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高校生ときどき自宅警備員  作者: 高町 湊
6/7

ディザイア

 夏葵との戦いから一夜明け。

「キミ。ホントに大丈夫なの?」

 学校の教室。自分の席についている俺の前で、エルザが心配げにそう問いかけてきた。

 まぁ、夏葵にあれだけコテンパンにされた翌日にこうして登校しているのだから、エルザの気持ちは分からなくない。

 けれど、俺はそれに笑みで返し。

「どうにかな。それに家で引きこもっていたら、いざって時に動けないだろ」

 そう言って腕をぐるぐると回して見せる……痛みで顔をしかめないように。

 実際問題、けがの状態は昨日と比べるとましになったと思える程度。完治したとは言えない。けどまぁ、エルザに言った通り、ベッドで寝ていていざって時に動けないと困るからな。

 しかし、どうやらエルザが危惧していたのは全く別のことだったらしい。

「いや、そうじゃなくて。キミの話を聞く限り、ナツキの目的はキミを不幸にすることでしょ? だったら、真っ先に家族が狙われるんじゃないのかな?」

「なるほど。けど、それはないんじゃないかな」

「どうしてそう言い切れるの?」

「親父たちや有栖を狙うんだったら、初めからそっち行ってるだろ。バレてから狙っても警戒されるだけだ」

 俺がしっかりとそう言い切るも、エルザからの反応はなし。どうしたのかと視線を上げると目を丸くしていた。

「ちゃんとそこまで考えてたんだ」

「当たり前だ」

「へぇ、キミもしっかりと成長してるんだね。力だけじゃなくて戦いに関する思考も」

「何だよそれ。俺が考えなしみたいじゃねぇか」

 頬杖を突き、窓の外へ視線をやる。隣でエルザが「あれ、もしかして怒った?」なんて騒いでいるが無視だ。

 それに考えることはまだある。

 夏葵が家族以外を狙わないのは分っている。問題は、どのタイミングで仕掛けてくるか。こちらから仕掛けることが出来なければ、アイツの掌の上で踊ることになる。

 なら、こっちからも……。

「あれ、携帯なんて取り出して誰かにメール?」

「あぁ。こっちからも仕掛けてみようと思ってな」

そうして俺はメールで一文だけ送信した。

 今日の夜九時に宿木近くの公園で待つ――と。

 そしてその後は何事もなく授業を消化し、やがて日は沈み夜の帳も落ちたころ。

「八時五十分。そろそろか」

 指定場所である宿木近くの公園。ブランコに腰掛けながら携帯で時間を確認した俺は、気持ちを落ち着かせるために一度大きく息を吐いた。

 ちなみにエルザは家で留守番。既に有栖も帰宅してるし、家にいる人数を一人だけにするのは土台不可能だからだ。だったら、エルザを置いて状況に応じて対処してもらった方がよっぽどましだ。

「で、待ち人はそろそろかな」

 そう思った時だ。暗闇にうっすらと紛れてはいるが、前方に人影が。

 ボブカットの髪を揺らしながら近づいてくるその人影を――夏葵を確認し、俺は重い腰を上げた。

「衛。不幸になる覚悟が出来たみたいだね」

「冗談。止めるさ」

 そう呟き、俺から先に動いた。ただし創剣は出さずに。

 今回の勝利条件は至極簡単。夏葵を止めて、こんなバカなことをやめさせる。

つまり戦う必要はない。だからこそ創剣は使用しない。そうすれば、ダメージ反射を恐れる必要もないし。

 そして、どうにか動きを封じたうえで説得。

「正気? 武器も使わないで戦うなんて」

「もちろんだっての」

「あっ、そ」

 そんな呟きが聞こえたのと同時、夏葵の姿が消えた。

 いや、違う。

「じゃあ遠慮なくつぶすね」

 驚きに足を止めた瞬間、懐から夏葵の声が。視線を下げると夏葵の蹴りが俺の腹部を捕えていた。

 そう視認したのに遅れて数瞬。腹部への強烈な衝撃。踏ん張りきれず吹き飛ばされ、数メートル後方に背中から落ちた。

 速度超化か。

 理解していてもやりづらいな。

「まさか、これで終わりじゃないよね?」

「……たり、前だ」

「なら、まだまだ行くよ」

 どうにか起き上がると、夏葵から距離を詰めて来た。

 ただし今度は目に見える移動速度。ということは、何かほかのことに力を回している? けど、いったい何に。

「他事考えてる時間なんてないよ!」

 迫りくる夏葵に対して後退しようとするも、足が一歩も動かない。いや、それどころか全身の筋肉が石化したみたいにピクリともしねぇ。

百花(ひゃっか)繚乱(りょうらん)!」

 動きを完全に封じられ、首筋・腹部・肩。ただひたすらに、まるで咲き誇る花々のように無数の蹴りが叩き込まれる。

 衝撃に脳が揺さぶられ、意識が飛びかける。

 けどまだだ。まだ倒れるわけには!

 動かない体で目だけはしっかりと見開き、気迫で意識を繋ぎ止め続ける。するとその時は唐突に訪れた。夏葵が大きく足を振り上げたのだ。

 おそらくトドメの一撃。能力を威力超化に切り替えた!

「なら――今だ」

 一か八か左足をわずかに下げる。と、予想は正しかったようだ。今まで全く動かなかった左足が確かに動いた。

 これなら。

 下げた左足で地面を蹴りあげ飛び退く。すると、さっきまで俺の立っていた地面を夏葵の左踵が砕いた。

 脳天に喰らえば、まず間違いなく頭蓋骨が砕ける一撃。俺を絶命させるためのもの。

 何の躊躇もなく夏葵がその一撃を放ってきたことに、俺は下唇をかんだ。

「……夏葵。もう止めろ、こんなこと」

「何? 上から目線で説教でもしようっての?」

「そうじゃねぇ。俺はただ」

「いいよ、どうせ分んないよ。恵まれてる衛に、また捨てられる私の気持ちなんて」

 また捨てられる。

 その言葉に、NOEで愛子さんから聞かされた考えが蘇る。だからこそ。愛子さんに世界中の何よりも大切にされているのに、それが分ってない夏葵に腹が立つ!

「だから! あの人はお前を捨てようだなんてこれっぽっちも」

「口ではなんとでも言える!」

 吐き捨て、再度夏葵から仕掛けてきた。

 近接してからの上段回し蹴り。それを左手でどうにか受け止めていなす。続けて第二撃・第三撃も防いでいく。

 そうして猛攻を防いで、ふと俺はある違和感を覚えた。

 どうして俺は夏葵の攻撃を防げている?

