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高校生ときどき自宅警備員  作者: 高町 湊
3/7

転校生は居候

 自室。カーペットの敷かれた床の上で、小さいテーブルを挟むように腰を下ろしている俺とエルザ・アーレン。ちなみにカーテンで仕切られている窓の外はすでに暗い。

「えっと、何を聞きたいのかな?」

 対面に腰を下ろしているエルザが湯呑を手に、問いかけてきた。

 それに俺は半眼になりながら。

「つうか、あんた何考えてんだ」

「何、とは?」

「母さんに言ったことだよ!」

 あくまでとぼけた様子のエルザを前に、俺はテーブルを思いっきり両掌で叩いていた。

 ことの発端は三十分前まで――巨大な犬を倒した直後までさかのぼる。



「イエ、マモル? それじゃあキミのディザイアネームは自宅警備員ね♪」

「……えっと、何だって?」

 妙にうれしそうなエルザの言葉を前に、俺は首をかしげた。

 ディザイアネーム? つうか自宅警備員って……。

「だからディザイアネームよ。私たちディザイアにとっての二つ名である」

「いや。そもそもディザイアって何だよ」

「えっと、それはね」

「そんなことより衛。その娘誰なの?」

「俺もよくわからなくて……って、母さん!?」

 声のした方へ顔を向けると、さっきまでその場で固まっていた母さんが首をかしげていた。それに、灰色に染まっていた景色も色を取り戻してる。

 つうかエルザが誰かだって? そんなの俺が聞きたいよ。

 そう思い横目でエルザを伺うと、妙ににこやかな笑みを浮かべ、

「初めましてお母様。マモルさんとお付き合いさせていただいております、エルザ・アーレンと申します」

 と、のたまいやがった。



「ホントに、なんであんな嘘ついたんだよ。彼女だなんて。こういう場合って普通は友達って偽るんじゃないのか?」

「別にいいじゃない。こうやってじっくりお話しする機会もできたことだし」

 ほんの十数分前のことを思い出しげんなりしている俺に対して、あくまでにこやかなエルザ。こちとら、彼女云々の話が有栖の耳に入ったらと思うと、身震いが止まらないのに。

 でも、いつまでもうだうだ言ってても仕方ないか。

「まぁ、済んだことは忘れる。それよりも全部答えてもらうぞ」

「もちろん」

 俺の問いかけに頷くと、エルザの顔が引き締まった。

 俺もしっかりと向き合う。

「まずはあの巨大な犬の怪物だけど、あれはグリードと呼ばれる存在よ。どこから現れたのか、何のために存在しているのかはすべて謎。ただ分っているのは、幸せのある場所に現れるということ」

「幸せのある場所?」

「そう。何の不自由もない温かな家庭とかね」

 何の不自由もない温かな家庭とは、ずいぶんとうれしい評価だが――そのせいで変な怪物に襲われるようになるとは。

「グリードは幸せがある場所に現れ続け、徹底的に破壊する。時の静止した空間――隔離界(かくりかい)を発現してね。そしてそんな連中に対抗できるのが、隔離界で活動できる私たちディザイアよ」

 ちなみに、隔離界というのはさっきまで我が家を覆っていた灰色の空間らしい。そこではディザイア、または、その素養のある人間以外の時が止まるだとか。

 しかし。

「ディザイアか。さっきも聞いたが、結局それって何なんだ? そのまま日本語にすると、願望とか欲望って意味になるだろうが」

「似たようなところね。ディザイアは、人の持つ願いが形を得た姿だから」

「願い――」

 俺は両掌に視線を落とし、巨大な犬……グリードを叩き斬った剣――創剣を思い起こした。

 確かにあの剣が発現する直前、俺は強く願った。

 家族を護りたいと、もう誰にも壊させないと。その為の力がほしいと。

「その顔、心当たりがあるみたいね」

「まぁ」

 あまり人に教えることでもないので、適当に頷いて返しておく。

 と、その時だ。

「殺気だと!?」

 それも、ドアの方からか?

 慌てて殺気の発生源へと視線を向けると、戸が少しあいていて――

「兄さんがパツキン女と。パツキン女と」

 こちらをじっと覗き込んでいる有栖が、眉間にしわを寄せ、何やら呪詛のようにぶつぶつとつぶやいていた。

「ねぇマモル」

「何も言うな」

 ドン引き気味な顔を浮かべるエルザに、俺は力なく首を横に振る。我が妹ながら、なんというか残念だ。

 とは言っても、このままにしておくのもな。

「おい有栖。そんなところにいないではいって来い」

「兄さん♪ はい」

 さっきまでの丑の刻参りに行くような顔が一変、ぱっと笑みがその顔面に広がった。

 有栖はとてとてと部屋の中に入ってくると、俺の隣に腰を降ろした。それこそぴたりと寄り添うように。

「有栖さんや。別に俺の部屋はそこまで狭いわけじゃないぞ」

「そうですね」

「じゃあなんで、こんなベッタリしてくるんだ」

「それは」

 そう口にし、鋭い視線をエルザに向ける我が妹。

「その人から、嫌な気配がしますから」

「嫌な気配って……」

「兄さんを誘惑しようとするビッチ臭が」

 瞬間、場が凍った。

 この妹様は本当に。

 結局これ以上有栖を同席させても争いの火種にしかならないと判断し、すぐに退室させた。

「何かいろいろスマン。我が愚妹が」

「愉快な妹さんね」

 頭を下げた俺に、苦笑を浮かべるエルザ。

 けれど、とも思う。

 我が愚妹の言動は問題ありだったが、俺だってこの金髪少女に疑問は持っている。戦いに巻き込まれると同時に現れ、いろいろと説明してくれる。そんな都合のいい人なんてアニメや漫画にしかいないだろう。

 顔をあげ、正面のエルザを見据える。

「なぁ、エルザ。あんたはいったい何者なんだ? どうして都合よく家にいた」

「何者とは、ぶしつけな質問ね。けどいいわ。改めて説明するわ」

 そう口にし、エルザは自分の胸元に手をやった。

「ここにいるのは、今朝がたキミとすれ違った時にグリードの気配を感じて、その気配を追ったからよ」

「あぁ、あの時か」

 言われ、俺は今朝の登校中のことを思い起こした。

 そういえば、俺、何か大切なことを忘れていないか?

