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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
暮れない都市
31/41

永久の象徴

利華サイド。


 放課後、利華は息を切らしながら市街地を放浪(ほうろう)していた。学校が終わり、日が傾き始める時刻なのに外はまだ明るく、時計なしで迂闊(うかつ)に出歩くことは危険だった。人によって太陽の明るさが違く見え、薄く見えている人には白夜や薄暮(はくぼ)と勘違いするかもしれない。また体内時計が狂ってしまった人もいて、日中でも安全は保障されなかった。


 完全な覚醒(かくせい)を迎えていない利華は空を見上げる度に認知する色が変化していた。


「未菜っ! どこに行ったの!」


 声を張り上げ、制服姿のまま道路を横断し、訝しげな住民の前を矢の如く走りすぎた。


 今日も変わらずに未菜が入院している病院を訪ねたが、病室に未菜本人の姿はなかった。ベッドの下や洗面所などを(くま)()く調べても、見つかったのは『お姉ちゃん、今までありがとう』と書

かれた置手紙(おきてがみ)だけ。受付の人から外出記録をひったくっても、渡瀬未菜の名はなかった。


「未菜! いたら返事をしてっ」


 嫌な予感が胸に渦巻く。父親に捕まったか、それとも未菜が自ら逃げ出したか。数年の年月を経て、父親が直々に出向くとは考えにくい。それに頼るあてが無い未菜が逃げ行く居場所など存在しない。あるのは利華と未菜という二人きりの家族。未菜を奪われたならば、利華は立ち直れないだろう。


 未菜、と何度も叫んでみたが、山のように屹立(きつりつ)している建物に跳ね返されるだけだった。

利華が孤独でも傷つけられても平気な顔をしていられたのは未菜のおかげだ。強がりだとわかっていても、未菜の前では気丈に振舞っていた。弱さを見せつけてはいけない。見せつけたら、(ほころ)びた穴を他人につけ込まれる。だからといって未菜をお荷物にする訳にもいかない。未菜が目を(うる)ませ、涙を堪えるためにしばたたく様子を想像してしまい、周囲への警戒(けいかい)が疎かになる。


「……渡瀬さん? 声が震えて……」


と、前方から未暮学園の制服を着用している男子が駆け寄ってきた。


「あんたには関係ないっ!」


 この台詞を言ったのは何度目だろうか。どすのきいた声と猜疑(さいぎ)の目で睨みつければ、大抵の人は去ってくれる。そうして利華は心を偽ることがお手の物になった。そのため、こいつもどっかに逃げていくと信じて疑わなかった。


「……それが関係あるんだよ。ぼくらも高みの見物ができなくなったんだ」


 (さわ)やかな笑みを絶やさない人物は中等部から同じクラスだ。今も同じなので成績は良い。特に目を()くところはない。苗字は滝波(たきなみ)。名前は興味ない。あの(やかま)しい野球馬鹿とはよくつるむくせに、性格は気弱で水と月のような人間。付け加えると、あの馬鹿は小柄な水月に一泡吹かされたらしく、無様(ぶざま)だと冷笑した。そのような言動は利華に友達が少ない原因の上位を占める。


「ほら、これで拭いて」と滝波から一枚のハンカチを差し出された。これで何を拭けと言うのだろうか。逡巡していると、顔にふわっとした素材が触れた。相手が自分の目元にハンカチを当てていることで全身が(そう)()()ち、その手を水月が自分に伸ばしてきた時のように無意識に振り払った。


「Μην(ミン) με(メ) αγγιζετε(アンギーゼテ)!」


 利華は一刻(いっこく)でも早く未菜を捜しに行きたい衝動を抑え、鷹揚(おうよう)な滝波に怒声(どせい)を浴びせた。この言葉――ギリシャ語は未菜から教わった言語の一つであり、姉妹の絆を見せつけられるものである。


「……いや、そう言われても、どうしようもないかな。離したら消えそうだし……」

「Αψησε(アフィーセ) με(メ)  ησυχηδ(イーシヒース)!」


 顔を伏せた利華は逆上し、わざと滝波の足を踏んだ。滝波は踏まれた膝を抱くようにして足を擦り、(うずくま)った。直後、すぐさま立ち上がり、春風(はるかぜ)のような笑みで(ほが)らかに言う。


「渡瀬さん、妹さんが行方不明なんだよね? 苛立(いらだ)つのはわかるけど、抑えて、抑えて。ぼくの命が幾つあっても足りなくなるから」

「…………あんた、あいつらの仲間? アタシは妹の存在を自ら他人に明かす真似はしない」

 

