青い宝石
「――というわけなのだな」
本日起きた騒動を説明し終えた水月は凪人を見据えた。恐らく同意を求めているのだろう。その視線は、さながら檻の中で助けを請う動物のようだった。いたたまれなくなった凪人は水月の声なき要求に応えた。水月の行為の説明は途中から省かれていたが、論うほどではない。
「掻い摘んでいるが、そういう感じだ。実際に渡瀬の事件について覚えている生徒は少ねぇぜ」
勝ち誇ったような笑みを浮かべる凪人に、灯亜と冬馬は釘を刺す。
「それは、あくまでも結果論です。少々、自制してくださいませんか? 頭に血が上ってしまったのでしょうが、抑えるべきところでしたわ」
「オレ様も同意見。相手が貴き身分じゃなかったから、咎められなかっただけで、相手によってはお灸をすえられた上に逝っていたかもー。被害者が直訴しなくて良かったな、相棒」
冬馬は凪人の右肩に腕をのせた。
「うにゅ~? ねぎとろ、何をしたのだ? 犯罪はメッなのだ」
水月が不思議そうに凪人の顔を覗き込む。半分も開かれていない凪人の瞳は何も訴えていない。お前がした、と本心では反駁したかった。話の腰を折りそうなので凪人は敢えて言葉にしなかった。
(また厄介事に首を突っ込んじまったか……)
凪人は腰のポケットに突っ込んだままの手を外気に晒してから、冬馬の腕を払った。冬馬の強張った表情を凪人は無視した。
「終わったことだ。それよりも遠藤……招待状を渡せたのか?」
水月は凪人を見つめ返し、金切り声をあげる。
「うにゅにゅ、次回に渡すのだな。任せろなのだ。ミーにお任せなのだ!」
水月は前向きな発言しかしない。一年間で彼女の生態を熟知した凪人にとっては、真意を汲み取ることは容易いものである。すぐさま計画の補正に着手した。
「遠藤、別に失敗したってお前を責めねぇよ。〝永久の象徴〟の件は先に反応したお前に決定権がある。だから、名誉挽回してくれればいい」
「はいな! 頑張るのだっ」
水月の頬はみるみる朱に染まり、あのアホ毛も元気を取り戻し、天井を突き刺しそうであった。
(こんな光景を数日前に目撃した気がするのだが、俺の勘違いか?)
「まず、もう一度初心に戻るのだ……あとう、何か進歩はあったのら?」
話を切り出した水月は、まず灯亜に振った。
「ええ、周辺調査を続けて参りました」
「……? 霧生、まだ問題でもあったのか? 前回の調査書にも細部まで書かれていたが……」
確か前回のものには名前や所属、経歴が載っていたと凪人は思い返した。
「プライバシーの権利を侵してはいけません。ですから、家庭の事情等に関しては正式なクライアントにしか行えないことになっております」
「知らなかったのか~凪人くん。規則がなかったら、私生活がばらされちゃうぜ? まっ、オレ様ぐらいの玄人であれば、見るだけでスリーサイズくらいはわかるがなっ」
「……冬馬、地雷を踏んだな」
「へっ? オレ様かっこいい? そんなこと知っているぜー」
凪人の憐れみを含んだ視線に気付かずに、冬馬は舞い上がっていた。そのためか背後への注意を怠ってしまう。じりじりと近付く人物は目を輝かせ、確実に冬馬に迫ってきていた。
「しまうまっ! 正義の鉄拳を受けるのだ!」
水月はその小さな体で冬馬を椅子から突き落とし、ずるずると引きずった。咄嗟に受身をし、致命傷を避けた冬馬は、主導権を水月に握られてしまい手も足も出ない。なぜなら、襟首を掴まれしまい、手も足も水月に届かなかった。
「相棒、助けてくれー。……ひどいって水月ちゃん。せっかくだから、もっとオレ様をいたわって~。この背中と床の摩擦は、オレ様と君の擦れ違いだ……。オレ様にはそれが痛いほど解る!」
「しまうまは死んだ子の年を数えていればいいのだな」
冬馬の呑気過ぎた声を聞いたので、救助に向かう気力が湧かない。恐らく冬馬はこの状況を楽しんでいる、と凪人は解釈した。しばし、嵐が過ぎ去った後の静けさが訪れる。凪人と灯亜は二人っきりになる。先に静寂を破ったのは灯亜だった。
「……後悔先に立たずですわ。なぜ、白浜君は女性に対して執着しているのでしょう?」
「さあな、俺にはよくわかんねぇ。といっても、わからないことのほうが多すぎるか」
「例えばどんなことですか?」
得に他意はありません、と灯亜は付け足した。
「そうだな……一番わかんねぇのは遠藤だな。あそこまで前向きでいられる神経が理解に苦しむ。そういえば、お前と遠藤と冬馬は付き合いなげーんだろ。昔から、ああだったのか?」
「少々語弊があります。わたくしを含めた三人は初等部出身ですが、白浜君は学年が違いました」
