6歳ゆーしゃと船の国
眼前に広がる大海原。
点々と立派な船が進んでいるのが見えるのは、さすが船の王国と言えるだろう。
しかし主役はこの絶景ではない。
本来は他国の兵士Aであるミレスが後ろを振り返ると、甲板には技術官が微笑んでいた。
「こちらが我が国自慢の魔導船となります。速度よし、頑丈さよし、機能よしの三点揃いですぞ」
そう、ミレス達の目的は海を見ることではなく、自分達が今いる、船にあった。
「もっともこちらは現役の軍船で、あちらにあるのが勇者様達の船となります」
技術官が、手で左を指し示した。
そちらには埠頭があり、一際真新しい軍船が停泊していた。
「魔力炉の出力は、これの1.5倍。今の我々の技術の粋を集めた傑作となる予定です」
「へえ……すごいですね。ほらみんな、お礼を言うぞ」
「「「「ありがとうございます!」」」」
ミレスと共に、勇者であるフィーユ、魔法使いのソルセイル、僧侶のモナカが一斉に声を張り上げた。
三人揃って、国が用意してくれた六歳のお子様向け水兵服だ。
「何の何の。世界平和のためです。出し惜しみなどしている暇なぞありませんからな……というのが、陛下のお言葉です」
そして、自由時間となった。
三人は、甲板を駆け回る。
「ひろーい、きれーい」
一見男の子か女の子か今ひとつ分からないけれど、間違いなく可愛いと言える勇者フィーユは、ただただ素直に初めて乗る船に感動していた。
「まほうのれんしゅうも、出来そう!」
オレンジ色の髪を三つ編みにした、ちょっと気の強そうな魔法使いソルセイルが、どこから取り出したのか杖を振り回す。
「よい木材を使っているようですね」
普段は長い青髪を帽子中に収めた僧侶のモナカは、船の材質に興味を持ったようだ。
「ははは、どうぞどうぞ。今はクルー達は皆、休ませておりますから、好きなように探索して頂いて結構です。あ、ただしボタンの類を勝手に押したり、レバーを引いたりなどは……」
「ああ、その辺は大丈夫ですよ」
技術官の注意に、フィーユは何度も頷き、ソルセイルはぶんぶんと首を振り、モナカはただ微笑んだ。
「し、しらないボタンは、押さない……危ないから」
「うん、勝手に動くと困るもんね!」
「ご心配はご無用です」
「ふはははは、頼もしい限りですな」
「は、ははは……」
技術官に、ミレスは引きつった笑いを返した。
頼もしいというか、フィーユとソルセイルの場合は、単に怖がってるだけのような気もする。
ともあれ危ないことが起こりそうな場合は大抵、ミレスに伺いを立ててくるので、そういう点に関しては三人を信用していた。
「んー……」
小さな声に視線を向けると、フィーユが船の縁を見上げていた。
「どうした、フィーユ?」
「この向こうが見えないの……」
船は当たり前だが、落下を防止するための縁が用意されている。
大人ならば胸元ぐらいの高さだが、六歳児のフィーユにとっては壁も同然だろう。
「この向こうっていうと海だけど、見たいのか?」
「う、うん、ちょっと……」
「あっちに階段があるけど」
ミレスは船首を見るが、ふと思いついてフィーユの両脇の下に手を差し込んだ。
「まあ、こうした方が早いな」
そして一気にフィーユを持ち上げる。
「わっ!?」
フィーユは小さな悲鳴を上げた。
その視線が、足下から正面の青い水平線に向けられる。
「どうだ、感想は?」
「…………」
反応がない。
「……フィーユ?」
感動で声が出ないのか……?