「マモル。難しい顔をしてどうしたの?」

「あ、いや。何でもない」

 覚えていないということは、さほど大事なようでもなかったんだろう。うん。

 そう自分で結論付け、俺ははたと思い出した。それもとても大事なことを。

「なぁ、エルザ。最後に一つ聞いていいか?」

「何かしら?」

「俺のディザイアネーム。あれは何だ」

「だから、ディザイアにとっての二つ名と」

「それは分った! 俺が聞きたいのは、どうして俺のそれが、自宅警備員かってことだ!」

 叫び、俺はテーブルを両手でばんっと叩いた。

 自宅警備員って、アレだろ? ニートさんたちが自尊心を保つために使っているアキバ系用語のことだろ。

 ニートさんをどうこう言うつもりはないけど、そういわれるのは納得いかねぇ!

 しかしそんな俺の内心とは裏腹に、エルザはにっこりと笑みを浮かべ。

「ドイツを発つ前に勉強したのよ。日本では、日夜自宅を守り続けている人を、尊敬と畏怖の念を込めて自宅警備員と呼ぶと。キミのディザイアにはピッタリじゃない」

「いや、それは違うと」

「それに、君の名前もまさに自宅警備員じゃない」

 俺の名前だと?


 伊江衛……イエマモル……家・護る。そういうことか!


 衝撃の事実に、俺の体を稲妻が走った。

「これからよろしくね、自宅警備員さん♪」



「うわぁ。どうしたのよ衛。酷い顔色」

「そんな酷いか?」

「うん。クマとか凄いことになってるよ」

「そっか……はは」

 ディザイアに目覚めた翌日、夏葵との登校中。ちなみに有栖は日直のためすでに学校へ向かっている。

 昨日のこと(主に自宅警備員という呼び名)を思い出し、俺は頭を抱えた。

「なぁ、夏葵」

「何よ」

「人が嫌がる呼び名で呼ぶのって、ダメなことだよな。イジメよくないな」

「はぁ? そりゃぁその通りだけど、急に何言いだすのよ」

 結局昨日は、終始自宅警備員呼ばわりだった。

 これからも家に顔を出すみたいだし、その度に自宅警備員呼ばわりされるのかな?

「はぁぁああ」

 鉛よりも重い溜息。

 空を見上げると果てしない蒼穹が広がっていた。


 けど、こんなものは絶望の序章でしかなかった……。


「今日は大事な話がある。なんと、うちのクラスに転入生がやってきたぞ。それも外国人の女の子だ」

 HR。教壇に立った担任の第一声に、俺の額を冷や汗が伝った。

 何だろ、すごく嫌な予感がする。

 それも外国人の女の子というくだりに。

「それじゃ、入ってきなさい」

 担任に促され、教室前方のドアから一人の金髪少女が姿を現した。

 その少女は……いや。エルザは教壇に立つと深々と頭を下げた。

「ドイツから来ました、エルザ・アーレンです。皆様どうぞよろしく」

 顔をあげてにっこりほほ笑むエルザ。と、同時にクラス内が歓喜に包まれた。


「金髪美少女キタァァ」


 興奮のボルテージが最高潮に達した我がクラスメイト達。男子のみならず女子も興奮しているあたり、外国人の転入生は特殊なんだなと痛感する。

「彼女は飛び級でイギリスにあるオックスフォードを卒業し、日本文化を学ぶためにと今回特別に我が校へやって来た」

 担任教師によるエルザの説明を聞きながら、俺は少なからず驚きを隠せないでいた。

 オックスフォードといえば、イギリスの最高学府だ。そこを飛び級で卒業なんて、生半可な学力じゃ無理なはずだ。

 昨日はディザイアに関することしか聞いていなかったが、色々と――

「ちなみに、当分の間は伊江の自宅に下宿することになっているそうだ」

「異議あり! なぜそんなことになってるんですか!」

 色々と初耳すぎて、思わず手を挙げていた。

 するとエルザが俺の存在に気付いたのだろう。大きく手を振り、太陽よりも眩い笑みを向けてきた。

「あ、自宅警備員さん。おはようございます」

「だからそれは意味が違うと!」

 周りでヒソヒソと話し声が聞こえる中、全力で突っ込みを入れた。

 昨日から自宅警備員の本当の意味を教えているのに未だに使うあたり、この人、確実に面白がってるだろ。変な噂が立ったらどうするんだよ。

「落ち着け伊江。とりあえず、アーレンがお前の自宅にホームステイすることは両親がすでに了承していることだ」

 俺をなだめてきた担任。

 まぁ、父さんたちが了承したなら俺が何を言っても仕方ないのか? もっとも、うちの両親のことだから、金髪美少女と暮らせるって喜んでの決断だろうけど。

「そりゃじゃあ、最後にアーレンの座席だけど」

 そう言って担任は教室内に視線を巡らせたが、すぐにその眉間にしわが寄った。が、それも仕方ないだろう。うちのクラスに空きの机なんてないからな。

 やがて方針が決定したのだろう。担任はポンッと手を打った。

「伊江。すまんが、HRが終わったら空き教室から机といすを運び込んでくれ」

「えっと、先生。なぜに俺が?」

「決まっているじゃないか。アーレンの席をキミの隣にするからだ」

 そう言って、何の害意もないにこやかな笑みを浮かべる担任。

 クラスの人数が三十七人という特性上、最後列に座っている俺の隣は確かに机がない。ないけどさ!

「それじゃあ、これでHRを終了。伊江は机の件、頼んだぞ」

 結局その後、すぐにお開きとなったHR。担任が退室すると同時、クラスメイト達が一斉にがたっと席を立った。そして未だ教壇のところに立っているエルザへ詰め寄る。おそらくこれから質問攻めになるだろう。

