浄の全てを、祓い尽くしてしまえるだけの、力が。


 しかし、だ。


「邪魔をするな、と言われても、な」


 それを扱う青年は、まだまだ未熟。

 道具の持つ威容とまるで釣り合っていない。ちぐはぐだ。


 おそらく、あの若造が箒を手にしたのは最近のことだ。と、ホウキ坊は感じた。


 ――叩くなら今だ、とも。


「我ら妖魔は、瘴気がなければ力を維持できんのだ。だからこそこうして、瘴気の濃いここを住み処としておる。知らんわけではあるまい」

「知ってるよ。今まで行ったとこでもそうだったからね」

「ならば、我の返事も予想できるだろうに」


 ばさり、とホウキ坊の黒羽が動いた。


「この山の瘴気を祓われるわけにはいかん。どうしてもと言うなら、力ずくでやってみるのだな、若造よ」

「……邪魔をするなら、」


 若者は、箒を握る手に力を込めた。


「退治させてもらうよ。……ホウキ坊!」


 言うが早いか、青年は踏み込んだ。

 箒を振り上げ、ホウキ坊に叩き付けるべく迫る。


 ホウキ坊は腰から提げた団扇を手に取ると、ぶんと一振りした。


乱嵐風(らんらんぷう)


 とたんに、ごうごうと風が渦を巻く。

 青年は、もろに風に飲み込まれて動けなくなった。


「うおおっ……!」


 気を抜くとたちまち吹き飛ばされそうになる、妖術の竜巻。

 青年は飛ばされないように耐えるしかない。

 ようやく暴風が収まったときには、ホウキ坊は背中の黒羽を羽ばたかせて、上空に舞い上がっていた。


「そら、鎌鼬(かまいたち)


 ホウキ坊の団扇から、無数の風の刃が生み出される。

 それらがいっせいに、青年の頭上から雨のように降り注いだ。


「っ! 清風!」


 青年はとっさに箒を振り抜いた。

 山肌から吹き上がる澄んだ風は、多数の風の刃を巻き込んで打ち消していく。僅かに残った刃もひょいと躱すと、ホウキ坊の笑う声が聞こえてきた。


「かっかっか! これぐらいでは効かんか! ならば、これならどうだ」


 ホウキ坊が団扇を振り上げると、山の上のほうで何か重いものが動く音がした。青年は嫌そうに顔をしかめた。


岩動(いするぎ)


 山の上から、大岩がいくつも降ってきた。

 どれも、青年の身の丈の何倍も大きいような岩塊だ。

 潰されれば押し花のようにぺしゃんこになってしまうだろう。


 ホウキ坊は、青年に見せつけるようにして大岩を自分の周囲に浮かべてから、それらを次々と落としてきた。躱せるものなら躱してみよ、と言わんばかりに。


「こりゃまた、でっかいなぁ!」


 青年は、箒の穂先を地面に押し付けた。


「せーの、清風ぇええ!」


 ぶわぁ、と土煙が立つ。

 箒から吹き出す風が、あたり一面の砂を吹き上げたのだ。


「目眩ましとは、小癪な!」


 青年の姿が土煙の中に消える。ホウキ坊は構わず大岩を叩き付けた。大岩がひとつ着弾するたびに小さく山が震える。山裾の森の中では、妖魔化した獣や鳥たちの鳴き声が響いていた。


