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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
生と死の象徴
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 懐かしい旋律が空気を伝わって流れてくる。制服を脱ぎ捨て、動きやすい黒スパッツと繊維性(せんいせい)防刃(ぼうじん)ベスト姿になった水車は音を耳にして眼前の敵から注意を()らした。息を切れていない。体もまだ軽い。お互い、月の目に肉体の半分は侵食され、体が鉱物のように硬くなっているためか、銃撃戦ではなく肉弾戦の攻防が続いていた。


「『海の歌』……」


 そう呟いた水車は〝南天〟の蹴りをかわし、バックステップで距離を広げた。リーチの長い〝南天〟は一気にその距離を詰めて殴りかかる。そのつど水車の肌から汗が(したた)り落ちた。


余所見(よそみ)する暇があるか?」と言った、反撃の手を与えない〝南天〟は戦い慣れていた。しなやかな身のこなしで、一撃でなく手数で勝負する手法。水車は策を()りながら防戦をし、一点の隙でさえも見逃さずに背後をとろうとする。


「貴方、案外愉(たの)しませてくれるわね」


 涼しい顔で髪をふわりと揺らす水車は回し蹴りを防がれ、体をくねらせた。直後、水車は壁を蹴って進行方向を変え、踏み蹴りをしようと接近戦を仕掛ける。数秒早く反応した〝南天〟は跳躍(ちょうやく)し、逆に水車の背中に肘打ちしようとする。


「甘いっ、まだまだよ」


〝南天〟の頭に手を乗せ、飛び上がった水車は躊躇(ためら)わずに頚椎(けいつい)をめがけて飛び蹴りを放った。


 鈍い音が室内を満たした。まともに食らった〝南天〟は片膝を付き、口元に付着していた血を腕で拭い払った。


「〝南天〟、ここでくたばるのか? ハッ、ガキは母親の腕に抱かれていろ。そのうちにぼくが当主まで、のぼりつめてやる……!」


 狂ったように笑う〝ジギタリス〟に目もくれず、水車は〝南天〟の出方を(うかが)っていた。次期当主候補であろう人物がこれぐらいで負けを認めるはずはない、と水車は思い、周囲に自身の気配を()き散らす。瞳はすでに(うず)き、発光していた。この部屋にいると意識がぼやけるのは、何かしらの妨害を受けているからに違いない。用意周到な奴め、と心の中で舌打ちする。


「……終わりよ」


 水車が銃を空中に生み出した瞬間、戦っている二人の体は大きく揺れた。何事かと思っていると、体が重くなり床に叩きつけられた。象に踏み潰されているようで背骨が絶叫し、地面に吸いつけられているかのように頭を上げられない。


(重力操作? っく、白浜の血を逆手に取られたか……私としたことが不覚)


〝ジギタリス〟は笑いを止めない。〝南天〟と水車は同じように床に張り付いているので、重力を操作したのは〝ジギタリス〟だろう。身動きのできない体を(うと)む水車は水月に支配されている状況と同じだと感じた。水月に支配権を握られてしまうと、水車は成り行きを見守ることでしかできない。


 紅の花が散るように地下都市は炎に囲まれた。生命を根絶やしにするような火は神の降臨が近いことを報告している。


(これは『海の歌』……。水月が即興(そっきょう)で作詞した、音楽センスゼロのもの) 


 遠く離れた誰かが『海の歌』を口ずさんでいる。あの歌は月の目の能力を低下させる効き目を(あわ)せ持つ。だから〝南天〟の動きが鈍っていたのかもしれない。そうでなければ、白浜が力のない一般人に不意打ちを食らうなど有り得ない。


「リス……速く元に戻せ! 勝敗がつきそうだったからサっ!」


〝南天〟の手には金剛石製の青白い銃が収まっていた。それを見てこれからの出来事を予知した水車は、より強く月の目特有の波動を発生させる。引き金を引かせてはならない、あれは精神を(むしば)む毒。倒れ臥す水車を中心にこの世にあらざる力が波紋のように広がり、それは感染症を(しの)ぐ速さで室内から地下世界全体に伝わった。


 リンゴーン、リンゴーン……。


 鐘の音で祝福された水車は、体の中が空っぽになる前に神を鎮めるため、全能力を解放した。


「おお……なんとも心地の良い鐘の()だ。これはぼくが白浜の当主になることの前祝(まえいわい)だな」


 両手を広げた〝ジギタリス〟は踏ん反り返りながら天を仰いだ。


 その傲慢(ごうまん)で身勝手な振る舞いに水車は憤りを隠せなかったが、対照的に心は荒野にいるようだった。危険分子として〝ジギタリス〟を始末しておけば良かった、という思考が頭の中で巡る。辿り着いた場所は地獄への門。停車する時に立っていられる人間は存在しない。