 普通に考えれば何ら不思議なことはない。けど夏葵は、俺の動きを封じることも、大木を粉砕することも可能なんだぞ。なのになぜ、そのどちらにも能力を回さないんだ。

 もしかして、他のことに力を回してる?

 そう、思った時だった――

「呪言・倍加」

「な――ッ!」

 夏葵の呟きと同時、筆舌に尽くしがたい激痛が走った!

 特に酷いのが夏葵の蹴りを防ぎ続けていた左腕だ。力も入らないし、ヘタしたら折れているのかもしれない。

 左腕を右手で押さえながらいったん距離を取り、嫌な汗を流しながら夏葵を見やる。すると、その口元が弧を描いた。

「どう衛。結構効くでしょ、それ」

「お前、いったい何しやがったんだ」

「さぁ、それは秘密」

 そう言って、再度地を蹴って夏葵が迫ってきた。

 力の種類は不明だ。けど、一つだけ確かなのは、あの口ぶりからしてこれも夏葵の能力だということか。

 そう思考しているうちに、またしても夏葵が懐まで入り込んできた。

「だから考える余裕はあげないと」

 蹴りの連撃。それを今度は右腕でいなしていく。

 そうして一定時間攻撃が続いた後でまたしても夏葵自ら距離を取り、

「呪言・倍加」

「――またッ!」

 呟きと同時、今度は右腕に激痛が走った。

 共通するのは、痛みに襲われる直前に夏葵が口にした“呪言・倍加”という言葉。そして、一度目は左腕が、二度目は右腕が痛みに襲われた。

 ……って、ちょっと待て。もしかして。

「ほら、まだまだ行くよ!」

 再三の連撃。それを、今度はぎりぎりで回避する。

 恐らく今回の夏葵の能力は、直前に受けて蓄積されたダメージを増加させるものだ。その証拠に、攻撃をいなすのに使用した両腕のダメージが特に甚大。威力超化や拘束の能力を併用しなかったのは、すでに攻撃時から倍加の能力が発動していたからだろう。

 ったく、ホントなんてやつだ。

「どうやら倍加に気付いたみたいね。だったら」

 その言葉と同時、夏葵の姿がブレた。

 そして何が起きたのかと脳が認識するよりも前、腹部に強烈な衝撃。たまらず吹き飛ばされる。

 これは――速度超化か!

 しかし理解しても成す術なし。体勢を立て直す間も与えられず、第二・第三撃が叩き込まれる。

 チラッと、公園中央にある時計台に視線をやる。

 九時二分前ぐらいか。体感時間でだが昨日の戦闘が十分ほどだったことからも考えて、このまま耐え続ければ。

 さぁ夏葵。どんどんこい!