なんて思っていると。
「はうぅぅぅ……」
「フィーユ!?」
フィーユは目を回していた。
「高いのこわいよぉ……」
「ううむ、船に乗るには致命的だな、それ」
勇者一向に用意された大部屋で、フィーユはベッドのシーツを頭から被り、うめき声を上げていた。
実際の所、甲板から水面までの高さはそれほどない。
王城の二階からの眺めの方が、まだ高さはあるだろう。ただ、見えない海の底という要素がプラスされれば、高度はグンと上がる。
そしてフィーユは、想像力豊かな子でもあった。
「別の船じゃダメなの、兄ちゃん」
「そうなると、積める荷物の量も減るし、敵が来た時壊されるかもしれないんだよ」
「それは、こまるね」
そもそもソルセイルの案は、船がイカダでも解消されないだろう。フィーユ自身も錯覚しているようだが、実際は『船からの眺めが怖い』ではなく『目に見えない海底まで含めた高さが怖い』なのだから。
「しかもお風呂がなくなる」
「大問題です!」
いつもはのほほんとしているモナカが、珍しく顔を強ばらせ、切羽詰まった声を上げた。
何にしても、せっかく造ってくれた船を眺めが怖いからパス、というのはちょっと現実的ではない。
「そうなると、フィーユに我慢してもらうか」
「ふええぇぇ……おにーちゃん……」
「あとは、高い所も大丈夫なように訓練するか、かな」
「それもやだ……こわいもん……」
そこでハッと、何かに気がついたようだ。
「そ、そうだ、おにーちゃんが一緒にクンレンなら、だいじょーぶかも!」
「うん、俺も付き合ってやりたい所なんだが」
「ミレス様、お時間です」
ノックの音がし、即座に扉が開き、ススス……と静かに近づいてきたこの国のメイド達が、ガッとミレスの両脇を固めた。
そして柔らかさと強引さが絶妙にブレンドされた力で、ミレスを部屋の外へと引きずっていく。
「何かね、船の操作とかお前らの身の回りの世話とか、色んな人が俺に仕込もうとしてるのよ。そんな訳で、船が完成するまで、会える時間が限られてるというか……」
喋っている間にも、呆気にとられたままのフィーユ達の姿が遠ざかっていく。
「ふええぇぇ……!? お、おにーちゃーん……!!」
両開きの扉が閉まり、フィーユは床に両手をついた。
「あああああ……おにーちゃん、行っちゃったぁ……」
嘆く勇者の肩をポンと叩いたのは、慈悲の笑みを浮かべたモナカだった。
「フィーユちゃん、落ちこんでいる場合ではありません。兄さまもわたし達のためにがんばってくれているのですから、わたし達もそれにこたえないと」
「でもぉ……」
「こまっているのは、フィーユちゃんだけじゃないんですから。わたしは船よい、ソルセイルちゃんは泳げない。それぞれの弱点を『こくふく』しなきゃダメです!」
そう、問題はフィーユだけではなかった。
揃いも揃って、船での旅が困難な壁にぶち当たっていたのだった。
そして今回、みんなのお兄ちゃんであるミレスをあまり頼りにしてはならない。あっちはあっちで大変なのだ。
「じゃあ、誰がいちばん最初に弱点こくふく出来るか競争ね!」
「まけませんよ」
何気に勝負事大好きなソルセイルに、モナカが乗った。
「ううう……わたし、いちばんビリになっちゃいそう……」
やる気は出すも、弱気なフィーユであった。
「最初からあきらめちゃダメだよ、フィーちゃん! 高いところをこくふく出来たら、兄ちゃんほめてくれるよ!」
「っ!? が、がんばる!!」
フィーユが、グッと拳を握りしめて立ち上がった。
ミレスが見れば「……相変わらずフィーユはチョロいなぁ」という感想を抱く光景であった。
そして、二週間が経過した。
昼休みになり、ミレスは与えられた個室の大きなソファに、ドカッと腰掛けた。
そのまま背もたれに、全体重を預けた。
「ふはー……死ぬぅ……このままだとモンスターにやられる前に、過労で死ぬ……」
スケジュールはビッチリ、内容は様々だ。
最も大きな割合を占められるのは、船の操作関係となる。
