表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
暮れない都市
26/41

あなたは誰?

 月に照らされる暗黒の都市にぼんやりとした人影が浮かび上がった。白いジャケットと黒いスラックスという、ちぐはぐな装束(しょうぞく)は帰宅途中のスーツ姿で鞄を持つサラリーマンやOLとは、かけ離れていた。


「取り返しのつかない事態を招いてくれたわね、〝ジギタリス〟。我ら白浜への侮辱(ぶじょく)は神への(ぼう)(とく)()()すぞ」


 前傾(ぜんけい)姿勢(しせい)を保っている声の主が動く度に、背負われたもう一つの人影の腕がブランコのように揺れた。


「……まさかこんなにも早く引きずり出されるとは、私の予見が外れたわ」


 人影は足音をさせずに裏通りを徘徊(はいかい)し、やがて歩き疲れたのか頭上に広がる満天の星空を見上げた。天井に貼り付けられた星達の光の強さはそれぞれ違い、素人では描き出せない情景だった。


「この光景も見納めね……。優先順位は〝ガーベラ〟の回復。これもまた脅威であることに違いない……『天は自ら助くるものを助く』とは虚言(きょげん)でないな。先人も素晴らしい(ことわざ)を後世に残してくれた」


 星一つの明かりは小さいかもしれない。惑星のような大きなものに及ばない、自己主張の苦手

なものであるかもしれない。同じ事がこの世に蔓延(はびこ)る人間にも言えるだろう。


「時は巡ってきた」


 人影はそう呟き、脱兎(だっと)の如く反射的に林の中に身を潜めて闇に溶け込み、息を殺して辺りを警戒した。




「……どこで油を売っているのだ、花売りは!」と未暮市郊外へと続く街道から足音が接近してきた。音と音の間隔が広く、地響きを伴ったそれは男性のものだろうか。男性は暴言を吐き捨てながらゴミ箱や草木を蹴り倒して回っており、散らかる音、衝撃音は余すことなく身を潜める人影に情報として蓄積(ちくせき)された。


「どうか気をお静めくださいませ。あなたの役目はわたくしの護衛ですわ」


 今度は女のものだろう、高めな声が空中を飛び交った。


「はっ……、失敬。ですが、一つだけ発言をお許しください。お嬢様は花売りの肩を持たれるのですか?」

「……彼らのご協力により、霧生家は牛耳(ぎゅうじ)()り続けられました。この美風(びふう)を途絶えさせてはなりません」


 板が割れるような周囲を圧倒する音。下駄を履いた着物姿の女性が男性の数歩後ろに居た。


「それでは相手方が参られない以上、後日にいたしましょう」

「よ、良いのですか? この商談が失敗すれば貴女の責任になるのですよ! (つる)の一言で立場が危うくなります!」

「構いません。苦渋(くじゅう)の決断ではありますが……」

「とう――」

「わたくしは〝月下美人〟です。その名を軽々しく扱うことは磔刑(たっけい)に値します」


 女性は男性に横槍を入れ、口をつぐませた。肩をすくめてみせた男性は納得がいかないのか「それでも!」と懸命に食い下がった。


「……その話、乗ろう」


 その場に居合わせた何者かが言い放ち、男性と女性は、ほぼ同時に振り返った。両者とも目の前にいる人物に呆気に取られ、言葉を失っている。いつ頃から盗み聞きされていたのだろうか、と言いたげであった。


「〝月下美人〟、私と取引をしないか?」


 挑発的に話し、取引を持ちかけたのは林に身を潜めていた人影だった。月影のお蔭で人間を背負っているところまでは目視できるが、それ以外の特徴は霧に包まれている。雲が月を覆い、一層暗くなったため、さらに認識が困難となる。恐らく男性と女性は人影が一体誰であるか気付いていないだろう。『私』という敬称は性別を問わずに使用され、読み取れる情報はわずかなので、安易に信じると惑わされてしまう。また、変声機を通した声である可能性も否定できない。


「気が動転すると頭が真っ白になって足が竦む、という弱点は遺憾(いかん)千万(せんばん)ね」

「こいつ、お嬢様を知っているのか!? ……下がってください!」


 男性は両手を広げて女性を後ろに隠した。その隙に人影は荷物――もう一つの人影――を下ろして肩を上げ下げした後、目を細めて嘲笑していた。


「ククッ……無意味ね。そんな弱腰(よわごし)では私から一本も取れない」


 雄叫びを上げ、男性は声を頼りに人影に襲い掛かかった。


「お姫様を守る騎士の分際(ぶんざい)で、夜目(よめ)()く〝マリーゴールド〟に歯向かうとは」

「マリー……ゴールド! 花……!」


 人影は男性の拳をすんなりとかわし、反撃に転じた。一方、絶句している女性は足が震えていて動けないようだった。着物を汚したくない、という理由でもあるかもしれないが、それでは突っ立っている置物にすぎなかった。


