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高校生ときどき自宅警備員  作者: 高町 湊
2/7

正義の味方は自宅警備員

 俺は、これが夢だということにすぐに気付いた。

 俺が八年間過ごした児童養護施設の玄関前。皺が刻まれた白髪の女性と並んでいる当時の俺の正面には三十代後半ぐらいの一組の男女。

 髪の長い女性が優しげな笑みを浮かべ、

「君が衛君?」

「あ、はい」

 問いかけにこくりとうなずき返す俺。

 そんな俺にもう一人、眼鏡をかけた男の人は中腰になり手を差し伸べてくれた。



「突然で驚くかもしれないけど、僕たちの家族にならないかい?」


 

 カーテンの隙間から朝日が差し込む自室。

 懐かしい夢を見て目を覚ました俺の顔の正面には、一人の少女の顔がアップで映っていた。それも、いわゆるキス顔というやつで。

 いやね。健全な高校生男子としましては目を覚ましたら女の子にキスされそうになっているとか、憧れシチュエーションすぎるわけですよ。

 ただし、相手が妹じゃなければ。

「兄さんの寝起きの唇いただき――」

「おいコラ待て、有栖」

 唇同士が触れ合う直前、俺は間に手を差し入れて少女――有栖を押しのけた。上体を起こし、我が変態なる妹を冷えた視線で見つめる。

 そんな視線に気づいたのか、有栖は澄んだ笑みを浮かべた。

「あら。おはようございます兄さん」

「いや。今更常識人ぶっても遅いからな」

「常識人ぶるって、何のこと言っているんですか?」

 不思議そうにキョトンと首をかしげる有栖。あくまで数秒前のことをなかったことにしたいらしい。

 しかし、改めて見るとうちの妹のなんて残念なことか。

 黒く艶やかな髪と、眼鏡の奥の黒曜石を思わせる澄んだ瞳。そして女子にしては長身で、出るところはしっかりと出ている体躯。

兄としてのひいき目なしに、モデルのような体形だと思う。肝心の中身は、寝ている兄の唇を襲おうとする変態だが。

どこでこんなブラコンになったんだろう……。

「で、有栖。何の用だよ」

「母さんから伝言。朝ごはんできたから降りてきてって」

「了解」

 有栖の言葉にうなずき返し、ベッドから降りる。

 と、そこで俺はある異変に気付いた。有栖がその場から動かないのだ。

「有栖、どうかしたのか?」

「いや。えっと……」

 苦笑いを浮かべている有栖の視線は、ある一点に固定されていた。

 その視線の先を追っていくと、壁掛け時計に行き着いた。八時二十分を指している時計にな。ちなみに、遅刻しないためには八時半には家を出ないといけない。

 …………ヤバくね?

「なぁ。母さんが俺を呼んでくるように言ったのって、何時ごろだ?」

「えっと、七時半ごろですね」

「この五十分間、おまえは何してたんだろうな!」

 自慢じゃないが、今日はたまたま寝坊しただけで俺の寝起きはいいほうだ。起こされても五十分も目を覚まさないことなんてまずないはずだ。

 つまり――

「べ、別に兄さんの寝顔をずっと眺めていたわけでは」

「うん。俺、まだ何も言っていないからな」

 頬を染めてもじもじとしている有栖に嘆息。

 その後、有栖を部屋から追い出し制服に着替えた。そして鞄を手に階段を下り、一回にあるリビングへ。

 扉を開けると、正面にあるテーブルでは父さんと母さんが朝食の最中だった。

「おう、衛。朝から有栖とイチャイチャしていたようだな。この色男め」

 俺のことに気付いた父さんが、眼鏡の奥の目を無邪気に輝かせる。と、母さんもフォークを皿の上に置き、口元を手で押さえた。

「お父さん。孫を見る日も、そう遠くないかもしれないわね」

「はっはっは。そうだな。あの巨乳は俺の目から見ても実にけしからん。そいつを自由にできるなんて、父さんジェラシーを感じちゃ――おい母さん。フォークは人に向けて投げるものじゃないぞ?」

