ロシアンたこ焼きの怪(3)
「単純に考えればいい」
横を歩く先輩が人差し指を立てて言いました。
「そもそも五つあったたこ焼きの中に激苦センブリ茶入りは存在していなかった」
「もちろんそれは考えました。でも店員さんは確実に入れたって言うんです」
「勘違いは誰にでもある」
「それがですね、センブリ茶入りたこ焼きは他のたこ焼きと混ざるとまずいからって、ちゃんと数を管理していたんです。で、確かに私たちが注文する前と後では数が一つ減っている、と」
「お前らと同じタイミングで注文した部屋があったんじゃないか」
「いえ、それはなかったそうです。そもそもその日、ロシアンたこ焼きを注文をしたのは私たちが初めてで、だからなおさら店員さんも間違いはないって」
先輩は「ふむ」と唸り、口元に手を当てました。
「だとすると、たこ焼きそのものに問題があった、という線は消えるわけか」
「ですね」
相づちを打ちつつも、私は首を傾げました。考えれば考えるほど、おかしな話です。たこ焼き自体に原因が無いのであれば、私たちの中の誰かが激苦センブリ茶入りたこ焼きを食べたはずで、なのにその誰かはそれを隠していることになります。理由が分かりません。当たったのなら何かリアクションをするだけでいいし、そうやってみんなで盛り上がるのがロシアンたこ焼きだと思うのですけど……。
「たこ焼きが来るまでの間、おかしな行動をしていたやつとかいないのか」
先輩の問いかけに、私は首を振りました。
「別に普通でしたよ」
もう一度覚えている限りの様子を詳細に説明します。すると先輩は納得したように深く頷きました。今の話の中に何か気がつくところがあったのでしょうか。私にはさっぱり分かりません。それが顔に出ていたみたいで、先輩は「いいか」と人差し指を立てて話し始めました。
「激苦センブリ茶入りのたこ焼きを食べたのは、まりとかいうやつだ」
いきなりまりちゃんの名前が出てきたので、私はきょとんとしてしまいました。
「あいつの舌は麻痺してたんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてそんなことが先輩に分かるんです? ――はっ! もしかして、まりちゃんの彼氏ってもしかして先輩なんですか!? そうです、きっとそうに違いないです! そうやってまりちゃんと二人で私の間抜けな姿をこそこそ観察して笑ってたんですね!?」
「そのまりちゃんとやらにオレは会ったことさえ無いんだが?」
「すいません、ちょっと妄想力が暴走しちゃいました」てへ☆
「『てへ☆』じゃない」
はあっと溜め息をつく先輩。
「……オレには時々お前のことが分からなくなる」
「それって、先輩が私のことを気にしてくれてる、って意味でいいんですよね!?」
「いや。脳神経外科に連れて行くべきなのか、心療内科に連れて行くべきなのか、どちらが正しいのか時々分からなくなる、という意味だ」
「私って病人扱いなんです!?」
「まあ、冗談は置いておいて、だ」
「あ、冗談だってんですね」
割と本気だったように映ったのですけど。
「どうして舌が麻痺していたかだが、まりとやらはたこ焼きを食べる直前までグラスに残っていた氷を食べていたんだろう?」
「そうですね」
「お前は舌がどうやって味覚を感じるのか、知ってるか」
どこかで聞きかじったような気がします。頭の中を探ってみます。
「えと、確か舌の上には甘味とか苦味とか辛味とかを感じる部分があちこちに分布してるって話ですよね」
「そいつは俗説だ。医学的には否定されている」
「え、そうなんです?」
知らなかったです。
「舌の表面には味蕾という感覚器官が分布していて、その一つ一つが同時に五つの基本味、すなわち甘味、塩味、酸味、苦味、旨味を感知しているんだ」
私には未知の領域なので、ふんふんと頷くばかりです。感心しっぱなしです。それにしても先輩はどこでそんな知識を仕入れてくるんでしょうか。
「グーグル先生だ」
「また私の心を読みました!? しかもグーグル先生って!」
「グーグル先生は何でも知っている。一番最初に調べたのは『ggrks』だったな」
「私の感動を返して下さい!」
「いいじゃないか、どこから得ようと知識は知識だ。玉石混交の中から正しい情報を引っ張ってくるだけでも一苦労なんだから」
「それはまあそうですけど」
「話を戻すぞ。……味蕾という感覚器官は冷やすと一時的に麻痺状態に陥る。要するに、味覚を感じられなくなるわけだ。そうすると、どうなるか。」
「当然、何を食べても味がしないわけですよね」
先輩は頷きました。
「薬をオブラートに包むのと同じような効果だ」
「なるほどぉ」
確かにそれなら誰も激苦センブリ茶入りたこ焼きを食べていないと言い張ることが出来ます。ようやく胸のつっかえが取れました。すっきりです。
「さて、オレはそろそろ帰るぞ」
「え、あ……」
気がつけば、いつもの分かれ道についていました。ここからは先輩と離ればなれです。住んでいる地区が違うからしょうがないのですけど、今日くらいはもうちょっと一緒にいたいと思ってしまいます。しかし、先輩は既に私とは別の道に爪先を向けています。やっぱり無理なお願いですよね……。
「なあ」
急に先輩が声をかけてきたので、一瞬反応が遅れました。
「え、はい?」
「やるよ」
手渡されたのは、赤と白のストライプ柄のリボンで包装された箱でした。
「あ、あの先輩……これは、えと、もしかして……」
私の視線は手の中のプレゼントと先輩の間を何度も何度も行ったり来たりします。どうして先輩はこんなものを? でも私の口はぱくぱくと動くだけで、声が出てきません。
すると先輩は照れ隠しするみたいに髪をかき上げました。
「だから言っただろう。お前の誕生日なんて、どうってことないニュースだって」