 衛たちが戦闘を繰り広げる公園から少し離れた民家の屋上。そこに、一人の人間がいた。

「アレじゃ駄目ね。昨日のこと何も学習していないのかしら」

 大きく嘆息。しかし、その口元には笑みが。

 確かに枢木夏葵の戦いぶりは褒められたものではない。能力頼りで、戦術も何もあったりしない。

 けれど、それよりも特筆すべきは衛の対応力だ。

 決して手を出さないというハンディ付きで、その上、多種多様な効果を発揮する能力にその都度対応している。これまでグリード相手に戦ってきた経験が生きているのだろう。

「そろそろ食べ頃ってところかしらね」

 前方の戦いはもう数分で決着がつくだろう。そしてその時、衛に戦う余力は残っていないはずだ。

 絶好の狩り時。その為には、獲物が逃げ出さないように柵を作らなくては。

「コール」

 その一言で、観察者の体から黒い靄のようなものがあふれ出した。そしてそれは空中で集まり、ある形を形成し始める。

 そう、数日前に衛が自室で戦った鳥型のグリードと全く同じ姿に。

「さぁ。十年越しの狩りと行きましょうか」



 まだまだ続く夏葵の連撃に、さすがに全身が悲鳴を上げ始めてきた。

「の、いい加減に倒れなさいよ!」

 叫び、夏葵が大きく足を振り上げた。

 恐らくはフィニッシュブロー。直撃の寸前に後退して回避する。が、下がったところで背中に何かが当たった。

 振り返る。すると、そこにあったのはジャングルジムだった。

 眼前で夏葵の踵が振り下ろされ、その威力に土煙が舞う。

「あは。これでもう逃げられないね」

「お前が攻撃をやめるって選択肢もあるな」

「心配しなくてもそれは選ばないよ」

「そりゃ残念」

 軽口を叩く顔に冷や汗が流れる。

 昨日の戦闘から推し量った夏葵の戦闘可能時間は既に超えている。多少の誤差はあるにしても、もう能力を使えないはずだ。

 だというのに。

「呪言・加重」

 突如として体に重圧がかかり、思わず片膝をつく。

 この感じは……重力操作? ここにきて、今まで見たことのない力を。

 のしかかる重圧に抗いながらどうにか顔を上げる。すると、視線の先には苦しげに顔をゆがめている夏葵の姿が。

 そうして俺はようやく理解した。

 もうとっくに夏葵は限界を迎えていたんだ。にもかかわらず、無理やり能力を使い続けて。

「もうよせ夏葵! これ以上は」

「何、命乞い? みっともないよ衛」

「違う。自分でも気づいてんだろ、これ以上戦ったらお前の体が持たないって」

 相当衰弱しきっている今の夏葵の様子を見るに、これ以上無理をすれば最悪の可能性だってあり得るだろう。

 自分の体のことなのに、夏葵自身がそのことに気付いてないはずがない。

 しかし俺の呼びかけにすぅっと目を細めた夏葵は――

「それがどうしたの?」

 自分の生き死になんてどうでもいいみたいに、まるで冷たい氷のように冷酷にそう告げてきた。

「ていうか、それもいいかもね」

「は……? お前何言って」

「どうせ私なんて捨てられるだけだもん。だったら、いっそ死んだ方がマシかもね」

 視線を外して投げ捨てられた夏葵の言葉に、俺の中の何かがプツンと切れた。

 加重状態の中、膝に手をやりどうにか立ちあがる。

 そして一歩踏み出そうとするが……。

「無駄だよ。衛には今、普段の二倍の重力をかけているんだよ。立ちあがれるはず」

 加重に耐えきれず膝から崩れ落ちそうになった俺に、夏葵の笑い声が浴びせられる。が、そんなものにはお構いなしに、どうにか持ち直して一歩一歩夏葵へ近づいていく。

「ふざ……けんなよ」

 脳内に浮かび上がるのは、ずぶ濡れになりながらも夏葵を探していた愛子さんの姿。

 NOEで相談を受けた愛子さんの話。

 その全てが俺を前に進ませて、そして。


 夏葵の頬を張り手で叩いた。


「――なッ」

 それは夏葵にとって完全に予想外の出来事だったんだろう。俺にのしかかっていた重力が解けた。

 夏葵の襟をつかみ、引き寄せる。

「死んだ方がマシとか、ふざけんじゃねぇ! 愛子さんがどれだけお前のことを心配しているかも知らないで」

「心配? 捨てようとしてる人が私の心配なんて。そんなことあるはず」

「ある! じゃなかったら、ずぶ濡れになって家出娘を探したりしねぇ!」

 俺の言葉を前に、腕を払いのけようと伸ばされた夏葵の手がぴたりと止まった。

 しかしすぐにその顔は険しくなり。

「嘘よ。そんなはず」

「ホントだ。どうしてそこで信じられねぇんだ」

「信じられるわけないよ、家族でもないのに! 伊江のみんながいる衛には分らないよ!」

 叫び、今度こそ夏葵は俺の手を払いのけた。

 あぁもう。ホントにコイツは! 俺だけが幸せになったとか、捨てられるとか言いながら、結局はそれなのかよ。

 お前はただ……。

「家族の言葉しか信用できないってんなら、俺がそばにいてやる、家族になってやる。お前を一人にはしねぇ。だから信じろ。俺のことも、愛子さんのことも」

 俺の叫びが公園内に木魂し訪れた静寂。

 そして目の前の夏葵はというと……これでもかというほど目が点になっていた。

 その事実に俺が首を傾げていると、やがて。

「衛。その言葉の意味、分かってる?」

「当たり前だろ」

「そう。……くく。絶対、分って……はは、ハハハ」

 なぜか口元に手をやって大笑いしだした。

 突然な事態に今度は俺が目を白黒させるが、それでも構わず笑い続ける夏葵。

 果たしてどれぐらいの時間そうしていたか。やがて笑いの衝動が収まったのか、夏葵が目じりに浮かんだ涙を指ですくい取りながら。

「あ~あ。何だかこんなことしてるのがバカらしくなってきちゃった」

「……へ?」

 あまりにも平然と投げ捨てられた爆弾発言に、俺は思わずそう返してしまった。

 俺を油断させるための罠? けどその割に、さっきまで纏っていた剣呑とした殺気が綺麗に消えている。そんな芸当素人には不可能のはずだ。

 じゃあ本当に。

「もう、戦う気はないんだな?」

「バカらしくなってきたからね。それよりも」

 そう口にし、夏葵が辺りを見回しだした。まるで誰かを探しているみたいに。

「ねぇ護。エルザはどこ?」

「家で留守番だけど、アイツがどうかしたのか?」

 俺の返答を聞き、眉間にしわを寄せ、夏葵の顔がどんどん険しくなっていく。

「ちょっと不味いかも。急いで衛の家に」

「どういうことだ? エルザに何が」

「話している余裕はないの。この状況、たぶん、あの子が計画を実行に移すとしたら絶好の」

 焦燥感にかられた夏葵の言葉を掻き消し、突如として携帯の着信音が公園内に鳴り響いた。

 この着信音は俺の携帯だな。

 ズボンのポケットから携帯を取り出す。すると、メールの着信が一件あった。送信元は有栖だ。

 何かと思い新着信のメールを開く。けれど。

「空メール?」

 件名はおろか、本文すら何も書かれていない。間違えて送ったのか?

 そう思って携帯をしまおうとすると、夏葵が近寄ってきて画面を覗き込んできた。

「違う。添付ファイルがある」

「え? あっ、ホントだ」

 言われて初めて気づいた。動画ファイルが張り付けられていることに。

不審に思いながらも、夏葵と顔を見合わせてその動画を開いてみる。

 すると、画面に映ったのは俺にとって見覚えのある風景だった。

「ここって……確か、有栖の?」

「あぁ、間違いない。俺の写真が壁中に貼られてるからな」

 我が妹ながら恐ろしくなってくるが仕方ない。本人は俺にばれていないつもりみたいだが、そこは置いておこう。

 問題は、なぜこんな方法でどうでもいいカミングアウトをしてきたのか――だ。

 そう俺が思案していると、どうやら夏葵があるものを見つけたようだ。

「え、うそ。ちょっと待って。ベッドで寝てるのって有栖じゃない?」

「は? いや、そりゃねぇだろ。じゃあ誰がこれ撮ってん」

 口にしかけ、しかし俺は閉口してしまった。

 部屋の隅に置かれたベッド。夏葵の言葉通り、その上に横たわっている有栖の姿があったからだ。

 その事実を認識した瞬間、俺の背筋に寒いものが走った。そしてその感覚は現実のものとなった。

 有栖のベッドの上空に黒い凶鳥が姿を現したのだ。

「そんな……どうして」

「衛?」

「ありえねぇ。アイツは、あのグリードは」

 そうだ。今携帯に映っているグリードは、以前俺が自室で倒したはずだ。

 似ているだけか、同じ見た目の個体がいくつもいるか。もしくは……。

 そう俺が思案している間にも、状況はどんどんと変わっていく。

「マズイよ衛。有栖が!」

「え?」

 夏葵の言葉に思考が現実に戻り、携帯に映った状況に愕然とした。

 凶鳥の鋭い鉤爪が、有栖の両肩をしっかりとつかんだのだ。そしてそのまま上昇し、開け放たれていた窓から外へと出て行った。そして動画はそこで終わった。

「そんな……」

 目の前の現実に愕然と膝から崩れ落ちる。

 有栖が、家族が連れ去られた? それをまた俺は何も出来ずただ見ているだけで。

 無力感にさいなまれていると、夏葵が俺の肩に手を添えてきた。

「しっかりして衛。アイツはすぐに有栖をどうにかしないと思う。きっと、アンタをおびき寄せるための餌にしようとするから」

「アイツって……。まさかお前、このメールを送ってきたやつが誰か分ってんのか?」

「うん」

 ……。……。

 ……。

「そんなまさか!」

 夏葵から事の真相を聞いた俺は、我が耳を疑った。

 どうしてアイツが。頭の中に浮かび上がるのはそんな疑問。そう思い夏葵を見返してみるも、とても嘘をついているような瞳ではない。

 なら本当に?