 全ての大岩を叩き付けたホウキ坊は、青年に命中したかどうかを確かめるために、舞い上がった土煙を団扇の風で散らす。土煙が晴れると、山肌には青年の姿が見えなかった。


「うむ、踏み潰せたのか?」


 落とした大岩を再び持ち上げて、その下を確認する。

 踏み潰せているなら、大岩のどれかの下に挟まっているはずだが……。


「居ない……?」


 全ての大岩を持ち上げてみても、青年の姿はどこにも見えない。

 どこに行ったというだろうか。


「まさか、先程の土煙に乗じて逃げ出したか?」


 あり得ないことではない。

 どんなに立派なことを言っていても、しょせんは人間。強大な力を目にして命が惜しくなるということは、往々にしてある。あのような若造であれば、なおのことだ。


 そして、逃げたのであれば追わねばなるまい。

 あの若造が力を付けて本当の脅威となる前に、叩き潰しておかなくてはならないのだから。


 そう考えたホウキ坊が、逃げた青年を探すために千里眼を使おうとした、その時である。


 ふと気配を感じたホウキ坊は、くるりと自分の背後を見やった。


「――っでやぁぁぁあああああ!!」


 箒を大上段に振りかぶった青年が、すぐそこまで迫ってきていた。


「なっ……!?」


 なぜ、とか、どうやって、などと考える暇もく、ホウキ坊は両腕で防御した。そこに、力一杯振り抜かれた箒が、ぶち当たった。


「ぐぅっ……!」


 防御の上から、構わず力で押し込んでくる。

 足場もないのに、どこからこんな力を出しているのか。


煤祓(すすはらい)!」

「っ――!?」


 ホウキ坊の黒羽が生み出している飛翔の妖術、その効果が突然切れた。

 支える力を失ったホウキ坊は、箒との押し合いに押し負けて、地面に落下する。


「ぬぅぅっ……!」


 山肌がひび割れるほどの勢いで叩き付けられ、さすがのホウキ坊も痛みに呻く。

 岩動の制御を失った大岩が、ふらふらと落ちてきた。


「……なるほど」


 身体を起こしたホウキ坊が見たのは、落ちてくる大岩の上から地面に飛び降りる青年の姿であった。かなりの高所から飛び降りたはずだが、足を痛めた様子もない。


「どこに行ったかと思えば、我の大岩に引っ付いて隠れていたのだな」


 ホウキ坊は確信する。

 青年は大岩が降ってきたあと、土煙の中で手頃な岩に張り付いて身を隠し、再び大岩が持ち上がるのを待っていたのだ、と。


 ホウキ坊は大岩を持ち上げたとき、岩の下は確かめたが、わさわざ大岩の全周まで確かめてはいなかった。まさかそんなところにいるとは思わなかったからだ。

 その油断を、ものの見事につかれてしまったらしい。


 なんと小癪な。とホウキ坊は呻く。

 口の中の砂利を吐き捨て、口元を拭った。


「やれやれ、神様の言う通りだ」


 青年が、何事かを呟きながら近付いてくる。


「若造よ、よくぞそのような策を実行できるものだな。もし、途中で我に気付かれていたら、どうするつもりだったのだ?」

「特に考えてなかったよ。一番(・・)気付かれにくい(・・・・・・・)大岩(・・)に隠れてたし」

「……そのようなことが、分かるのか?」

「俺は分からないけどね。そういうの(・・・・・)を見極めるのは得意なんだって」

「誰の話をしている?」

「さぁ、誰のことだろうね?」


 青年が、箒でぱしんと手を打った。


「それと、ホウキ坊。さっきの煤祓が効いてる間は飛翔はできないよ、残念だったね」

「……残念、とな?」

「上空になんて、逃がさないから」


 それを聞いたホウキ坊は。


「……くくく、かぁーっかっかっか! 逃がさない、などと言われたのはいつ以来か。まったく、愉快愉快」


 呵々と大笑し、ばさりばさりと黒羽を動かした。

 それからギラリと、青年を睨めつけた。


「逃がさない? それはこちらも同じことよ。生きてこの山から出られると思うなよ、若造」


 突然、ホウキ坊の身体を風の渦が包み込む。

 激しい竜巻、風の防壁。びゅうびゅうと吹き荒れる乱風に、青年は思わずたたらを踏んだ。


「真っ向勝負がお望みとあらば、よかろう、乗ってやる。――戦嵐突攻(せんらんとっこう)!」


 竜巻に乗ってホウキ坊の身体が宙に浮いた。そのまま、ぎゅうんと大きく上昇すると、上空で旋回して急降下してくる。


「行くぞぉーーっ!!」

「っ!」


 放たれた矢のように、竜巻を纏ったホウキ坊が突っ込んできた。

 凄まじい風圧。それに伴う破壊の予感。

 青年はとっさに真横に跳び逃げる。

 一瞬前まで青年が立っていた地面を暴風の矢が通り過ぎた。


「うおぉ……!?」


 がりがりと地面が抉れ、粉々に砕けた岩石が風に舞う。


 なんという威力だろうか。岩石がまるで豆腐のようである。

 勢い余って山下の森にまで突っ込んだホウキ坊は、森の木々を何本も薙ぎ倒しながら勢いを強め、旋回して再び青年に向かってきた。

 先程よりも遥かに風が強い。範囲も威力も、段違いだ。


「このっ……!」


 青年は竜巻に向き合い足を止めた。

 今は躱せていても、どんどん強力になるのであれば、いずれ捕まる。それなら躱しきれなくなる前に、叩き落とすしかない。


 剣術における突きの要領で構え、気合いを込めて、箒を突き出した。


箒星(ほうきぼし)っっ!!」


 穂先から一条の青い光が飛び出す。

 箒の力を一点に集めて、流星のように打ち出したのだ。


「――ぐぉぉぉおおおおお!?」


 直後、ホウキ坊の声が聞こえた。

 苦しそうな声だ。箒星が当たったらしい。


 ――やったか?