 どだい、同学年の同情を買ったり()びたりするのは自身のやり方に反する。例外を一人だけ思い浮かべた利華は眼帯に触れながら滝波を見据えた。


「あいつら……? 言ったっけ、ぼくも白浜だよ。月の目も花の名前も(さず)かっていない、かなり

遠い親戚だけれど。あっでも、残っているのは――」


 滝波は利華の手を握り「受け取る能力……かな」と呟いた。利華は余りの出来事に言葉を失い、動転して滝波に平手打ちした。子供がお菓子に伸ばした手を親に叩かれたような図だったが、利華の頬はほんのりと桜色に染まっていた。


「手加減ないね……『触らぬ神』という二つ名はぴったりだよ」

「で? 悪いけど、アタシは急いでいるの。邪魔するだけなら帰って」


 利華は遠回しに邪魔だと言い、不測の事態に対応するために一歩下がった。

「白浜一族はそれぞれに特化する能力があるんだ。その中でも、伝え手と受け手は無常なこの世の縮図だと思うよ。なんたって現代は情報世界だからね」


 滝波は利華の手を指差し、言葉を続けた。


「渡瀬さんの手は氷のように冷たかった。それは伝え手として常に熱を放出し、限度を超えてしまった末路なんだ。この場合、熱だけでなく意思や感情もそう。受け手なら……反応できるよ。それと……もう一つ変わった力を持っているね。空気が震えている。珍しい能力だね。言霊(ことだま)っていうのかな。無効化させるの骨が折れたよ」


 未菜や水月にも冷たいと言われた手。利華は己の手で上着の裾を握り締め、未菜に対する不甲斐(ふがい)なさに嘆いた。未菜は利華の演技を見破り、奥に秘められた本当の思いを感じ取っていたのである。その事実に(ふた)をしている利華の方が甘えているほうだったのだ。


「アタシが伝え手……未菜を捜す為のレーダー……」

「きっと、渡瀬さんなら妹さんに伝わるよ。なんたって、ぼくを……薫陶(くんとう)させられるから」


 今度の滝波の笑みを嫌だとは思わなかった。利華は「ありがと」と短く御礼を述べ、長い道のりを一人で駆け出した。目指す場所は無限の未来という、銀河のように広大で掴めない夢想ではない。利華は自分と向き合って見つけた、本当の敵に打ち勝つために前へと歩んでいく。


        *


 五月十三日木曜日。体内時計が狂い始めた者達が()まり場を作った日。


 利華は朝帰りだった。昨晩は未菜の捜索をぎりぎりまで行い、偶然にも通りかかった水車に事情を朴訥(ぼくとつ)敷衍(ふえん)し、理解を得た上で手を借りた。どうやら水車も今回の太陽関係の騒動を(けむ)たがっていたらしく、様々な有力情報を包み隠さず教えてくれ、解読の難しそうなバインダーも水車の手にかかれば一時間程度で全内容が和訳された。


 抜き足差し足忍び足で玄関に入った利華は父が寝ている様子を見て胸をなでおろし、二階の自室に直行しようとしていた。階段の一段目に上ろうと止まった瞬間、急に足が動かなくなった。体が(すく)み上がり、一気に全身の血が引いていく。


「なぁんじだと思っていんだよォ、このガキ!」と飛んできた言葉で咄嗟に身を翻した利華は、(から)の瓶が割れる音を耳にしたのと同時に鼻を押さえた。記憶に焼きついた酒の匂い。現実逃避し、生きる事をやめた虫けら同然の匂い。こうなったら最後、拷問(ごうもん)部屋に連れられる。その部屋のカーペットには大量の血が染み込み、現在まで虐待に耐えてきた事を如実(にょじつ)に物語る。


「まさか、その眼帯を外してほっつき歩いていたのか? あ? ……ふざけんな!」


 父が青い目を異常なまでに怖がる理由を自分は知っている。父は自分と違い無力で、地獄から這い上がれない。上司から命令され、会社に使われ続ける平社員のように。能面(のうめん)のまま、父に軽蔑の視線を向けていると、不意に髪の毛を引っ張られた。離せと抗っても、武道家でない女子高生の力など高が知れている。体を引きずられ、あの部屋との距離が縮まる。


(アタシは逃げない。今回は水車の提案で監視カメラが仕込んである。その映像を突き出せば、アタシと未菜は解放される……!)


 頭脳(ずのう)明晰(めいせき)な水車との邂逅(かいこう)。彼女が達観(たっかん)している原因は、恐らく世間擦れしているからだろう。


 二重人格者としてではなく、未菜と同じように何かを宿命付けられ、一生背負い続ける身として。


(神様がやっとアタシに微笑(ほほえ)んでくれた。水車と引き合わせてくれて、感謝してもし尽くせない)


 父が腕を振り上げたのを目にし、利華は腹をくくって、歯を食いしばった。ギリッと奥歯が擦れて鳴った直後、胃酸が逆流して口の中に染み出してきた。


 忘れられない痛みと共に生きなければならない。これこそが〝永久の象徴〟たる所以――。

  






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