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第十四話 *

R15描写があります

 やはり、乗るべきではなかったかもしれない。司に一緒に帰る事になっているのだと言われていたのに。

 秋子は養父の車の助手席に座ったまま小さくため息をついた。


 葬儀がひと通り終わって、参列者がちらほら退出し始めた頃、秋子の元に再び養父はやって来た。倉庫に置きっぱなしになっている秋子の大学時代に造った美術作品を整理したいから、今から佐藤の家に立ち寄って欲しいのだと言う。倉庫を修理する予定なのらしい。養父は手近にいた志木家の家令に伝言を頼むと、かなり強引に秋子を自分の車に押し込んだ。

「足を怪我して動けない嫁なんか、居ても邪魔なだけだろう?」

 後日では駄目なのかと渋る秋子に、養父はそう言った。


「お父さん、お母さんは?」

 自分が家を出た時よりも更に閑散とした感のある佐藤家の実家は、空気自体が淀んでいるように感じられる。


「母さんは実家に帰ってる。お祖母ちゃんの具合が悪いらしい。親孝行は生きているうちにしかできないからな。ゆっくりして来るように言ってある」

「お祖母ちゃんが……」

 母親の実家は田舎で代々続く旅館を営んでいる。母親の姉が今は女将として切り盛りしているが、大女将である祖母がたおれれば、旅館の方も何かと大変で、人手が必要なのだろう。


「少し、片づけよっか?」

 秋子は洗いものが溜まっている台所をみて苦笑した。


 秋子は芸大で彫刻科を専攻していた。彫刻に使われる素材は様々で、木や石や土や紙や石膏や金属や樹脂、ガラス、蝋など多種にわたっていて、また複数の素材を組み合わせる作品も多い。しかし、秋子がいつでも好んで使っていたのは石だった。女の子に石は無理だよとよく周囲に言われたが、どうしても気になってしまうのだ。石の中にある何かに呼ばれているような気がして……。


 お陰で、佐藤家の倉庫に置かれている彫刻は石でできたものが大半だ。大きさは様々だが、確かにこれでは処分にも困るだろうと秋子は苦笑する。気に入ったもの数点だけでも志木家に持ち込んではいけないだろうか。そう考えつつ倉庫で一人思案していると、半開きにしてあったはずの倉庫のドアがパタリを閉まる音がして、秋子は驚いて振り向いた。


「なぁんだお父さんなの? 黙って入って来ないでよ。びっくりしちゃったわ」

 振り向いて笑う秋子の背後に養父は歩み寄る。


「秋子、おまえにばかり辛い思いをさせているようで……すまないな」

 養父の暗い瞳に、秋子は目を見開く。


「どうかしたの? お父さん」

「この前、おまえの元婚約者の……蔵谷君だったかな、彼がやってきたよ。凄く怒っていた。俺たちは何の為に別れさせられたんだってな」

「……鉄工所、うまく行っていないの?」

「おまえを手放すんじゃなかった。春賀から預かった大事な娘なのに……。真由ちゃんの忘れ形見なのに……」


 真由子というのは秋子の母親だ。秋子の両親は学生結婚だったので、佐藤の養父と両親はその頃からの付き合いなのだ。

 養父は秋子を抱きしめた。

「お父さん?」

「そもそも、真由ちゃんを春賀なんかに渡さなければ良かったんだ。そうすれば、真由ちゃんがあんなに早く死ぬこともなかった……」


 秋子の母親は、交通事故で姉が死んでからすぐに後を追うように病気で亡くなっていた。癌だった。


「お父さん、母さんは病気で死んだのよ? 父さんは関係ない」

「春賀は呪われた血筋の出身なんだ。あいつに関わったものはどんどん死んでいく」

「やめて、そんなこと言わないで。もしそうなら私にだってその血が流れてる……」

 秋子の言葉に養父はとんでもないとでも言いたげに目を見開いた。

「秋子……何を言っている。おまえは別だよ」


 そう言うと養父は更に強く秋子を抱きしめた。驚いた秋子が逃れようと身をよじるが、離れられない。もがく秋子を押さえつけるように抱きしめたまま、養父は首筋に唇を寄せる。


「おまえは別だとも。こんなに真由ちゃんにそっくりなんだ。呪われた血筋など受け継いでいるはずがないよ」

「やだっ やめて! お父さんっ」

「あんな年寄りの後添えなんかにするんじゃなかった」

 そう言うと秋子の首筋を見つめて養父は顔を顰めた。


「俺よりも年寄りのあんな爺が、おまえに触れたのかと思うと胸が悪くなる」

 喪服の襟元を押し広げくちびるを這わせ、裾を割って入ってきた手が脚を撫でる。

「いやぁぁぁぁ……ううぐっ」


 口を塞がれて、倉庫の床に押し倒される。どんなに体をよじっても、手で押しても大柄な養父から逃れることができない。絶望的な気分でただ泣くしかできなくなった秋子の帯をほどく音がする。