「あらお父さん。何を言っているのかしら? 手が滑っただけですよ」

「おうそうだったか」

 二人してハッハッハ! と笑い声をあげる両親。ちなみに父さんの背後の壁には、フォークが深々と突き刺さっていた。

 だめだ、この二人なんとかしないと……。

「兄さん? 早くしないとホントに遅刻ですよ」

 俺が頭を抱えると、リビングの外から有栖の声が。そういえば遅刻しそうだったんだ。

「ごめん、間に合わないからトーストだけもらってく」

「はい。行ってらっしゃい」

 テーブルの上にあったトーストを咥え、リビングを後に。玄関へ向かうと、靴を履きかえたブレザー姿の有栖が戸に背を預けていた。

「悪い、待たせたな」

「大丈夫です。それより急ぎましょう」

「あぁ、そうだな」

 二人して家を後に。

 ここから学校までは徒歩で十分少々。有栖が半歩後ろからついてくる。が、俺たちが向かっているのは学校ではない。

 しばらく歩き、前方に見えてきた目的地。

 庭に植えられたヒマワリが太陽に向けて花を咲かせている、一階建ての建物。児童養護施設『宿木(やどりぎ)』だ。

 と、そんな児童養護施設の門の前に一つの人影が。

 有栖と同じ制服に身を包み、ボブカットで、その瞳の輝きは本人の活発さをよく表している。あと本人に言うと百パーセント殺されるが、まな板のようなぺったんこな胸がトレードマーク。

 我が幼馴染、(くるる)()(なつ)()だ。

「おーっす、夏葵。おは」

「どんだけ待たせば気が済むのよ!」

 俺が手をあげて挨拶をしようとした瞬間、夏葵のとび蹴りが放たれた。

 間一髪で回避したからよかったものの、昨年度女子柔道インハイ出場選手のとび蹴りなんぞ、受けたらひとたまりもないだろうな。

「おい夏葵! いきなり何するんだ、あぶねぇじゃないか!」

「うっさいわね! 来るのが遅いあんたが悪い。どうせ有栖と朝からイチャイチャしてたんでしょ」

 しゅたっと着地した夏葵は腰に手をやり、俺をにらんできた。

 対して、俺は完全にうんざりだ。

「いやさ。だからどうしてそういう考えが生まれてくるのかな? そんなことあるはず」

「イチャイチャしていたことの、どこが悪いというんですか?」

「うん。有栖ごめん。少し黙ってろ?」

 なぜか夏葵に真正面から挑みかかろうとした愚妹の頭を押さえる。人がせっかく誤解を解こうとしていたのに、この妹様は何を考えているんだ?

 有栖をどうにか黙らせ、もう一度夏葵と向き合う。

「寝坊したのはホント謝る。母さんたちも、どうして有栖に起こすよう頼んだか知らんが」

「ふ~ん。そう」

 俺の弁明にどこか不機嫌そうな夏葵。

 そのことに訝しんでいると、ぱんぱんっと手をたたく音が聞こえた。有栖だ。

「お二人とも、いい加減出ないとホントに遅刻になりますよ」

「それもそうだな」

 頷き、学校へ向かおうと反転。と、その時だ。

「っと、すいません」

ちょうど対面からやってきた女の人とぶつかりかけた。 

肌白で、腰のあたりまで金色の髪を伸ばしたドイツあたりの人っぽい感じだ。

って……外人さん?

「あ、えっと」

 日本語なんて通じないよな。ごめんなさいって、英語でなんて言うんだっけ?