「貴方が息絶えたとしても、私に落ち度はない」


 人影は得意げに言い放ち、華麗に男性の背後に回った。それから首に狙いを定めて手刀を振り下ろす。体勢を崩した男性はよろめき、コンクリートにキスするかのように頭から落ちた。その好機を見逃さまいとして、人影は男性の鳩尾に拳を捻じ込み、(あご)を蹴り上げた。蝶のように舞い、蜂のように刺す人影は規定されたマニュアルのように人体の急所である肩口と脇の下を的確に打つ。(うめ)く男性は何度も這い上がったが、足元は覚束(おぼつか)ず、受身でさえも取れていなかった。


「わたくしは、どうすれば」と女性は地面に視線を落とすと、男性から叱咤(しった)される。


「逃げてください! 花売りに恩を売ったら霧生家の人望に関わります!」

「ふん。あいつよりも()(ごた)えがない。彼ならばもう少し私を愉しませてくれる」


 人影は男性の右手に銃口を突きつけた。ベルトに挟んでおいた自動式拳銃を構えるまでに要した時間は瞬き三回分。まさに天下一品だった。そのような偉業を成し遂げた人影は悪びれもせずに男性を見下していた。


「っく、ばれていたのか」


 胸に忍ばせた護身用の得物(えもの)に触れようとしていた男性は手を止め、あっさりと負けを認めた。敗北の理由としては優柔不断の行動が挙げられるだろう。近隣への迷惑を考慮してしまい、銃器の使用を躊躇ったのだ。

 人影の標的は男性から女性に切り替わる。


「……決断せよ、〝月下美人〟」


 実物の拳銃を見せつけられた女性の頬には大粒の冷たい汗が伝わり、絶えず唇を動かしてはいたが、戦慄(せんりつ)していて言葉を発せられない。


「フッ……(しら)を切るのかしら? 起死回生の手を打っていないならば、まだ私の優勢よ」


 人影は銃口に息を吹きかけた後も言葉を続けた。


「幼少期から聡明な貴女は億単位の金が動く瞬間を何度も目にし、親の事業を継ぐことに疑問を抱いていなかった。繰り返すが、幼少期までは……ね。生き残るための〝駆け引き〟を行うようになってから、その幻想は崩れ去った」


 背中を向けた人影は仰臥している男性に見向きもしなかった。


「裏社会を知ったのでしょう? それからというもの、貴女は親の事業に反感を持ち、政略結婚を拒んだ。相手は狩谷と言ったわよね? 花売りから準備された彼は貴女に拒まれ、白浜の手にかかり非業(ひごう)の死を遂げた。それをあいつに教えたらどう?」

「や、やめてくださいっ! それ以上は……」


 真綿で首を絞められた女性の眉が曇り、声をなんとか搾り出していた。


「家を継ぐという宿命からの自由と解放を求めた貴女は〝自由の象徴〟――(いな)、霧生灯亜として何色の世界を望んだ? 血にまみれた赤? それとも――」

「それ以上、侮辱(ぶじょく)するな!」


 男性はうつ伏せのまま人影に向かって銃口を向け、引き金を引いた。


「力に頼ったら……終わりよ」


 片足で軽々とターンした人影は弾丸をかわし、男性の持つ拳銃をすかさず連射する。一般人には非現実的なものである銃撃戦が市街地で繰り広げられ、乾いた銃声が幾度も轟き、夢でないことを彷彿させる。幸い、辺りは死んでいるかのように静まりかえっていたが、発見されるのは時間の問題だろう。


「なっ!」と男性の声が漏れた。


「……(しん)()様、いかがなされました?」


 弾かれた拳銃は路上を滑った。男性は立ち上がろうとしたが、急所を打たれたために体に力が入らないようだった。彼を補助するために女性――霧生灯亜が駆け寄る。


()(つくば)る姿は滑稽(こっけい)ね。蚯蚓(みみず)のように地面に潜ればより面白いわ」


 灰色の雲が晴れ、月の全景が水溜りに映った。そして静穏な光が三人を照らした。

 猫のように目を光らせる人影は黒に似た長髪の少女であった。顔の右半分は前髪なのか横髪なのか、「切れ」と思わず言いたくなるくらいの髪に覆い隠されていた。線が細く、要所にあどけなさを残す少女は凄みのある顔でお高くとまっていた。


「ま、まさか……あなたは!」


 言い放った灯亜は口を手で隠し、薄っすらと涙を浮かべた。そんな(はず)がない、と目を疑いながらまじまじと少女を見つめる。


 少女の髪と鋭い瞳が夜気の中で怪しい輝きを放つ。彼女はつくられた幻想的な空間の主人公となった。彼女のためにこの世界があるのだ、という風格は支配者や王者のようでもあった。


「……水月さん?」


 親友に名前を呼ばれ、少女はニヤリとした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