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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
忍び寄る凶行
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凪人の誕生日

 雨が上がったお昼頃、凪人は水月に背中を押されて調理実習室に連れてこられた。(かんば)しい香りは廊下にまで広がり、凪人の鼻をくすぐる。


「ねぎとろっ、心の準備は良いのだな」と飛び跳ねるような声をしている水月を尻目に、「……何が?」と凪人は冷めていた。


「うにゅ、せーのっ!」


 水月が晴れ渡るような笑みでドアに手をかけ、力いっぱい引いた。


「「「誕生日、おめでとう!」」」


 呆然としている凪人の眼前に広がっていたのは、クラスメイト全員が拍手しているのと、クラッカーの(ひも)が引かれる光景だった。紙テープや紙ふぶきが飛び出してきたので、凪人は一瞬目を(つむ)った。もう一度時間を掛けて目を開けると、同じ光景が繰り広げられていた。目を疑いたくなったが、夢ではないらしい。笑い声や香りがそう証明してくれた。


(そういえば、今日は俺の誕生日、か……? 本当に今日だったか? 五月八日だったか?)


 胸がちくりと痛む。まるで思い出してはいけないことを思い出しているような。


 五月八日が誕生日だとすれば、突然の兄貴の帰省や友人の奇怪な行動も辻褄(つじつま)があった。特に後者はあらかじめ用意をしておいたらしく、白いクロスがかかったテーブルにはケーキを始めとしたプロ顔負けの料理が並べられていた。


「なーにぼさっとしてんだよ、凪人! 主役なんだから、こっちに来い!」


 男子生徒に案内された凪人は豪奢(ごうしゃ)な特別席に腰をかけさせられた。その道中で何度かクラスメイト達に背中を叩かれていたが。


「さあ、パーティーはまだこれからだ。去年はしくじっちまったからな、盛り上がっていこうぜ!」と(はや)し立てられ、全体が意気揚々(いきようよう)とした雰囲気になる。


(久しぶりだぜ、誕生日を祝われたのは)


 凪人は目の奥が痛くなるのを感じ、同時にひと時の幸福をも噛み締めていた。




 五時限目と六時限目の特別活動の時間を使用し、凪人の誕生日会は盛大に催された。片付けは分担されたために誰も文句を言わず、十数分で全工程が終了し、調理実習室は以前よりも数倍の輝きを放っていた。ガスコンロ、流し、調理器具も例外なく磨かれ、凍った道路のようにつるつるになり、凪人はクラスメイトの一致団結した様子を眺め、生徒が持つ力を身に知った。


(この学園は活気に溢れかえっている。中学の時はやる気のねぇ奴とか必ず一人か二人はいたのにな)


 中学生のとき、誕生日を祝ってくれたのは狩谷だけだった。だからこそ、誕生日パーティというのも新鮮だった。


「はぁっ……はぁ……はぁ、ねぎどろ……待っだんだな?」

「気にする程度じゃねぇ」


 (うさぎ)のようにぴょこぴょこと駆け寄ってきた水月は息を切らし、凪人のすぐ隣で息を整えた。


「ふにゅ~ふにゅぅ……。さっ、行くのだな!」


 水月は驚くべき回復速度で生還し、もうすでに歩みを進めている。


「一体どこに行くつもりだよ……ったく」


 置いてけぼりにされた凪人は諦めて水月の後を追いかけていった。

 太陽は雲の隙間から顔を出し、そんな二人を温かく見下ろしていた。校舎を取り囲むようにして植えられた木の葉に溜められた滴は、その光を受け、きらきらとした表情になる。それはまるでこの二人のような関係だった。


        *


 閉ざされた一人部屋で未菜は胸を押さえ、のた打ち回りながら、もがき苦しんでいた。


「時間がな、い……のっ。あ、とちょっとで……お姉、ちゃんはっ」


 白いシーツは引き裂かれて長方形の束になっており、直前まで掛けられていた毛布もどこかへ放り投げられていた。そこまで(つら)いのならばナースコールを押せばよいのだが、未菜は幼い体で痛みを受け止め、()れるほど出したい奇声を喉の奥にとどめた。


「ああっ……う、うぐ……だめ、叫んじゃだ、め」


 体を真っ二つに割りそうな痛みが体中に走る。胸を抑える程度では足りない。もっと、もっと体が動かないように固定したい。あるいは感覚を麻痺(まひ)させたい。欲求不満の未菜は背中や腕を爪で引っ掻く。几帳面に切りそろえられた爪では思うようにいかない。


「未菜は我慢しないといけないの……。良い子でいるために。裏当主として(ひき)いるために」


 何度も寝返りをし、体をベッドに打ち付けた。ギシッ、と泣き声を上げたベッドも使用者と同じように我慢強かった。


「お姉ちゃんはいつ、も、未菜のために……戦っている、から……」


 慣れた手つきで戸棚から果物ナイフを取り出し、右手首を切った。噴出(ふきだ)す鮮血は空気に触れるたびに拡散し、消える。深く切ったはずなのに、傷跡はなくなっていた。


「もう……長くはないもの」


 手から零れ落ちたナイフも融解し、床に衝突することはなかった。


「月、の目が……未菜の、この……体を奪っ、てきて」


 傷付いた右腕を青い(あざ)が侵食していた。線が延びていくようにそれは徐々に肥大し、やがて腕の半分を覆って、人の身体ではない何かになろうとしていた。


「いっ、つか……未菜じゃ、なくなっちゃう……! そんなのヤ、だっ!」


 体を掻き毟っても痛いと感じられないのだろうか、未菜の肌は赤く腫れていた。出血しているところもあり、おびただしい量の血が未菜の体から流れていく。その度に血は蒸発した。


「でも、アレは……近づいてき、ているの。あとす、こしで……突破してくるっ! 未菜は心を、読めるの。だか、ら……何となく、分かるの! アレが来たら、どうなるか……を!」


 誰かが歌を歌っているのだろうか、どこからか甲高い声が漏れてきた。

 まどろみを誘発する子守(こもり)(うた)泡沫(ほうまつ)となり、未菜を包んだ。


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