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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
生と死の象徴
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凪人

 皮膚をすり抜けてくる冷気で体を起こした凪人は、それを発生している場所に向かって進んでいた。幾つかの層で成り立っている部屋は、どこも無臭だった。全体を照らす灯りは地下都市を覆う霞のようで、足元からのぼる光は自分の居場所を見せつけていた。


「あちーと思ったら、今度は北極かよ。夏服をやめておけば良かったぜ」


 体を動かさないと凍えて固まりそうだった。氷の彫刻になるのは勘弁(かんべん)なので、無我夢中で走る。鳥肌や凍った鼻水に構う余裕はなく、鋼鉄(こうてつ)の丸い扉をこじ開けた。全身がほんのり温まった頃、何かにつまずいてしまい、前方に倒れこんた。「いってぇ……」と言い、正面からぶつかった(あご)をさすりながら足元に顔を向けると、そこには牛乳のような白い棒があった。


「落し物か?」


 触れてみると意外に丈夫で、それは祖父の火葬の時にトングで挟んだ人骨に似ていた。投げてみようと思い立ったが、死者を冒涜してはならないと、寸前でやめた。


「人……骨。ああ、ここは……遺体の安置所なのか?」


『エンバーミングよ。奥には生きた死体が収納されているわ』と頭に響いたのは水車の声だった。


 エンバーミングという、遺体を消毒、保存処理をして長期保存を可能とする技法があることを凪人は学んだことがあった。人骨が落ちている理由は気になったが、火葬する設備はない。凪人は感慨深く部屋を眺めた。


『白浜はやむを得ない理由で殺害した人間を保存する。その骨は……月の目に飲み込まれる前に()がされて、亡くなった人間のものよ』

「日本でエンバーミングをやっている所があるのか……」

『ええ……貴方が捜している〝スノードリップ〟の遺体も保管されているはずよ』


 スノードリップ。それは狩谷が顔に似合わず愛していた花だった。人に贈ると「あなたの死を望みます」という花言葉があるらしく、凪人は一度も目にしていない。もしも見たことがあったならば、凪人は迷わず砂糖先生に贈りつけていただろう。いや、先生に贈り物なんてする気など彼には毛ほどもなかった。


『…第一保管室。そこからでは最も遠く、外に近い場所よ。遺体を持ち出しても構わないけれど、最上階には必ず来なさい』

「了解した」


 凪人は水車の言葉を信じ、決して振り返らなかった。




 第一保管室は他の場所と違い、透明な棺が並べられていた。腐敗のない美しい遺体は美術品のようにガラスケースの中で眠り、叩けば今にも起き上がってきそうだった。

(違う、これも……違う)

 傷のない顔を一人ずつ自分の記憶と照らし合わせる。吐息は白く、左足が重くなっていたが、そんなことはどうでも良かった。親友との再会。これ以上に喜べることはない。そのために俺は死にきれなかったのだ。お前が居れば何も望まない、と親友に言った言葉が胸を締め付けた。


「…………か、り、や……」


 捜していた人物は棺の群れの中の一画でひっそりと横たわっていた。校則を破ってまで染めた髪と、額にある傷を凪人は忘れられた試しがなかった。


「お前は……俺よりも背が高くて、腕っ節が強かったな。それに、俺を怖がらなかった」


 死んだ狩谷も不器用な人間だった。誰よりも優しいくせに喧嘩に明け暮れ、その所為で不良少年だと忌み嫌われていた。本当は人情深く、幼い子供を見捨てられない、根っからの子供好きだった。野良猫を餌付けし、(なつ)かれていたのは他でもない狩谷だった。


「俺の手首を見て、叱ってくれたのはお前だけだったんだぜ。屋上から飛び降りようとした時も、命を粗末にするな、と平手打ちを俺にしたよな」


 そう言っているうちに目頭が熱くなってきた。


「先に逝っちまうなんて、親友失格だぞ……」


 不意に何かがぶつかる音がした。自分以外に生きている人間はいないはずだ、と凪人は音がした方向を一瞥した。


「っ……親父、お袋!」


 親友が俺の言葉に応えてくれたのだろうか。振り返った先では、赤いしみの付いた服を着ている両親が安らかに眠っていた。








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