出し物2
利華は足を閉じてパイプ椅子に鎮座していた。前後左右の間隔は広く取られており、窮屈ではない。体を乗り出すほど面白い劇が行われている訳でもないので、退屈すぎて背もたれに寄りかかりそうになる。その寸前で眠気を払い、浅く座りなおした。椅子に深く座ること。それが気を許している行為に思えたからだった。
上品でお淑やかな上級生から招待状を受け取ったのは先週の病院帰りだった。同じく持ち上がりのため、彼女に関する様々な噂を耳にしたことはある。面と向かって言葉を交わすのは初めてだったために身構えたが、相手は気に留めずに自然と渡してきた。
(どうしてこんな、かみっぺらを捨てなかったんだろう?)
自問を繰り返していても答えは見つからない。それがもどかしくて、紙面に書かれた場所に足を運んでしまった。勿論、そんな理由だけではない。
(五月五日の午後一時、高等部の小ホールにてお待ちしております。――遠藤水月より)
心の中で呪文を唱えるように、紙面に書かれていた内容を黙読した。
(……遠藤……水月)
遠藤水月とは、一週間くらい前に出会った子であると利華は瞬時に理解した。面と向かって話すのはこの前が初めてであったけれど、噂は自然と耳に入ってくるものだ。
白くて淡い、どこか温かみのある便箋には一枚の招待状と写真が同封されていた。その写真は紛れもなく、先日失くしたた写真であった。
(まさか、あの写真を見られた……?)
拾われたから便箋の中に入っていた。つまり、その写真は誰かの手に触れたということとなる。
(忘れさせないと。あれは大切な思い出。取り返すことのできない、大切な……、っく)
俯いて歯を食いしばった利華は右目に走る痛みを堪えた。目を抉ったほうが楽だと思えてしまう刺激は快感というよりも体の自由を奪っていった。
「大丈夫ですか? 体調でも悪いのですか?」
そんな時だった。右腕に『心理学科』と書かれた腕章をしている人影が利華を見下ろしていた。
利華は恐る恐る顔を上げ、その人影が男子生徒のものだとわかった。
「どうぞ、受け取ってください」
「はっ……はい」
訳もわからないまま、利華は差し出されたトランプを手にし、めくってみた。クラブの三。手の平にしっくりとくるトランプはクラブの三だった。
『トランプは全員に行き渡ったのだな? それでは発表するんだなっ』
会場がしーんと静まり返る。未だに状況を整理できない利華は、なりゆきを見守っていた。
『うーんと、うーんと……はっ、ひらめいたのだな! クラブの三とダイヤの七をもらった生徒はすてーじに上がってきてほしいのだな!』
ざわめきが起こり、数人の生徒が起立した。それを見ていたら、行かなくてはならない衝動に駆られてしまい、利華も後を追った。
(アタシは……なにをしているのだろう? 後悔なんてしていない。自分のしていることに負い目を感じてもいない。でも、周りに流されている。確実に、なにかの流れに身を任せている。その流れは水。清流。透き通っていて、鏡のように自身を映す水。……アタシは負けない。鏡に映る姿が自身の本当のモノであっても)
ステージに上がる階段の前で水月と目が合った。彼女の青くてくりくりとした大きな瞳は、この狭い世界でなく、誰もの度肝を抜かすような境地を見据えているような気がした。〝生の象徴〟遠藤水月。彼女はどうして、あんなにも直向きに生きられるのか。利華には、その答えを導き出す事は不可能だった。
利華を含め、八人の生徒が壇上に上がってきた。用意したトランプはジョーカーをあらかじめ抜いて置いたので、単純計算をすると約二百人の生徒がこの小ホールに集まっていることになる。
『さーてお次は、二年〝死の象徴〟による、まじっくなのら~。うにうに、間近で楽しめなくてもご安心なのだ! 今回は特別に機械科の全面協力を得ているのだ。でじたるかめらの映像を……すくりーん? に投影するので……アヒルと、おす、頼むのだなー』
水月は司会をそっちのけで、重そうなデジタルビデオカメラを携えた人物達に手を振った。まさか愛称で呼ばれるとは思っていなかったらしく、一方は苦笑し、他方は親指を立てて応えた。
(アヒルと、おす。両者とも難儀なニックネームだよな……)
凪人は『ねぎとろ』と呼ばれている自身を棚に上げ、見ず知らずの生徒に同情していた。
(まあ、これで緊張が解れてきたか)