 突然なことに俺が動揺していると、相手の女性はくすっと笑い声を漏らした。

「大丈夫よ。直前でちゃんとよけてくれたから」

「あれ、日本語?」

 日本語で返されたことに俺が目を丸めていると、女性はもう一度笑みを浮かべ、俺の脇を通り抜けた。

 と同時。ほんの、それこそ一秒に満たない時間だが……。

「ちょっと衛。早くしなさいよ」

「兄さん。何鼻の下伸ばしているんですか」

 前方から険を孕んだ声。視線をやると、なぜか夏葵たちが不機嫌そうにしていた。

 頭を振り、胸の中にくすぶっていた言いようのない違和感を抑え込み、俺は二人の元へ駆け寄った。

 けれど……。

「すまん今行く」

 駆けながら、ふと振り返る。

 すると、女性の姿はどこにもなかった。



 学校に到着し、有栖と別れて教室に移動中。隣を歩く夏葵が不意に足を止め、ポンッと手をたたいた。

「そだ、ひとつ言い忘れたことがあったんだ」

「どうしたんだよ急に」

愛子(あいこ)さんに伝言頼まれてたのよ」

「伝言?」

「帰りでいいから、宿木によってほしいんだって」

 言われ、俺は首をかしげた。

 別に帰り道だし、何よりも宿木は俺にとってもう一つの家のようなものだ。立ち寄れと言われて断る理由はない。

 ちなみに、愛子さんとは宿木の管理者のことだ。

「昔のアルバム見つかったから、一緒に見たいそうよ。でも、確かに珍しいかもね」

「そうだよな……って、よく俺の考えてることわかったな!」

 ここが廊下だということも忘れ、思わず大声をあげてしまった。

 周りから集まる視線に思わず声のボリュームを落とす。

「お前、読心術かなんかしてんじゃねぇだろうな」

「まっさか。そんなことしなくても、衛の考えていることなんて筒抜けなんだから」

 そう言って、夏葵はフフンとドヤ顔を浮かべた。

 けど妙だな。アルバムを一緒に見たいだけで、あの愛子さんが俺を呼ぶか?

そんなことを考えていたら俺たちは自分の教室、二年B組へと到着した。

「はよっす」

「みんなおはよ~」

 クラスメイト達にあいさつをし、それぞれの席へ。俺は窓際最後尾。夏葵は窓際から二列目、前から三番目の席だ。

「よ、今日も仲良く登校とはラブラブだね」

 着席と同時。前の席に座っていた男子生徒が振り向き、にやにやとした笑みを向けてきた。

 自然とため息がこぼれる。

「何度も言うが、俺と夏葵はただの幼馴染だっての」

「羨ましいねぇ。あの枢木相手にただの幼馴染って言えるなんて」

「どういう意味だよ」

「どういうって、なぁ?」

 意味深にそう口にすると、男子生徒の視線が移動した。

 その視線の先を見ると、自分の席で友人と談笑している夏葵の姿が。

「コロコロ笑うところとか、飾り気のない性格とかがかわいいって、結構男子に人気があるの知ってるだろ」

「そりゃぁ」

 思わず言いよどむ。夏葵が何度か男子に告白されているのを知っているからだ。

 確かに、客観的に見れば告白する奴らの気持ちもわからなくはない。

 もっとも、幼稚園に通っていたころから七年間もおんなじ場所で生活していたんだ。もはや家族と、もう一人の妹と言ってもいいぐらいになってる。同い年の女子として認識するのは難しいレベルだ。

