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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
暮れない都市
30/41

思い出した過去と少女の予言

凪人サイド。


 五月十二日水曜日。肌がじりじりと焼かれ、目玉焼きの気分になった日。そして未暮学園で夏服が正式に許可された日。


「奥山!」と呼び止められ、登校したばかりの凪人は立ち止まった。後ろを振り返らずにいると、シャツ一枚を通して冷たい感触が伝わってきた。真後ろからは男物の香水が漂ってきて、至近距離でないと気付かない程の微弱なこの香りを好む者を凪人は一人しか知らない。


「例の物だ、使い方を誤るなよ。これだって良心の呵責(かしゃく)だ」


 そう遠藤先生は慇懃(いんぎん)に耳打ちし、足早に立ち去った。まだ七時ということもあり、正門付近に三々五々群れになる程度で教師の数も極端に少ない。昇降口の小奇麗な壁に背中を預けながら凪

人は教師を欺瞞(ぎまん)している自分を責めたが、人身御供(ひとみごくう)は避けられない、後戻りはできない、とリュックを開けて丁寧に包装された例の物を中に放り込んだ。


「ふあぁ……ねみぃー。誰だよ、こんな時間に起こしやがって……」


 兄は仕事で忙殺(ぼうさつ)されているのか凪人と擦れ違いの日々だった。朝食と弁当を用意してくれるのは手間が減るので助かる。しかし、腕は褒めるほど大して良くはないため、いちいち感謝する気にはならなかった。どうせなら自分で作ったほうが技術向上に貢献すると、自身の無精な性格を(たな)に上げて沈思(ちんし)した。


「……にしても、あちーな。放課後になったら屋上で天体観察をしてみようか。太陽が世界を飲み込む瞬間をこの目に焼き付けてみたいぜ」


 それだけではなかった。一人になれる時間が欲しく、頭の中を空っぽにしたかった。探していた薬品を手に入れ、親友と死別した生臭い事件へと近付けたのだから、この世の未練(みれん)が一つ減る。その先に何があるかなんて関係ない。背負っていた荷物が減っただけでも十分な前進だ。


「こんな時、お前は……何をしている?」


 太陽がドーム状に覆っている空を全開の窓から体を乗り出して見上げてみる。この天気が続くと、忘れ物を見つけられそうな錯覚に陥る懐かしい声がテープレコーダーのように何度も頭の中で繰り返された。大半を忘却して霞がかっている、あの事件に立ち合わせる原因を作った少女の凛とした台詞が(よど)まずに耳元で鳴る。


(そうか、そうだったのか……)


 凪人は歩きながら記憶の整理を始めた。


 ――地元の小学校入学を控えていた俺は両親にせがみ、実家の未暮市にある海へ連れて行ってもらった。太平洋は未暮市以外にも面していたが、親が見ていた世界を見たくなったので、その場所を選んだ。車に揺らされ数十分。目の前に広がっていたのは物静かで茫漠(ぼうばく)としており、沢山の命に溢れている海だった。日光に照らされ、海面は銀色に輝いていた。


 まだ純朴で無邪気だった俺は、春の海は清冽(せいれつ)だというのに足を突っ込んでいた。そんな様子を両親が離れて見守ってくれており、こちらが手を振るとシートの上で手を振り返してくれた。


 やがて海の神秘さや尊さに惹かれていった俺は知らず知らずの間に親の目に届かない場所に迷い込んでしまった。岩を飛び越え、時には砂浜を掘り、一人で遊びほうけていた。そんな時、声をかけてきたのが青い髪をした同年齢くらいの少女だった。その白浜に立つ姿に目を奪われ、息を呑んだ俺の顔からは火が出てしまい、砂のお城と比べるようにして見ていた。


『海で遊べるなんて……貴方、庶民(しょみん)ね』


 整った外見の割に彼女の発言は痛烈(つうれつ)だった。


『しょみんってなあに? 食べ物? 僕は野菜たっぷりのはるさめとか、にざかなが好きかなー。とうちゃんは釣りの名人だよ、すごいんだよ!』

『……食事などの、生理的欲求なんてどうでもいい。いつか私には必要でなくなる』

『お魚は美味しいんだよ。それを食べられなくなるなんてかわいそうだよ。おにいちゃんが言っていた、食べることは幸せだって。きみは幸せじゃないの?』

『幸せの形は人それぞれよ。一概(いちがい)には言えない』

『むずかしいなー。んじゃさ、きみの幸せってどんなの?』

『平和……、私達が生きている限り、この世は平和よ。飛来(ひらい)する太陽が出現するまでは……』


 彼女は空を見上げていた。


 分からないことだらけで頭が混乱していた俺は誤ってお城の一部を崩してしまった。波の満ち引きさえ気付かずに、いつか崩れることにも気付かずに、なぜ砂のお城なんて(しょう)にあわないものを作ったのかは思い出せない。彼女の言葉に動揺したのはなんとか覚えている。


