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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
生と死の象徴
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潜入

 外装は古びた旅館やホテル等の宿泊施設を思い起こさせた。敷地(しきち)が広く、至る所に隠し部屋がありそうな雰囲気である。


「この建物に〝ジギタリス〟、〝南天〟らの研究施設があるわ」


 立ち止まった水車は振り返り、この建物がどう見えるか訊いてきた。


「どうって、旅館かホテルだろ」と凪人が言った時、隣から驚きの声が上がった。


「えっ! アタシには高層ビルにしか見えないし。高すぎて顔を上げるのがつらいくらい」


 二人はあたかも別々の建物を論じているようだった。けれども、あるのは一つの建築物だけ。溜息をついた水車は(たた)()けるように何色に見えるか二人に質問した。


「アタシは水色に白。あんたは?」

「……紫っぽい色」

「あんたの目、(くさ)っていんじゃん?」


 これで何がわかるのだろうか。訝しげな目で水車を注視すると、一回視線をそらされたが、彼女は口を開いた。


「この地下都市は侵入者を欺瞞(ぎまん)するために、保護膜のような障壁が覆っていて、白浜の血筋であれば、生活に支障がない程度には仮初(かりそめ)の姿の都市を一望できる。要所要所は高貴、死体の色を印象付ける紫系……、凪人が正解ね。利華も目を()らせば見えるわよ」


 ばつが悪そうな顔をした利華は凪人に背中を向けて偽物の空を仰いでいた。


 凪人もじっと顎を上げて空を見る。


「へぇ……そういう訳で紫色の粉雪(こなゆき)が降っているのか」

「白浜において、色の識別能力は先天的な能力とされているわ。……(ようや)く、私の母が貴方に重

要機密を渡した根拠がわかった……」


 水車の言葉をかき消すかのように、利華が「何、あれ」と指差した。それは凪人も気になっていた塔だった。


「霞が見破られるようになったのね、利華。あの塔は太陽神と意思疎通ができる唯一の聖域よ」


 納得した利華は水車に督促(とくそく)されるまで、その塔を睨みつけるように凝視(ぎょうし)していた。




 猫のようなしなやかさで窓ガラスを割った斥候(せっこう)役の水車に合図され、後ろに控えていた凪人と利華が素早く建物に侵入した。背中にナイフが刺さっている人間を目敏(めざと)く見つけてしまい、凪人は後悔に囚われた。


(俺は狩谷の遺体を引き取りに来ただけだ……。人殺しをしたい訳じゃねぇ)


 覆水(ふくすい)(ぼん)に返らず。地上の太陽の大きさでもそう思ったが、堂々と見せつけられると選んだ道が正しかったのかわからない。手を染めることが最善の策なのかわがからない。心拍数が上昇し、いつか押しつぶれそうになる。


 数発の弾丸が壁や人体を穿つ。顔色一つ変えずに引き金を引く小さな少女は愚直(ぐちょく)で裏表がない、あの水月だったのだろうか。残酷(ざんこく)な死神のような姿で俺の魂を狩りに来たのではないだろうか。俺はこんなにも死を受け入れているのに、床に寝そべっている彼らは……。


 機械の稼働音が停止し、小規模な爆発が起こってから、凪人は現実に引き戻された。


 先陣を切るのは水車。その後ろに利華、凪人と続く。つまずいたのか、体がぐらついた凪人はたたらを踏んだ。駆け出した時には遅く、数百メートル離れたところでシャッターが下り始めた。


「利華、凪人っ」


 先導していた水車が叫んだ。建物内の震動は収まらず、人間が立ち上がっているのを邪魔する。凪人にとって水月という存在は、こんな風に纏わり付くお邪魔虫だったのだろうか。


(そんなんじゃねぇ……遠藤は仲間だ。だがな、それは治療仲間だからじゃねぇ。俺らは同士だ!)


 先を走っていた利華はスライディングをし、シャッターの向こう側になんとか辿り着いた。


「この、のろま。後ろから防衛兵器が迫って……!」と利華の叱咤(しった)が耳に痛い。


 意を決し、凪人は振り返った。天井すれすれで目を光らせている野球ボール大の球体が驀進(ばくしん)している。また目を光らせたと思ったら、フライパンの上で肉が焼かれているような音がすぐ傍で聞こえた。放たれた熱線に触れた壁は溶け始め、床に流れ落ちる。


