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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
危険と隣り合わせの芸術
9/41

未菜

「太陽ってこんなに近かったんだね」


 未菜は遥か遠くを凝視していた。


「そう? アタシには遠すぎて小さく見えるけど。実際には一天文単位もちがうし、太陽なんてきっと、人間のことをゴミ同然だと思っているのよ」

「……未菜はそれでもいいなぁ」


 そこは隔離された一人部屋だが、日当たりは良好である。気分が沈まないよう病院側が配慮してくれたのかもしれない。小学生である未菜は本来ならば学校に通い、勉強をして、友達と遊んでいる年齢なのだ。


 未暮市街にある、この病院は高層ビルに埋もれることなく目立つため、迷う者はいない。その上、市内の人から信頼されている。そのような場所に利華は逃げてきた。


「未菜はね、空を飛びたいの。ここから離れて……全ての(しがらみ)から解放されてみたいの」


 未菜は小学生の割に考えることが大人びていた。甘い夢にまどろむのではなく、現実から目を離さないでいた。


「なんとなく共感できるけど、どうして?」

「夢をみたの。空を飛ぶ夢を」


 未菜は手を動かしながら語りだした。


 或る日、気がつくと白一色で塗られた部屋に横たわっていた。

 体を起こしてみると、そこには明かりや窓もなく、白という漠然としたイメージしかなかった。

 そして自分だけが時の中に取り残されているような気がした。立ち上がって歩き回ったが、誰とも出会わなかった。目を瞑り、寂しいと心の中で念じると風景が変わった。四角い窮屈とした空間ではなく、青々とした草原が広がっていた。


 人間は未菜だけだったが、鳥や兎や栗鼠などの動物と会話をしていた。手に取るように相手の考えが判ったので、いつしか口を動かさなくなった。話さなくても意思が伝わる。未菜にとっては不思議であり、至福の時間であった。そして誘われた。


 ――空を飛ぼうよ、と。


「お姉ちゃん、どこか痛いの? 顔色が悪いよ?」

「……そんな事ない、アタシは大丈夫。ただ、未菜の話に引き込まれただけ」

「ほんとっ! 未菜の話、分かってくれた?」


 内容を聴いた利華は心底恐れを抱いた。彼女の言う『夢』が寝たときに見られるものなのか、それとも願望なのか……あまりにも酷似していて、どちらの意味にも解釈することができた。


 顔色を窺われているので、利華は未菜を批判できない。


「もちろん、あたりまえじゃない。アタシと未菜は家族だから」


 未菜の表情が一層輝く。


「うん! ありがとう、お姉ちゃん大好き。また本を読んでね」


 抱きつかれてしまい、利華は面映い気持ちを抑えた。すぐ近くにある未菜の頭を撫で、その気持ちを、「えへへ」と声を漏らす未菜に気取られないようにした。


(まだ、こんなに幼いのに……未菜は強く生きている。ならアタシも挫けるわけにはいかない)


 不器用ながらも、未菜は慈愛の思いを伝えようする。それは両親がしてくれなかったこと。利華と未菜は一緒に住んでいた。未菜が病気になるまでは――。


 暫くして、利華は名残惜しそうに未菜を放した。そして未菜が口火を切る。


「……あのね、お姉ちゃん」

「なに? 未菜」

「ううん、何でもないっ。また来てよ、絶対だよ!」


 利華は怪訝そうな顔をしたが、未菜から目を離さなかった。


「断言する。アタシが大切な妹に面会しない理由はないっ」


 子供をあやすように利華は喋った。未菜は安心したのか、体の力を抜いて利華を見つめ返した。


「だからさ、いつでも頼っていいよ。お姉ちゃんは一生、未菜の味方」


 利華の手が未菜の手を包み込んだ。指を絡めて離れないようにする。


「お姉ちゃんのおてて、冷たいね」

「心が(あった)かいのよ。ほら、実感するでしょ? アタシと繋がっているって」


 未菜は涙腺が壊れたかのように涙を流した。咄嗟に涙を拭おうとしたが、両手の自由は利華に奪われたままだった。


「アタシが未菜を守るから。だから、遠慮しなくていい。なんたって、アタシ達は家族よ」


狂ったように泣き叫ぶ妹に、利華は穏やかな眼差しを向けていた。その様子からは『触らぬ神に祟りなし』と称されてきた片鱗はどこにもなく、妹を愛する姉の姿だった。


(アタシには未菜だけが居ればいい。それ以外は何も要らない。欲しいとさえ思わない。神様や仏様はアタシをどう思うだろう? いや、すでに答えは決まっている)


 未菜が安静を取り戻して眠りこけた頃、利華は扉をノックする音を耳にした。コン、コン、コンと規則的な音が三度繰り返される。利華は未菜の寝顔を瞼に焼き付けてから席を立ち、つかつかと扉まで向かった。


(……お迎えがきたのね)


 今度は未菜を一顧だにせず扉を開いた。本心では未菜とのお別れを惜しんでいたが、そうしてはならない理由があった。利華にとって未菜は弱点の一つである。唯一、家族と呼べる妹が人質として捕らえられたら、姉は全てを捧げ、泣き寝入りという手段に至るまで解放を求めるだろう。


 未菜を起こさないよう、時間をかけて開かれた扉の真後ろには、体格の良い男が直立していた。ノックのか弱い音と男の外見のギャップに利華は小さく吹き出した。見下されているこの状況下においては、緊張の欠片もない軽率(けいそつ)な行動であった。


「渡瀬利華だな。……ついてこい」


 利華は男と視線を合わせる前に扉を閉めた。そして両手を挙げ、降参のポーズをとる。


「いちいち命令しないでくれる? アタシはあんたたちに抵抗なんてしない。手荒に扱ったら、それ相応の痛い目に遭ってもらうけど」


 おどけてみせた利華は男の両手から目を離さないでいた。男の背後を歩き、決して並ぼうとしない。その行動の一連で勘繰ったのか、


「今回は渡瀬利華だけに用件がある。その他に危害を及ぼすことはしない」


 と、男は機械的な口調で言い放った。


「はいはい、お勤めご苦労様ー。アタシには主人に仕える意味なんて、これっぽっちもわからないけどねー」


 見られていないと知りながらも、利華は親指と人差し指で大きさを表現した。


「……乳臭い女児には理解し難いだろう」

「あっそ、金輪際(こんりんざい)わかりたくもないし。自分自身の意志を持たない人間なんてね」


 先導する男は黒いスーツを着ていた。その上サングラスを掛けており、表情を窺うことができない。マスクも付けていたら不審者だと罵りたかったが、このような魑魅(ちみ)魍魎(もうりょう)な大人達には効かないことは経験済みだった。


(こいつも、あいつらの一味。気を許してはいけない)


 利華は男の伸びている背筋を睨みつけ、無意識に眼帯の上から右目を触れる。そこには眼球があった。流石に強く触れることは躊躇い、軽く手を置いた。


(……傷物に触れる感じ、アタシって惨めじゃん。いつもこうして病院に連れて行かれる。アタシの意志に反して……でも、拒めば未菜の命が危ない。病室の在りかを察知されていることを考慮して、導き出される答えは一つ。アタシたちの命はあいつらに握られている。……違う。命だけじゃない。人生まで左右されている。いつになったら抜けられるのかな、この運命から)


 今になって未菜の夢の真意がわかった。彼女もこの決定された未来から抗っていた。けれども、その先に何が待っているのか予想できない。暗中模索を続けている。だからこそ、世の中の理を覆して飛びたいと願った。


 利華は男に指示され、エレベーターに乗った。


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