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生と死の象徴  作者: 楠楊つばき
忍び寄る凶行
17/41

それぞれの思惑

「リカー、元気だったのだな」


 疑問文とも平叙(へいじょ)(ぶん)とも読み取れる独特な口調で水月が言った。さっさと始めようぜ、と凪人に言われ、水月は利華に自己紹介をする。


「うーにゅにゅー、ミーは色彩心理学専攻、遠藤水月なのだな。またの名を〝生の象徴〟なのだな! よろしくなのだなっ!」

「ったく、本名を名乗るなよ。俺らまで言わなくてはならねぇだろーが……」

「あの吊り目なのが〝死の象徴〟こと、ねぎとろなのだ」


 水月は壁に寄りかかっている人物を指差した。彼はつい先程まで利華と会談していた人である。


「……は?」


 利華が聞き返すのも無理は無い。『ねぎとろ』と紹介されたならば、受け狙いか匿名(とくめい)希望だ。


「時と場を考えろよ。……こほん。紹介の通り、俺は〝死の象徴〟――」

「ねぎとろなのだ!」

「奥山凪人だ。専攻は犯罪心理学と死生学をかじっている。手品は趣味だ。……以上」


 死生学とは聞きなれない響きである。言葉の通り死生観と関係があるのだろう、と利華は瞬時に自分なりの解釈をしておいた。


「うにゅ、よろしいのだな。それでミーの隣が〝自由の象徴〟こと、あとうなのだ」

「ご紹介に預かりました、わたくしは霧生灯亜と申します。専門は行動経済学と産業心理学ですわ。以後、お見知りおきを」

「よ、よろしくお願いします」


 律儀に一礼された利華は何かを返さなくてはならないという、場の雰囲気に飲み込まれてしまって頭を下げた。


「またまたその隣が〝栄光の象徴〟こと、しまうまなのだ」

「ヒ、ヒィィィィィン!」


 その一言で水月以外の三人が引いた。


(最っ低。おちゃらける人も嫌いだし)


 と、利華が最も酷評(こくひょう)する。


「ツッコんでくれよ、凪人くーん!」

「……俺にそれを求めるな」

「オレ様寂しーっ、マジで」


 不意に、冬馬は唇を舐め、利華を品定めするような目で見た。利華は思わず身を強張らせてじっと堪える。


(この人、あいつらと同じ目をしている……!)


 冬馬の外見は日本人離れしており、クラスの女子達の足が地に着かないのも頷ける。彼の切れ長の碧眼は数え切れない人々を虜にしてきたのだろう。むしろ利華が感じ取ったのは紛れもない畏怖(いふ)だった。


(アタシを()ぎつけてきたってこと?)


 利華は右目に手を添え、左目も閉じた。何もかも見透かされており、直視しないことで幾らか軽減できると思い立ったからである。


「しまうま、リカーが怖がっているのだな!」

「……へぇ~、利華ちゃんって評判通りかー。初心だねー……オレ様の色に染めたくなるくらい」

「冗談はよせよ、冬馬。……渡瀬、こいつは白浜冬馬。専攻は……何だっけか。まあ、悪い奴じゃねぇんだ。仲良くしてやってくれ」


 利華は素直に頷けなかった。全身で警報が鳴り、近付いてはならないと黄色信号も発している。


「むぅっ! しまうま、退席して欲しいのだな。ねぎとろ!」


 利華の顔から血の気が引いていることに気付いた水月は冬馬を指差した。

 部屋の隅でふん反り返っていた凪人は冬馬の腕を取り、室外へと連れ出した。防音装備の特別治療室の壁を通じて、二人の声が利華の耳に届いてくる。


「オレ様ぁ~、可愛い子猫ちゃんに目がないだけだろ? なあ、凪人くーん」

「……主導権は遠藤にある。黙って従え」

「へいへい、凪人くーんもマジだねぇ……その台詞聞き飽きたぜー」




 声が遠ざかっていくにつれ、利華はゆるゆると視線を上げて言う。


「結局、何する気?」


「わたくし達、心理学科の生徒は全生徒へのある権利を認められております。まず一つ、生徒がよりよい生活を送るために尽力すること。それから必要と判断された場合、独自の能力を駆使して治療に専念すること。他には――」


 黒髪の似合う灯亜が指を折りながら回りくどく説明しようとした。


「結構よ、そんな説明。要するにアタシがあんた達の標的ってわけ。やっぱり、自己満足じゃん。うわべだけ元気ならいいんでしょ」


 一で十を知った利華は灯亜の声を遮った。その横暴な態度に憤りを見せたのは水月だった。


「そんなことないのだな! ミーはみんなに心から笑顔になって欲しいだけなのだな!」

「……この、偽善者め」

「なっ……ミーは(やま)しくないのだな! 無償の愛なのだな!」

「本当に証明できる? あんたが疚しくないと。アタシは偽善者と言っただけで、そんなこと一言も発していないのに? 多少は自覚があるんじゃない?」

「利華さん、誤解をなさっていますわ。水月さんの治療により、改善傾向が見られた方々は大勢おられます!」

「ウザいっ、黙れ! あんたに何がわかるっ。初等部から私立にいるあんたに、アタシの何が!」


 利華は眉間にしわを寄せたまま言い、灯亜に掴みかかった。


「えっ……あ、それは……」


 灯亜は視線を落とし、口を閉ざした。血色の良い深紅の唇が一直線になり、下唇が薄くなる。唇を噛み、言葉を返せない事が明白だった。


「ほらっ、言い返せないじゃん!」

「……あとう、来談者中心療法を開始する」


 言いくるめられていた水月は利華の右腕を払い、灯亜を突き放すようにして退席を促した。そして灯亜は無言のまま逃げるように立ち去り、結局白い牢獄に二人だけが残された。


「なによ……あんたも同じくせに。自分だけいい格好するつもり?」

「いい格好? とんでもない。私は率先垂範するのみ」


 艶やかで耳から離れない声は幼い外見に不釣合いであるが、利華はこの声に聞き覚えがあった。明らかに水月が発しているこの声色(こわいろ)を、決して忘れられずにいたものを。


