貴女は私。私は貴女。
「……前方に二人、後方に三人……。囲まれたか」
物陰に体を潜めた水車は状況判断に抜かりなく、周囲の人数と距離を推測した。繭の影響で磁場が変化し、通常よりも頭が冴え、数分後の予知が乱れきった意識の中でもできた。
「逃げ場はない。反古にする時間がないからといって正面を行くのも芸がない。ならば……」
一気に飛び出した水車は自身を貫かんとする銃弾をかきわけ、安全装置を取り外しておいた自製スタングレネードを前方に投げつけた。水車は目を凝らし、閃光に包まれた中を剛速球の如く一直線上を駆け抜ける。
「白浜に関わること。それ即ち、並大抵の覚悟では死す」
銃声と断末魔が重なった。
「……貴方たちは死が怖くないの? ……白浜に関わらなければよかっただろうに」
最後の追っ手の口腔に銃口を押し込んで発砲した水車は目的地に到着した。侵入時に防犯カメラの電波を妨害し、認証システムを誤作動させるのは手間が掛かったが、息を荒げることなく一つの目的を達成した。この部屋に足を踏み入れた瞬間、あちらに自分の居場所が知れ渡っただろう。自身が危機に陥ることになろうとも、神の降臨が間近になっているため、一刻も早く彼らと雌雄を決したかったのだ。
「小百合……」と水車は囁いた。
底から触手が伸びているガラスケースには懐かしき母が眠っていた。女性の肢体を見せつけている包帯姿は誰かの趣味に違いない。片手で数えられるくらいの思い出に浸っていると、心の奥からもう一人の自分の声が聞こえた。意識を塗り替えてくるような強制力はなかったので、水車は耳を傾けた。
――ミーはママとパパに会いたかったのだな。夢でしか会えなくて、顔も声もわからないのだな。うにゅ、記憶喪失だと判明した時は、みんながミーを愛してくれたけれども……寂しかったのだ。夜が訪れるたびにミーは一人ぼっちになってしまったのだな。学校にいる時は平気でも、家は静まり返っていたのだな。ずっと誰かと一緒にいたかったのだ。
そんな願い、とうの昔に知っている。私と表裏をなす水月の考えていることくらい、おぼろげに伝わってくる。水月を本当の意味で癒せる人はいない。元気付けられる人はいない。
――今……ミーの周りには、ねぎとろやあとう、しまうまがいるのだな。ミーはもう、一人ぼっちじゃないのだ。うにうになのだ。
「自室に飾られたクライエントからの御礼の絵を見て、繋がりを再確認する貴女は一生、一人よ」
――うにゅにゅ? どこかからミーを呼んでいるのだ。誰なのだ?
「惚けても貴女は私の目を欺けられない。〝憎めない子〟、〝無邪気な子〟とラベリングされた貴女は自分自身を騙している。それが結果的に他人を治療させる破天荒な行いに繋がったとしても」
返答はなかった。どのみち、水月は鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしているだろう。
「私には貴女のような人望はない。だから、貴女の努力とひたむきさを私は認める」
――ミーは褒められているのだ? うーにうーに!
「いいえ。……それだけでは生きていけない。私は貴女の甘さを否定する」
胸がつつかれた。それは水月からのサインであり、色々な感情が津波となって押し寄せてくる。
――……ママぁ、ミーを見捨てないで欲しいのだ、寂しいのだ、抱いて欲しいのだな……。
泣きじゃくる声に鍵をかけ、水月を閉じ込めた水車は目を見開く。青い瞳はどこまでも広がる大宇宙のように澄み渡り、世界が燃えているかのように、その視界は赤色に覆わていた。
酸素と化合し、肺に蓄えられる天使の歌声。赤い世界にはそれ以外何も存在しない。契約違反によって地下都市は崩れ去ろうとし、今にもはち切れんとする膜だけがこの空間を維持している。もしも歌声で形成されている膜が破られたならば、未暮は地盤沈下し、多大な害を被ってしまう。
「久方ぶりね。〝ジギタリス〟、〝南天〟。後ろの方は〝タンジー〟のようね。水月が世話になったわ」
まだ原型を留めている昇降機から、三人の人間が姿を現した。水車は拳銃に指を沿わせたまま、彼らを見据えていた。
「へ? ど、どうぞよろしくお願いします……〝タンジー〟です。そ、そそそ、そんな、滅相もないっス。僕は遠藤さんに同調しているだけで……」と最も背の低い少年が言った途端、その横に控えている〝南天〟が「敵に自己紹介する人間がいるか!」と、〝タンジー〟のつんつん頭に拳骨した。
「ああ……〝鹿の子百合〟、君はどうして美しいんだ。瑕一つない宝石のようだ……」
と呟く〝ジギタリス〟を水車は罵倒する。
「相変わらず母のストーカーね。貴方は愛しき者が結婚した事を少なからず恨んでいたのでしょう? 年の差で母の眼中にはなかったのに……ククッ……ロートルめ。殺したいほど愛しているとは、カタストロフィー理論よ」
カタストロフィー理論とは愛情と理性によって抑えられていた気持ちが、裏切りなどによって憎しみに変わり、激しくほとばしる現象である。
〝ジギタリス〟の世界には〝鹿の子百合〟しかいないのだろうか。そうであれば、彼の視力は一体幾つだろう。二、〇のはずはない。もしかしたら一、〇もないかもしれない。眼鏡を新調するべきだ。
「リスをほっといてほしいサ。オレはリスの……目を青くする研究に携わってきた。それを貴様に邪魔されたくはないのサ。先日も〝ガーベラ〟を横取りしただろ?」
「人聞きが悪い。私は自分の役目を真っ当しただけ」
「役目って、君も僕と同年齢じゃないですか! 今ならまだ僕たちも手を下しません。僕らの仲間に――」
「断る。白浜の〝裏〟を知らず、権力や栄誉しか見続けない貴方達の仲間にはならない」
水車は〝タンジー〟の言葉を遮り、手持ちぶさたな拳銃を一回転させた。そんな水車の余裕綽々たる態度が頭にきたのか、〝ジギタリス〟は鬼の形相となる。そこには女の子に振りまくような笑みはない。
人生を棒に振ってまで築いた栄誉ある功績の数々。これこそが〝栄光の象徴〟たる所以――。
「……ふーん、余裕だな。〝タンジー〟は残党の始末を頼む。さ……、お喋りは終わりだ。警告どおり、殺しあおうか」
「斟酌は無用、貴方の栄光は風の前の塵となるのよ!」
戦いの火蓋が切って落とされた。