 と、俺がそんなことを考えていると教室前方のドアが開いて担任が姿を現した。

 席を離れて自由時間を楽しんでいたクラスメイト達が次々と席に戻っていく。

「ま、つまりだ。幼馴染だと思って安心していると、手の届かない存在になっちまうってことだ」

 前の席の男子生徒も、二ヒヒと笑みを浮かべ前を向いた。

 ったく、何が手の届かない存在に……。

 俺がそう悪態をついた時だ。視線の先、夏葵がこちらに振り向いたかと思うとひらひらと手を振ってきた。

 そして、担任の投げたチョークが後頭部に直撃した。

「何やってんだあのバカは……」



 各授業も無事完了した放課後。

 帰りのHRも終了し、担任も職員室へと戻っていった教室。帰りの準備をしていたら、鞄を手に持った夏葵が俺の席へやってきた。

「衛、早く帰ろ」

「おう今行く」

 鞄を手にし、クラスメイトに挨拶しながら夏葵と二人教室を後に。昇降口へと向かう。

「そいや、お前今日部活は?」

「休みよ。他の部活が使用していて道場使えないからね」

「そっか。にしても、宿木によるのも久しぶりだな」

「そうだよね。愛子さんも言ってたよ。たまには顔を出すよう伝えてって」

「うぐ……」

 何となく呟いたが、まさか藪蛇だったとは。

 前に愛子さんに会ったのは高校入学の報告の時だから、かれこれ一年以上あってないことになるか。

「悪かった。だから、今日はこうして向かってるだろ」

「まぁ、愛子さんも衛の顔が見れたら満足するだろうからいいけど」

 二人でそんなことを言っていると、昇降口に到着した。靴に履き替え校舎の外へ。そのまま校門をくぐり校外へ出た。ここから自宅までは徒歩で十分ちょっと。宿木はその途中にある。

 二人で移動中、公園の前で不意に夏葵が足を止めた。

 不審に思い振り返ると、彼女の視線は公園へと注がれていた。

「夏葵?」

 呼びかけても返事はなし。いつも前を通る公園だから、注視するようなものはないはずだが。

 そう思い俺も公園へ視線を向けるが、小さい子供が親と遊んでいるだけで、他に変わったことはない。

「おい夏葵。急に止まってどうしたんだ?」

「……」

「お~い、夏葵さん」

「……」

「お~い、貧にゅ」

「誰が貧乳かぁ!」

 今まで全く反応なかったのがウソのように、裂帛の叫びとともに、夏葵の回し蹴りが俺の脇腹にクリーンヒットした。

「ねぇ衛。あんまりふざけたことぬかすと殴るわよ」

「それ、既に回し蹴りはなった人間が言うことじゃねぇだろ」

「え、何か言った?」

 そう口にし、にっこりと笑みを浮かべる夏葵。なんだか釈然としないが、いつもの調子に戻ったんだから結果オーライ――だよな?

 無理やりそう思うことにし、膝に手をやり立ち上がる。

「にしても、どうしたんだよ。急に立ち止まって」

「え? ん、あの」

 いつも明朗快活な夏葵にしては珍しい歯切れの悪さ。言いよどみ、ちらっとまた公園のほうに視線を向けた。

 と、俺が我が幼馴染の様子に首をかしげているときだった。

「あなたたち、こんなところで何しているの?」

 俺の耳に届いた懐かしい女性の声。

 声のしたほうに顔を向けると、二十代後半のショートヘアの女性がエコバックらしきものを手にしていた。

「お久しぶりです……愛子さん」

「えぇ、衛」

 小さく頭を下げた俺に女性――宿木の管理者たる斉藤(さいとう)愛子(あいこ)は微笑を浮かべた。それはもう、見る者の背筋を震え上がらせるほどの。

「あ、愛子さん。いつからそこに」

 対して顔をひきつらせて怯えた様子の夏葵。

 そんな夏葵に愛子さんはゆっくりと告げる。

「夏葵」

「は、はい」

「公衆の面前で回し蹴りなんて、女の子としてどうなのかしら」

「面目ないです」

 それだけ口にし、夏葵は申し訳なさそうにうなだれた。飼い主に叱られている子犬みたいだな。

 数秒後、嘆息とともに口元に苦笑を浮かべた愛子さんは腰に手をやった。

「まぁいいわ。それより二人で一緒にいるってことは、夏葵、誘っておいてくれたのね」

 尋ねるように亜子へ視線を送る愛子さん。夏葵もぶんぶんと首を振って頷いているし、今朝のことを言っているんだろうな。

 たまには宿木に顔を出せっていう。

「ちょうど今から顔を出そうとしていたとこですよ」

「そう。ならよかったわ」

 俺の言葉に愛子さんはにっこりと笑みを浮かべた。

 さっきとは違い、恐怖心なんて微塵も感じさせない暖かな笑みを。



 公園前で愛子さんと再会し、数分後。

「本当に懐かしいわね。ここにあなたがいるなんて」

 フローリングの部屋。広さは二十畳ほど。中央には俺が座っているテーブルがあり、脇には本棚がいくつか。そして部屋の壁に掛けられているコルクボードに貼られている無数の写真。