他、機関関係の調整や船体の修理、地図の見方に進路の取り方、天候の予測、漁の仕方等々。
船に限らず、フィーユ達の装備のメンテナンスや衣服の修繕、洗濯、ベッドメイキング等も教わった。
他、フィーユ達が船の上で退屈しないようにと、吟遊詩人がいくつかの歌とリュートという弦楽器の使い方の講義を開いたかと思えば、盗賊ギルドが情報収集のコツを教え、大商人が交渉術を仕込もうとする。
要するに、船の王国が全力でミレスに技術を叩き込んでいたのだった。主に、勇者様達のために。
とてつもなく疲れる。
「でも為にはなる……」
特に、宮廷料理人から調理技術を学べたのは大きい。
ミレスは料理を作るのも食べるのも好きだし、短い時間にも関わらず、腕前が数段上がった手応えを感じていた。
コンコン。
ノックの音がした。
「ん?」
扉が開くと、見覚えのあるオレンジ色の髪が姿を現した。
「兄ちゃん、遊びにきたよ!」
「ソル、勉強は済んだのか?」
「おもしろくないから、サボった!」
何故か胸を張るソルセイルであった。
「正直で何より。ただ、サボりはどうかなあ」
「でも、知ってることばっかりだったんだもん」
「それに、魔法のいりょくはソルちゃんの方が先生より上ですしね」
ソルセイルの後に続いたのは、モナカだった。
「ちなみに私は、ぜんぶ終わらせてから来ました」
「あ、モナちゃん、ズルい!」
「ズルくないです。普通の事をしただけです。いろんな祝福もおしえてもらいました」
「まあ、やるべき事をぜんぶやってから来たってのは偉いよなあ」
正確には、それが普通にあるべき姿なのだろうけれど、とミレスは内心付け加える。
「あううぅぅ……! ソ、ソルだって、クスリの作り方とかべんきょーしたもん!」
追い詰められた体のソルセイルが、何とか巻き返そうと叫ぶ。
「おお、魔法使いらしいな。……んで、そろそろ出てきたらどうだ、フィーユ」
「はうっ!?」
二人の後ろ辺りから、小さな悲鳴が聞こえた。
姿が見えない……と思ったら、まるで薄い膜がはがれるようにフィーユが出現する。
「お前それは勇者じゃなくてどっちかといえば盗賊っぽいぞ。今のって精霊術か?」
「……う、うん……フィ、フィーユも、サボっちゃった」
戦いを経て、フィーユは剣技以外の技能も身につけていた。
それが精霊術。
火や水や風や土の精霊に『お願い』して、戦いの手助けをしてもらえるのだ。
「今のは、何の精霊なんだ?」
「ひかりのせーれーさん……」
「……光の精霊って、フィーユの姿を消すことが出来るのか」
「んっと……こーがくてきに、たいしょーをとーかさせるとか……んん、フィーユにもよく分かんないの」
「よし、とりあえず便利な術っていうのは、分かったからよしとする」
ぶっちゃけ、ミレスも疲れているのでこれ以上頭を使いたくないのだった。
さて、サボり二名、ノルマ達成一名である。
ミレス自身もまあ、ノルマは終わらせているとカウントするべきか。
目の前の成果を見る。
サボったというソルセイルやフィーユでも、紙の束はかなりの分厚さだ。
ミレスとモナカは、それを上回る。
……さて、成果は成果として、どうにもスケジュールでいっぱいというのも、息が詰まる。
国の好意であるのは分かるのだが、何だか期待されすぎている感があって、少々重い。
ここは一つ、その解消といきたい所だ。
「まあ勉強ばかりでもつまらないよなあ。たまには息抜きに遊ばないと」
「だよね!」
「フィ、フィーユもそう思うの……」
「という建前を使って、巧いこと休みを取れるかな、モナカちゃん?」
「だいじょうぶです。あ、その前にちょっと」
「ん?」
「フィーユちゃんソルセイルちゃん、しゅーごー。……兄さまにはないしょのお話ですので、耳をふさいでおいて下さい」
「なあ、モナカちゃん。俺の目の前で内緒話って、どうなの?」
引きつった笑みを浮かべながらも、ミレスは素直に自分の耳をふさいだ。
