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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
忍び寄る凶行
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教師との面談

 未暮学園の新校舎に職員室はない。そのため凪人は英進部の一階にある職員室へと来ていた。ここに到着するまで、ネクタイの色が違う生徒とすれ違うたびに「こいつ誰?」と言いたげな目でじろじろ見られたが、慣れだと割り切って先生を捜していた。


「待っていたぞ奥山……付いて来い」


 後ろから声をかけられ、凪人は(きびす)を返した。

 



 案内されたのは校舎から離れたところにある実験棟だった。そこは主に医療系や機械系で使われている。凪人には縁の薄い場所でもあり、極力近づきたくない領域だった。滅多(めった)に用のない、機械科専用のスペースともなれば世界が違って見える。


 廊下にねじが一本落ちていても誰も拾わない。見て見ぬ振りを徹底されたねじは寂しそうに転がり、まるでいじめられているようだった。形状が曲がっていることから判断し、何度も踏まれているようだ。


「足を止めるな……入れ」


 招かれた部屋は化学準備室だった。


 先生が開錠した直後に入室すると、中は人体模型がなくて幾分(いくぶん)ましだ。『劇薬、触るな』という警告を目にすると無性に鳥肌が立つ。白地に赤枠、赤字の『劇』と書かれた(びん)は他の陳列(ちんれつ)(だな)とは区別され、ガラス一枚の向こうで一箇所にまとまっていた。


(こんな液体で死ねるとは、人間も地球の神秘には勝てねぇのか)


 未暮学園は設備や生徒の数を踏まえても市立中学と規模が全く違う。(かた)や先生の待機室になっているのに対し、ここでは様々な種類の試薬が行儀良く列を乱さずに並んでいた。また、飲食物の匂いが漂ってこないため、凪人にとっては心地よい空間でもあった。


(あのコーヒー臭さは今でも忘れられねぇよ……)


「奥山、ここに興味があるのか?」


 物珍しそうな顔をしている凪人に先生が尋ねた。


「違います。ただ……探している物があるだけです」


 慣れない敬語で凪人は答えた。灯亜という模範的な存在が身近にいるので、ある程度は(さま)になっているが、かなりぎこちなかった。


「まぁ……座れ。積もる話は後だ。あと、無理に敬語は使わなくてもいい。背中がむずむずする」


 先生は詮索(せんさく)せずに、凪人へ着席を勧めた。室内に置かれたクリアテーブルと椅子二つは元からある常備品ではなく、今回のためだけに用意されたように見える。蛍光灯の光を曇らずに反射する様子は新品そのものだ。人気(ひとけ)のない場所に置いておくのは、いささか勿体無い。


「俺に話すことなんてねぇぜ」

「悪いが先生にはある。君が触れても指紋を採取(さいしゅ)しないから、早く座りなさい」


 新品の椅子に手を触れるのを躊躇(ちゅうちょ)した事を見破られ、凪人は言葉に従って腰を下ろした。そして足を開き、背もたれに寄りかかる。


「呼び出してすまない。どうしても確認したくてな」


 目上の人と対話しているのに関わらず、凪人はポケットからトランプ一組を手に取って机の上に並べ始めた。


「単位数が足りないことは知っているだろう。それでまた補習を行わなくてはならない」


 使い古されたトランプは折れ曲がり、傷ついていた。凪人はそれを七段目の七枚までピラミッド状に並べ、最後の七段目だけを表向きにし、残りを裏向きにて手元に置く。


 そんな凪人の態度に手を焼きながらも、先生は真摯(しんし)に話していた。


「数学に関しては昨年度の夏休みを利用したが、現代社会や理科の単位数が足りない。本来ならば心理学科のカリキュラムは特殊であるため、高等部からの編入生を受け入れない。その難門を突破し、入学したならば大丈夫なはずだ。奥山専用の時間割を組むから安心しろ……っと、聞いていたか?」