 宿木の読書室だ。

 現在俺は、テーブルを挟むように愛子さんと向かい合って座っている。ちなみに夏葵は飲み物の用意中だ。

 俺の対面の席に腰を下ろした愛子さんが懐かしそうに目を細めた。

「あんたがここを出て行って、もう結構立つのよね」

「そうですね」

 頷き、俺はコルクに貼られている写真に目をやった。

 その写真に写っているのは、この宿木と何人もの子供たち。その中には、無愛想な顔をしている幼いころの俺や夏葵の姿もある。

「あの頃は賑やかだったわね。私も母さんからここを引き継いだばかりで、子供たちも十人以上いてね」

「そうで――って、あれ?」

 唐突に、俺はある違和感に気付いた。

 建物の中がやけに静かすぎないか? 四時を回っているし、もうすでに何人かは帰ってきていてもおかしくないはずだ。それなのにこの静けさは。

 首をかしげていると、そんな俺の疑問に気付いたのか、

「もうここに残っているの、夏葵を含めて三人だけなのよ」

 愛子さんがそう説明してくれた。

 けど、三人だけって……。

「どうしてそんな。昔は十人以上」

 そこから先を口にしようとしたところで、困ったような笑みを浮かべた愛子さんに、人差し指を唇に当てられた。

「出来ることなら、親と暮らすことが一番だと思わない?」

「それは……」

 そこまで言われ、俺はようやく理解することができた。

 俺と同じように、みんなこの場所から巣立っていったんだ。昔の孤児院と違い、最近は、親と一時的に一緒に暮らせなくなった子もこういう施設に来るからな。

「衛が出てってから一年後くらいからかな? 孤児じゃなくて、親と一緒に暮らせない子供たちのもとへ、何件か親類から迎えが来てね」

「そうなんすか」

 子供たちが家族と一緒に暮らせるようになったというのに、どこか寂しげに眉を伏せている愛子さん。

 それが子供たちにとって一番いいんだろうけど、やっぱ割り切れないよな。

 ま、ここから出てった俺が言えたことじゃないけど。

「ところで“本当は”何の用ですか? 夏葵からは、アルバムが見つかったから一緒に見たいって言われてきましたけど……嘘ですよね?」

「あれ、バレてた?」

「当たり前っすよ。愛子さんですよ、俺がここを出ていくときに『伊江さん達があんたの新しい家族になるんだから、めったなことがなければ戻ってくるな』って言ったの」

 当時はどうしてそんなことを言い出したのか理解できなかったけど、今なら理解できる。未練を絶つっていうか、俺の心が宿木からちゃんと独り立ちできるように。そう考えてくれていたんだよな。

