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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
忍び寄る凶行
20/41

十五日まで

 いつもの夢だった。


 両親が自分を(かば)う悪夢。繰り返される惨劇(さんげき)。初めて目にした人間の最期。彼らは何故(なぜ)、無知な子供を逃がしたのだろう。

 

 思い返せばその頃から死に好かれていた。背後に忍び寄る不穏な影。犠牲になるのは自分ではない。その場に居合わせた誰か。ないし、自分の身近な人。自分はそんなに(みじ)めだったのだろうか。庇護(ひご)されなくては生きられないほど脆弱(ぜいじゃく)だったのだろうか。


 この世に自分が頼ることのできる、切っても切れない人は、もういない。深入りしたら、巻き添えにするだけだ。


 死ぬのは簡単だと思っていた。身を投げたり、時には車道の中央を歩いたり。格好の的だったはずなのに、奇跡的に命への別状はなかった。


 また死神が誰かを連れ去るのだろうか。死ぬ覚悟は数年前からできている。死は平等に訪れ、この世に命を授かった瞬間から、死は必然なのだ。始まりがあるのならば終わりがある。それは(ことわり)。時期の違いだけでしかない、社会のルール。世代交代によって表舞台から下りるように。





 小刻みに振動する携帯電話に起こされた凪人は寝返りを打ち、音源に背を向けた。


「……あと五分……」


 手を伸ばしたら届く範囲にある目覚まし時計ではなく、携帯電話の着信で起こされるとは前代未聞だった。それも彼にとっては些細なことであり、もう一度目を閉じた。


 突然、けたたましい音が鳴り響いた。脳天を突くこの音は機械オンチの人間にいじられた固定電話の末路であった。さらに呼び出し音には似つかわしくないロック調が頭を叩く。


「俺は……ねみぃんだよ……」


 布団の中でくの字に丸まり、居留守を決め込んだ彼は追い討ちをかけられる。耳元の携帯電話は再び動き始め、固定電話との二重奏が実現した。一方は朝からハイテンションで突っ走り、もう一方は布団全体に振動を伝えている。日頃から睡眠不足の彼には地獄(じごく)絵図(えず)だった。


「やかましい……今、何時だと思っているんだ? 六時だぜ……ご近所迷惑だろーが」


 頭を掻き、もう片手で携帯電話を取った。表示されている名前を確認した後に電話に出た。枕に頭を置いたままだったので、天井しか目に入らなかった。木造建築独特の木目(もくめ)を数えながら、相手が話しかけてくるのを待つ。


「…………ああそうか……って、は? なぜだ?」


 呆気に取られたのか、暫く彼の口は閉じられそうになかった。


「明日が五月八日だからって? 理由になってねぇよ」


 五月八日。それは特別な日では毛頭ないはずだ。凪人は体を起こし、カレンダーに視線を動かしてみたが、そこには何も記入されていない。白い下地が黒い線で区切られているだけだった。


「で、今日の夜、こっちに帰ってくるだと? んだよ突然……って、非通知かよ」


 一方的に電話を切られたが、彼は掛け直そうとはしなかった。傷が目立つ携帯電話をぱたん、と二つに折り、机の上に置いた。無駄なものが一切存在しない机の上に残されたそれは、とても目立ち、殺風景な部屋に色を添えていた。





 やがて凪人は、むくりと起き上がった。背中が痛い。頭も痛い。ああこれは学校で寝てしまったんだ、と凪人は瞬時に状況を整理した。


「うにゅっ!」


 吐息がかかるほど眼前にあるのは、ぼやけている見慣れた顔。その顔の持ち主、水月は一歩下がって、()()っていた。目をまん丸にし、口をパクパクさせている。元々目が大きいからか、間抜けにしか見えない。まるで水中で餌を食べる魚のようだ。小学生の頃、金魚を水槽に入れて飼っていた時の記憶が蘇った。


「お前、いつから魚に進化した? それとも逆に退化したのか?」

「うぬぬ~~、ねぎとろが急に起きるのが悪いのだなっ。もう放課後で、さとーう先生がこわーい顔だったのだな」


 だから腹の虫が鳴いているのか、と凪人は納得する。昼飯を食べ損ねていたのだ。担任の態度は予想の範囲内のため、触れないでおいた。


「……ふ、ふあぁぁぁぁ、二度寝する」

「わーっ、ねぎとろぉ、一刻も早く目を覚ますのだな。寝たら凍死(とうし)するのだな!」


 水月は凪人を()()けするために彼の頬を引っ張った。


「……せめてもう少し、静かにしてくれふぇいか?」


 制服の(えり)をつかまれ、体を上下に揺さぶられている凪人は、外を眺めている冬馬を発見した。冬馬は(ほお)(づえ)を突き、心ここにあらずだった。いつもは水月と馬鹿騒ぎする仲間なので、覇気(はき)のない顔をされると調子が狂う。


「何かあったのか? あの冬馬が黄昏(たそがれ)ているとは珍しいぜ……それに辛気(しんき)くせーしよ」

「ね~ぎ~と~ろ~、しまうまは臭くないのだ」

「気のせいですわ」


 隣の天然ボケを無視し、灯亜は断言した。凪人はその挙動(きょどう)にどこか違和感を覚えたが、一時的なものだと判断し、水月と灯亜に顔を向け直した。


「ミーはな、治療の計画を立ててきたのだ。褒めてなのだ~」

「はいっ、よく頑張りましたわ」


 そう言って灯亜は水月の頭を撫でた。なでなで、という効果音をつけたくなるほど微笑ましい。まるで、子供がテストで百点を取った時のようだ。水月の表情も緩んだままで、満更(まんざら)ではないかもしれない。いや、そうでなくては自分から『褒めて』などと口が裂けても言えないだろう。


「……どんな風の吹き回しだ? 行き当たりばったりで、向こう見ずなお前が……計画するという業務を果たした、だと?」

「むむむ……。いいから目を通して欲しいのだ。ミーが一生懸命、寝る間を惜しんで考えたのだ」


 丸みを帯びた字が書き連ねられている紙を受け取り、凪人はそれを透かして目敏(めざと)くあるところに注目した。


「これ、本気か?」

「うにゅ、もちろんなのだな。ミーは当たって砕ける人種なのだな」


(十五日までしか書かれていねぇぞ……そんなに手っ取り早く片付けられるか?)