三人は身を寄せ合って、首を振ったり首を振ったり首を振ったり要するに、全員何だか首を振っていた。読心術が使える訳でもないが、「まだ」「こくふく」とかそういうのは分かる。
「……もう話は終わったか?」
モナカが頷いたので、ミレスは耳から手を離した。
「で、何の話だったんだ?」
「それを言ったら、ないしょ話になりませんよ?」
「そりゃまあ、そうだけど。……とにかく休みに関して、口添え頼むよ」
「はい。その点は、うけたまわりました」
矢面にはモナカに立ってもらい、後ろからミレスが補佐する形で、国に休暇を願い出てみた。
なまじ出された課題は(サボったのはさておいて)難なくこなせているせいか、国側も勇者達が子供だったことを失念していたようだった。
ミレス達は、拍子抜けするほどあっさりと数日間の休日を得ることが出来た。
四人がいつも眠っている大部屋に戻り、ミレス達はテーブルを囲んだ。
なお、誰がミレスの膝の上に座るのかというささやかな抗争は、『全員なし』というミレスの非情な判決が下された。
「という訳で休みが取れました。さあ、何しよう」
「フィーユは……おうちでゴロゴロしてても別にいい……でも、おにーちゃんといっしょ……」
ミレスの右隣に座る、フィーユが主張する。
それに不服を唱えたのは、ミレスの対面にいるソルセイルだ。
「えー、せっかく街にいるんだから、お買い物にしようよ」
「ほとんどお城から出ていませんし、観光もいいですね」
斜向かい席のモナカは、視線を窓の外に広がる城下町へ向けていた。
適当にゴロゴロ、買い物、観光……ミレスは別にどれでもよかったが、一つに絞る必要性も感じなかった。
「んー、それじゃそれ全部と、ピクニックでどうだろう」
「ピクニック?」
「近くに手頃な森があるみたいでさ。まあ、魔物もちょっと出るみたいだけど、あんまり大した事はなさそうだし、いいんじゃないか?」
「ま、魔物……出るの?」
もう、結構な数の戦闘をこなしているにも関わらず、フィーユは魔物が苦手だった。
ただし戦えば、大体瞬殺である。
その腕を見込まれて、ミレスとモナカはこっそりと王様から頼まれごとをしていた。
それが、近隣の森の魔物討伐だ。
ただ、情報をまとめた結果は、さっきも言った通り、これまでの戦いに比べれば大きな脅威ではない。
……が、依頼となると、フィーユが萎縮してしまう。
ピクニックというのは間違っていないが、フィーユの精神へのクッションでもあった。
それでも苦手なモノは苦手なのだろうが、ミレスは魔法の言葉を持っていた。
「ちなみにお弁当を作って持って行く」
「おにーちゃんが作るの!?」
予想通り、フィーユはバッチリ食いつき、テーブルに身を乗り出した。
「あー、お城のコックさんの方がいいか?」
「ううんううん! おにーちゃんのがいい! フィーユもつくる!」
「じゃあソルも!」
「けっきょく、みんなで作ることになりそうですね」
「じゃあ、そのように」
そして休日。
四人が向かったのは、海の国名物『大灯台』だった。
最上階は四角い庭園状になっており、観光目的のミレス達以外にも、家族連れや旅商人らしき人々がチラホラと見受けられる。
夜ならば灯火が海を照らしているのだが、さすがにこんなに天気のいい昼間にそれはない。
とはいえ、最上階からの眺めは空の青さを相まって大変見事だった。
そして。
「ふゃあああああぁぁぁ……!?」
案の定、フィーユはその高さに涙目で怯え、ミレスにしがみついていた。
「おー、さすがに見晴らし良いなー」
「おにーちゃん、こわいこわいこわい!」
「せっかく綺麗な風景なのに、やっぱり怖いか」
「きれーなふーけいはみたいけど、やっぱりこわいよぉ!」
もちろん、ミレスは単にフィーユを怖がらせるために、ここを選んだ訳ではない。
「うん、そこでモナカの出番だ」
「はい?」
突然声を掛けられ、モナカが首を傾げる。