『ひら、い? ヒラメのしんせきさん?』

『否。飛ぶことよ』

『変だよ。たいようは飛ばないよ……?』

『世の中には常識だけでは測れない事象が少なからず存在するのよ』


 想像を超えてしまい、俺は(うな)りながら小さい頭をフル回転させたが、プシューと空気が抜けてしまった。見兼ねた彼女は優しい目つきのまま話を続けてくれた。


『そうね、例えば(まゆ)が浮遊していたらどうする?』

『……まゆ? ふゆう?』

『いつか理解できる日が来る。その繭の中では神様が生れ落ちる準備をしているのよ。もし(かえ)ったならば未暮市や周辺に多大な被害が及ぶ。貴方も無神経ではいられない』


 笑みを浮かべた少女は俺を()()みするような目で見た。同時に長い髪をかきあげ、潮の香りと似た香りが俺の鼻をくすぐった。


『貴方からは死の香りがするのね』

『ぼくの香り? どんなの?』

『死に魅入られることは、決して悲運ではないわ。逃げても後ろにあり……行動によって道は開かれる。〝死〟以外の選択肢を選びたいのならば呵責(かしゃく)は気力の浪費よ。客観的に尚且つ、冷静に(おのれ)の立場を()(きわ)めなさい』


 その後、俺は終始彼女に質問攻めをした。二人の会話は食い違いながらも、互いの価値観を認めるようになり、彼女が誘ってくれたのだ。もっと冒険の血が踊るような場所に行こう……と。俺は親に内緒で研究所に行った。見たことのない機械や何やらで舞い上がり、彼女に案内されながら様々な場所を見学した。当時、彼女がそんなに施設について詳しい理由を微塵(みじん)も疑わなかった。『……母さん』と彼女が物憂げな瞳で注視していたことにも気付けなかった。


 何の(まえ)()れもなく事件は発生した。研究所は内側から爆発し、飛び散る瓦礫(がれき)が雨のように降り注いだ。躊躇している暇はなく、足を(ひね)ろうが()()こうが、ただひたすらに走り続けた。丘の上からは海を一望できた。そのとき初めて彼女がいないことに気付き、悪寒が背中を()った。(ひたい)脂汗(あぶらあせ)が浮かんで足元が竦み、失意のどん底に浸った。一瞬人影が見えたので一縷(いちる)の望みをかけて近寄ってみると、その人影の髪は少女と同じ色だったが、雰囲気は対照的で母性の結晶のような、人間を安心させる笑顔を浮かべていた。少女の捜索(そうさく)と、この人の笑う理由を知りたい欲求がせめぎあい、しょうもないことを()いてしまった。


『おねえさん、なんで笑っているの? なんで? どうして?』 


 それから物事は劇的な展開をみせた。棒状の物体を渡された直後に、瓦礫が落ちてきてその人は埋もれてしまった。唖然(あぜん)としていた刹那(せつな)、騒ぎを聞きつけた両親が迎えに来てくれた。話したいことはいっぱいあっても、振り返らずに大きな二つの背中を追っていた。倉庫のような場所まで逃げ込むと、まず母の背中が揺らめいた。続けざまに父も突っ伏した。血の海が両親の体を中心に広がり、助からないのだと俺の頭は判断していた。現実を否定し、両親の名を叫び続けていると、『逃げなさい』という言葉しか返ってこなかった――。





「……馬鹿だな、俺」


 凪人は屋上で空を仰いでいた。名も知らぬ少女やおねえさんがしていたように風を肌で感じ、自分の存在がいかに矮小(わいしょう)であるのか、しみじみ思った。


 学校が静まり返った時間を()(はか)らい、凪人はその日のうちに遠藤先生に譲ってもらった薬品を試した。


 結果は言うまでもない。







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