 と、考えたと同時に、青年は風の渦に飲み込まれた。

 風が全身をずたずたに切り裂き、上下左右も分からなくなるほど振り回され、宙に投げ出された。


 当たりはしたが、倒しきれなかったのだ。地面に叩き付けられながら、青年は理解した。

 通り抜けた竜巻も衰える様子はなく、さらに勢力を増すのだろう。


「も、……もぅいっちょうだぁぁぁあああああっ!!」


 青年は、雄叫びを上げて立ち上がる。

 暴風にもみくちゃにされても、箒だけは手放していなかった。

 次で仕留める。次こそ仕留める。と、自分自身を鼓舞する。


 足元を見る。ホウキ坊の黒羽が片方千切れて落ちていた。さっきの箒星が吹き飛ばしたのだ。効いていないわけではない。


 上空を見る。風の勢いを増大させ続けるホウキ坊が、雲を突き抜けるほどに高く高く昇っていっていた。

 山の下から見上げれば、まさしく、雲を呑むほどの大竜巻が暴れている様に見えるだろう。


「ガァァァアアアアアーーーーーーーーッッ!!!!」


 それに加え、山全体が揺れるような大咆哮。大気がびりびりと震えている。

 大天狗、イシヅチ山ホウキ坊が全力で翔んでいるのだ。

 さもありなん、といったところである。


 そして、雲の上まで抜けたホウキ坊は、大きな円を描くようにぐるりと転回すると、高々度から一直線に、青年を狙って降りてくる。

 風の強さも速度も、今までで一番だ。

 避けることなどできそうもない。


 青年が、先程と同じように箒星の構えを取ると――。


『もう少し右ですわ!』

「!」


 神様が叫んだ。青年は迷うことなくその声に従い、構えを修正する。


『それと僅かに下へ! ……そう、そこですわ! そのまま真っ直ぐ!』

「よし!」

『今度こそ倒せますわ! 必ず! 絶対に!! 貴方ならできますとも!』

「がんばるよ!」


 吹き荒れる風が一気に強まる。小石や小枝が舞い散り、下の森の木々が折れそうなほど揺れている。

 ホウキ坊の怒気を、青年は肌で感じた。叩き付けるようなそれは、どこまでも激しかった。


『来ますわ!』

「分かってるさ! 来い!」


 遥か上空からの急降下。

 風の渦はあらゆる物を喰らう暴龍のごとく、獲物を逃がさず呑み込み、ばらばらに引き裂くのだろう。


 これぞホウキ坊の奥義。


 戦嵐突攻(せんらんとっこう)大尊(だいそん)石鎚(いしづち)山颪(やまおろし)だ。


 この不可避の暴風に呑まれて、無事にこの山から下山できた者は、ひとりとして存在しない。

 ホウキ坊を討ち取りにきた退魔師たちを、ことごとく呑み込んだこの風は、ぴたりと青年に狙いを付けて迫ってきていた。


「来い、来い、来い、……せーのっ!」


 青年は両足を踏ん張り、ぐいいっ、と限界まで箒を引き絞る。

 暴風が目の前まで迫ってきて、もはや限界だというところまで待って、待って、待って。


 青年は、箒を突き出した。


「――――箒星ぃぃぃいいいいいっ!!」


 鋭く、鋭く、鋭く。

 一条の青い光は、大竜巻に真っ向から突っ込んでいく。


 青年の狙いはただ一点。

 風の渦の中心にある、ほんの僅かな無風地帯。

 ホウキ坊のいるところ。


 当たれ、と青年は祈った。神様は――。


『行っっけぇぇぇえええええーーーーーーーーっ!!』


 全力で叫んでいた。


 降下する暴風と上昇する箒星は空中でぶつかり合い、そして。



 ――――爆ぜた。




「…………おお、」


 吹き飛ばされた青年が、まず最初に思ったことは、「すごい、俺、死んでない」ということだった。


 荒れ狂う暴風に箒星が突っ込んだとたん、渦を巻いていた風が制御を失って弾けたのだ。


 当然、目前まで暴風を引き付けていた青年は、そのあおりをまともに喰らって木の葉のように吹き飛んだ。飛んだ先の森の木々がたまたま上手いこと緩衝材になってくれていなければ、どうなっていたことやら。


