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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
忍び寄る凶行
19/41

夕焼けと闇

 夕日で空が赤く染まる頃、歩道に二つの影が伸びた。


「まさか、リカーが誘ってくれるとは思ってもみなかったのだな」と腰まである長髪にシャギーをかけて三段にした少女、水月が言った。

「はぁ……なにゆえ、この状況に?」と、その隣にいるのはさらさらな髪を肩につけている利華。


「ため息をつくと幸せがなくなるのだ! ほぉら、そこに飛んでいるのだな……待ってなのだ」


 一人ではしゃいでいる水月を尻目に、利華は物思いに沈み、ひきずるような重い足取りだった。


「うにゅ~、ミーでは届かないのだ……」


 水月が夢中になっていたのは蝶だった。ひらひらと舞う蝶は鱗粉を撒き散らしながらはばたく。


(蝶の(はね)は細い体に比べて著しく大きく、カラフルな色彩で人目に付きやすい……か)


 ある日見た図鑑の説明を呟いた利華は水月を()()った。


(まるでこの子じゃん……)


 失笑した利華は水月の傍に寄った。


「あれはキアゲハ……黄色と黒の斑点(はんてん)が見えるでしょ?」

「おおー、初耳なのだな。そぉーれキアゲハちゃん、おいでおいでなのだ」


 キアゲハは興味津々の水月の指をするりとかわし、利華の手の甲で羽を休めた。


「ふーん……『生きた宝石』と呼ばれるモルフォチョウの足元にも及ばない輝きで、あんまり興味ないし……あげる」


 利華は翅を掴み、水月に差し出した。


「いいのだな? とぉっても嬉しいのだな、こんな贈り物は産まれて初めてなのだなっ」


 有頂天になった水月はあらゆる角度から蝶を眺め、感嘆の声を上げながら観察に没頭している。


「いや、蝶一匹で嬉しがるなんて、あんた何歳だし。……絵にはなるけど」


 水月が蝶と(たわむ)れているよりは、一方的に遊ばれているというほうが正しく見えた。現に、蝶は手から離れて水月の辺りを周回しており、二度と捕まらないとアピールしているようだった。


「うにゅ~、飛んでいっちゃたのだな」


 蝶が大空に舞い上がる。これから、もう人間に採取されないかはわからない。ただ、この距離では手が届かない。恐らく、麒麟等の首が長い動物でないと無理であろう。もし彼らだとしたら、捕まえるというよりも口に入れて咀嚼(そしゃく)しそうだが。


「べっ、別に蝶なんて捕まえても溢れるほどいるから、そんな顔をしなくてもいいじゃんか」

「リカーからもらった蝶々ちゃんはあれ一匹で、替えがきかないのだな」


 蝶を見送る水月はどこか寂しそうであった。なのに、ほんの数秒後には笑みが零れていた。利華はその変わり身の速さに驚嘆し、手で額を押さえた。


「うにゅ、落ち込んではいけないのだー! うーにうに、うーにうに、うにっににっに、うにうに……。うーにうに、うーにうに、うにっににっに、う・に・う・に……」

「なに、その歌……っというか、歌?」


 水月が口ずさんだのは『うに』という言葉を繰り返す単純なものだった。明るく暗くもなく平淡で、芸術的価値も低く、ほとんどの人が受け入られないようだろう。コマーシャルのような、人々に口ずさませて宣伝させる効果もない。