「やれやれだな」

 ぼやき、俺も席を立った。

 担任に頼まれた以上、机を用意しないわけにはいかないからな。

 教室を後にし、空き教室に向かおうとする。すると廊下を出たところで。

「衛。待ってよ」

 なぜか夏葵が教室から出てきて俺の隣に並んだ。

「何か用か? 夏葵」

「机運ぶの手伝うよ」

「手伝うって……一人で大丈夫だぞ?」

「いいからいいから」

 そう言って、一人で先に進む夏葵。

 まぁ、せっかくの厚意だし、無理に断る理由もないか。ということで、夏葵と一緒に一つ上の階にある空き教室へ向かった。

 階段を上り、一年生の教室の前を移動すると、俺たちはプレートのない部屋の前に到着した。通称『空き教室』だ。

 ドアを開けてさっそく中へ。

 部屋の作りは一般的な教室と変わらない。なんでも、一学年のクラス数が多いときは普通の教室として使っていたらしい。

 時間も限られているし、机と椅子を物色し始めるが……。

「結構ぼろぼろだな」

「仕方ないわ。基本、調子悪くなったのはここのと取り換えるから」

 どれも足にガタがきていたり、深々と落書きが彫られていたりと、まともに使えそうなのがなかなか見つからない。

 そのまま探すこと数分。

「これなんてどうだ?」

「うん、いいんじゃないかな」

 まともに使えそうな椅子と机をようやく発見。

 携帯電話で確認すると、一時間目開始まで残り五分。急いだ方がよさそうだ。

 机に椅子を乗せてドアの前へ移動する。と、自動的にドアが開いた。

「ここでしたか。兄さん、探しましたよ」

「有栖か。どうしたんだ」

 ドアの向こうにいた人物――有栖の眼光は妙に鋭く、機嫌が悪いことは容易にわかる。

「どうした、ですか。ならば問いますが、なぜあの泥棒猫がこの学校へ転入し、うちへ下宿することになっているのですか?」

「エルザのことか? 下宿の件は父さんたちが許可出したらしいぞ」

「ふーん、そうですか。もうファーストネームで呼ぶような仲なんですね」

 ジトっとした絶対零度の視線。

 あれ、下宿の件はスルーしてそこに食いつくの?

 有栖の妙な威圧感に圧倒されていると、服の袖をクイクイッと引っ張って夏葵が耳打ちしてきた。

「ねぇ衛。この状況を打破したい?」

「まぁ、そりゃ」

「それじゃあ、今から私の言うことを真似して。有栖のご機嫌をよくしてあげる」

「分った。頼む」

「オッケー。貸し一ね」

 悪戯っ子な笑みを浮かべる夏葵を前に、早まった真似をしたかと思うが、背に腹は代えられない。いつまでも妹の機嫌が悪いのも嫌だしな。

 つばを飲み込み、まっすぐと有栖と向かい合う。そしてボソボソと聞こえる夏葵の言葉をなぞっていった。

「有栖、お前は本当にかわいいな。もう食べちゃいたいくらいよ」

 ……って、アレ? 有栖相手にこの言葉はまずくないか?

 言ってから気付き、嫌な汗がダラダラと滝のように流れる。

 そして結果は案の定だった。

 我が愚妹は制服を脱ぎ捨てて、下着姿となり――

「むしろ食べてください。今、ここで」

「だれが食うか馬鹿野郎!」

 スパンと、俺はその頭を思い切り叩いた。 



 その日の放課後。帰りのHRを終えてすぐ、エルザが鞄を手に立ちあがった。それも、どこか切羽つまった様子で。

「マモル。早く帰りましょ」

「どうしたんだ、そんなに慌てて」

「あ、慌ててなんか」

 そう言って、まるで小動物のように怯えながら辺りをキョロキョロと見渡している。

 そして俺はようやく気付いた。俺に――いや、俺の傍らにいるエルザへ向けられる無数の視線に。

 そいや今日一日、クラス内外を問わずいろんな生徒に質問攻めにされていたな。

 どうやら精神的に参ったようだ。

「了解。さっさと帰るか」

「えぇ。そうしましょう。是非とも」

 苦笑交じりに俺が席を立つと、何度も頷いてエルザが後を追ってきた。

 そのまま二人で帰宅。が、その途中で俺はあることを思い出した。

「そいやエルザ。昨日の時点じゃ、俺んちに下宿するなんて聞いてなかったぞ」

「当たり前よ。言ってないんだもの」

「簡単に開き直りやがったな」

 駅から伸びる街道を歩きながら、あっけらかんとしたエルザの返答に、俺は項垂れた。

 そんな俺の様子を全く気にも止めていないのか。

「仕方なかったのよ。キミに戦い方を教えるのに便利だから」

「え?」

「キミはディザイアとして羽化したての存在。昨日は偶然勝てたけど、次もそうとは限らない。大切な人を護れるとは限らない」

 エルザの言葉が耳に刺さり、俺は下唇をかんだ。

 そうだ。あんな人外の化け物相手に、普通の人間がかなうわけない。つまり俺が護らないと、有栖も、母さんも、父さんも殺される。

 あの時と同じように。親父たちが殺され――

「――な、くっ!」

 瞬間、まるで頭が割れるんじゃないかと思えるほどの強烈な頭痛に襲われ、思わずその場にかがみこんだ。

 そして、脳内に浮かび上がってくるある光景。

 血の海に横たわる親父たち“だった”もの。そして、二人の傍らに立っている……黒い……

 黒い……

 クロい……

「――ル。マモル! どうしたの」

 耳元で呼びかけられた自身の名前。

 その声に、今まで目の前に写っていた光景が消え去った。その代り目の前に写ったのは、心配げに俺の顔を覗き込んでいるエルザの姿だった。

「え、あ。いや。何でもない」

 そう返し、ゆっくりと頭を左右に振りたちがる。

「ねぇ、ホントに大丈夫? 顔色悪いよ」

「大丈夫。それより、お前って頭いいんだな」

「え?」

 突然な俺の賛辞に目を丸くするエルザ。

「いや。オックスフォードにいたんだろ?」

「あぁ、まぁね」

「それがどうしてこんな普通の高校にやって来たんだ?」

 これは誰だって抱く純粋な疑問だと思う。

 だってそうだろ?

 東大とかそういう場所に行くなら、まだ理解できる。けど俺の通っている高校なんて、正直県内でも中の上ぐらいのレベルだ。

 至って平均。間違っても、オックスフォード出の人間が通う場所じゃないはずだ。

 そんな俺の疑問に、エルザは口元に人差し指をやり。

「それは……ヒ・ミ・ツよ」

 足取りも軽く、先を行くのだった。




 エルザの転入から二週間が経過した日の放課後。

「眠い……」

 帰りのHRが終了して数分経つも、俺は机に突っ伏してだらけていた。というのも、ここ数日のハードな日常が原因だったりする。

 朝起きてはグリードが現れて朝食を食べそこね、家へ帰ってすぐにまた現れ、寝ようとしても現れる。

 度重なる実戦で戦闘には慣れたが、疲労がたまるばかりだ。

 それに気になることも。

 俺は顔を横に向け、自分の席で文庫本を読んでいたエルザを見やる。

「なぁ、エルザ」

「何かしら?」

「どうしてグリードは、俺が家にいるときだけ現れるんだ?」

「そのことね」

 俺の問いかけに読んでいた文庫をぱたんと閉じたエルザ。そして目を閉じおもむろに口を開いた。

「正直……分らないわ」

「は!?」

 予想外すぎる返答に思わず目が点になった。

 いや、だってよ。俺が家にいないときはグリードが現れないなんて都合よすぎるだろ。どこのアニメだよ。

 けれど、それで助かっているのも事実だ。

 初めの数日はいつグリードが現れるか気が気じゃなく、俺が外出している間に現れたらどうしようと悩みもしたが、結局それは起らずじまいとなっているお蔭で、高校生としての本分を全うできているのだから。