 いや。そもそも。

「衛? どこ行くのよ」

「有栖の部屋。どこへ連れ去られたのか、何かヒントがあるかも」

「え、ちょっと待ちなさいよ。私も行くわ」

 反転した俺の背に投げかけられた夏葵の言葉に、一歩踏み出すのをやめ振り返る。

「お前はここにいろ。あとは俺一人でどうにかする」

「一人でなんて無茶よ。しかも私と戦った後で」

「立っているのもやっとの奴がついてきても邪魔なんだよ」

「それは……」

 自覚があったのだろう。俺の言葉に、夏葵はさっきから震え続けている自身の左足を強くつかんだ。

 俯き唇を噛みしめている夏葵をよそに、今度こそ俺は反転して駆け出した。

 そのまま走ること数分。もう少しで家に到着するというところで、道の反対側から見知った顔がこちらに向かって走ってきた。

「キミ。良かった、どうやら無事だったみたいだね」

「あぁ。それよりも、そんなに慌ててどうしたんだエルザ」

 俺の問いかけに、すっかり上がってしまった息を整えながら、見知った顔――エルザはゆっくりと口を開いた。

「実は、ゴメン。アリスを誘拐された」

「やったのは?」

「グリードよ。こないだキミが倒したのと同じ鳥型の。とにかくまずは家に戻って状況を整理」

 そう口にして俺に背を向けたエルザは、しかし一歩足を踏み出したところでピタリと動きを止めた。

 俺が、その背に創剣の切っ先を突き付けたために。

「どういうつもり?」

 振り向かずに問いかけてくる。表情が見えないせいか、どこか底冷えのする声だ。

 しかし俺は気圧されることなく。

「こっちのセリフだ。どうして有栖を攫ったのが鳥型のグリードだと知ってんだ」

「それはもちろん戦ったから」

「嘘だな。有栖の部屋に争ったような跡はなかった」

 以前戦ったタイプだから分ったことだ。前回戦った時、鳥型グリードが羽ばたくたび部屋の中の物が強風で散らかった。しかし今回はどうだ。動画を見る限り、その痕跡は微塵もなかった。

 つまり、少なくともあの部屋では戦闘が行われていなかった。

「当たり前じゃない。“動画”が撮られる前に、別タイプのグリードに倒されていたんだから」

 俺の指摘から逃れるその言葉に、俺は深々と溜息をついた。

 違っていてほしいと思っていた。初めて会った時から守ってくれて、戦う術を、家族を護る術を教えてくれたから。

 だけど……。

「有栖が誘拐される動画を見たなんて、一度も言ってないんだけど」

 俺は静かにただそれだけ告げた。

 対してエルザは何も返して来ない。肯定も、言い訳も。その代り、あたり一帯の空間が灰色に染まった。

「今までだったらこんな小さなミス気付かなかったのに。夏葵に聞いたの?」

 凄惨な笑みを浮かべ振り返ったエルザ。

 それを目の当たりにして、夏葵の言葉が正しかったことを理解した。

 有栖を誘拐したのも、グリードを操っていたのも全て。

「バレたみたいだし、改めて自己紹介しておこうかしら」

 跳躍し、俺との距離を開けたエルザは宙で一回転して着地。その周りから、黒い靄とともにあいつらが現れる。

「エルザ・アーレン。ディザイアネームはグリード」

 鳥・犬・その他もろもろ今まで俺が倒してきたグリードたちが。

 その数、実に四体。そいつらに視線をやったエルザは、こちらに向き合い、艶めかしいとさえ思える所作で俺に右手を向けてきた。

「キミの全て、この強欲(グリード)たちで喰らいつくしてあげる」



 衛とエルザが邂逅したその頃。夏葵はひとり、公園のベンチに深く腰掛けていた。衛が有栖を助けに向かったのと同時についに力尽き、その場に立っていることもままならなくなったのだ。

 夜の風がひんやりと頬を撫でる。

「衛、無事かな?」

 ひとり呟いてみるが、もしもエルザとぶつかったら無理な相談だろう。

 一つは単純に疲弊。夏葵と一度戦っているのだ、万全の状態とは言えないだろう。そして第二に、未知数ともいえるエルザの実力。

 エルザの能力――グリードについては、ひいてはこれまでエルザが衛にしてきたことは、全部自身の口から夏葵は聞かされている。

 だからこそ……ギュッと目をつぶった。

 浮かび上がってくるのは、最悪の事態。ずっと一緒にいてくれると、家族になってくれると言ってくれた男の子が、エルザの糧にされる姿。

「私、こんな所にいていいのかな?」

 能力は使用できてあと一回。そして衛に見抜かれた通り体力はすでに底をついている。こんな状態では足手まといだろう。

 でも。

 せっかく家族になってくれると言ってくれたのに。隣にいてくれると言ってくれたのに。ここで何もしなければ、自身を捨てた親と同じになってしまうのでは?