「否――! 白浜の歴史を知らぬ愚か者め。神が降臨したら私達は抹消されるのよ!」


 月の目が水車の肉体を食らい尽くそうと疼く。渾身(こんしん)の力で叫んだ水車は力を解放させているはずなのに、残力は未知の領域にあるのか、刃のように研ぎ澄まされた神経を経由し、全身に伝達された。それは水月の力だと水車にはわかった。


 天から憎悪の塊となった神の雄叫びが降り注ぐ。その直後、突然呻き声を出し、耳を押さえている〝南天〟は発狂しそうになるのを理性で抑えていた。


 水車が起こさせた波紋は、すぐには目に見える変化を及ぼさない。超音波で空気を震わせ、時計塔で謳い続ける詩季と連絡を取る。それだけではなく、一時的に神を拘束した。


「私は『水』を受け継ぎし者――水車。〝ジギタリス〟、〝南天〟。これが本来の月の目の力よ!」


 波紋は水泡(すいほう)となり、やがて津波となって地下都市を浸水させた。時計塔は例外で、水流はそこを避けた。水中にいる水車の頭髪は生来の青色でなく、一身に光を浴びて白色になり、神々しい後光を身に纏っていた。


「……我の望みしものは桃源郷(とうげんきょう)ではない。同胞(はらから)よ、弾けて神の()(いか)りを沈めなさい」


 指揮者――水車の動きに合わせて水流が渦を巻く。重力が正常に戻り、片足を引きずるように立った〝南天〟は悲惨(ひさん)でありながらも清廉(せいれん)たる光景に言葉を失った。



        *


        

 静まり返った回廊では自身の足音と呼吸の音しか聞こえなかった。走る先には何があるだろう、いや何もない、という無気力へと誘う考えばかりが凪人の頭に浮かんだ。


(俺は……何がしてぇんだ?)


 人生を謳歌(おうか)していたのに、ある日突然未来を奪われた者達の顔が脳裏に焼き、看取(みと)った時に言われた言葉を消去できなかった。何もかも、ふりだしに戻せないところまで来てしまった。


(ただ断ち切ろうとしてだけだ。別段、誰かと馴れ合うつもりはねぇ……)


 なぜ、利華が自分のために突破口を作ったのか彼には理解できなかった。粒ぞろいの白浜の技術に、いちいち虚をつかれてしまい情けなかった。別れ際に見た、まるで生きているかのように追尾する光の束はタネのある手品とは全く違い、原理ですら不可視なものであった。


(……わかんねぇよ、俺は死を拒まねぇんだ。満身(まんしん)創痍(そうい)となっても、致命傷を負っても……)


 水分を含んでいる、不自然に捻じ曲げられた重い風が頬と耳を切った。乱気流だと思ったが、室内に突風が吹き荒れるはずはない。たとえ窓を全開にしていても限界はある。自動車が建物に衝突したくらいの巨大な穴が空いていても、気流を感じて寒気に襲われるぐらいであろう。天井から夜空が観察できたら、それはそれで諦めがついてしまい清々しい気分になるかもしれない。


(台風に巻き込まれて物にぶつかり、脳震盪(のうしんとう)が起きるのもありかもな……)


 想像をしてみた凪人は思い出し笑いをしてしまった。


(まるで遠藤みたいだぜ。どこからか厄介ごとを拾ってきて、俺を巻き込んで)


 学園入学時はクラスの中で凪人は無愛想な居眠り好きとして浮いていたのに、冬馬や水月に(から)まれるようにしてクラスメイトと打ち解けていった。


走馬灯(そうまとう)みたいに、俺も浮かんで消えねぇかな……)


 足で床を踏みつけていく(たび)に、左足に違和感があった。お年寄りが住んでいるかのような不自由さはない。肉体強化のために重りをつけているわけでもない。むしろ羽が生えているようだった。軽い、軽すぎる。


(……考えている暇があるなら走れって言いたいのか? 俺の足は。……天邪鬼(あまのじゃく)みてぇだな、俺の意志に(はん)しやがって)


 生暖かい風は吹いていなかった。壁を越え、困難に当たっていかなくてはならない、世間の目のような試練を伴う冷えた向かい風が凪人の四肢を引き裂いていった。


 それでも彼は歩みを止めない。





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