「確か、ここの神官長にいくつか新しい祝福を教えてもらったって話だよな。その中に、味方の勇気を奮い立つ祝福ってあっただろう?」
「あっ! や、やってみます!」
パンッと手を叩き、モナカは聖句を唱え始めた。
数秒後、フィーユの身体が柔らかい赤光に包まれた。
「よーし、それフィーユ見てみろ」
「ふぁ!? ……わぁ」
フィーユは恐る恐る海を見、やがて視界全体に広がる青く輝く水平線に感嘆の声を上げた。
「どうだ」
「きれー……」
立ち尽くすフィーユを見ていると、クイッと裾を引っ張られた。
「でも兄ちゃん、海に出てるあいだ、ずっとモナちゃんに術をかけてもらうのは、モナちゃんが大変じゃないの?」
ソルセイルの疑問はもっともだ。
その辺も、一応考えてはいるのだが……。
「アイテムに術を込める技術ってあるだろ? あれって、メチャクチャお金掛かるのか?」
「そうですね……むずかしい術なら手間もかかりますけど、この術ならそんなには……」
あとは、国が協力してくれれば何とかなるらしい。
「それじゃ準備だけ進めてもらおう。ちょっと席を外すから、フィーユは二人と一緒にいろよ」
「うん……」
フィーユ達を残し、ミレスは大灯台の逆側に回った。
向こうが海なら、こちらからは国の都が一望出来る。これはこれで、いい眺めだ。
周囲にはやはり市民が風景を眺めているが、ミレスにはそれが誰かを見抜くような技術はない。
なので、適当な大きさの声を上げた。
「すみません、警護の人はいるんでしょ? そういう話なんでよろしくお願いします」
チラッと周りの人達がミレスを見、その中から一組のカップルが階段口へと向かっていった。
食事や買い物で適当に市内を巡り、ミレス達は王城に戻った。
そしてモナカの提案で案内されたのは、大浴場だった。
空間自体がやたら広く、街の一区画分ぐらいの規模はあるのではないだろうか。天井も高い。
「こりゃあ、すごいなあ。維持するのにどれだけの費用が掛かっているんだろう」
薄らと湯気の立つ大理石製と思しき大きな浴槽に、ミレスは思わず唖然としたぼやきを漏らしてしまう。
侍女から聞いた話では、確か地下から吹き出る温水を汲み上げているとかいう話だったか。
なお、当然ながら海水浴用のパンツは履いている。海の国だけあって、無駄に高性能な代物だ。
「おにーちゃん、はやく入ろー」
水着姿のフィーユ達は、既に湯船に入っていた。
「はいはい……しかし予想通り、普通に泳げそうな湯船だこと」
お湯を吐き出し続ける獅子の彫像やら、南国産らしき植物やらを眺めながら、ミレスも風呂に入った。
腰ぐらいまでの深さで、縁の方は腰掛けられるように一段浅くなっているようだ。
「あちらは、すこし深くなっています」
「ふーん……って言っても、まあ俺なら大丈夫か」
ザブザブとお湯を掻き分けて、その深い場所を目指す。
モナカとフィーユは、浅い部分との境目までついてくるが、ソルセイルはそれすら及び腰だ。
「あ、や、ソルはそこまで行けない……」
「フィーユ、精霊術で水の精霊にお願いって出来るか?」
「出来るけど、あんまりむずかしいのは無理だよ……?」
「水の中でも目が痛くならないように。それと息が出来るように」
「えっと……出来るって。もうやっちゃっていいの?」
「頼む。そして引きずり込む!」
「やあっ!?」
ミレスはソルセイルの手を掴むと、そのままお湯の中に沈み込んだ。
「ごぼごぼ……ごぼ!?」
目を瞑り苦しそうだったソルセイルだったが、やがて薄らと目を開けて、呼吸も出来ることに驚いたようだ。
まあ、さすがに喋るのは無理か。
しばらくもがいていたソルセイルは、やがてこの状況に慣れてきたのか、おっかなびっくりに手と足を使って水中を進み始めた。
これなら大丈夫だろう。
そう判断してミレスが水面から顔を出すと、ソルセイルもついてきた。
「水の中でも目は開けられて、しかも呼吸も出来る。これなら、泳ぐ練習はバッチリじゃないかな」
「こ、これなら出来る!」