 だからこそ違和感がある。アルバムを見る程度で、俺を呼び戻すなんて。

 しっかりと愛子さんの瞳を見返す。すると愛子さんは重い息を吐き――

「実はね」

 そう、口にしかけた時だった。

「二人ともお待たせ~」

 部屋のドアが開き、陽気な声とともにトレイを持った夏葵が戻ってきた。

「いや~。衛が使ってたマグカップがなかなか見つからなくてさ」

 嘆息気味にぼやきつつも、トレイに載っていたマグカップを俺たちの前に置き、俺の隣に着席。

「まだ残ってたんだな」

「衛のだけじゃなくて、他の子たちのも残してあるのよ」

 感嘆の声をあげる俺に、愛子さんがそう説明してくれた。

 って、そういえば。

「愛子さん、さっき何か言いかけてませんでしたっけ?」

「ううん。なんでもないの」

「え、でも」

「そんなことより、さっそくアルバム見ましょうよ。持ってくるから待ってて」

 まるで無理やりにでも話を終わらせるように席を立ち、愛子さんは部屋を後にした。

 残された俺と夏葵が顔を見合わせていると、数分し、一冊のアルバムを手にした愛子さんが戻ってきた。

 その後俺たちは三人でアルバムを眺め、午後六時を迎えたころ、俺は宿木の玄関にいた。

「今日は久しぶりに話ができて楽しかったわ」

「俺もっすよ。昔に戻ったみたいで」

帰り支度をし、見送りに来てくれた愛子さんに頭を下げる。

その横で夏葵は不機嫌そうに頬を膨らませ。

「今日ぐらい夕飯食べてけばいいのに」

「夕飯か……」

 夏葵の誘いを受けるかどうか逡巡した瞬間だった。俺のポケットからメール受信を知らせる着うたが鳴り響いたのは。

「どうしたの。メール?」

「みたいですね」

 愛子さんにうなずき返して、ポケットから携帯を取り出して差出人を確認。

「母さんからか」

 何かあったのだろうかと、不審に思いながらメール内容を確認し――俺は首を傾げた。

『宿木で夕飯呼ばれるのはいいけど、今夜はすき焼きよ』

 ……え? 何どゆこと?

 仮に俺が誰かの家によるなりして、夕飯を食べてくるかもしれないと予想するのは不思議じゃない。けど、寄り道先が宿木だってどうして分るんだ? ここ一年余り顔を出していなかったのに。

 と。またしても着信音。

『PS。どうして宿木にいるか分かったかというのは親の愛……と言いたいけど、有栖が教えてくれたの。さしずめ妹の愛ね』

「有栖の仕業か!」

 思わず絶叫していた。

 アイツにも宿木行くこと言っていないのに、どうして知っているんだ? でも有栖なら知っていても不思議ではないと思ってしまうこの感覚!