 本日は七日。タイムリミットまでおよそ一週間しかない。次週の今頃には治療はほぼ終了していることになる。こんなに早く終わして後遺症が残らないか、と凪人は気が気でならなかった。


「実は計画をしていた時のこと、ミーもよく覚えていないのだなー。いつの間にか出来上がっていたのだな。きっと、小人さんが手伝ってくれたのだ」

「まあ……それは素敵です」

「有り得るかよ、そんな御伽(おとぎ)(ばなし)


 手書きの計画書には他にも様々なことが記入されていた。内容があちこちに散乱していて、灯亜の足元にも及ばないまとめ方であったが、細部まで決められており、四人の立ち回りや治療法までもが書かれていることには感心した。


「えーっと、今回は役割分担をなさるのですか?」


 待っていました、と言わんばかりに水月の目が輝き始めた。質問するという行動は注意して聴いていた事の裏返しであるためか、水月は終始うきうき気分のようであった。


「はいな! あとうにはミーと共に奮闘してもらうのだな」

「彼女と同姓だからですか?」

「そうではないのだなー。ミーの勘なのだな……こほん、どうやら、〝自由の象徴〟とリカーには共通の悩みがあるようなのだな」

「利華さんも、わたくしと同じ……。〝自由の象徴〟としての苦悩……」

「いや、わかるように説明しろ」


 二人の間でしか会話が成立しておらず、凪人は眉をひそめた。それから灯亜を一顧(いっこ)してみたが、彼女は一向に目を合わせようとはしない。


「すまん、触れてはいけねぇことだったか」

「いいえっ……あ、取り乱してしまい、申し訳ございません。水月さん、お話を続けてください」

「うにゅにゅなのだ。それではまず、今日はミーだけが直々(じきじき)に出向くのだな」


 流暢(りゅうちょう)に水月が今後の方針を話している最中、凪人は灯亜の様子を伺っていた。表情の変化は見られないものの、口籠ったあたりで尋常でない、と直感が頭に訴えかけてくる。その直感は去年培(つちか)われ、実績に乏しいものだが。


「――以上なのだ。何か不明瞭(ふめいりょう)な点はあったのだな?」

「いや、俺は特に何も。霧生はどうだ?」

「……え? 大丈夫ですわ。ご心配なさらずに」


 急に話をふられ、灯亜は一瞬硬直した。


「それは、つまらないのだー」


 頬を膨らまし、不満たらたらな顔をする水月は、どうやら灯亜の異変に気付いていない。


(冬馬だけでなく、霧生も変で気味わりぃ。明日は雨を通り越して槍でも降ってきそうだ。そうしたら、瞬く間に血の海が完成しているぜ)


 道端で寝ている人の背中に細長い得物が突き刺さっている光景が心に浮かんだ。世間では通り魔だと騒ぐ程度で終わるだろう。その翌日はすでに、新しいニュースでもちきりになっている。


「……終わりか」


 席を立とうと腰を浮かせた凪人を灯亜が引き止める。 


「奥山君……遠藤先生が放課後訪ねるように、と(おっしゃ)っていましたわ」

「あー、数学の先生か。今日の授業寝過ごしたし」


 数学の遠藤先生は教え方が上手く、生徒からの信頼は厚い。しかも、担任の熱血野郎とは天と地の差ほど違い、生徒思いだ。実際、凪人は昨年の夏休みに授業の遅れを取り戻すための補習でお世話になっていた。


「ねぎとろも用事があるのだな? うにゅ~あとう、残りはよろしくなのだ。ミーはリカーと放談してくるのだ。明日を楽しみにしているのだな!」


 そう言い残し、水月が最初に席を立ち、数秒後には彼女の『仕事道具』ごと教室から消えていた。依然として敏捷(びんしょう)な奴だ、と凪人は率直な感想を胸三寸に納めた。


「なあ明日って、特別な日だったか? 国民の休日ではねぇよな」

「えっ……! お忘れですか?」


 度肝を抜かされた灯亜は口元を両手で隠した。


「思い当たる(ふし)がねぇ、ってそこまで驚かなくてもいいだろ」

「……情報の手違いかしら。いえ、そんなはずは……花売りの……」

「霧生、どうかしたか?」

「…………」


 本当に今日は調子が狂う。

 普段なら無鉄砲な遠藤が先を()()え、計画を立てた。

 女子生徒を見ると一人ではしゃぎ始め、口から産まれたような冬馬が(ふさ)ぎこんでいた。

 誰にでもさりげない気遣いをする霧生が人の話しを聴いても相槌をしない。それだけでなく、やんわりというよりもはっきりと物言いした。

 彼らと出会って一年が経過したくらいなので、それが彼らの新たな一面を垣間見たのだと言い切れば話は済むかもしれないのに、未だに頭を覆うもやが晴れない。


(ったく、きなくせーぜ。おどろおどろしい事件に発展しなけりゃいいんだが)


 凪人は漠然とした気がかりを胸にしまい、その場を後にした。


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