 その時、床に横たわった頭の先にあった倉庫のドアが勢いよく蹴破られて、不意に開いた。逆光の中に立つすらりとした長身の男が怒気を孕んだ声をかける。


「佐藤さん、これはどういうことですか? 志木家の嫁に手を出すと言うことは、どういうことかお分かりなんでしょうね?」

 司だった。


 一瞬呆然とした養父が顔をゆがませる。


「しかも血は繋がっていないとはいえ、あなたは彼女の父親でしょう? あなたにそんな趣味があるとは思いませんでしたよ」

 そう言いながら司が歩み寄ってくる。秋子は涙でグシャグシャになった顔で、司を見上げた。


 その時、突然養父が豹変した。

「いえね、この子が誘うもんだからつい……」

 へらへら笑いながら司に言い訳を始める。そんな養父を秋子は呆然と見つめた。


 養父は、秋子が自分を見捨てられないことを知っているのだ。自分がどんな言い訳をしようが、秋子は何も反論しないと思っているのだ。実際、秋子は自分をここまで育ててくれた養父母にはとても感謝している。だから何も言わない。何も言うつもりはなかったが……悲しかった。養父はこんな人じゃなかったのに。


 ――どうして? どうしてなの?

 胸元を掻き合わせて着物を整えながら、涙が後から後から流れて止まらなかった。


 養父は、秋子がいかに母親にそっくりであるか。自分がいかに秋子の母、真由子を大事に思っていたか、そのせいで秋子の誘いを拒絶することがいかに難しかったかを滔々(とうとう)と語った。

 秋子は両手で耳を塞ぎたい気持ちで、黙ったまま項垂れる。


「もう結構です。秋子を連れていきますよ。もう二度と彼女を連れ出すようなことはしないでください。その時は佐藤家への援助を打ち切ります」

 冷ややかに告げる司に、養父は顔を輝かせた。


「本当にすみませんでした。もう二度とこの子には会いませんし、二度とこの子の誘惑に乗る事はありません。どうか、今後ともよろしくお願い致します」


 深々と頭を下げる養父の脇をすり抜けると、司は秋子の腕を掴んで引っ張った。ぼんやりと佇んでいた秋子は、慌てて足を引きずりながら司に従う。


 表に止めてあった社用車の助手席のドアを開くと、司は秋子を押し込むように車に乗せるとドアを閉めた。

 いつもはお抱えの運転手がいるのだが、運転席には誰も乗っていない。


 ――司さんが運転してきたのかしら。


 案の定司は運転席に乗り込んでくると乱暴に発進させた。無言のまましばらく車を走らせる。方角から推測するに、車は志木家へ向かっている訳でも、斎場に戻っている訳でもなさそうだ。


「……司さん、あの……ありがとうございました。あの……私……」

 司は真っ直ぐ前を向いたまま返事をしない。

「あの……私、決して……誘うようなことは……」


 突然、車は細い路地に入り込んで、街の一角にある公園の脇で乱暴に停車した。突然ハンドルを切ったものだから、秋子は運転席に大きく傾ぐ。


「一人で行動しないようにと、俺はあなたに言いましたよねぇ」

 突然冷ややかに見つめられて、秋子は絶句する。

「俺の言うことは何でも聞く、あの言葉はその場しのぎの出任せでしたか?」

 秋子は息を飲んだ。


「違います。私、そんなつもりなんてなくて……。父が倉庫に置いてある私の作品を整理したいから来てほしいと言うし、志木家の秘書さんに強引に言伝を頼んでしまうし、私、司さんの言うことを聞かなかった訳では……」


 そこまで事情を説明して秋子は項垂れた。どんな言い訳をしようと、結局自分は司との約束を反故にしたことには変わりない。もしあの場を立ち去るのであれば、司自身に断らなければいけなかったのだ。後悔と同時に、更なる恐れが浮上する。こんなことで瞳子に迷惑をかける訳にはいかない。司は九条家との取引さえ条件の一つに挙げていたのだ。


「ごめんなさい……私が馬鹿でした。どうしたら……っく……許してもらえますか? どうしたら……っう……」

 俯いた瞳からぽたぽたと涙が零れる。


 そんな秋子を冷ややかに見つめていた司は、やがてゆっくりと車を発進させた。

「この件に関しての処分はしばらく考えさせてもらいます。当分あなたは外出禁止です。そして、今日起こったことは他言無用です。これくらいの約束は守れますよね?」

 秋子は泣き腫らした目で頷いた。



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