「違ったということは過去形なのか……冬馬は留年でもしたのか?」
「いいえ、彼の経歴は敬服に値します。彼は中等部在学中に家庭の事情のより出席数が不足してしまい、一年遅れたと窺っております」
「普通、家庭の事情で一年も休むか? 冠婚葬祭でもそこまではかかんねぇよな」
「ええ……信憑性は低いです。興味をお持ちならば、ご本人に直接尋ねてみたらいかがですか?」
「俺は他人の事情なんぞに興味なんてねぇよ。ただ、何かを隠しているような気がする。平凡な人生だったら、馬鹿みたいに空元気な奴や病的までに女に執着する奴とか、産まれてこねぇだろ」
「意外ですわ、奥山君がそう考えていらしたなんて……」
「伊達に一年もチームを組んでねぇ」
「……そうですね、そう……ですよね。……奥山君になら、大丈夫ですわ」
灯亜は言葉を淀ませ、暫く逡巡していた後、凪人に立方体の箱を差し出した。一ミリの狂いもなく、心を込めて包装された箱にはリボンが巻かれていない。
「ただの贈り物……ではないな」と凪人はそっと呟いた。灯亜はその呟きに「ご名答ですわ。相変わらず〝死の象徴〟の洞察力には屈服いたします」と反応を示した。
通称で呼ばれること――それは公私を混同しないための暗黙のルール。ただならぬ雰囲気を感じ、凪人は息を呑んだ。血色の良い灯亜の指が包装をはずし、白一色の箱が露になる。凪人はその箱に試しに触れてみて、驚愕した。
「かてーな……何かの金属か? その割には汚れているよな」
ところどころに煤の存在が認められた。黒い斑点が白を基調とした斑模様に見える。凪人は初見で白一色と早とちりした己を非難する。
(俺は取り返せないこと――一つの間違いが大事件を起こすという事実を目の当たりにしだんだぞ……冷静になれ。ちり一つでさえ見逃してはならない)
箱という概念を捨て去った心で、凪人は手の中にある何かに触れ続けた。
(金属に煤なんて付着するか? 錆びるのならなわかるが)
「ふふふ……奥山君、箱を見つめるのではなく開けてみてください」
灯亜に促され、凪人は箱を開けようと試みても、サイコロの展開図を接合した箱のつなぎ目が見当たらない。
「は? 開かねぇぜ、これ。……重要なのは中身か?」
神妙な面持ちの凪人は面や辺をがりがりと爪で引っ掻いてみたが、つなぎ目を発見できない。
(なんか、おかしいな。関わってはいけねぇ気がする)
怪しい香りを感じ取った凪人は箱を机の上に置いた。型崩れしていない箱は聳え立つ塔のように悠然と立っている。
「説明してもらおうか。これは一体何だ?」
凪人は目を光らせ、沈黙を守る灯亜の行動一つ一つに気を配った。灯亜は表情を変えずにその箱を手に持ち、煤に指を氷上で華麗に舞うように滑らせ、表面を一周したところで手を止めた。
「霧生、いつから手品を始めたのか?」
灯亜が指を滑らせていた面は切断されていた。切り口は真っ直ぐで、電動のこぎりのように精密であった。
「秘密事項です。言うまでもなく、刃物を所持してはいません」
凪人の視線は灯亜の指に注がれていた。
(次の舞台で手伝ってもらおうか……)
「わたくし、治療自体には携わりません」
またもや考えを見破られた凪人は肩を竦めた。
「俺って……単純なのか?」
「いいえ、目は口ほどに物を言います。水月さんは裏表がありません。ですから、態度に表れます。奥山君は、そうですね……視線で訴えかけてきます」
「視線、か。それで中身はどうすればいい? この腕輪……? みたいな代物を」
「差し上げます。それには厄除けのまじないを施してあり、今回のクライエントは只者ではありませんので、必要かと。校内での着用許可は取ってありますから、遠慮なくどうぞ」
未暮学園では様々な学科が設けられており、申請すれば一部の装飾品の着用を認められている。機械科の生徒がドアノブや水周りの整備のために工具を持ち歩めた事から、校内の新規則として採用されたらしい。今では、作業用のゴーグルやミサンガの許可も下りている。さしずめ、この腕輪もミサンガと同じ扱いになったのだろう。
「……今回も一筋縄でいかねぇんだな。せめて刃傷沙汰だけにはなってほしくねぇよ」
「はい……あの時は病院に搬送されましたからね。傷は癒えましたか?」
「ああ。急所は外していたから、心配はいらねぇ。冬馬の応急処置のおかげで膿まずに完治した」
凪人は、もらった腕輪を左手首にはめた。鈍い銀色の中で一つの青い宝石が煌々としていた。
腕輪は重要なアイテムになります。




