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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
〝永久の象徴〟
6/41

とりあえず、寝る

 翌朝。生徒たちが登校し始める頃。


「かったりぃ」が口癖の少年、奥山(おくやま)凪人(なぎひと)が古びた一軒家から姿を現した。


 彼は昨日と同じように、制服の至る所から性格が滲み出ていた。良く言えば神経が太く、悪く言えばだらしない。制服の着方について先生方から指導を受けても、彼は全く動じなかった。そんな騒動が一年も続いて、終いには彼を指導する教師はいなくなった。その結果〝母性をくすぐられる〟と一部の女子生徒から人気があったりもする。無論、彼はそんな噂を知らない。知ったとしても襟を正すなんて真似はしないだろう。彼は元々、服装に拘泥(こうでい)しないのである。


「ふあぁぁぁ。ねみー」


 凪人は大きな欠伸をして、力いっぱい両腕を伸ばした。背中にしょわれたリュックが彼の動きを制限したが、本人は気に留めず、道路の真ん中で腕を上げたまま暫く硬直していた。それから左手で右手を掴み、ストレッチを始める。


 そんな傍若無人な彼の横をいくつもの自動車や自転車が通り過ぎていく。誰もクラクションやベルを鳴らさない。こんな風景が日常と化してしまったからだ。地域住民には掲示板で彼が要注意人物として知れ渡っている。中には、


「よう、あんちゃん。また夜更かしか?」


 と声をかけてくる人当たりのよい住民も居る。その男性は凪人の隣に、赤一色に染まった自転車を停止させた。かごの中には何も積まれていない。それを見た凪人の表情が一瞬だけ歪んだが、すぐにうつらうつらとした顔に戻る。


「あー、おじさん。いや、昨夜はすぐに眠れた。珍しく」

「そりゃあ良かったな! まーた、ふらふらと事故るんじゃねえぞ」


 欠伸を抑えられなかった凪人は口を空けたまま頷いた。目は、うっすらと涙ぐんでいる。


「じゃあな。気をつけて歩けよ!」

「……ああ」


 器用に片手で操縦する男性を凪人は見送り、ゆるゆると歩き始めた。

 




 時刻は八時ちょうど。凪人の自宅から未暮学園までは十分もかからない。坂を一つ越え、校舎の一部が見え隠れする辺りで凪人は本日三度目の欠伸をした。


 ――未暮(みくれ)学園都市。


 かつては研究都市とも謳われていたが、約十年前に研究施設のほとんどが取り壊され、現在その面影はほとんどない。てしまったからだ。未暮市の中でも太平洋を臨む地区がその名残で学園都市と呼ばれている。


 実際に、未暮学園には本格的な設備があるということで機械工学科や医学科が人気を集めている。小中高一貫校のわりに、他と比べ特殊な奨学生制度も有名だ。能力が認められれば、初等部一年生から授業料全額免除ということもありえるらしい。


 そのような学園に凪人が通う理由は単純明解である。なによりも、心理学科という響きが彼の心を突き動かしたのだ。

 



「おはようございます。奥山君」


 柔らかな声色に名前を呼ばれ、凪人は立ち止まった。


 すぐ隣には日本人形を思わせる女子生徒の姿があった。つややかな黒髪は肩よりやや長いくらいで、毛先がくるんと丸まっている。右わけにされた前髪は真紅のヘアピンで留められ、面長な顔にアクセントを添えている。女性らしい体型は腰元が強調された制服のおかげでより際立ち、同性でさえも一目置くほどのメリハリがあった。


 ちんまりとした水月が持ち合わせていない艶やかさを彼女は秘めている。


「……ああ、いつもよりも遅いな……ん? 遠藤は?」

「それが見当たりません。正門の前でお待ちしていたのですが、いらっしゃらなくて……」

「そうか、休みか」


 きっぱりと言い切った凪人は、女子生徒――霧生(きりゅう)(とう)()から目をそむけた。


「そんなこと、有り得えません。あの水月さんが体調を崩すと思えますか?」

「確かに。十中八九、ありえねぇな」

「……ふぅ。そうですよね。烏白馬角(うはくばかく)ですわ」


(うはくばかく、ってなんだ……?)