「守らなきゃ。死なせるわけには」

 強く、強くそう思う。

 その度に夏葵の鼓動がドクンドクンと速くなっていく。けれどそれは決して不快なものじゃなくて、むしろ暖かさを感じる。まるで心の奥底から新たな力が溢れてくるような。

 そして覚悟を決めて立ちあがった。

「行こう。衛を助けに」



「キミの全て、この強欲たちで喰らいつくしてあげる」

 エルザのその言葉を聞き、俺は俯いた。

「どうしてだよ」

「何がかな?」

「グリードは幸せを破壊する存在じゃなかったのかよ。そしてお前は、そのグリードを倒す」

「あぁ、そういえばそんな話もしたね」

 そう口にし、エルザは口元に手をやった。けれど抑えきれなくなったのか、手をどけて嘲笑を浮かべ。

「バッカじゃないの? そんなのあるわけないじゃん」

「でも、初めて会ったとき母さんを護って」

「ごめん。あの時の怪我は、キミに信じ込ませるための自演なの」

 どこか遠くでエルザの言葉を聞きながら、今までのエルザとのやり取りが脳裏に浮かぶ。

 グリードとの戦いのときは知恵を貸してくれ、夏葵と対峙した時も助言をくれた。それなのにどうして……。

「行きなさい」

 戸惑う耳に届いたエルザの号令。顔を上げると、グリード四体が同時に襲い掛かってきた。

 鳥型のグリードが上空から急降下し、それと同時に犬型が前方から突進。

 その二体の突進を後方に下がって回避。けれど。

「なっ……しまった!」

 すでに背後に回り込んでいた熊型のグリードが、丸太のような凶暴な腕を横殴りに叩きつけてきたのだ。

 直撃寸前でどうにか創剣で防ぐが、勢いまでは殺せずふっとばされた。そのまま民家の塀に背中から激突。その衝動で肺の中の空気が漏れる。

「……の。エルザ、テメェ」

 片膝をつき、咳き込みながらエルザを見上げる。

 その顔に浮かんでいるのは、さっきまで対峙していた時とは真逆。笑顔だ。

「ダメじゃないキミ。まだまだこんなものじゃないでしょ? 早く全力を出してよ」

「うるせぇ、黙れよ」

「仕方ないなぁ。それじゃ、ちょっと昔話をしようか」

「何を――」

 何かの罠かと警戒するも、エルザが手を挙げると同時にグリード達がその背後へと移動した。

 となると、本当に話をする気か? 内容は不明だが、体力回復の時間稼ぎにはなるか。

「私って昔から欲張りでね。何でも一番にならないと気が済まなかったの。だから、きっとこの子たちが私に宿ったのも必然だった」

 そう口にし、エルザは脇に控える犬型グリードの頭を撫でた。

「この子達ってすごいのよ。食い殺した相手の経験も、知識も、技能も、その個人が持っている資質はすべて私の物。例えばオックスフォードの首席あたりでも食い殺せば、飛び級で入学できるぐらいの学力を手にできたり……ね」

 オックスフォード。その言葉を耳にし、俺はエルザが転校してきた日のことを思い返した。飛び級でオックスフォードを卒業と聞いて胡散臭く思ったが、そういうカラクリか。

「この力に目覚めてすぐ、私はある計画を考え付いた。強力な願いの力を持つディザイアを食い殺して、その力を奪おうと。だから私は祖母の家に……日本に来た時に、適当な家に押し入り幼い子供の目の前で両親を殺した」

 エルザの言葉と同時に脳内に浮かび上がるあの日の光景。

 まるでクマにでも嬲り殺しにされたかのような親父たちの遺体。そして。

「思い出した。俺たちは、一度会ってる」

 その傍らで怪しく微笑む当時の俺と同い年ぐらいの金髪の少女――幼い日のエルザ。

 それじゃあ、コイツが……エルザが親父たちを!

「種をまいて十年ぶりにこの地にやってきて、私の蒔いた種はちゃんと芽を出しかけていた。何せ、私が狩るにふさわしい人間しか動けないこの『狩場』で動けていたから。でも未完全。だから私は一計を案じた。十年前と同じ、目の前で家族が殺されかける状況にして。そうして見事誕生した(ディザイア)を、私は自ら試練を与えることによって磨き」

「黙れッ!」

 エルザの言葉を遮り、裂帛の気合いとともに俺は地を蹴った。

 間合いを詰めるのと同時、右手に創剣を生成。正面から犬型のグリードが襲い掛かってくるが、とびかかってきたところで横一文字に斬り捨てる。

 続いて第二撃。前方からクマが、後方からイノシシが、そして上空から鳥型が襲い掛かってくる。

 この波状攻撃は、さすがに避けられない。なら。

 右手にあった創剣を消し、代わりに俺の周りの上空に無数の短剣を出現させ――

「邪魔、すんなぁぁああ!」

 鳥、クマ、イノシシそれぞれに向かって放ち、一体残さず消し去る。

 これでもう、俺を邪魔する奴はいなくなった。

「エルザァァァアア!」

 距離を詰め、間合いに入ると同時に両手を振り上げて創剣を生成する。

 そして、身動き一つしない……というか、慌てた素振り一つ見せないエルザへ振り下ろす。

 と、その時だった。

 あの人たちの姿が納位によぎり、全身から力が抜け、創剣が淡い光となって霧散した。

「――え、何?」

 全身に駆けめぐる虚脱感に両膝をつく。

 まさか能力の制限時間? 一瞬その可能性が頭をもたげたが、すぐに否定。夏葵は限界が来る少し前からすでに苦しげだった。けど俺は何の前触れもなかった。

「ハハッ。ここに来て能力限界なんて。運がないね、キミ」

 俺に能力限界が訪れたと思っているのか、嘲笑を浮かべたエルザが無警戒に近づいてくる。

「そうだ。また目の前で家族が殺されたら、キミ、どうなるかな?」

 両手をパァンと打ち、無邪気な子供のような声でそう告げたエルザの視線が、ある一点へと移された。

 何事かと思いその視線を追い、俺は息を飲み込んだ。

 うちの屋根の上、その上空で意識を失ったままの有栖を抱え浮遊している鳥型グリードを目にして。

「有栖ッ!」

 瞬間、最後の一絞りまで爆発させたように力がみなぎってきた。地面を蹴りあげて家の塀へと飛び移る。そこからさらにもう一段飛び上がり、屋根の――

「油断大敵だよ、キミ」

「なッ!」

 脇腹への激痛。視線を下げると、飛びかかってきたオオカミ型グリードが脇腹にかみついていた。

 いつの間に!? 有栖に気を取られて気付かなかった? いや、それよりも。

 跳躍が失速し、姿勢を整えることもできずにそのまま落下。受け身も取れずに、背中を地面に強打した。

 どうにか上半身を起こし息苦しさに喘いでいると、こちらに近づいてくる足音が。

「さて。そろそろいただこうかな」

 どうにか視線をあげると、エルザの周りには三体のオオカミ型グリード。そいつらが息も荒く俺のもとへと向かってきた。さらに上空には、未だ囚われのままの有栖。

 有栖を助けるためにはオオカミ型グリード達が邪魔で、そいつらを片付けてたら、逆に有栖の身に危険が及ぶだろう。いや、そもそも俺自身が……。

 まさに絶体絶命。

「それじゃ、サヨナラ」

 その言葉を合図に、オオカミ型のグリード達が襲いかかってきた。

 半ばあきらめて目を閉じ、覚悟を決める。

 けれど……。

「――あれ?」

 いつまでたっても痛みがない。

 不審に思い、恐る恐る目を開ける。すると一番初めに目に飛び込んできたのは、よく見慣れた少女の背中だった。

「無様ね衛」

「お前……夏葵!?」

「私の家族になるんでしょ、勝手に死にかけてるんじゃないわよ」

 振り返り、ジトッとした視線を送ってくる我が幼馴染。その言葉に言い返すこともできずに閉口していると、夏葵の背中越しにある光景が目に映った。

 地面に倒れている三体のグリード達の姿が。

「お前、そのグリード達」

「これぐらいの奴ら相手に苦戦するなんてたるんでるんじゃない? ま、今はそれより」

 そう口にした夏葵の視線が、前方、エルザへと戻る。

「怖いなぁ。親の仇を見るような目をしないでよ」

「黙りなさい。私と衛が戦うよう仕向けて」

 俺と夏葵が戦うように、エルザが仕向けた?