「これはあくまで予想なんだけど。家に複数人いるときにしか現れないんじゃないかしら?」

 ピッと人差し指を突き立てたエルザの仮説に、俺は得心しかける。

 なるほど。仕事に行ってる父さんはもちろんのこと、部活に入っている有栖も俺よりは帰りが遅い。つまり、一番帰りが早い俺が戻るまで家には母さん一人ということになる。

 結果だけを見れば、エルザの言うことは当たっているといってもいい。

 いいのだが――

「うだうだ考えてないで早く帰りましょうよ。明日までの課題も終わっていないし」

 手をバンっと叩いて発せられたエルザの言葉に、正確には“課題”という単語に、俺の全思考は現実に戻ってきた。

 ギギギと、油の切れたブリキ人形のように顔をエルザに向ける。

「課題なんてあったっけ?」

「あるわよ、しかも明日までのが。数学の問題集……二十ページ」

「――は?」

 あまりにも膨大な量の課題範囲に、思わず聞き返してしまった。

「それはあまりに多すぎではないか? 普段は一・二ページじゃないか」

「えぇそうね。けどその日、キミはこともあろうに授業中に居眠りをして、担当教師の不快を買った。この意味が分かる?」

「つまり罰と」

「ザッツライト」

 確かに、近頃疲れがたまって授業中に居眠りしていることが多いが、二十ページとは。しかし、居眠りに対する罰則分の課題はさすがに忘れました、じゃ済まされないな。

 俺はがたっと椅子を引き立ち上がると、鞄を手にした。

「エルザ。急いで帰るぞ」

「了解よ」

 嘆息気味に返事をしたエルザがついてくる。

 そのまま学校を後にし、寄り道もせず自宅へ。

 さぁ、課題を一気に終わらすぞと玄関のドアを開けた瞬間だった。

「今日ぐらいは勘弁してくれ」

 一瞬にして、家の中の風景が灰色に染まってしまったのだ。

 グリードによる結界だ。

「ったく。人がせっかく課題をやろうと思っていたのに」

「言ったところで、どうにもならないわよ」

「分ってる」

 エルザの言葉に短く返す。

 玄関で靴を脱ぎ、リビング、和室と順番に家の中を見て回る。が、グリードそのものはおろか、その前段階である黒い靄の姿すら見つけることはできない。

 さすがに一階にはいないとよみ、階段を駆け上がり、二階へ。

 階段を上がってすぐ正面の扉を開け、自室へ向かう。と、そこにソレはいた。

 巨大な翼と鉤爪を有した、怪鳥型のグリードだ。

「時間が惜しい。一気に行くぜ!」

 創剣乱舞で創剣を生成すると同時に、俺はグリードの前へ飛び出した。

 対してグリードも俺の存在に気付いたみたいだが、七畳の小さな部屋のせいでうまく身動きが取れず、その場で飛行しているだけだ。

 しかし、隙だらけと思った次の瞬間だった。

「マズっ!」

 その場でなすすべなく飛行しているだけと思われたグリードが、突如、その巨大な両翼をはためかせ、強風を発生させたのだ。

 どうにか踏ん張るも、堪えられたのは数秒。強風に吹き飛ばされ、後方に控えていたエルザともつれるように倒れた。

「すまん、大丈夫かエル……ザ?」

 床に両手をつきながら上体を起こした俺は、しかし、途中で閉口してしまった。床についたはずの右手が感じる、ムニュっとした弾力のある柔らかさに。

 まさかと思い視線を下げると。

「あの、エルザさん」

「何かしら?」

「これは事故でありまして、決してわざとじゃ」

 下げた視線の先にあったのは、俺の下敷きになっているエルザと、そのエルザの胸に置かれた俺の右手。

 互いに浮かべる、ひきつった笑み。そして次の瞬間。スパーンという景気のいい音が家の中に響いた。

「痛てぇ」

「私の胸を触ったのだから、むしろ役得と思いなさいよキミ」

 ひりひりと痛む頬をさする俺と、じとっとした視線を向けてくるエルザ。

 そんな俺たちの耳をグリードの咆哮がつんざいた。

「っと、こんなことをして遊んでいる場合じゃないわね」

「そうだな……」

 気を取り直して体勢を立て直し、グリードと再度相対する。

「どうするつもりキミ。不用意に近づけば、また強風にやられるだけよ」

「分ってる」

 エルザの言葉に頷き返し、俺は周囲に視線を送った。

 グリードのいる俺の自室へ入るには、目の前にある人一人が通れる出入り口を通るしかない。けど、うかつに近づけばまた強風で吹き飛ばされる。

「せめて、遠距離から攻撃する手段があれば」

 苦虫をかみつぶし、得物である創剣へと視線をやる。

 と、その剣が急にまばゆい光を放ちだした。それと同時に脳内に浮かび上がるイメージ。

「そうか。武器を変えれば」

「どうしたのマモル?」

 そんな俺の様子に首を傾げるエルザ。

 けれど俺は返事をすることなく、ゆっくりと目を閉じた。脳内に浮かび上がったイメージを反映させるために。

創剣変化(そうけんへんか)

 呟きと同時、右手に握っている創剣が光に包まれる。

 その光が消えるよりも前、俺は床を蹴ってもう一度グリードへと向かった。

「だから不用意に近づいたら」

「大丈夫だ」

 悲鳴に近い声を上げるエルザに、短くそれだけ返す。

 俺の再接近を感じ取ったのか、グリードが両翼を大きく後方に反らせる。そしてこの一瞬こそが俺の勝機!