 灯亜は肩の荷を下ろしたかのように、深呼吸をした。そして制服の上からでも確認できるほど、彼女の胸が上下する。その艶めかしい光景を見て、凪人は目のやり場に困り、後頭部を掻いた。


「どうかいたしましたか?」


 鮮やかで熟れた林檎のような唇が紡ぐ言葉は洗練されていて、誰にも不快感を与えない。立ち振る舞いや仕草から判断して、どこかの箱入り娘であることは一目瞭然だった。


(どうして、こんなお嬢様が無鉄砲な遠藤の友達なんだ? 正反対だぜ、何もかも)


 というのが凪人の本音である。それから何気なく、通り過ぎる生徒たちを目で追う。全て、灯亜に考えを見透かされないようにするためだった。


「ふふふ。奥山君、わたくしから目を背けなくてもお見通しですわ。水月さんの事を考えていらしたのですよね?」

「お前、油断も隙もねぇな。どんな芸当をした? 俺は遠藤みたいに顔では騙されねぇぞ」


(正確には違うんだが……どうでもいいか)


「……最高の褒め言葉を有り難うございます」


 灯亜は軽く会釈をした後に微笑んだ。控えめではあったが、健全な青年を悩殺するには十分すぎるほどだった。廊下で通り過ぎる生徒全員、彼女にくぎづけになっていた。もちろん凪人もだ。横目で灯亜の様子を伺いながらも、しっかりと表情を見ている。


(……遠藤も霧生もキャラが濃いぜ)

 

 高等部の新校舎に心理学科専攻者達の教室がある。心理学科が設立されたのは約十年前のことであり、研究施設の撤去工事と平行して進められてきた。専用の昇降口がなく、すぐ近くの英進科の校舎を通らなければならない。凪人の教室はその二階にあり、周辺には特別教室が設けられていた。


「おおっ、オレ様のお姫様……! と、その家来くん」


 凪人と灯亜が教室に入っていった後、一人の男子生徒がやってきた。


「それは何かの呪文か? 寝言は寝てから言え。お前の家来になる奴なんていねぇだろうが」

「……くすっ。おはようございます……白浜君」

「さあ、ハニー。オレ様の――」

「謹んでお断りいたしますわ」

「まだオレ様、なーんにも言ってないぜ?」

「仰らなくても予想がつきます。……低俗なことを考えていらしたのでしょう?」

「……ぎくっ。いや待て、考え直せ。視点を変えるんだオレ様。そうだっ、これってもしかして以心伝心(いしんでんしん)? 心だけでなく体もひと――」

「謹んで、お断りいたします」


 丁重にあしらう灯亜をよそに、凪人は自分の席へ直行した。


「おいおい、凪人く~ん。オレ様へのあいさつは? いや、それよりも慰めて~」


 灯亜から凪人へと話をふった男子生徒――白浜(しらはま)(とう)()は自他共に認める女好きである。誰に対しても馴れ馴れしいのが難点だが、二枚目で金髪碧眼という相乗効果により、女子からは絶大の人気を誇る。また、凪人の数少ない友人の一人である。そんな二人も服装の点においては相容れない。


 二人の制服の着方は真逆に近い。凪人は着られればいいと、基本的に手入れをしない。アイロンという電化製品を認知しているかどうかさえ疑問だ。


 勇気のある生徒が代表して、本人に尋ねてみると「アイロンって、あの熱いやつだろ? 火傷するよな」と返答されたらしい。これは周知の事実でもある。


 一方、冬馬は髪の毛の先から爪の先まで神経が行き届いており、輝く金髪を首の後ろで一つに束ねている。要するに、二人の存在感は桁違いである。


 当初は喧嘩が絶えなかったらしいが、一年が経過し、こうして落ち着いてきた。


「どうでもいいだろ、お前なんて。それよりも遠藤は来ていねぇのか」

「……一応は登校しているな。なになに~、凪人くんは幼児の方が好みー?」


 凪人は自分の席よりも一つ前の、水月の席に注目すると、彼女の鞄は口を開けたままであった。中身に興味がなくてもピンク一色に染まっていて気味悪い。


「特別な用事でしょうか? それならば先に登校すると、一言仰ってくだされば……」


 すかさず、灯亜が冬馬の内容を補足した。


「よくわかんねぇ。俺には隠れているとしか思えねぇが」

「そりゃな~高二となれば、男の一人や二人ぐらいできてもしょうがないぜ。あの、おちびちゃんも大人になったと思わないか? 相棒」

「……そうなのか?」


 凪人は立ったまま、灯亜の方に顔を向けた。


「信じ難いです」


 クラスメイトのうち、凪人だけが意味を理解できなかったようだ。その場に居合わせた生徒全員が競うように内緒話を開始していた。水月に対する印象は皆、同じだったのだろう。


