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第十三話


 翌朝からは社葬の準備で志木家は大忙しだった。脚を痛めてしまった秋子は、不信がられないようにと右足を包帯でぐるぐる巻きにされて、会場の隅の椅子に座らされて一人身を縮めていた。


 少し足を引きずってしまうので歩き回るにはみっともなく、湿布程度で座ったままなのは世間体が悪いと聖が渋い顔をするので、野上の提案でこういう事態になった。


 ぼんやり座っていると、喪服をしっくり着こなした初老の女性が近寄って来た。秋子はめまぐるしく昨日詰め込まれた参列者の記憶を呼び出す。

 ――この方は、確か喪主の……。

 秋子はぴょこんと椅子から立ち上がった。


「あぁ、若奥様、どうか座ったままで……」

 喪主である田所常務の夫人は、柔らかい笑みを浮かべて秋子を制止した。

「この度は、ご愁傷様でございます。田所常務には、志木家創業の折からご尽力いただき大変お世話になったのだと、主人から聞いております」

 それでも立ち上がって深々と頭を下げる秋子に、田所夫人も恐縮した様子で頭を下げる。

「どうかお掛けになってくださいな。まぁまぁ、痛々しいこと……司坊ちゃまもさぞかしご心配されていることでしょうね」

「え?」

 司さんの嫁だと間違われている?


「そうそう、ご結婚されてからもう随分経ちますけれど、奥様とお会いするのは初めてでしたね。もうお体の具合はよろしいのですか?」

「あ、あの、私……」

 秋子が口ごもっている所に、司がやって来た。


「田所夫人、この度はご愁傷さまでした。志木家は大事な柱を失ってしまいました」

「司坊ちゃま。ご無沙汰しております。そう言っていただけて、あの人は本望でございますよ。志木家を盛りたてる事が主人の生きがいだったのですからね。こんな立派な葬儀まで出してもらって、司坊ちゃまの奥様にも無理を押していらしてもらって、あの人は喜んでいると思いますわ」

「あ、あのっ……」

 秋子が訂正しようと遮った言葉は、更に司の言葉で遮られた。


「最近、妻は体の調子もだいぶ良いようなので、今日は出席させました。田所常務が喜んでくれるのなら、シュウに来てもらった甲斐があると言うものです」

 あっけにとられている秋子など全くの無視で、司は淡い笑みを浮かべたまま、秋子の腰に腕を回した。

「もちろん喜んでいますとも。早くお世継ぎが生まれると良いと主人は心配しておりましたからね。本当に、今日はすっかり肩の荷が下りた気持ちで黄泉路へと向かったと思いますわ」

 田所夫人は目頭をハンカチで押えながら何度も頷いた。



「司さん……」

「なんですか?」

 田所夫人が立ち去ったのを機に、秋子は隣に立っている司を見上げる。


「司さんの奥様はどうなさったのですか? お体の具合が良くないのですか?」

「気になりますか?」

 面白そうに問い返す司を睨みつける。

「そうではなく、こんな嘘をつかされることが、私は心苦しいのです」

「あなたは心苦しくても、田所常務の未亡人は肩の荷を下ろせたようですよ。嘘も方便と言うでしょう?」

「こんなすぐにばれる嘘では、相手に嫌な思いをさせるだけだと思いますが……」

「なに、あなたが黙っていればばれませんよ」

 悪びれもせずにこやかに話す司に、秋子は大きなため息をついた。


「ところで秋子さん、昨夜あなたは約束通りちゃんと俺を待っていてくれたんでしょうね? 明日香が騒ぎを起こしてくれたおかけで、確認し損ねたんですが……」

 ため息をついて俯いていた秋子の顔を司が覗きこむ。吐息がかかるほどの距離のなさに、秋子は弾かれたように顔を上げた。

 着慣れていない喪服の帯のせいだろうか、妙に胸が苦しい。


 昨夜明日香が騒ぎを起こしていなければ、私はどうなっていたの?

 それに……いつも気づいたら司は部屋の中に居て、鍵は私が開けたのだと言う癖に、今夜はあなたが鍵を開けてくださいとは一体どういう意味だったのだろうか。それを知りたいのか知りたくないのか……それさえ、考えただけで混乱してしまう。それに……。


「……司さん、確かに私はあなたの言うことを何でも聞くとは申しましたが、一方で、私はあなたとは良い義母として接する、たぶらかしたりなどしないと旦那さまと約束しているのです。ですから……遅い時間に私の部屋へいらっしゃるのは……やめていただきたいのです」

 言葉を選びながら躊躇いがちに話す秋子を、面白そうに眺めながら司はこう言って笑った。


「それはつまり、遅くにあなたの部屋を訪れれば、俺はあなたにたぶらかされることになると、そう言う理解でよろしいですかね」

 くすくす笑いながら問う司を、秋子は睨みつける。


「そんな意味ではありませんっ。遅くにあなたが私の部屋を訪れれば、何が無くても周りの者は誤解します」

 両手を握りしめて涙目で言い募る秋子の耳元に、司は口を寄せて囁いた。

「そうですね。あなたも、くれぐれも誤解されるような行動をとらないように気を付けてください。街なかで元婚約者と偶然ばったり会ったとしても、多くの者は密会にちがいないと思うでしょうからね」

「密会なんて!」

 していないと言い返そうとした秋子の唇に、しっ、と囁いた司の人差し指が当てられる。


「呼ばれたようです。あなたは、もうしばらくここで大人しくしていてください。帰りは一緒に帰ることになっていますから、くれぐれも一人で勝手な行動をとってはいけませんよ?」

 司はそう言うと、会場の奥に消えて行った。

 呼ばれたって誰に?


 回りには誰も居なかったはずだ。秋子は辺りをキョロキョロ見回す。携帯ででも呼び出されたのだろうか。首を傾げている所に、喪服を着た大柄な男が近づいてきた。


「お父さん!」

 秋子は喜びの声を上げて小さく手を振ったが、すぐに表情を曇らせた。佐藤の養父は、喪服をきちっと着こなしているにもかかわらず、どこか崩れた様子が垣間見える。

「秋子、久しぶりだな。どうした? その足は……」

 そう言って大らかに笑った養父は、昔通りの笑顔で、秋子は小さく微笑み返した。


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