「じょ、冗談じゃねぇよ!」


 小学生の頃に夢中になった野球の感覚を深遠からよびおこさせ、凪人はベースに滑り込んだ。




「……あんた、何を」と言った利華の手足は極度の緊張で震えていた。


 水車の髪は(つや)やかさを失っていた。その反動なのか内側から衝撃波を生み出した。吹き溜まりを吐き出すかのように、しきりと唇を動かしている水車は腰を低くする。


「入ってくる、アタシに……声と意思が」


『利華ちゃん、助けを呼んで。大丈夫、私の水車は賢い子よ……』


 窮地(きゅうち)(ひん)した時、打開策を提案してくれた声が利華の頭に浸透(しんとう)する。水車は利華の深層心理を〝鹿の子百合〟と連結させたのだ。利華は深く息を吸い込み、お腹から声を発する。


「Βοηθεια(ボイーシア)!」


 時間が止まったように感じた。




 危機から免れた三人は手短に自身の目的を話した。水車は今回の首謀者(しゅぼうしゃ)〝ジギタリス〟を叩き、神の怒りを静めること。そして余裕があれば〝鹿の子百合〟の捜索。利華は未菜の奪還。凪人は狩谷の捜索。


「俺達の目的はどれも似通(にかよ)っているな。お前らも何かを失ったのか?」

「そんなこと、簡単に言う訳ないじゃん。あんたも水月に似てデリカシーが欠如しているし」

「……水月」と水車が(かす)れた声で人知れず呟いた。


 角を曲がる頃、人の足音が響いてきた。反射的に身を乗り出した水車は銃を構え、先手を取った。発砲され、胸に穴が開いたのを知らずに即死した敵は名も知らない青年だった。水車はその青年の亡骸(なきがら)を平然と転がし、踏みつけた。


 非道な態度を目にし、冷静を保とうとしていた凪人は助けてもらった恩を忘れ、水車に掴みかかった。


「お前、それでも人間かよ。人間なのかよっ」

「人間の定理とは何? 睡眠? 食事? 感情の変化? ……どれも私には必要でないものよ」


 そう言われた凪人は掴んでいた手を放し、「やめろ、寂しいじゃねぇか……」とぼやいた。


「月の目を継承した人間の末路を貴方は知っておくべきよ」


 凪人に近寄った水車は彼の無抵抗な左手を取り、自身の胸の中央に当てた。視線をどこに向けて良いのかわからなかった凪人は逃げようとしたが、水車の方が一瞬に出せる力は上だった。耳まで熱を放出している凪人は自身の右足に視線を落とした。親指と小指から伝わってくる控えめな柔らかさが艶かしかった。


 水車は死神ではなく、生身の人間だった。そう訂正した凪人は奇妙な違和感で目を見開いた。


「ね、心臓の動きが弱いでしょう? これは(さだ)めなのよ。私達はいつか、己の月の目に意識を奪われ、飲み込まれ、最後には宝石だけが残る……」


 理科の授業の一環で、凪人は心臓が動いている音を聴いたことがあった。それに比べ、手から伝わってくる鼓動は遅く、弱々しい。もしかしたら自分が取り乱しているため、この音が冷静で落ち着いているものに感じるのかもしれない。異常なまでに興奮している自身が情けなかった。


「昨日見せてくれたあれって、誰かの命なの?」と利華が恐る恐る口を挟み、水車はわずかに頷いた。


「人間が老いるように、白浜も生理的欲求の必要性がなくなる。水月は成長期後に食事を拒んだ」


 やっと解放された凪人は水車の肩を掴み、青い瞳の奥を知ろうとした。水月が拒食症であることは初耳だった。確かに昼食を共にしたことは一度もない。ただ、それはどこかの教室に出かけているからだろうと凪人は思っていた。


「ずっと……遠藤は誰にも話さずに一人で抱えていたのか?」

「白浜の関係者は薄々勘付いている。大部分の人は灯亜の配慮で上手く攪乱(かくらん)されているのよ」


 水月が〝生の象徴〟と名乗った理由。彼女は命が長くない事を察し、その痛みを隠すために作り笑いをしていたのだろうか。残された時間を有意義に過ごそうとしていたのだろうか。


「凪人、勘違するな。水月は生きている。彼女は私の防衛人格、それ以上でもそれ以下でもない。今は眠っているだけ……。話は終わりにしましょう、時間が惜しい」


 銃を上着の中に隠した水車は颯爽たる姿で回廊を駆け抜けた。


「……俺は無知だったのか?」


 凪人は水車の背中を追った。自分よりも背が低いはずなのに、それは両親と同じく大きかった。


「あんたってさ、やっぱ変わっていんじゃん。てゆうか、アホ?」と吐き捨てた利華が凪人を追い抜く。「どこがだ」と凪人が反駁すると、返事はすぐに返ってきた。


「だって、水車はあの下に何か着ているし。なのに……ときめいちゃって」


 利華の視線が心臓を貫いた。不審者を見ているかのような軽蔑(けいべつ)の眼差しは、鈍いとクラスメイトから評価される凪人でも明解だった。







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