「おい夏葵。その話ホントなのか?」

「うん。覚えてる? 愛子さんや有栖と五人でNOEに行った時のこと」

「あぁ。確か、あの時お前は急に体調を崩して」

「愛子さんとアンタの、宿木がなくなるって話を聞いて、また捨てられるって思ったらね。そして家に帰って一人で両膝を抱えている私の前に、コイツは現れた」

 言われ、俺は思い出した。

 確かにあの日、エルザは俺や有栖と帰宅時に別行動をとっている。

「この女は私の耳元で囁いた。マモルには新しい家族が出来たのに、キミはまた捨てられるんだねって。憎いよねって。そしたら何か、胸の中に黒いもやもやしたものが生まれて」

 そう口にし、夏葵はきつく目を閉じた

 しかしそれも数瞬。キッと目を開け、地面を蹴ってエルザへと一直線に向かっていった。

「無駄だよ。どう足掻いたってキミはすでに能力限界を迎えてる。万全ならまだしも、今の状態では」

「勝てないでしょうね。けど、その必要はないわ」

「何を――」

「呪言・重力減少」

 そのまま一直線に懐に入ると思われた夏葵が、左足かかとをブレーキに急停止し、上空へと飛びあがった。それこそ重力を感じさせない驚異的な跳躍力で。

 そのまま一気に、上空にいる鳥型グリードのもとへ。

 そうか、最初から目的は。

「キミ……私じゃなく、アリスを助けるつもりで」

「そういうこと、よッ!」

 蹴りによる一閃が、鳥型グリードへ炸裂。その姿を一瞬で霧散させた。

 グリードが消滅したことにより有栖が宙に放り出されるが、夏葵がしっかりキャッチし、抱えたまま無事着地。夏葵はそのまま俺のもとへ移動し、有栖を地面へ寝かせた。

「さてと、後は」

「夏葵――?」

 こちらを振り向いた夏葵が、俺へ両掌を向けてきた。

 何をするつもりなのか。そう、思った瞬間だった。

「祝福を――祝詞(のりと)

 短くそう紡いだのと同時、夏葵の両掌から淡い光の粒子が溢れてきた。

 宙を漂いながら、光の粒子が俺の周りに。けれどそれは嫌な感じじゃなくて、むしろ体の奥底から力が湧き上がってくるような。それに。

「傷が、治ってく?」

 グリードにやられたはずの脇腹の傷が、見る見るうちに消えていく。

 驚きに夏葵を見やる。

「お前、この力……」

「もともと私の能力って、祈りで事象を変化させる呪いみたいなものなの。今までは恨みの気持ちから使っていたけど、今は」

 そう話している途中だった。まるで糸が切れたかのように、有栖に寄り添うにして夏葵がバタリと倒れた。

 慌ててしゃがみ込み様子を伺う。

「~~ん。目玉焼きには、ハバネロを~~」

 するとそんな俺の耳に届いたのは、規則正しい寝息と寝言だった。何とも緊張感のない寝言に、つい口元に笑みが浮かんでしまう。

 けど、そうだ。夏葵はもともと能力限界を迎えていて、いつ気を失ってもおかしくない状態だったんだ。

 だというのに、有栖を助けて、俺の傷も癒してくれて――

「ようやくナツキも倒れたのね。当初の計画とはだいぶ違ってきたけど、いいわ、このまま二人まとめて」

「黙れよ」

 夏葵の頭をポンポンと叩き、未だ俺たちの前に立ちはだかるエルザと向き直る。

「その目……へぇ、まだやる気なんだ」

「当たり前だ。もう、誰一人としてお前には傷つけさせねぇ」

 そう口にしゆっくりと目を閉じる。

 すると、体の奥底から湧きがってくる確かな力。憎しみのままにエルザに斬りかかろうとしたさっきとはまるで真逆だ。

 そして俺は唐突に理解した。いや、というよりも思い出した。

 俺の、ディザイアとしての本質を。

「行くぜ、エルザ!」

「いいよ。なら、まずはキミから食べてあげる」

 カッと目を開き、エルザへと向かう。対してエルザはグリードすら呼ばずに余裕の笑み。

 グリード抜きでの戦闘力では俺優位のはず。だというのに、これだけの余裕を示す。そして何より、コイツの今までのやり口を考えれば。

 何か、俺の足を止める算段が!?