「というか最悪、およげなくても問題ない気もしますね……」
「まあ、そうかもしれないけど」
それでも、海中のモンスターもいるし、深い所だとその水の重みで身動きが取れなくなってしまうと聞く。
泳げるようになるに越したことはない。
……そんな訳で短時間だが、この大浴場で水泳の特訓を行い、結果、多少ぎこちないながらもソルセイルも溺れない程度には泳げるようになった。もっともここじゃなくても、浜辺に出ればいいだけの話だ。この国は、水は豊富にあるのだから。
なおこの後、侍女長からお風呂で遊んではいけませんと怒られたり、話を聞いた王様から自分もやってみたいとお願いされたりしたのだった。
休日は続き、約束のピクニックの日。
久しぶりに冒険用の格好に着替えたミレス達は、王都から少し離れた所にある森を訪れていた。
その中でも最もテンションが高かったのが、ソルセイルだ。
「うわぁ~、色々あるね!」
「俺には詳しいことは分からないけど、持ち帰れる量でな」
「うん!」
魔法に使える素材が豊富にあると、まずは近くの木の根に生えていたキノコの採取を開始するソルセイル。
「……ま、一番筋力も体力もないのは、俺なんだけどさ」
「お、おにーちゃん、おちこんじゃダメ……」
「うん、大丈夫大丈夫。他で出来ることをやるだけだからさ……っと」
不意に勘が働いたのは、ミレスだけではない。
フィーユとモナカも既に、戦闘態勢に入っていた。ソルセイルも素材を地面に置いて、杖を手に取った。
ミレスは大量のサンドウィッチとジュースの瓶の入ったバスケットを、太い木の枝に引っかける。
「て、敵!?」
「ああうん、一応モンスターが出るって言ってただろ? フィーユがいつも通りにやれば普通に勝てるよ。ほら、ソルちゃん!」
「わ、ソルも呪文唱えるの!」
「しえんします!」
ソルセイルが呪文を唱え、モナカが聖句を口ずさむ。
ミレスはソルセイルの前に立ち、大きな鋼の盾を構えた。
その間、近づいてくる敵を見極めるのは、フィーユの仕事だ。
「て、てきは、イノシシ三とシカ一とちょうちょ三!」
「猪は俺、鹿はモナカちゃんが担当! フィーユとソルちゃんで、ちょうちょを最優先! 二人はくしゃみが出る鱗粉に気をつけて!」
「う、うん」
「分かった!」
ミレスも視認出来た。
見たところ、猪はバレットボア、鹿はプリンセスディア、蝶はペッパーバタフライという名前のはずだ。
「やああぁぁ!!」
もう間近まで迫ったペッパーバタフライに、フィーユが躍り出る。
「あの手の敵は、特殊攻撃が怖いから……なぁっ!!」
一方ミレスは、バレットボア三頭の、半ば飛来するような突進連撃を、盾で受け止めきった。もっとも威力は凄まじく、かなり後方まで引きずられたが。
「兄さま、大丈夫ですか?」
同じく、鹿のモンスター、プリンセスディアの足止めを担当するモナカが、ミレスを気遣ってくれた。
こちらは角攻撃が厄介だ。
「へ、へーきへーき。攻撃捨てた分、仕事はしますよ……っと!!」
ミレスは歯を食いしばって笑い、バレットボアらをいなした。旅の途中にはこれの上位種キャノンボアを相手取ったこともあるのだ。
槍は既に持っていない。
ミレスの攻撃なんて、ほとんど通じないのだ。
だからミレスは、盾役に専念することにした。攻撃という選択肢をなくした分、全体の把握や薬での支援も出来るようになったし、最悪石ころを投げるだけでも役に立つ。
ガンッ!!
敵意を自分に集中させるよう、盾を拳で叩いて音を響かせた。
何度か猪の猛攻を凌いでいる間に、フィーユの剣技とソルセイルの魔法が、ペッパーバタフライを倒しきった。
すぐにこちらに駆け寄ってくる。
「おにーちゃん、ちょうちょやった!」
「それじゃあとは、鹿、猪の順で!」
「りょーかいっ!!」
こうした戦闘も久しぶりだが、四人のパーティは以前と変わらず上手く回っていた。
戦いを数度繰り返し、森の奥に棲んでいた大熊とも戦う事となった。
ズウン……!