「……ピラミッド」

「わかった、もう一度説明しよう」

「いや、その必要はねぇ……一言も漏らさずに聞いていた」

天稟(てんぴん)の要領の良さを先生に分けて欲しいものだな」


 黙々とピラミッドを崩していく凪人はものの数分で全てのトランプを除去した。それまでの時間、様子を見守る先生にとっては耐え難いものであっただろう。


「ふぅ……、それで俺に補習を受けさせるために呼んだのか? 本当はそれだけのためではねぇんだろ?」


 凪人はようやく話の趣旨(しゅし)を問いかけた。


「明後日の方向を見ている生徒に言われるとはな。まー、つまりそういうことだ。飲み込みが早くて助かる」

「担任の差し金か?」


 畳み掛け、凪人は先生の動向を窺った。合わさった視線を先に離したのは先生であった。


「その通りで、砂糖先生が(うっ)(とう)しいんだ。毎週酒に付き合わされるこちらの身になってほし――、おっと失言だったな」


 情熱で燃えている担任の苗字は佐藤や佐東でもなく、正真(しょうしん)正銘(しょうめい)砂糖である。だから体内の糖分を消費し、メタボにならないために暑苦しいのだ、と誰かが噂していた。


「あのチョークよりも遠藤先生の方が頼りがいはあるぜ。よくわかんねぇが、俺はチョークを担任だと思ってねぇし。生理的にな」

「生理的とは手厳しい。あの先生の評判が悪いことは教師軍も小耳に挟んでいる。これ以上問題を起こせば……何かしらの処分を受けるだろうな」

妥当(だとう)だぜ、その判断」


 凪人はまたトランプをシャッフルさせ、机の上に並べ始めようとしたが、今度は先生によって阻止される。


「話が脱線してしまったな。そろそろ本題に戻ろうか」

 先生は両腕を組み、堂々と構えた。長年の経験で培った不動さが滲み出ており、大人の男性であることを再認識させられる。父親はこんな感じなのだろうかと凪人は思った。


生憎(あいにく)、婉曲表現は苦手でな……奥山、なぜ心理学科に入学した? 今更と思うだろうが、その成績であれば英進科に合格しただろうに」

「カンケーねぇ。……そこまで俺に問い詰めたら、俺より上の奴らにも同じ質問をするのか?」


 心理学科に入学した件を掘り下げられたくないのか、凪人は質問を質問で返した。


「話さなくても構わない。……独り言だと思って聞いてくれ。奥山は娘を思い起こさせる」


 初耳だ、と凪人は呟いた。結婚指輪をはめていたので薄々勘付いてはいたが、遠藤先生は公私

を分ける人物だと有名である。家族についての話は一度も持ち上がった(ため)しがない。


「どうして俺が先生の娘を思い起こさせる? 性別からして違うだろ」

「ただ、な……雰囲気や性格が酷似(こくじ)していて、娘の背中がふと蘇るんだ」

「蘇るって、帰宅すれば会えるだろ。過保護ではあるまいし」


 不意に先生は姿勢を変えて両肘を机に付いた。それからまるで祈りをささげるように頭を垂れ、両手の指と指を絡ませる。その左薬指には鈍く光る白い指輪があった。プラチナ製だろう、王水以外では溶けない関係だと豪語しているようだ。


「娘は亡くなった。それに妻も」


 思わず凪人は耳を疑った。なぜなら先生の外見は、せいぜい三十台である。要するに、その子供は若くして命を落としたのだろう。


「事故だった……可哀相だと思うか?」


 事故という一言だけでも色々な種類がある。例えば天災だったり、人為的なものだったり。前者の中には防ぎようのないものもあるため、不運だとしか言えないだろう。後者となれば話は別だ。刑事(けいじ)訴訟(そしょう)に発展する可能性は十二分にある。


「俺だったら、不運だとしか言いようがねぇ。生と死は表裏一体だからな」


(……ということは遠藤も俺も表裏一体、車の両輪なのか?)


 死生学を学んでいる凪人にとって、人の死は腰を抜かすような内容でなかった。


可哀相(かわいそう)とは思わないのか」

「同情なんて何にもならねぇぜ。するだけ無駄だ」


 両親の葬式。集まった大勢の中で、心から悲しんだ人間はどれくらいだっただろうか。涙を流してお別れを告げた人は数え切れないほどいた。相談に乗るよ、と耳打ちしてきた人もいたが、遺産目当てであることは幼い凪人でも容易に感じ取れた。


(親父とお袋は可哀相だったのか? 俺を庇って撃ち抜かれて……)


 あの事故の発端(ほったん)をほとんど覚えていない。時がたつにつれ、自分のスキーマに当てはめているようになってから、思い出すのを止めてしまった。すでにこの記憶が正しいものであると胸を張れない。それよりも、自分に好都合となるように誤認してしまう方が恐ろしかった。不慮の事故だったと言い切りたくなかった。