「そこだ!」

 一瞬無防備になっているグリードの両翼に向けて、光に包まれたままの剣を投げ捨てる。それは空を突き進むうちに光が薄れ、匕首ほどの短刀へ。

 グリードが強風を放つ直前、俺の放った匕首がグリードの体に突き刺さった。

 苦しげに呻きながら、グリードの動きが一瞬鈍る。

「この一瞬だけあれば!」

 強く床を蹴り、グリードとの距離を一気に詰める。

 懐に入ったところで胴に刺さっている七首を手に。

「創剣変化」

 光に包まれる匕首。それを、力任せに振り上げる。

「これで終わりだぁぁ!」

 気合一閃、いつもの形状に戻した創剣でグリードの胴を真っ二つに引き裂いた。

 黒い靄となって消えていくグリード。それと同時に家の中の景色も色を取り戻した。

 そして俺はというと――

「な、何とかうまくいった……」

 大きな安堵の息とともに、その場にへたり込んでしまった。

 浮かび上がったイメージを信じて実行した今回だが、もしうまくいかなかったら、あのままグリードに近づくことすらできなかっただろうな。

「お疲れ様、マモル」

「おう。どうにか上手くいったってところだけどな」

 近づいてきたエルザに、笑みを浮かべてそう返す。

 と、興味深そうなエルザの視線が創剣に向いていることにすぐに気が付いた。

「コレのことが気になるのか?」

「え!? いや、まぁ。えぇ」

 一度頷き。

「光に包まれるたびに、その剣は形状を変化させた。どんなマジックなのかな?」

「いや。マジックというか、今まで俺が創剣乱舞のことを誤認していたみたいなんだ」

「誤認?」

「そ。俺の中での創剣乱舞は、剣がどこででも出現して、俺自身が剣の扱いを自然とマスターした状態になっているものだと思っていた。けど違ったんだ」

 それに気づいたのが、俺の中に流れ込んできたイメージ。様々な剣の形状。

「今まで同じ形状の創剣が出現していたのは、俺がその形状でしか創剣をイメージしていなかったからなんだ」

 つまり創剣乱舞の正しい解釈としては、俺の望む剣を具現化し、その扱い方を自然とマスターした状態になることなのだ。

 一通り説明し終えると、驚いたようにエルザは目を丸めた。

「凄いじゃない。それってつまり、状況に合わせて戦い方を選択できるってことでしょ?」

「まぁ、そういうことだな」

 そう口にし、俺は小さく左こぶしを握りしめた。

 前回、階段に現れたグリードと戦った後にエルザにも言われたことだが、戦うごとに創剣乱舞の扱いに慣れていっているのがわかる。

 大丈夫。俺は、確実に強くなってる。



 それは、ある日の日曜早朝。

「ない……」

 寝起き眼でパジャマ姿のままリビングへ向かうと、トランクを開けて愕然としている、制服姿のエルザがいた。

 嫌な余暇がしつつも、恐る恐る近づく。

「おはよ。どうかしたのか?」

「マモル。実は――」

 沈んだ顔のまま俺にトランクの中を見せ。

「服がないの」

「は?」

 目が点になるって、こういう心境のことを言うんだろうな。

 確かにトランクの中には衣服類が一切ない。けど、コイツの私服って何種類か見たことあるけど、どこに消えたというんだ?

 そんな俺の内心を読み取ったのか、エルザは静かに窓際を指差した。

「理由はアレよ」

「あぁ、そういうことね」

 沈痛なエルザの言葉に、俺はようやく合点が行った。

 視線の先にあったもの。それは、窓際で部屋干しされている大量の衣服と、窓の外で降り続いている雨だ。

 ここ数日続いている雨のせいで洗濯した服が乾かず、部屋干しが完了する前に持っている服をすべて洗濯してしまったのか。

 エルザは腕を組み大きく嘆息。

「どうしたものか。このままでは明日から、私は裸族決定よ」

「そ……そうか。それは困ったな」

「キミ。それはそれで、むしろ嬉しいと思っていない?」

 挑発するような流し目を送ってくるエルザ。

 まぁ健全な男子高校生だから、そう思わなかったわけもなく。つまりは図星なわけで。

「そ、そんなことないぞ?」

 自然と俺の返答は半音高い、完全にきょどったものになってしまった。そんな俺の様子を見て、手で口元を覆い、エルザはクスクスと笑い声をあげた。

 けど、さてどうしたものか。

 現状の打開策は三つある。

 裸族生活をしてもらうか、有栖の服を貸すか、だ。

 まず一つ目の裸族生活は色々とダメだ。なんというか、面倒くさいことになるのは目に見えている。

 第二の案は無難だが、現実的ではない。いまだにエルザのことを避けている有栖が、素直に服を貸すとも思えないからな。

 となると、これしかないか。

「なぁ、エルザ。これから少し時間あるか?」

「大丈夫だけど、どうかしたの?」

「その……一緒に洋服買いに行くか?」



「……で、どうしてこうなった?」

 雨が降る道中、傘を差しながら俺は深々と溜息を吐いた。

 そんな俺の内心は気にもせず、同じ傘の中に入っているソイツは、俺の腕に自分の腕をからませてきた。

「決まっているじゃないですか。兄さんが、私を誘ってくれたからですよ」

「あぁ、確かにそうだな。誠に遺憾ながら」

「私、本当にうれしかったです」

 そう言って、ソイツ……有栖は幸せそうに笑った。もっとも、俺は笑みを返すことはできないが。

 ことの発端は、エルザを誘って買い物に出る直前だった。

 二人で家を出るところを有栖に見られ、面倒だから家に置いておこうと思ったんだが、その時に気付いてしまったんだ。

 有栖と母さんを残して外出して、その最中にグリードが現れたらヤバくね、と。

 ということでグリードが現れないよう家にいる人間を減らすため、仕方なく連れてきたのだが……。

「兄さんとデート。楽しみです」

「いや、デートじゃないからな?」

「ふぅん。キミは女の子を買い物に誘っておいて、同時進行で妹とデートするのね」

 傘をさして隣を歩いているエルザから突き刺さる冷たい視線。

 俺自身が被害者なはずなのだが、なぜかいたたまれない気持ちに。

「けど、よかったじゃないか。俺じゃ正直な話、女物の服屋がどこにあるかとか分らないし、案内役ができたと思えば」

「まぁ、それはそうね。非効率に歩き回らなくてよくなったと思えば」

「え、どうして私がこの泥棒猫に店を案内しないといけないんですか?」

 真顔でバッサリ切り捨てた有栖を前に、俺は自分の愚かさを痛感した。

 普段はそんな有栖の態度を気にしたそぶりを見せないエルザだが、さすがに耐えかねたようで。

「ふーん。そう」

 ぴたりと足を止め、氷のように冷やかに、そして静かにそう口にした。

 有栖も足を止めてエルザと向かい合い、まさに一発触発な状態。そんな空気を読み取ってか、周りを歩く人から注がれる視線。

 もしかしなくても、この状況ってグリードが現れた時以上に厄介じゃね?