「その声っ、あの時の……!」


 目を疑うような光景に利華は幾度(いくど)もまばたきをした。琥珀(こはく)の左目が見え隠れする間に、水月の態度は豹変していく。まるで朗らかな天気が崩れ、冷たい狂気を潜ませる雨に変わるように。


「ククッ……光栄ね。貴女の脳を一部だけでも占拠(せんきょ)していたと思うと」

「わ、忘れられる訳がないじゃん! ……ここで会ったが百年目、今度は口を割らせてやる!」

「貴女に出来るかしら? そんなにも見え透いた虚勢で」


 気付いたときにはすでに遅く、利華は首に腕を回されていた。その細い腕を引き離そうと死に物狂いで足掻いたが、離れる気配は一向にない。


(んぐっ……どこに、こんな力が)


 華奢(きゃしゃ)の一言では言い表せないくらい、水月の体は病的なまでに痩せ細っている。骨と皮しかないのか、女性とは思えなかった。成長期後すぐは痩せ気味だった利華でさえも、今ではふくよかになり始めているというのに。この驚異的な力のでどころは不明だった。


 (かな)わないと見せ付けられた以上、利華は体を硬直させ、相手の動作を窺った。首筋に電気が走る感覚に陥ったが、相手は刃物を取り出してはいないようだった。もしも刃物を首筋に当てられていたら絶体絶命だったであろう。


「護身術の手解きを受けていないのか。全てを考慮して、己の力量を図ったのは合格点」


 拘束(こうそく)を解かれた利華は膝を床につけ、息を整えた。冷や汗もだんだん引き始めた頃、水月もどきが言う。


「……私が遠藤水月でないとよく判断した。ご名答……流石(さすが)、私と同じ血を引くだけはある」

「けほっ……聞き捨てならない台詞だけど、アタシを惑わす気? 同じ血とか、そんなはずあるわけないじゃん」


 極度の緊張から解放された利華は首に手を触れながら問いかけた。ひんやりとした手がこの上なく気持ち良かった。


「その首、何かに反応したでしょう? その現象は私と貴女が共鳴したしるし……言わば、私と同じ血が貴女の体にも流れているということ。前回は発生しなかったから、覚醒はごく最近ね」

「共鳴……? なによそれ、馬鹿にしてんのっ!」

「あらゆる手を使って立証できる。まず、私の一族は物質的なものでなく、精神的な共鳴が起こりやすい。共鳴の仕方は人それぞれだが、一つだけ同じ反応が発症する」


『発症』と言われ、利華は最初に病気を想像した。しかし、その想像は一瞬で消え去った。


「――瞳が輝き、疼く」

「アっ、アタシはそんなことない!」


 水月もどきの瞳は青く輝いている。惹き込まれる寸前で利華は目をそらし、反駁した。


 右目の痛み以外、至って平常である。利華はそのことを根拠にし、後退(あとずさ)りしながらも、水月も

どきと向かい合った。


「私と同じ教育を受けているのであれば、尚更(なおさら)超自我になっているでしょうね。……ちなみに超自我とは躾られている間に、それが内面規範となったものよ」

「っ! そんなはずは……」


 両親に躾けられた記憶はない。物心ついたときからすでに、時々聞こえる〝声〟が自分に教えてくれた。その声がなければ、生活費のための余禄を得られなかった。義務教育でさえ、生活保護がなければ受けられない状態であったのだから。


「否定をしても無駄。貴女は同族。水月が貴女に目をつけていたのは徒労ではないのよ」

「あはは、アタシらに逃げ場はないの? ……監視され、束縛され……そのせいで未菜は!」

「――――」


 突然耳元で囁かれ、利華の心臓が跳ね上がった。紡がれるのは甘い誘惑。身をゆだねられる、心に響くもの。


「……わかった……あんたの誘いに乗る。でも、あんたのためではないからっ! そこんところ、履き違えないで欲しいし……下駄箱で待っているけど、アタシを待たせたら高くつけてやる」


 利華は()(ぎわ)にそんな台詞を吐き捨ててから、他の人を模倣(もほう)し、パスワードを入力してドアを開かせた。自然と足早になる。それは一刻も早く退散したいからではなかった。


(やっとアタシも未菜も……自由になれる)


 利華を煽るのは小さな希望。暗中模索の末に探し当てた一筋の光。その光は信号機の真ん中にあるような黄色く、まるで彼女に警告を呼びかけるだった。


 日が傾き始め、廊下にも明かりがついていた。そんな中を彼女は一人で歩いた。渡り廊下を通過するあたりで、緑色の髪をした女子生徒がその横を、肩をぶつけるくらいの間隔で通り過ぎていった。


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