「わけがわかんねぇ。男ができると、かくれんぼをしたくなるのか?」


 凪人はゆっくりと椅子に座り、リュックの中にある荷物を出しては机の中に入れていく。


「どうやら、オレ様の予想は外れか……」


 凪人の隣に座っていた冬馬の嘆息が、その荷物を出す音に打ち消された。


「ん? 何か言ったか、冬馬?」


 冬馬は親指を立て、廊下側へ向けて二度動かした。凪人は半信半疑、廊下の方に目を向ける。

 突如、廊下を走り行く音が耳を打った。風の如く颯爽(さっそう)と現れた少女は急ブレーキをかけられず

に、教室のドアに正面衝突する。その衝撃で周囲の壁が震えたが、その少女の勢いは止まらない。


「やったのだな! ねぎとろ、あとう、しまうま!」


(はぁ……。こんなことをするのは、遠藤ぐらいだよな)


 凪人は溜息をついた。


「落ち着いてください。水月さん」


 見兼ねた灯亜が水月の額から流れる血をハンカチで拭いた。その様子は、まるで親子のようだ。差し詰め、水月が娘で灯亜が母親だろう。


「恩に着るのだな」

「……いえ。それでどこへ行かれていましたか?」


 灯亜は穏やかな表情を変えずに水月に詰め寄った。言葉には棘が含まれていて、近くに居るだけで自身も刺されているような気分になる。綺麗な花には棘があると言うが、灯亜を表現するならば薔薇よりももっと小さい花だろうと、凪人は密かに考えていた。


「なっ、なぜか身の危険を感じるのだな……ミーはただ、リカーの所へ――」

「……リカーという方は、どなたですか?」

「リカーっていうのはクライエント候補だ」


 灯亜は冬馬の話しを真に受けたのだろう。凪人の助け舟により灯亜は平常心を取り戻した。


「そっ、そうなのだな! 次の来訪者なのだな!」


『来訪者』という言葉が発せられた直後、先程まで耳を傾けていた外野一同が散り、場の空気が一変した。なぜなら、『クライエント』とは英語で依頼人をさし、カウンセリングでは『来訪者』と訳されるからだ。他人の仕事に首をはさまない、それはこのクラスのルールの一つである。


「先日、わたくしが調査した方……ですか?」

「はいな! 利華ちゃん。略してリカーなのら」

「……いや、略してねぇだろ」

「凪人く~ん。水月ちゃんに構うと、ろくな事がないぜー」


 と冬馬が凪人に耳打ちをした。


(俺なりに十二分理解しているつもりだ)


 水月は凪人が話を聞いていないと判断し、名指しする。


「ねぎとろぉ、リカーの基礎情報を述べよ……なのら」

「はあっ? どうして俺がそんな面倒なことを……」


 不満を呟いた後、机に突っ伏している凪人の頭上を何かがかすめた。危うく直撃するところだった。白い物体は丸くて細長い。何かが割れる音もした。凪人はその物体が飛んできた方向――黒板を見るために、恐る恐る顔を上げる。


「げっ」


 そこには黒板の前に勇壮な面構えで立ち尽くす担任が居た。


「げっ……とはなんだ、奥山! 朝のホームルームを始める!」


 四月だというのに半袖のシャツを着て、浮いている担任を凪人は快く思っていない。


(また来たぜ、沸騰している野郎が。熱血すぎてあちーんだよな……若いのはいいのだが)


 チョークが来た、とクラスメイトの誰かが言った。日に焼けた肌、そして体格の良い者にとって、白くて細いチョークは、か弱く見えるのだろう。


「誰だ、担任をチョーク呼ばわりするのは! 職員室で絞めてやる!」


 年中、半袖一枚の担任が声を尖らすのは当然であるかもしれない。しかし、概念に囚われない思考をする、心理学科の生徒達には無意味に等しい。チョークには何色もある。チョーク=白と認識する貧相な考え方に、あきれる生徒も少なからずいた。


(あれは……わざとだな。別に聞こえるように言わなくても……いいじゃねぇか)


 凪人は始業を知らせるチャイムを聞いた直後、夢の世界に旅立っていった。


水月のネーミングセンス1

  凪人→ねぎとろ

  灯亜→あとう

  冬馬→しまうま

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