凪人は肺に蓄えられる限界まで空気を吸い、一気に吐き出した。ヘッドセットを外し、服装の最終チェックを行う。あらゆるところにタネや小道具を仕込んでいるため、それらを観客に気取られてはならない。堅苦しいスーツを纏うのは苦手だったが、人前に出るからにはプロ意識を持とう、という凪人の意志が見え隠れしていた。
彼が〝死の象徴〟と謳われる所以。それは彼の人生そのものだった。
『死に魅入られることは、決して悲運ではないからね』
また、空耳がした。
いかにもマジシャンです、と言っている様な青年を、利華はまじまじと見つめていた。コインを操る彼は寡黙なのか、水月がマイクを持って補足説明をしていた。
奇術やマジックとは人間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用いてあたかも実現不可能なことが起きているかのように見せかける芸能であることを、利華は頭の隅っこのほうで十分に理解していた。
(興味関心がないわけではないけれど、生で見るのって案外不思議じゃん)
元々疑り深い性分のため、利華は自然とタネを見破ろうとしてみる。彼は手馴れているのか、動きは滑らかで怪しいところが一つもない。素人ならば、モタついたり手際が悪かったりして観客をいらつかせたりするだろう。
「次に披露するのはカードマジックの一種です」
彼は簡潔に言い、リボンスプレッドと呼ばれる技法を使用して、目の前にいる八人の生徒にカードを確認させた。クロースアップ・マットが広げられたテーブルの上に直線状に並べられたそれらは、不審な点など見受けられない。しかもビデオカメラでさえもがカードすれすれまで近付き、カラクリがないことを証明させた。
初心者ではない。利華の想像は見事、的中した。
(カードのお約束といえば、当てたり移動させたりするのかな)
青年はカードをひとまとめにし、利華にカード一組を渡した。
「シャッフルさせてから、私に返してください」
「……は? アタシにやれと?」
利華は自身を指差した。青年に頷かれ、躊躇いながらもカードを受け取る。その時、二人の指が触れ合う。
「っ!」
利華は咄嗟に左手を離し、右手で左手首を掴んだ。
(な……に、これ……)
触れ合った左手が小刻みに震えていた。痙攣のように、自分の意志で停止できない。
(静電気? いや、違う……まだ春だし、接触したのは肌……)
肌が触れた瞬間、利華は体内に電気のようなものが流れたのを感じていた。誰かに相談したら、恋だと笑い飛ばされそうである。
(やめて、震えないでっ! アタシは怖くなんてないからっ)
心の中から溢れたのは恋心のように抑えられないほど激しいのに、ときめきとはかけ離れたもの。それは数日前、水月に呼び止められた時と酷似しているもの。
(この人は初対面。だから……)
利華は右手でカードを素早く受け取り、シャッフルし始めた。その様子を彼にじっと観察され、利華は冷や汗をかいていた。無意識に目を伏せ、手元だけに集中する。
(怖くない、怖くない、怖くない……。この人は、あいつらじゃない)
呪文を何度も唱えるうちに、利華は平静を取り戻していった。勘違いだと自らに暗示をかけ、カードを返した。
少年は短い時間で三つも成功させ、何よりもその内容は想像を凌駕していた。一つ目はコインマジック。コインが移動するという、一見簡単そうなもの。二つ目はカードマジック。見事に観客が選んだカードを当て、それはレモンの中から発見された。細工された跡がないため、利華は不思議な出来事として解釈しておいた。最後は俗に言う、イリュージョン。かなり大掛かりなものであり、観客全員が息を呑んだ。特に最後のイリュージョンでは利華でさえも緊張していた。
(アタシが……他人を心配していた? 唯一の家族の未菜じゃなくて?)
人体切断。彼は一人の生徒を三等分にさせ、元に戻した。その生徒は切断されているのに、手を振っていて、あまりにも不気味であった。その分、成功したときの反響は大きかったが。
利華は手に汗を握りながら、切断された生徒の様態を案じていた。
(マジックなんかにタネがあるのは当たり前。そんなことに一喜一憂していたなんて……)
ステージから下りた後も利華は頭を抱えており、呟きは周りの歓声に打ち消される。
「アタシは……誰?」