 まさかと思い、左足一本でブレーキをかけて振り返る。すると、案の定というか、オオカミ型グリード達が夏葵たちに襲い掛かる所だった。

「っち、やっぱ汚ねぇな!」

 イメージするのは無数の創剣。

そして心に抱くのは家族を護るという絶対の想い。

「創剣」

 グリード達が二人へ襲い掛かる直前。夏葵たちの周囲を囲むように無数の、そして巨大な創剣が地面からせり出し、オオカミ型グリード達を串刺しに。

「なるほど。もう、搦め手は通用しないという事ね。なら仕方ないかな」

 突如、そう紡いだエルザの体から大量の靄が発せられた。

 しかも、ただ靄が発生しただけじゃない。今まで感じたことのない圧迫感、プレッシャーに思わず呼吸が乱れる。

 そう。まるで靄そのものがエルザの力の奔流のように。

「もう出し惜しみはしない。全力で潰してあげる」

 エルザの髪が逆立ち、その体の周りを渦巻いていた黒い靄が天へと上る。

 そしてある形を取り始めた。

「来なさい。ファフニール!」

 大蛇のように長い胴と尾に巨大な両翼。胴から生えた両手には鋭い鉤爪。そしてまるで鋼のように頑強そうな鱗。

 紛れもない。黒い靄が形どったのは、漫画とかでよく目にするドラゴンそのものだ。

「さぁ、キミの全てを喰らいつくしてあげるね」

 咆哮を発し、空を埋め尽くすほど巨大なドラゴンが向かってくる。その咢から漏れ出ている緑色の霧状は毒か何かか。

 このままじゃ、背後でいまだに意識を失っている夏葵たちの身も――

 そう思うと、ドクン……ドクン……と、胸の奥で何かが脈打ち始めた。

 ゆっくりと両手を宙に掲げ、意識を鎮める。

 恐らくただの創剣乱舞じゃこのドラゴンには太刀打ちできない。あの強固な鱗にはばまれるのがオチだ。

 だからこそ創造する。あのドラゴンを一太刀のもとに滅することの出来る刃を。

 光の粒子が俺の頭上に集まり、形とる。青い宝玉を柄に彩った、光の刀身が人丈ほどはある剣の形を。

 ゆっくりと息を吐いて目を開き、柄を両手で握った。

「聖魔創剣……バルムンクッ!」

 裂帛の気合いとともに、創剣を袈裟斬りに振り下ろす。すると、刀身の光が奔流のように放たれた。

「ッ! ファフニール!」

 危険と判断したのか、エルザの声が飛ぶ。その声に応えるようにドラゴンが高度を上昇しかけるが、そんなものは無意味。

 濁流となった光の斬撃が、いとも容易くドラゴンを飲み込んだ。

 そして数秒後。ドラゴンどころか近隣の住宅すら飲み込んだ光が消えた時、住宅は無事なものの、ドラゴンは完全に消失していた。

「やった……のか?」

 腕を振り下ろしたまま、茫然と呟く。すると。前方でエルザが苦しげに顔をゆがめながら片膝をついた。

 能力限界だ――

「どうやら完全に打ち止めみたいだな。エルザ」

「そういうキミは、ずいぶんと余裕そうだね」

 そばまでより見下ろした俺に、エルザは憎々しげに返した。

 呼吸は荒く、その額には大玉の汗。“全力で潰す”という宣言はどうやら虚言じゃなかったようだ。

 そのまま相対すること数秒。やがて、まるで何かをあきらめるかのようにエルザはゆっくりと目を閉じた。

「私の負け。さぁ、殺して。そうするだけの権利も動機もキミにはある」

 エルザがいなければ、夏葵と戦うこともなかった。そして何より親父たちも。

 胸の中にドロドロとした、真っ黒い感情が湧きあがり、創剣を握る手にも自然と力がこもる。

「じゃ、そうするわ」

 静かにそう呟き、創剣を振り上げるが――しかし、またしてもあの人たちの姿が浮かび上がり、その瞬間創剣が消失した。

 けれど別段驚きはない。むしろ予測通りというべきか。

 そのまま数秒。さすがに何も起こらないことを不審に思ったのだろう。エルザがゆっくりと目を開け。

「……どういう、つもりよ」

 創剣が消失していることに目を丸くし、睨みつけてきた。

「憐みのつもり?」

「バカ。違ぇよ」

「じゃあどうして」

「お前だろ。俺を自宅警備員って名づけたのは」

 俺がそう口にした途端、エルザの目が文字通り点になった。無理もない。どうして今更そんなことを――そう思ったのだろう。

 けれど不本意ながら自宅警備員という言葉こそ、まさしく俺のディザイアだから。

「俺の能力は守るための力だ。奪うためでも、ましてや憎しみに任せて人を殺すためでもない」

 だからこそだ。エルザが親父たちの仇だと知った時。そしてたった今。憎しみに任せて創剣を振るおうとした瞬間に力が消失したんだ。

 そして家族を、大切な人たちを守ろうと思うほど力が強くなる。

 俺のその説明を聞いて、脱力するようにエルザは深々と溜息を吐いた。

「結局、アリスを人質にとったことが裏目に出たってことね」

「あぁ。だからこれから先、お前は俺のことだけを見ていろ」

「え……えぇえ?!」

 ポンッと顔を赤らめて、なぜか素っ頓狂な声をあげるエルザ。

「何をそんな変な反応してるんだ?」

「いや、だってキミ。何言ってるかわかってるの!?」

「ん? いや、だから俺の力が目的だったら初めから俺だけを狙えと。なのにどうしてそんな驚いてんだよ」

「へ……? あ、あぁ。そういう」

 なぜか空気の抜けた風船みたいにエルザはガクリとうなだれた。

 しかしすぐに顔を上げた。どこか、すがすがしさを感じさせる笑みを浮かべて。

「次こそキミを食い殺して、その力、奪って見せるわ」

「おう、やってみろ」



「で、この状況どうにかなんねぇかな」

 エルザとの戦闘から数十分後、宿木へと向かう道すがら俺は一人ごちた。

 あの戦闘の後、俺は一つの重大な問題に突き当たっていた。それは、エルザも含めて身動きを取る余裕がない人間が三人もいたことだった。

 結局、自宅の前という事もあり有栖を抱きかかえて自室のベッドへ。そして家の前へ戻ると多少なりとも回復したのか、エルザは姿をくらましていた。

 そして残ったのが……。

「愛子さん。もう食べられないよ~」

 俺の背中で何ともイラッとくる寝言をのたまってらっしゃる夏葵だ。

 行方不明扱いになってるこいつの場合、ヘタに家に連れて行けなかったから、いっそのこと宿木に送り届けてやろうと思ったが。

「何かすげぇバカらしくなってきた」

 おぶっているせいで腰まで痛くなってくるし。これがまだ有栖やエルザだったら役得もあったが、夏葵相手じゃ何も感じない。正確に言えば、やわらかな二つの果実が背中にあたっていることが感じられない。

「コレだからまな板は」

「誰がまな板よ!」

「ごふぉ!?」

 ポツリとつぶやいた瞬間、後頭部に強烈な衝撃。思わずつんのめりになった。

「ちょっと衛。早く降ろしなさいよ」

「おま、夏葵!? 寝ていたはずじゃ」

「目を覚ましたわ。邪念を感じて」

 邪念て……。

 そう突っ込みそうになったが、余計なことを口走ってさらなる攻撃を受けるのも怖いので、大人しく夏葵を下ろすことに。

「それで衛。どうなったの?」

「こうしているんだから勝ったに決まってんだろ」

「そっか……」

 二人で夜道を移動しがてら事の顛末を説明すると、夏葵はほっと一息ついたようだ。けれど、もう一つ大きな問題が残ってる。

 チラッと横目で夏葵の様子を伺う。

 これからどうするつもりなんだろうか。宿木のことは、愛子さんとのことは。

「大丈夫だよ、衛」

「え?」

「宿木に帰って、ちゃんと愛子さんと話すから。これからのこと」

 そう語る夏葵の瞳は確かにまっすぐ前を見ていて、どこかすがすがしい笑みすら浮かべていて。

 それだけで、俺の心配が杞憂だって思わせてくれた。

「おう、がんばれ」



 ――ちゃんと愛子さんと話すから。これからのこと。

 宿木の正門前をかれこれ十分以上グルグルとまわり続けている夏葵は、衛へ得意げにそう口にした自分の横頬を引っ叩いてやりたくなった。

 ムリ。ムリムリムリムリ!