 尾行かあるいは盗聴の類か。

 そんなことを考えていると、笑い声が漏れ聞こえてきた。

 見ると、夏葵と愛子さんが顔を見合わせて笑いを押し殺していた。

「え、何か変なことでも?」

「ううん。そんなことないわよ。ただ変わったなと思って」

「変わったって、誰が」

「アンタがよ」

 二人の言葉を前に、自分の両手を見つめる。

 変わったなんて言われても、いつも通り見慣れた両手だ。足に視線をやっても、顔を両手で触ってみても感触は同じ。

 変化は特にないように感じるけど……。

「馬鹿ね。見た目のことじゃないわよ」

「感情を表に出すようになったじゃない。少なくとも、私の知る衛は人前で叫んだりしなかったわ」

「それは――」

 たまらず俺は閉口し、談話室の写真で見た昔の自分の姿を思い返した。

 確かに二人の言うとおりだ。昔の俺は――俺を産んでくれた両親が『あの事件』で死んでからの俺は、何も感じることができない人間だった。

 どうして自分だけが生きているのか……。

 一緒に死ねばよかったのに……。

 考えるのは、ただそんなことばかり。

 凍りつけになった心。けど、この宿木で過ごすうちに少しずつ溶け始め……伊江の家に引き取られて氷解した。

 伊江の家での騒がしい日々が、俺の心を取り戻してくれた。

「伊江のご両親のこと、大切にしなさいよ」

「分ってますよ」

 ニヤニヤと悪戯っぽい笑みを向けてくる愛子さんから顔をそむけ、ボソッと返す。

 そのまま反転。戸をあけて俺は宿木を後にした。

 外に出ると日は傾きかけ、肌寒さを感じるほど。

 街灯に照らされた夜道を歩きながら、ふとあることを思い出した。愛子さんが俺を呼び出した理由がわからずじまいだったけど、何の用だったんだろうか。

「ま。急用だったら、またコンタクトとってくるか」

 日の落ちかけた道を一人とぼとぼと歩くこと数分。自宅へと到着した俺は、門を開けて玄関前へ。

 戸に手をかけ――ようとして、不意に襲いかかってきた違和感に手を止めた。

 言いようのない、けれど確かな違和感。

 胸騒ぎを覚え、勢いよく戸を開ける。そして違和感は異変へと変化した。

「何だよこれ!」

 戸を開けた先。俺の目に飛び込んできたのは、我が家の玄関だった。もっとも、背景というか空間そのものが灰色に染まっていたが。

 心臓の鼓動が警鐘のように速くなる。

 そして脳内にフラッシュバックされる『あの事件』の終わり。

「――っく! 何なんだよ!」

 吐き捨て、土足のまま玄関から上がる。

「父さん! 母さん! 有栖!」

 名前を呼びながら、一室ずつしらみつぶしに捜していく。

 おかしい。玄関の鍵はかかっていなかっから、誰か一人は家にいるはずだ。なのに返事がないなんて。

 焦燥にかられながら、リビングの戸をあけ放ち室内を見渡す。

 ――いた!

 リビングに併設されているキッチンで、母さんが夕飯の支度をしていた。けれどどこか様子が変だ。まるで一時停止ボタンでも押されたかのように、食器棚から皿を取ろうとしたままピクリとも動かない。

 リビングに一歩足を踏み込む。

 と、その時だ。

「危ない! しゃがんで!」

 耳に届いた絹を裂くような叫び声。その声に従い、その場でしゃがむ。すると俺の頭上を何かが通り過ぎた。

 何だ今の。

 体勢を立て直し、その何かが向かったほうに視線を向ける。

 そこにいたのは一匹の犬……のようなもの。口元からのぞいている獰猛な牙に、鋭い爪。そして大の大人ほどありそうな巨体。明らかに普通の犬とは違う。

「君、大丈夫?」

 目の前の相手に気を取られ過ぎていたのだろうか。声をかけられるまで、隣に一人の女性が並んでいることに気が付かなかった・

 そして、その女性を見て俺は目を丸くした。

「アンタは……」

「また会ったね」

 金髪碧眼で髪を腰のあたりまで伸ばした少女は、ニッコリと笑みを浮かべ、日本人離れしたその顔立ちからは想像できない流暢な日本語を口にした。

 やっぱり間違いない。この人、学校へ行くときにぶつかりそうになった人だ。

 でも、どうして……。

「どうして私がここにいるのかって、聞きたそうな顔ね」

「それは」

 内心を見透かされ口ごもる。

 そんな時だ。巨大な犬が威嚇の咆哮をあげた。

「どうやら、しゃべっている時間はなさそうね」

 まるでその言葉が合図だったかのように、巨大な犬が俺たちの方へと突進してきた。

 そんな俺の前に、金髪少女が躍り出る。

「大丈夫。じっとしてて」

 巨大な犬の突進を、金髪少女が体の前で腕を交差させて受け止める。けれどそれも一瞬。軽々と吹き飛ばされた――それも、俺の方へ向けて。

 抱きかかえるようにして金髪少女を受け止める。が、勢いを殺しきれない。二人そろって仰向けに倒れてしまった。

「っ。すまん、大丈」

 大丈夫か。そう声をかけようとして、俺は口をつぐんだ。

 俺の腕の中にある金髪少女の体を近くで見て、ようやく気付いたのだ。その腕や肩に、無数の傷があることに。

 今の一瞬でできた傷だとは思えない。それじゃあ、俺が家に戻ってくる前から、この人はあの巨大な犬みたいな化け物と戦って?

「ごめんね。そろそろ離してくれるかな」

「あっ、すまん。」

 抱きかかえていた両手を離し、金髪少女がその場で立ち上がろうとする。けれど。

「痛っ」

 短い声をあげ、左足首を押さえて蹲ってしまった。

「おい。もしかしてどこか痛めたのか?」

「うん。ちょっと捻ったみたい。けどそれより」

 力なく頷いた金髪少女の視線が、前方、巨大な犬へと向かった。

 幸いというべきか、犬がすぐさま俺たちに襲い掛かってくる様子はない。その巨大な口から舌をだし、俺たちの様子を眺めている。が、金髪少女が動けないと気付いたのか。

「マジかよ」

 こともあろうか、犬はキッチンにいる母さんの方へと顔を向けたのだ。そしてのっそりとした足取りで向かう。

「逃げろ、母さん!」

 声を張り上げるが、母さんの耳には届いていないのか動く気配がない。

 脳内にフラッシュバックされる『あの事件』の風景。血の沼に倒れているオヤジたちの姿。

 また、俺は失うのか?