「おい、二人とも少し落ちつ」

「キミは黙ってて」

「兄さんは黙っていてください!」

 二人から同時に放たれた、有無を言わさぬ圧力。それを前に俺はすごすごと引き下がった。

 バチバチと火花を散らし、そのままにらみ合いが続くこと数秒。

「アンタたち、こんな道中で何やってんのよ」

 突如として俺の背後からかけられた、とても聞きなれた声。

 もしかしてと思い振り返ると、案の定、予想通りの人が――GパンにTシャツという非常にラフな格好の夏葵が額に手をやり嘆息していた。しかも、その隣には愛子さんまで。

「愛子さん。それに夏葵も」

「こんなところで会うなんて奇遇ね……って、あら。その子は?」

 笑みを浮かべていた愛子さんの視線が、未だにらみ合いを続けているエルザへ向けられた。

 そっか。愛子さんはエルザに会うのは初めてだもんな。

「紹介するよ。うちの学校、というか同じクラスに転校してきたエルザ・アーレン。ちなみにうちで居候中」

「なるほど。だから有栖ちゃんもあの調子なのね」

「いい加減にしてほしいですけどね。こっちは落ち着いた生活を望んでるのに」

「あら、賑やかでいいじゃない。ねぇ夏葵」

 笑みを浮かべ、そう口にした愛子さん。けれど、声が届いているのかいないのか、夏葵は全く反応する様子も見せずぼうっとしている。

 そんな夏葵の様子に俺と愛子さんは顔を見合わせ――

「おい、夏葵。変なものでも拾い食いしたのか?」

「アンタじゃないんだから、するはずないでしょ、そんなこと」

 肩に手をかけると、不機嫌そうなそんな返答が。

 よく分らんが、話題を変えた方がよさそうだな。

「ところで二人はどこか行くとこだったのか?」

「うん。チビたちの服とか買いにNOEまで」

「奇遇だな。俺らも、エルザの服買いに行くとこだったんだ」

 ちなみに。NOEとは俺たちの地元から電車で二駅先にある、洋服、食料品、本etc.が揃う四階建ての総合デパートだ。結構な人気で地元民はよく利用している。

「なら、どうせだし一緒に行きましょうか」

「そうですね」

 愛子さんの誘いに、俺は考えるまでもなく首を縦に振った。断る理由もないしな。

 そうと決まれば早い。夏葵の力も借り、有栖たちのにらみ合いをやめさせ、俺たちはNOEへ向かった。

「さて。それでは目的地に着いたわけだが……」

 正面入り口の自動ドアを通過してすぐ、俺は足を止めてそう呟いた。

 エルザ達が足を止めてこっちを振り向いた。

「何? どうしたのよ」

「いやな。一つ提案があるのだが、ここから先、別行動をしないか?」

「私と兄さん。夏葵さんと愛子さんと泥棒猫。この二組に分かれるということですね」

「違うからな妹よ。俺が愛子さんに同行して、夏葵には有栖と一緒にエルザの服を買いに行ってもらうんだ」

「はぁ? 何でアンタが愛子さんと二人きりになるのよ。まさか、よからぬ劣情を……」

「だから違うっての。子供たちの服を買いに行くんだったら、男の俺も行ったほうが好みに合ったもの選べるだろうが」

「なるほど。それも一理あるわね」

 と、意外にも愛子さん本人からの助け舟。

「男の衛が一緒にいたら、その子も買いにくいものがあるかもしれないしね」

 そう言って、エルザに意味深なウインクを送った愛子さん。その視線に気づいたのか、エルザは乾いた笑みを浮かべる。

 そんな二人のやり取りを見ていて何かを察したのか、夏葵は大きく嘆息。

「ま、そういう理由なら一緒に行かせるわけにはいかないわね。かと言って、アーレンさんと有栖を二人きりにもできないし」

 こうして、当初の予定とは変更して、俺は愛子さんと一緒に宿木の子たちの服を買いに行くことになった。

 そして、有栖たちと別行動になって数十分。俺と愛子さんは二階にある子供服売り場にいた。後悔とともに。

「あ、この服いいわね。こっちのも」

 俺の眼前で、嬉々とした様子で服を買い物かごへ次々と放り込んでいる愛子さんの姿。そして俺の両手に、ここに来るまで別の店で買いこんだ子供服が詰め込まれている紙袋の数々。

 なんというか異常事態だった。

 宿木に資金的に余裕がないのは、出身者ということもあり嫌というほど理解できている。そしてそのことを最も理解しているのは愛子さんだ。だというのにこの暴挙は何だ? ここまで大まかに計算しても五万は使用しているはずだ。

「愛子さん。何かありましたか?」

「え、急にどうしたの?」

「いや。だってその買い物の量、絶対いつも通りじゃないっすよ」

 そんな俺の指摘に、愛子さんは買い物かごを見やると困ったような笑みを浮かべた。


「だってもう、宿木なくなるもの。お金をためておいても仕方ないでしょ?」


「なるほど。それは仕方なく……え?」

 頷きかけ、しかし俺は言葉を飲み込んだ。

 ちょっと待て。今さらっととんでもないこと言ってなかったか?

「宿木がなくなるって、ホントなんですか?」

「うん。ホントは、こないだ宿木に来てもらった時に話すつもりだったんだけどね」

 それって、アルバムを見るために学校帰りに立ち寄った時だよな。

「夏葵はアーレンさん達について行って当分戻ってこないだろうし、ちょうどいいか。少し込み入った話だし、場所を移そ」

 その後、会計を済ませた俺たちは一階にあるテナントの喫茶店へ。NOEの通路に面している窓際の席に、向かい合って腰を掛けた。

 店員さんにそれぞれアイスティーとカフェオレを注文し、さっそく俺から口を開いた。

「それで、宿木がなくなるって」

「前に話したわよね。宿木にいる子は、夏葵を含めて三人だけだって」

「えぇ」

「そのうちの二人が実の兄弟でね、今度二人とも出ていくのよ。遠い親戚の方から引き取るって話があってね」

 そう口にし、運ばれてきたアイスティーのグラスの中で、ぐるぐるとストローを回す愛子さん。

「だからまぁ、ちょうどいい機会かなって」

「かなって……。その話、夏葵の奴は知ってるんですか?」

 俺の問いかけに、しかし愛子さんは静かに首を横に振った。

「そのことも関係して、衛に一つ聞いてもらいたいことがあるの」

 そう言って、愛子さんはある考えを伝えてきた。それを俺は黙って聞き――

「喜んで――ううん、認めてくれるかな?」

 最後に、どこか恥ずかしげに愛子さんはそう締めた。

 正直、話の最中俺は口がふさがらない思いだった。愛子さんがここまで夏葵のことを考えてくれているなんて。

「喜ぶと思いますよ。それも凄く」

 夏葵は俺が宿木に来るよりもさらに前、まだ赤ん坊のころに宿木の前に捨てられていたらしい。だからきっと、誰よりも――

「ところでさ、衛。あのエルザって子はコレなの?」

 そう言って、どこか意地悪い笑みを浮かべた愛子さんが左小指をぴんっと立てた。つまりは彼女なのかと聞きたいのだろうが。

「違いますよ」

「あら、そうなの?」

「そうなのって……。どうしてそんな残念そうなんすか?」

 俺のその問いに愛子さんはう~んと唸り。

「親心みたいなものかしら。衛のことで私が心配してるのは、あとそれくらいだから」

「俺って、ずいぶん信用ないんすね」

「あ。そうじゃなくて、あとは彼女でも出来れば衛も普通の幸せを手にすることができるかなと思って」

 優しい声音の言葉に俺は思わず言葉を飲み込んだ。

「目の前で実の両親を殺されて、そのショックで当時の記憶を失って、施設暮らしをすることになって。夏葵もそうだけど、辛い事ばかりだったでしょ。だからそろそろ幸せがやってきてもいいと思ってね」