 行方不明になっておいて、今更どんな顔をして戻ればいいのか。いや、そもそも愛子さんは許してくれるのだろうか。

 さっきからそんなことばかりが頭の中に浮かぶ。こんなことなら強がらずに、衛に一緒に来てもらえばよかった。

 そう、思いかけた時だった。

「じゃあアンタたち。あの子探してくるから」

 ガチャっという音を立てて、正門奥にある玄関の戸が開いた。

 そして姿を現した。夏葵が今一番会いたくなくて、でも、会いたい人が。

「なつ……き?」

「愛子さん」

 正門を挟んで、まるでお見合いのように固まる二人。

 けれど先に夏葵が動いた。九十度左に回転し……逃げ出したのだ。

「あ、こら夏葵!」

 すぐさま愛子が追いかけるが、追い付けない。当たり前だ。なにせ夏葵は部活で体を鍛えているのだ。まず体力が違う。

 果たしてどれぐらい逃げ続けただろうか。さすがにもう大丈夫だろうと思い、夏葵が足を止めた瞬間だった。

「やっと捕まえた。この……バカ娘」

 手首を掴まれ、息も絶え絶えに呼ばれた名前。

 まさか、とは思う。夏葵の方が速いことは、夏葵自身はもちろん、愛子だって知っているはずだ。

 だというのに。

「どうして……愛子さん」

 いままでずっと追い続けていた愛子が肩で荒い息を繰り返し、夏葵の腕を掴んでいた。

 夏葵の瞳が不安に揺れる。もしも、もしもまた捨てられたら?

「宿木がなくなって、やっぱり私は捨て」

「ごめんなさい!」

 夏葵の絞り出したような言葉を遮り、愛子は勢いよく頭を下げた。

「夏葵の昔のこと知ってたのに。私が怖がって、言い出せなかったせいで不安にさせて」

「それじゃあ、やっぱり宿木は……」

「うん。チビ達が巣立ったら、閉鎖します」

「そ……そっか」

 明るく、頭をかきながらそう口にする夏葵。胸にギリギリと痛みを抱えながら。

 するとそんな夏葵をよそに、頭をあげた愛子は自分のポケットをまさぐり、ある一枚の紙を取り出し、

「これを受け取ってほしいの」

 夏葵へと差し出した。

 対して夏葵はその紙を恐る恐る手に取り、視線を紙面に落し、すぐにその目を見開いた。そして愛子と、その紙――養子縁組届の用紙を交互に見比べた。

「え、これって……」

「ゴメンね。本当なら、私が勇気を出してもっと早く話をするべきだったのに。そのせいで夏葵を不安にさせて」

「でも、どうして」

「どうしてって」

「私を養えるだけのお金、愛子さんにはないはずよ」

 真顔でそう口にした夏葵の疑問に、愛子は思わずずっこけてしまいそうになった。が、すぐに気が付いた。夏葵の瞳がうるんでいることに。

 やれやれと、息を吐き。

「まぁ、お金のことはなんとかするわ、うん。それにこれはわがままの様なものだし」

「わがまま?」

「これから先、夏葵が恋をして、その人を愛して嫁ぐまで一番近くでアナタを見守り続けたいっていう。だから」

 一旦言葉を区切り、夏葵を見つめる。

 まだ赤ん坊と言っても差し支えのない頃から、見守り、ともに過ごしてきた娘のような、妹のような存在へ。


「私の、本当の家族になってほしいな」


 その言葉を聞き、今まで我慢していたものが崩れ去ったのだろう。

 うるんでいた瞳から大粒の涙をとめどなく流し、養子縁組届を胸に大事そうに抱えた夏葵は確かに首を縦に振った。

「よろしく……お願いします」



 宿木への途中の道で夏葵と別れた後、俺は家には戻らずに最寄りの駅へと向かった。そこで電車に乗り、さらに移動。そうして目的地に――親父たちの墓前へとやってきていた。

 明りのない暗闇の中、俺は親父たちの墓の前にしゃがみ込み。

「親父、お袋。今日は報告がある。親父たちを殺した犯人が分かった。でも、ごめん」

 そう話しかけ、俺はあの時のことをエルザとの雌雄が決した時のことを思い出した。

 俺のディザイアの性質上、どう足掻いたって能力で復讐を果たすことは無理だった。同時に、警察に突き出したとしても無意味。仮に捕まえることが可能だったとしても、グリードを使役すれば簡単に脱獄できるはずだから。

 だから見逃した。

 けれど、本当は……。

「復讐することはできたはずなんだ」

 それこそ、その場で馬乗りになって首を絞めれば。もしくは家に戻って包丁でめった刺しにすれば。

 でも、出来なかった。

 創剣が消失して冷静さを取り戻したってのもある。けど、斬りかかろうとした時に浮かんで来てしまったのだ。

 殺された親父たちの姿ではなく、伊江の家族や、愛子さん、夏葵の姿が。

 そう。俺は親父たちの仇うちよりも、今の、ともに生きるみんなを優先したのだ。

「ゴメン……本当に、ゴメン」

 目をつぶり俯き、下唇を噛んで両手をぎゅっと握り懺悔する。すると、不意にポンッと頭と肩に誰かがふれた気がした。

 慌てて辺りを見回す。けれど、当然というべきかこんな時間に人影はなく。

 だからだろうか。こんなことを考えてしまうのは。

 頭と肩に触れられた感覚が、どこか懐かしさを感じると思うのは。

 俺はもう一度心落ち着かせ、ゆっくりと目を閉じた。

「ありがとう、二人とも」

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