 あの時と同じように、目の前で家族を奪われるのか?

「……嫌だ」

 ドクン、と胸で鼓動がした。

 何だこの感じ。鼓動がどんどん強くなるのに合わせて、暖かなものも胸の中からあふれてくる。けれどそれは不思議と嫌な感じはしなくて。

「このままじゃまた目の前で殺されるわよ! 恐れないで、その想いを強く解き放って!」

 戸惑う俺の耳に届いた金髪少女の叫び。

 そうだ。もう家族は誰にも奪わせない。もしも家族を傷つけようとする奴がいるなら、俺が倒す。

 だから、その為の力を俺に!

強く、強くそう願った瞬間だった。

「今度は何だよ」

 突如として光だした俺の右手。そして脳内に浮かぶ一つの言葉。

 けれど、不思議と戸惑いはない。これだけ不可思議体験が連発してるんだ。今更何が起きたって驚きゃしないさ。

「キミの頭の中に浮かんだ言葉。それを口にするのよ」

 言葉を? それって、さっきから頭の中に浮かんでいるこれだよな。

 口にして何が起きるか知らないが――


「顕現しろ。(そう)(けん)乱舞(らんぶ)!」


 そう口にしたのと同時に、俺の右手に宿っていた光がはじけ。

「何だこれ?」

 俺の右手には、漫画なんかで出てくる西洋風の剣が握られていた。

 我が目を疑い、もう一度右手から、握られている剣に視線を送る。けれどやっぱり目の錯覚ではなくて。

「急いで! 家族の方が」

 金髪少女の声で思考が戻る。

 視線を巨大な犬へと向けると、姿勢を低くし、母さんへと飛びかかった瞬間だった。

「なっ、クソ!」

 反射的に床をけり上げる。

 その一歩でカウンターを通り越し、キッチンにいる母さんの前へ。そして迫りくる巨大な犬へと向き直る。

 振り下ろされる鋭い爪。直撃の瞬間、剣で受け止めた。

「この!」

 どっしりと足に力を籠め、押し返すように巨大な犬を吹き飛ばした。

 体勢を立て直す猶予は与えない。相手が着地するよりも前に、床を蹴り、宙にいる巨大なオオカミへと肉薄。

 そして、剣を振り上げて――一閃。

 巨大な犬を一刀両断、真っ二つにした。

 黒い霧状になって消滅した犬。俺は剣を振り下ろした状態のまま、深く深呼吸を繰り返す。

 今の一連の動きは……。

「凄いじゃないキミ! 一撃で倒しちゃうなんて。それに剣の扱いにも慣れているみたいだし」

「いや……」

 近寄ってくる金髪少女に答えず、俺は眉間にしわを寄せた。

 先ほどの巨大な犬との攻防。どう動くかは頭で考えたが、そこから先は体が勝手に動いていたのだ。

「なるほど。生成も含めて、剣の扱い方を身に着けるのがキミのディザイアとしての力なんだね」

「ディザイア? それって」

 何一つ状況が把握できていない俺の前で、うんうんと頷く金髪少女。

 ただ一つ分るのは、そのディザイアってのが重要な言葉だということと。そして。

「そもそも、アンタ誰だ?」

「私? 私は」

 今更過ぎる俺の問いかけに、金髪少女は穏やかな笑みを浮かべて右手を差し出してきた。

「エルザ・アーレンよ」

「伊江衛だ」

 差し出された金髪少女――もとい、エルザの手を取り握手を交わして名乗り返す。

 すると、エルザは驚いたように目を丸くした。

「イエ、マモル? それじゃあキミのディザイアネームは自宅警備員だね♪」


 ……は? 


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