「愛子さん……」

 辛い事ばかりだった? いや、そんなことはない。

 確かに辛いこともあった。けど、事件前後に関して記憶障害を抱え、完全にふさぎ込んでいた俺を、愛子さんや宿木のみんなが温かく迎えてくれた。伊江のみんなが家族になろうと言ってくれた。

 それはとっても暖かいことで、幸せなことで。

 けどその瞬間、ふっと夏葵の顔が浮かび上がった。

 夏葵は今の自分の境遇をどう思っているのだろか?

 親に捨てられた自分の境遇を。

 その後俺たちは頼んだドリンクを飲みながら、学校や宿木であったことを互いに話しながら時間をつぶし、エルザの服選びに向かっているチームとの約束の時間を待った。

 そしてその時間になる少し前。集合場所である一階エレベーター近くにあるベンチへと向かった。

「あ、兄さん。遅いですよまったく」

 すると、既にそこには有栖とエルザの姿があった。

 ベンチから立ち上がり、俺に向かって手を振る有栖。その横にはエルザとたくさんの買い物袋。

 けれどそこには。

「あれ。二人とも、夏葵は?」

 どうやら愛子さんもおんなじことを考えていたらしい。不思議そうにそう口にした。けれど意外なことに、その言葉に有栖たちも首を傾げた。

「こっちが予想よりも早く見終わったから、兄さんたちの様子を見に行ったけど……会ってないですか?」

「え? いや」

「おかしいわね。彼女がキミ達の様子を見に行って十分近くは経つわよ」

 十分前っていうと、ちょうど喫茶店に入っている時だな。

 携帯電話を取り出し、電話帳で夏葵の番号を呼び出す。と、ちょうどその時だった。まさに今操作していた携帯から着信音が鳴りだし、画面に夏葵の名前と電話番号が表示された。

「兄さん? 誰からです」

「夏葵からだ」

 有栖にそう答え、通話ボタンを押す。

「もしもし、夏葵か? お前どこにいるんだよ」

『うん。ちょっとね』

 どこか沈んだ夏葵のその声音に、俺は眉を動かした。

「どうしたんだ? 様子がおかしいみたいだけど」

『実はあんたたちを呼びに行ったときに体調がおかしくなって。ゴメン、先に宿木戻っちゃった』

「戻っちゃったって……。大丈夫なのか?」

『うん、だから心配しないで。愛子さん達にもそう伝えといて』

「それはまぁ、いいが」

『ん、ゴメン』

 息を吐き、通話を切って携帯をズボンのポケットへ。それから通話の一部始終を見守っていた有栖たちの方へ向き直り伝えた。

「夏葵から連絡。体調が崩れて宿木に戻ったらしい」

「大丈夫なの?」

「本人は大丈夫だから心配するなと――そう伝えてほしいと言ってました」

「そっか」

 ホッと胸を撫で下ろす愛子さん。しかしすぐに俺たちに向かって頭を下げた。

「ゴメン。それでも心配だから先戻るね」

「もちろんです。そうしてください」

 そう伝えると愛子さんはUターンして、その場を後にした。

 愛子さんの後姿を見送った俺たち三人はその姿が見えなくなると顔を合わせ。

「さて、当初の目的であるエルザの洋服も買ったようだし、俺たちも帰るか」

「そうですね兄さん」

 俺の提案に有栖が頷き、二人そろって歩き出す。と、エルザがその場で立ち止まっていることにようやく気付いた。

「どうしたエルザ」

「ちょっと寄りたいところあるから先帰っててもらっていいかな?」

「いいけど……」

「夕飯は家で食べるから」

 妙にうきうきした調子でそう告げてきたエルザは、足取りも軽くその場を後にした。その後ろ姿を見送った俺と有栖は、愛子さんの時と同じように顔を見合わせた。

「ねぇ、兄さん」

「どうした我が妹よ」

「とりあえず帰ろっか」

「あぁ。そうだな」

 そして、エルザの購入した服を手に俺たちは家へと帰宅した。


 この時、俺は気付いていなかった。物語が大きく動いていることに。

 


 朝。目を覚ました俺はカーテンを開け、勉強机の上に置いてある写真立てに目をやった。そしてその視線をカレンダーへと移す。

「もう、十年になるんだよな……」

 ポツリと零した呟きは、朝日に溶けて消えた。



 登校途中のことだ。

「ところでエルザ。昨日はどうしたんだ?」

「え、何がかな?」

 先を歩くエルザが、俺の言葉に足を止めて振り返った。

「NOEからの帰り道だよ。寄る所があるって、別行動とったろ」

「ん? あぁ、そうね」

「問いただすわけじゃないけど、どこ行ってたんだ?」

「そうよそうよ」

 さっきからなぜか俺の腕を掴んで離さない有栖も、開いている左手を突き上げて同調してきた。

 それにしても、愚妹のことは置いておいて、昨日のエルザの行動は普通に考えておかしいよな。前からこの近辺に暮らしていたならまだしも、エルザは引っ越してきたばかりなんだ。それも外国から。それなのにどこに寄るっていうんだ?