重い音と共に、巨大な熊は大地に倒れ伏す。
「ふぅ……手強い相手だった。これがここのボスか」
「ボス?」
フィーユが首を傾げる。
「いや、こっちの話。ところでこの熊の名前はヤワラベアって言うんだが」
ミレスもまさか、熊が投げ技をかましてくるとは思わなかった。
何より前回り受け身中はほとんど無敵に近く、なるほど海の国の兵士達が手を焼く訳だった。
モンスターの名前を聞いて、ソルセイルがハッと顔を上げた。
「あっ! その子のキモ、船よいのとっこー薬のざいりょーになるって本でよんだ事ある!」
「だってさ。よかったな、モナカちゃん」
「はい」
「さ、ピクニックの続きだ。地図によると、もう少し先に湖があるらしいし、そこで昼飯にしよう」
「はーい!」
……船は完成し、船はゆっくりと港を離れていく。
フィーユは恐る恐る船縁に立った。
前の船とは違って足場が用意されており、フィーユ達の背丈でもちゃんと海が見渡せるようになっていた。
「ふああぁぁ……こわくない! 海がいっぱい!」
「もしも海におっこちてもだいじょーぶ! いっぱい泳ぎれんしゅーしたし!」
……まあ、落っこちないようにするのが一番だよなあ、とミレスは思う。
「私も、船酔いの心配はなさそうです」
回復職が状態異常では困るので、これも解決されてよかった。
港の側からは、歓声が響いている。
勇者の出航というだけあって、見送りの人が大勢いたのだ。
王族から一般市民まで様々だ。
「皆さん、ありがとうございます」
港側の船縁に立って、ミレスが彼らに向かって手を振った。
「ほら、お前らも手を振っとけ。みんな喜んでるだろ」
「で、でもはずかしいよう……人がいっぱい」
「がまんがまん! もー開きなおった方がいいって! 行ってくるねー!」
尻込みするフィーユとは対照的に、ソルセイルは思いっきり民衆に向かって手を振っていた。
だけど、やはり真の主役である勇者が現れないのでは締まらない。
なのでソルセイルとモナカに手を引っ張ってもらい、彼女もまた港側に身体を乗り出した。
その途端、一際大きな歓声が轟いた。
「ふあぁ……おにーちゃんもやってよう」
「いや、俺がやったってみんな戸惑うだけだよ。誰だよお前は、みたいな」
ミレスは肩を竦めて苦笑した。
それに、操船はミレスが担当しているのだ。今、持ち場を離れる訳にもいかなかった。
「おにーちゃん、がんばってるんだからもっと褒められてもいいと思う!」
フィーユが、ぷぅっと頬を膨らませた。
「あ、それはソルもそー思う!」
「私も、お二人にさんせいですけど……」
「うーん、そうなると今回みたいにお前らと遊ぶ時間、また減るぞ?」
ガンッと二名ほどショックを受けた顔をした。
モナカはどうやら予想していたらしく、だから消極的だったようだ。
「おにーちゃんはゆっくり休んでて! フィーユ、もっといっぱいお手々ふる!」
「そうそう目立つのはソル達のおしごと!! みんなありがとー!」
「技能がみがかれるのは兄さまのためになると思いますけど、やっぱり少しさびしいですしね」
少しずつ遠ざかっていく歓声に、フィーユ達はまだ手を振って応える。
そろそろいいかと、ミレスは船を自動航行に切り替えて、自身はソファに身体を預けた。
地味に、筋肉痛になっている。
……フィーユ達の弱点も克服出来たし、ありがたくも疲れた、海の国の滞在だった。
強いて問題があったとすれば、ミレスに苦手なモノが一つ出来たことぐらいだ。
「……『国の歓迎』ってのは怖いね、まったく」
読了ありがとうございます。
感想お待ちしております。