心理学科特別活動
午後の特別活動と称された時間では各々の活動が許可されている。付近の教室に移動して楽器を演奏する者もいれば、勉強をしている者もいる。教師から干渉を受けないこの時間の利用は各自の判断に任せられているのだ。心理学科設立から約十年と歴史が浅く、大学から講師として来てくれる人が数名しかいないのが現状であり、三学年を一日で見て周ることができないらしい。
凪人達は次のクライエントについての情報交換をする名目で、この時間に打ち合わせを行う。
「ほ~ら、はやく述べてほしいのだな、ねぎとろ。ミーは、せっかちなのだな」
人気が少ない教室の一角で、凪人の机を囲むように三人が集まっていた。
「……寝てぇ……」
「ダメなのだ! 寝かせないのだっ」
水月は胸から一枚の便箋を取り出した。それは目がちかちかしそうなネオンカラーに彩られており、持ち主と相性ぴったりだった。
(どこにそんなにでけー便箋を入れておくスペースがある? 秘密のポケットかよ)
水月は細い指で丁寧にシールをはがし、中身を取り出した。
「それは写真ですか?」
「むぅ。そうなのだ……写真なのだ。あとう、せっかくの登場用のびーじーえむを考えてきたのだ、結論を言わないでほしかったのだな!」
「えっ……あっはい、申し訳ございません」
灯亜に台詞を奪われたことで水月は拗ねていた。完全に水月の八つ当たりと判断した凪人は寝る体勢になる。本日四度目の欠伸と一緒に。
「芝居をしたいだけなら、俺を寝かしてくれないか?」
「うぬぬ~、どうだなのだ! 目を開けるのだ、ねぎとろぉ。これを見たら心変わりをするはずなのだな」
水月は凪人の前に勢いよく写真を差し出した。凪人は目を擦ってから、重い瞼を持ち上げる。
「何が何だって? どうせ大したものじゃ――」
凪人は言葉を失った。同時に眠気が吹っ飛んだのか、生まれつきの吊り目で写真に穴を空けるように瞬きせずに見つめる。
「なにって、写真なのだ。見たまんまなのだ。……はっ、わかったのだな! ねぎとろのおめめには海苔に見えるのだな? やっぱりねぎとろは巻かれるべきなんだなっ」
「違う! そうじゃねぇ!」
「うにゃあっ」
凪人は素っ頓狂な声を上げた水月の手から写真をひったくり、驚きのあまり絶句していた。微かに手が震えている。その様子を不審に感じたのか、灯亜と冬馬も写真に目を向けた。
「これは……!」
「やべーな、これ」
二人ともすぐに写真の異変に気付いた。灯亜は右手で口元を隠したまま言葉を失い、冬馬は眉をひそめた。
「遠藤……こんなもの、どこで見つけた?」
「ひっ、拾ったのだな」
凪人の緊迫とした表情に押され、水月の体は余計に小さくなる。
「だから、どこで!」
「とっ、図書館なのだ。嘘をついていないのだなっ」
「お前みたいな正直な奴のこと、これっぽっちも疑わねぇぜ」
「ええ、そうですわ。正直の頭に神宿る……ですから。水月さん、これは利華さんの所有物で間違いありませんか?」
「はいな! リカーが落としていったのだな」
凪人はまた、写真に視線を落とし、食い入るように見つめた。
(どうしたら、こんなになっちまうだろうな)
「追根究底を始めましょうか、奥山君」
「ああ。霧生、もう一度調査書を見せてほしい」
「はい……どうぞご覧ください」
灯亜は鞄の中から紙の束を取り出し、凪人に手渡した。
「お~い、凪人くーん。さっきの写真、オレ様はもう少し見たいなー」
「却下」
「ぐえーんっ、オレ様悲しいっ。慰めて水月ちゃーん」
「うにゅ~、よしよしなのだ」
「……オレ様、幸せ~」
冬馬からの要求を退けてから、凪人は考え始めた。すぐそばで邪魔者達がわめき散らしているが、気に留めなかった。
「無視していいぞ、霧生」
「……いつものことですわ。慣れております」
和顔愛語な態度をする灯亜は、適当に近くの椅子を引いて凪人の隣に座った。その行動の意図に気付いた凪人は写真と調査書を机の上に置いた。二人の顔が近付き、お互いの吐息が聞こえる距離になり、
「なーにヤってんだ、お二人さんよぉ」
と冬馬が茶化した。好奇な視線を浴びながらも、重厚な凪人は机から目を離さない。
「四人家族。多分、こっちの女の子が渡瀬……か。だったら、この黒で塗りつぶされているのは彼女の妹だろうな」
凪人は腕組をし、背もたれに寄りかかった。
「家族関係が悪かったのか? いや、でも……笑っているよな」
「わたくしの推測では家族関係は良好ですわ。ですが……」
「何か気になるところがあるのか?」
「ええ。この頃から……利華さんは眼帯を使用しておられました。中等部の入学式から存じ上げております」
凪人は几帳面な文字で書かれた調査書に注目した。手書き独特の味わいがある調査書全体は線の上に描かれたように少しも乱れていなかった。性格がにじみ出ている。
「あー、そういえば昨日会って思ったのだが、渡瀬の右目は見えているのか? 遠藤がそんなことを言っていたぜ。なんでも、死角に入ったはずなのに……とか何とか」
「そうなのだ!」
「……驚かすな。それでも、お前の気配は読みにくい」
凪人は、唐突に左腕に抱きついてきた水月に抗議した。あまりに集中していたため、存在に気付かなかったのだろう。恐るべし遠藤水月、と凪人は肝に銘じた。
「えへへーなのだ。こうしないと、ねぎとろは反応してくれないのだ」
「はいはい、そーですか。んで、なんか用でもあるのか?」
左腕に人独自のぬくもりを感じた凪人は、気にせずに平然と尋ねた。
「ふふ、二人とも顔に書いてあります」
隣で灯亜は笑っていた。凪人はその様子を一瞥してから、水月の発言を待った。
(本当に油断ならねぇな、こいつ)
「……うにゅう、そうなのだ。ミーはリカーの後ろに入り込んだのだっ」
水月は凪人を解放し、右腕を突き上げた。
「身長差約三センチですわ。それならば――」
「そうとは限らないぜ、マイハニー」
冬馬が灯亜の発言に横槍を入れた。そして言葉を続ける。
「人によって見え方は異なるものだ。ならば一概には言えないだろうさ。浅薄な思考をするなよ、灯亜ちゅわ~ん」
「……恐縮ですわ。白浜君の仰るとおりです」
「冬馬。お前にしては気合が入っているな」
灯亜と凪人は、冬馬を口々に褒め称えた。
「そりゃあもう、オレ様は女の子の味方だからな。本気になるって」
「前言を撤回する。お前はアホだ」
「でっひゃひゃひゃひゃ」
「……下品な笑い方だな」
「無駄話をよすのだ、しまうま。本格的な治療内容に移るのだな」
水月が指揮を執り、渡瀬利華の本格的な治療が始まる。
「遠藤、今回のクライエントの通称はどうする?」
「んー、そうなのだな……」
水月のアホ毛が撓っていく。それは一瞬のことであり、数秒後には元気さを取り戻していた。同時に水月の表情も晴れやかになる。何か思いついたのか、右手の拳でもう片方の手のひらを叩いていた。
「決まったのだ、〝永久の象徴〟なのだ!」