 俺がそんなことを考えていると、こちらを振り向いていたエルザが、その体勢のまま後ろ向きで歩き出した。

「おばあちゃんのお墓参りに行ってたんだ」

「おばあ――え?」

 思わず俺は目が点になった。隣ではあまりの不意打ちで有栖もおとなしくなってるし。

 しかし、そんな俺たちの態度に今度はエルザが戸惑いを覚えたようだ。

「え、アレ? もしかしなくても言ってなかったっけ? クウォーターだってこと」

「いやいや。聞いてねぇから。おばあさん日本人なの?」

「えぇ。その通り」

「いや、その通りって。ん?」

 言いかけ、前方に宿木が見えてきたところで俺は足を止めた。宿木の前に本来待っているはずの夏葵とは全くの別人がいたのだから。

 駆け寄り、宿木の正面門の前にたたずんでいたその人――愛子さんに声をかけた。

「おはようございます愛子さん。あの、夏葵は?」

「えっとね……」

 俺の問いかけに、しかし愛子さんは顔に影を落とした。

「実は、体調が悪いって昨日から部屋にこもったままなの」

「体調が?」

 返し、俺の脳裏には昨日の電話口から聞こえてきた夏葵の声が蘇った。

 あの電話の時にはそこまで体調が悪そうには感じなかったけど……。というか、宿木で一緒に生活していた時から、夏葵がそこまで体調崩したことってないよな?

 愛子さんほどじゃないが、確かに心配ではあるな。

「高熱があるとかじゃないから大丈夫だとは思うけど」

「でも心配ですね」

 二人して黙り込んでしまう。

 そんな重苦しい空気の中、あとから追いかけてきていた有栖たちがようやく追いついた。

「兄さん。どうしたんです?」

「あぁ、それが」

 首を傾げた有栖たちに、夏葵の体調が昨日からまだ芳しくないことを伝えた。すると、有栖の顔がどんどん沈んでいく。

「そっか。心配だね……」

「あぁ。そうなん――何だと!?」

 有栖の口から夏葵を気遣う言葉が紡がれた瞬間、俺たち全員はギョッと目を剥いた。

「あの有栖が、他の女子のことを気遣うだと?」

「いつもの私への態度から察するに、ここは――病気? そのまま寝込んでてくれないかしら? と言うべきよ」

「有栖ちゃん、ありがとね。あの子が聞いたらきっと泣いて喜ぶわ」

「あの、皆さん私のことをどう認識してくださっているのでしょうか?」

 なぜだか有栖が口元を引くつかせている。はてさて、気に障ることでもあったのか?

 そんな空気の中、愛子さんがふっと一息。

「ま、そういうことだからあなた達は学校行きなさい。いつまでもここにいたら遅刻するでしょ?」

「分りました。けど、帰りに見舞いに来させてもらってもいいですよね?」

「えぇ。あの子も喜ぶと思うわ」

 結局あとで見舞いに行くという約束だけして別れ、俺たちはそのまま学校へと向かった。

 そして放課後。

「キミ。授業も終わったし、早く見舞いを済まして帰ろう」

 帰りのHRが終了するのと同時、席を立ったエルザが俺の元までやって来た。

 その誘いに合わせて、俺も鞄を手に取り立ち上がる。しかし、その誘いに俺は首を縦に降れないが。

「悪い。ちょっと寄る所があるからさ」

「そうなの?」

「あぁ。だから先に帰って――ってのはマズいから、適当に時間つぶしててくれ。用が終わったらメールするから。それから見舞いに行こう」

 俺のその言葉に、不思議そうな顔をしたもののエルザは頷いた。

 そうしてエルザと別れた俺は、教室を出て、学校近くにある駅へ。普段の通学が徒歩である俺が定期券を持っているはずもなく券売機で乗車券を購入。

 目指すは二つ先の駅にある――親父たちの墓だ。

 


「雨か――」

 親父たちの眠る墓地の最寄駅。電車から降りた俺は、頬に伝う滴を感じて空を見上げた。するとやはりポツポツとだが降り始めている。

「雲はそこまで出てないが、仕方ねぇか」

 濡れて風邪をひいてもくだらないし、諦めて駅前のコンビニでビニール傘を買うことに。購入後、さっそくその透明な傘をさして徒歩十分ほどで着く墓地へと向かう。

 途中の花屋で献花を買い、俺は墓地に到着した。と言っても、墓地へ入るには隣接している寺から向かわなければいけないが。

 寺の門をくぐり、迷路のようになっている墓地を進む。そしてある小さな墓石の前で足を止めた。

「よ、二人とも。遅くなった」

 その墓石には“柊家の墓”の文字。

 柊。それは、伊江の家に迎え入れられるまでの俺の旧姓。

今日は親父たちの命日だ。

「しかし参ったぜ。こっち来たとたん雨降るんだもん」

 愚痴りながらも花を取り換える。線香は雨降っているしあげないでおくか。

 墓前で腰を落とし、両手を合わせて近況報告。そして。

「悪いな、結局今年も進展なしだ」

 毎年恒例となった進展報告。

 十年前のちょうどこの日、親父たちは俺の目の前で殺された。いや。というよりは死んでいた。事件前後の俺の記憶があいまいで、正確には気付いたら俺の目の前で死んでいたんだ。医者の話では、あまりのショックに記憶が混乱しているのでは――という話だったが。

 結果として、事件自体はお蔵入り。というのも遺体の状況が奇妙だったせいだ。

 警察から聞いた話なのだが、親父たちの遺体には、まるで凶暴な熊に襲われたような傷が大量にあっったらしい。そしてそれが死因となった。

 けれど妙なのだ。俺がもともと住んでいた場所の近くに山などはなく、熊でなくとも野生生物が生息していたとは考えにくかったのだ。だからこそ、当時は新聞にも載って結構話題になった。

 それこそ、人の目に見えない獣でもいなければ不可――

「って、ちょっと待て!」

 頭の中に突如として浮かび上がった一つの可能性。

『グリードは幸せがある場所に現れ続け、徹底的に破壊する』

 これは、初めて会った日にエルザが俺に言った言葉だ。

 確かに、子供ながらに親父たちが生きていたころは幸せだった。そして二人が死んで、一時期俺は不幸のどん底まで落ちた。

 つまり――

「グリードなのか? 親父たちを殺したのは」

 それならば納得がいく。というより、なぜ今までそのことに気付かなかった?

 けど何だろうこの感じ。チクリと、魚の小骨がのどに引っかかっているような違和感。何か大切なことを忘れている気が……。

 と、その時だ。携帯電話のアラームがけたたましく鳴り響いた。

 ポケットから携帯を取り出し、ディスプレイを確認。

「……愛子さん?」

 その名前に首を傾げながら、通話ボタンを押す。

「もしも」

「衛!? 夏葵と一緒じゃないわよね?」

 通話ボタンを押したのとほぼ同時に飛んできた、余裕のない、切羽詰まったような声。

 突然なことに目が白黒する。

「えっと……何かあったんですか?」

「いないのよ!」

「――え?」

「ついさっきまで部屋にいたはずなのに、夏葵がどこにもいないの!」

 さっきまで小雨だった雨が、急に本降りになった。



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