「……俺、どこまで飛んだのかな?」


 軽く周囲を見回してみるが、どこだか分からない。

 イシヅチ山の中なのは間違いないはずだが、知らないところに来てしまったようだ。


 とりあえず登ろうか。と、青年は考える。

 まだホウキ坊が襲ってくるかもしれないのだ。こんな木々で見通しの悪いところにいて、上空からの一撃離脱を繰り返されたら対処のしようがない。今度こそやられてしまうだろう。


「だっ、痛たたたた……」


 身体を起こして、あちこち動かしてみる。どこもかしこも痛いところだらけだが、幸い、骨折などはなさそうだった。頑丈な身体に産んでくれた両親に、青年は改めて感謝した。


『大丈夫そうですわね』

「いやいや、これが大丈夫そうに見えるなら、神様の目は曇ってるよ」

『そんなことありませんわ。私はいつだって、曇りなき眼で物事を見ています。大丈夫ったら大丈夫ですわ』

「……はいはい」


 本当に、この根拠のない自信はどこから来るのだろう、と思いながら青年は山を登る。しばらく登り続けて森を抜け、岩場を踏み越えて祠まで戻ってきた。


「あーらら、これはひどいね」


 祠の周辺の景色は一変していた。

 なにもかもが抉れ、砕け、ちぎれ飛んでしまっている。

 山自体の形も多少変わっているだろう。


 なにせ、あの暴風はホウキ坊の全力だったのだ。

 それが暴発すればどうなるかなど、火を見るより明らか。

 衝撃の規模と凄まじさを考えれば、この程度の地形破壊で済めば御の字である。


 結局、ここら一帯で無事に残っているのは、祠ぐらいのものであった。

 ここだけは、まったくと言っていいほど壊れていない。

 青年は、ゆっくりと祠に歩み寄った。


「で、どうなの、ホウキ坊? ……まだやるかい?」


 そして、祠にもたれかかって動かない大天狗に、そう尋ねる。

 ホウキ坊は、「くっくっく」と力なく笑った。


「誠に遺憾であるが、もう身体が動かん。……我の負けだ、若造よ」


 青年は頷くと、箒を構えた。


「なにか、言い残すことは?」

「特にない。もう十分過ぎるほど生きた身ゆえ。……それでも、しいて言うなら、」


 ホウキ坊は、青年の目を見た。


お前たち(・・・・)の、名を教えてくれ。黄泉への旅路の手土産にしたい」


 胸元の御守袋に手を触れながら、青年は名乗る。


「俺の名前は、――ライアス。浄神(じょうしん)ウルスラの使徒、ライアスだ」

「ライアスか。……覚えておこう」


 それきり、ホウキ坊は動かなくなった。


 青年は静かに箒を振るうと、ホウキ坊の頭上に箒の穂をそっと当てた。


「――煤祓」


 ホウキ坊の身体に蓄積された瘴気が、急速に浄化されていく。

 タール状に溶けるはずの肉体は、瘴気の浄化とともに昇華されていき、しばらくするとそこには、ホウキ坊の身に付けていた衣装と団扇、それと頭蓋骨だけが残った。


 青年は、団扇を拾い上げると、御守袋を通じて神様(ウルスラ)のところに送る。残りの衣装をたたみ、その上に頭蓋骨を乗せると、これらの遺物はあとで埋葬することにして、改めて祠に向き合った。


『……うん、思ったとおりですわ。この祠、この山の一番深いところ、瘴気の源泉と繋がっています。これなら問題ありません』

「そう。それならさっそく始めようか」


 青年は箒を大上段に振り上げると。


「この御山の、――大掃除を」


 祠に向かって、思いっきり降り下ろした。




 ――この数日後、イシヅチ山から一番近くにある寂れた村では、何日か振りに旅人が村を訪れ、出迎えた村の住人たちを、それはもう驚かせたのだった。


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