「……その返し方、娘にそっくりだ」

「ん? 待てよ。先生の娘は幾つだ?」

「小学校に上がる直前だったから……六歳だ。まだ、この世界を知らずに逝ってしまった」

夭折(ようせつ)か……っ!」


 カードを(もてあそ)んでいた手が空中で静止し、一枚のカードが凪人の手からするりと抜け落ちた。


「その日は妻も娘も外出していて、家で一人、休日を満喫していた。二人とも暗くなる前には帰ってくるだろうと、高をくくっていた……。いくら待っても二人は――」

「事故に巻き込まれて帰ってこなかった、のか?」

「現場からは遺骨でさえ発見されず、捜索は困難と判断され、打ち切られたよ」


(結果的に残された生者には孤独だけが残された……恐ろしいほど似ているぜ、俺と)


 凪人は二つの事件を照らし合わせてみた。類似点は発生時期と犠牲者が二人であること、そして遺族が存命していることだろうか。


「極力平静を保ったつもりだが、しんみりとした話に付き合わされて気分を害しただろう。すまない」

「それはねぇよ……死者を冒涜(ぼうとく)する気力もな」


 赤の他人の死について感慨深くなっていると、渦巻いている様々な感情から疑問だけが湧いてきた。凪人はまなじりを決し、簡潔に尋ねる。


「先生はもし、その事故に居合わせたら……庇うか?」

「何だよ唐突に」

「庇う……のか?」


 先生は、また腕組みをして凪人を見据えた。


「まったく、普段は寡黙の奥山が目を合わせてくるのは卑怯だな。真剣に答えないと悪い気分になる。うむ……〝if〟の世界であれば、庇護しただろう。一応、婿(むこ)入りだったから相手のご両親に合わせる顔がないからな」

「命を()けてもか?」

「随分と緊迫な状況設定だな……まー、結果は同じだ。先生は生徒に対してだろうと、その行動をするよ」

「親、だからか?」

「教師になれば生徒も自分の子供のような存在だ。親になる……つまり、それだけで生きる喜びが増えるからな。奥山もいつかは理解できるようになる」


(俺は子供だから親に守られたのか? だとしたら俺は)


「……命の(たすき)を託された?」

「ほう、また一段と賢くなったな。人間の歴史はそうして出来上がっていった。命のバトン、という表現もあるようだが、(さかのぼ)ってみると面白いものだぞ」


 先生の言葉は体の芯から温まってくるものだった。凪人は息を吐いて、先生と向き合った。


「先生、お願いがある」


 後悔をしないために。失ってから大切さに気付かないように。ならば俺は負の連鎖を断ち切る。

  



 凪人は席を立ち、廊下に出た。


「あれは……」


 目に飛び込んできたのは職員の駐車場だった。個性豊かな色とりどりの自動車が並べられ、その中に一際目立つものがあった。鮮血(せんけつ)のような赤い車。見ていて気味が悪いほど、べったりと塗りたくられていそうな赤い車。桜の下には死体が埋まっているというが、その車も血で染められているような気がした。


「気分が悪くなる……」


 凪人は冷ややかな目で見つめた。校舎と駐車場の間には距離があるため、ナンバープレートを目視出来なかった。諦めて先生に質問をする。


「あの真っ赤な車は誰のなんだ? 目がチカチカする」

「やたらと目を引くあの車のことか。あれは砂糖先生のものだ。情熱の色だとか言って、自慢していた愛車だ」

「……ふーん、チョークの愛車」


(確かに、車も燃え上がっているよな。いつかその中から焼死体が発見されなければいいぜ)


 色彩心理学を学んでいる遠藤も赤や(だいだい)を好んでいた、と凪人は思い出した。彼女曰く、赤は副交感神経を刺激し、食欲をそそる色らしい。他にも人間が最も早く反応する色だとか。


「貴重な時間を()いてしまったな。奥山、くれぐれも徹夜で勉強したからって授業をさぼるなよ」


(徹夜なんて非効率なことはしねぇよ。最近、睡眠時間が長くなっているだけだ)


 立ち去る大きな背中を凪人は無言のまま目で追っていたため、足元への注意が(おろそ)かになっていた。暫くすると一定の間隔で金属が擦れあうような音が聞こえ、足の裏に不快感があった。


「なんだ、画鋲(がびょう)か」


 上履きの裏には金色の画鋲が突き刺さっていた。


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