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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
エピローグ
41/41

死の象徴

 水平線に太陽が沈んでいく。一週間ぶりに目にしたこの光景は珍しいものではないはずなのに、感慨深くなってしまった凪人は砂浜に腰掛け、呆然(ぼうぜん)と波打つ海を眺めていた。(あかね)(いろ)の空と、青色に溶け込んだ朱色のコントラストが何とも言えない風情を(かも)しだしていた。


「……ここにいたのね」


 凪人の隣に座ったのは水月の片割れ――水車であった。傷は癒えなかったが、目を疑うような回復力をみせた水車は凪人と同じように真っ直ぐ前に視線を向けていた。


「貴方は勘付いているわね。何を隠そう、あの地下都市が本来の未暮の姿。地上にある未暮市は地下の未暮と瓜二つの幻にすぎない。裏腹な二つは互いに影響を及ぼし、破滅していく」

「……驚いたぜ。あの旅館みたいな建物は霧生の家が経営しているんだってな」


 水月が凪人の腕の中で眠りについた後、間もなく灯亜が駆けつけた。慇懃(いんぎん)に且つ迅速(じんそく)に次々と指示を与えていく灯亜は(しと)やかというよりも人の上に立つ威厳たる姿だった。半壊の建物を気にも留めず、人命を優先した判断も賞賛に値するだろう。


「建物に関しては老朽による撤去だと世間に隠蔽(いんぺい)されるわ。霧生の判断を(あお)るのは私の立場にそぐわなかったが……」


 言葉を(よど)ませた水車は一息ついてから、凪人に流し目をつかった。


「あの頃のように私に畳み掛けてこないのね。失神でもしているのかと疑うわよ」

「……上手く整理できていねぇんだ」


 凪人は片手で砂を(すく)いあげ、海へと投げた。それは風に舞い上がってどこかに運ばれていく。

「投げた砂も綿毛のように別々の場所に根付くのか? 絶対に浜にある理由もねぇよ」

「クク……詩人ね。私には砂時計のように見えた」


 砂時計という発想の意図を探るために凪人は水車を一瞥した。凪人は水車の目が遠い所に向けられていると感じた。


「……時間は有限よ。寿命も(しか)り。私は……神に許しを()うことが遅くなった。あれはすでに誕生してしまい、音無の歌は無力となり、決断を下すしかなく、神は私に要求した。事態を招いた代償――即ち命を」


 目を一瞬だけ見開いた凪人は水車の話しの続きに耳を傾けていた。


「私は次期当主となる権利を与えられた者。多大な犠牲が(ともな)い、時には自身さえも(かえり)みてはならない者。水月――私の別人格は死を無条件で受け入れなかった。神は見兼ねたのでしょうね。水月だけを連れ去ったのよ」


 生贄(いけにえ)を求める神。それが果たして神様と人々に(あが)められる存在なのか、と凪人は疑問になった。


「私の肉体と分割される直前、水月は自力で表層に上がってきた。最後の言葉、嬉しかったでしょう?」

「ああ……俺が寿司を(おご)ることになった」

「……貴方、救えないほどの鈍感ね。水月がいたたまれない」

「何を言っている? あいつは這い上がってでも生きようとする奴だ。そこら辺で油でも売っているぜ。多分」


 水車の口ぶりは、水月が亡くなったようである。そんなはずはないと軽く笑い飛ばした凪人は靴の踵を砂浜に沈めた。


「あいつなら……けろっとしている」


 凪人が呟いた刹那(せつな)、どこからともなく「水車ちゃーん!」と大声で叫ぶ声が耳をつんざいた。


「はぁ……空気を読めない邪魔者が来たわ」


 あれが私の母よ、と呟いた水車は立ち上がり、声が聞こえる方向を黙したまま睥睨していた。我慢できなかったのか、慌しく駆け寄ってきた女性は凪人の記憶の中の容姿と一致した。


「おねえ、さん?」


 と凪人が思い出の名を口にする。女性は満面の笑みで返答した。


「変わってないねー、坊や。見違えるくらい大きくなったけど、和志(かずし)さんには負けるわ。だって、彼は世界一だからっ!」

「…………やめてくれ、小百合」


 頭を抱えて現れた男性は凪人の肩を叩き、「奥山、頑張ったな」と(すが)々(すが)しく褒めた。


「っ、遠藤先生か? 寿命が縮まるかと思ったぜ……」

「改めて紹介するわ。私の両親、白浜小百合と遠藤和志よ」


 水車の両親に会釈され、凪人の心に消化できないもやもやが浮かぶ。


(遠藤先生の家族って死んでいなかったのか? ……いや家族っていいものだな。俺は兄貴との仲をいつか修復できるのだろうか?)


 手早く自身の両親を追い払った水車は凪人の目を見ていた。


「……利華は家族関係を修繕するわよ。元々利華の父親は娘を庇うために、青い瞳の右目を眼瞼下垂だと偽装していただけ。……冒涜にも程があり、白浜の制裁を受ける。それと――」

「まだ何かあるのか?」

「意識の変化からか、貴方から漂う香りが当時と違い、憐れみと絶望の予感を私にさせない。〝死〟への恐怖が生まれている?」

「そう……かもな。俺は遠藤を見て、あいつが苦しみを乗り越えていることを知った。同時に、あいつが〝死〟を恐れているのだとわかった。初めはどうして生に執着する理由はわからなかったが――」

「いいえ、腹を割ってくれただけで十分よ。それ以上は言わないで」


 夕日が未暮市を照らしていた。眩しくもなく暗くもない、身に()みるような明るさは、永劫(えいごう)にこの土地に受け継がれていくだろう。


「私は今日付けでこの土地を去るわ。……明後日からのテスト、せいぜい当たって砕けなさい。貴方なら無……、大丈夫でしょうね」


 言い直した水車は凪人から離れて行った。水車の足跡は波に消され、そこには何も残っていなかった。


(まさか、俺が生きることに執着してしまうなんてな……笑えるぜ)


 人目に隠れて吹いた凪人は、この浜辺から見える景色を胸にしまいこんだ。




 生きることが怖かった。

 不透明な未来に足を突っ込むのが不安だった。

 なぜなら、生が訪れれば死は必然なのだから。

 これこそが〝死の象徴〟たる所以――。







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