「ミーの十八番(おはこ)なのだな! 題して、『海の歌』なのだな」

「どう考えても、『うに』しか言ってないけど……それなのに『海の歌』?」

「言葉に意味はないのだ! うーにうに――」

「えーと、つまり……うにが大好きっていうこと?」

「うにゅっ? うには食べられるのか? どんな味なのだ?」

「うわー……この子を相手にすると疲れる、ほんっとに」


 また水月が特別な意味を持たない曲を謡い始めた。


「リカーもどうなのだな、斉唱(せいしょう)は楽しいのだな! 一人よりも二人のほうが喜びも楽しみも二倍なのだなっ」

「……怒りや悲しみもね」


 上機嫌な水月に利華が釘を刺した。


「うぐにゅ、心配はいらないのだな。何事も自家(じか)(やく)籠中(ろうちゅう)の物ではないのだな。でもな……」


 一歩先を歩いていた水月は立ち止まり、利華と足並みをそろえた。


「みーんな、毎日を懸命に生きているのだな。利益だけを求めずに、無形なものに縋りながらも、前を向いているのだな。裏切られても……傷つけられてもなんだな」


 水月は利華の手をとった。そして小さな両手で利華の片手を包む。


「う~~~、リカーの手は鉄板のように冷たいのだな」

「どーせ、アタシは無生物よ。生きていないから冷たい、と言いたいんでしょ」

「違うのだな。ミーは金属の性質について……うにゅ、言い得て妙でないかもしれないのだな」


 頭を振りながらも水月は手を離さなかった。


「ミーはな……電気や熱の良導体だと言いたかったのだな。金属は電気や熱を良く通すのだな」

「その程度の知識、習っているけど」

「うーんと、えーっと、冷たいけれど温まりやすいのだな。だからな、リカー」


 未菜と同じ指摘をされていることに気付き、利華は唾を飲み込んだ。


「ミーに打ち明けて欲しいのだな。もう、一人で抱え込まなくていいのだな」


 二人の間を流れる雰囲気を乱す、自動車が通過した。その騒音は沈黙を打ち消し、利華の意識を取り戻させた。


「な、何も……あんたに口出せることじゃないから!」


 真に受けた自分が馬鹿みたい、と利華はひそかに思った。それでさえも水月は見破る。


「むぅ……リカー、それは言い聞かせているだけなのだな。絶対に不可能だと、決め付けているだけなのだな」

「……っ! ええ、そうよ。可能だ、というのは絵空事(えそらごと)。まして、あんたみたいな子供に何ができるというの」

「できるのだな。ミー達ならきっと」


 きっぱりと断言され、利華は一瞬怯んだ。


(どうして、こんなに自信をもてるの? はなっから結果は決まっている。(あらが)っても運命からは目を背けられないのに)


 二度と明日が来ないことを願っても、明日は訪れる。閉じていても、いつかは開かれる。だったらもう願わない。向こうが来るなら、どこまでも逃げてやる。


「……できるのなら一人でやってる。この身が塵になっても、灰になったとしても。……無理だったのよ。所詮は子供。アタシだけじゃ反旗を(ひるがえ)せない」

「あとうと同じだな」


 町並みを赤く染め上げる夕日に照らされ、利華の顔に影が降りる。

 二人は未暮学園周辺の大通りに沿って歩き続けた。


「あんな良家で不自由なく育ったお飾りとアタシが似ているって? 笑わせないで」

「リカーは笑っていないのだな。ももももしかして、ミーを琥珀の中に閉じ込めるだなっ! そうなんだなっ」

「虫入り琥珀のこと? アタシの眼に人間が入れるわけないじゃない」

「可愛い子は目に入れても痛くないらしいのだな!」


 真剣な話をしていた利華は話をはぐらかされ、内心苛々(いらいら)していた。こんな子供を相手にしても無駄だ、と口を閉ざす。不満そうな水月を気に留めなかった。




 風が道路の端に(そび)()つ、しっかりとした樹から葉を奪い去った。それはゆっくりと落下し、利華の足に踏まれ、人生を諦めた失望感を漂わせた断末魔(だんまつま)をあげる。


「あれ~~なのら。リカー、直進してもいいのだな?」


 道は二つに分かれていた。直進と右折の道。重い空気のためだろうか、右折する道は薄暗く、その上閑散としていた。まるで、あの世に手招きをされているようだ。一方、直進する道も人通りは少なくて不気味である。街頭はまだついておらず物寂しい。そんなことを肌で感じ取った利華は水月の鞄を引いた。


「この先、行かないほうが身の為よ」

「なぜなのだ? 明るくて、見通しも良好なのだな。あっちよりは気分がうきうきなのだ」


 水月が指差したのは右折する道。利華は呆けている水月の背中を押し、強引に右折させた。


「……あんた、知らないの?」


 押し殺された声で尋ねられ、


「何をなのだ?」


 と、水月は南国の照りつけるような太陽の笑顔のまま答えた。


「一時期、この話題でもちきりになったのに? はぁぁぁ……どこまでおめでたい頭……」

「それほどでもないのだな~」

「一ミリたりとも褒めてないし……数年前、あの先で交通事故が起こった。目撃者はなく、残ったのは死体だけ。おびただしい量の血液は今でも道路にこびり付き、そこから手が出て道連れにされるとか。だから、気味悪がって、今現在通過する歩行者はほとんどいないのよ」


 根も葉もない噂だ、と利華は付け加えた。被害者は未暮市内にある市立の中学生らしく、詳細は利華も知らない。被害者がどんな人柄であったかでさえ、知らない。結局、事件として片付けられてしまい、涙はそそられなかった。


「どう? 怖気付いた?」


 肩と足を震わせていた水月が放った一言は、利華にとって驚くべきものだった。


「か、わいそ……な、んだ、な」


 途切れ途切れに話し、一生懸命に何かを伝えようとしていた。泣いているのかと思ったが、そうではないらしい。嗚咽(おえつ)は混じっておらず、一音一音透き通って聞こえた。


「その子は可能性、を奪われ……一人の人間の心にしか、残らなかったのだな。きっと、寂しかった、のだな」

「一人の人間? どこの馬の骨よ、そいつ」

「あの道路、の先に……人影があったのだな。()()けるための、花を持っていたのだな」

「はっ、そんなの幻覚よ。アタシには何も見えなかったし」


 利華には怪しいところなど一つも見つけられなかった。決して視力は悪くはない。それとも水月がずば抜けた視力の持ち主なのか、と考えを張り巡らす。


「……ミーは嫌なのだな。うにゅぅ、そうなったらミーは多分立ち直れないのだな」


 水月が呟いた言葉は利華の耳を素通りした。







 横断歩道の真ん中に男が立っていた。彼は一輪の花を空に向かって散らし、花びらは夕焼けに吸い込まれ消えた。

 今宵(こよい)も未暮市に暗黒の時間が訪れる。その時間は眠りを誘うだけでなく、何かを闇の中に葬り去っていった。


今更ながらルビの範囲が間違っていることに気付きました。

見直ししないと……。

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