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スチーム女子

王都第七航路 ――夕暮れ色の空

作者: かも ねぎ
掲載日:2026/02/20


 王都ルミナリエン、雲の上の飛行港。

 

 王立魔導航路局の第七航路に、一隻の魔導飛行船がいた。

 船体下部の魔導炉が淡く光り、巨大な嚢がゆるやかに張る。次の瞬間、船は地面からほどけるように浮いた。


 それは次第に速度を得て、雲の間を抜けていく。

 地上では蒸気機関車が黒煙を吐き、線路を震わせていた。

 その上を、魔導飛行船が静かに追い抜いていく。


 魔導炉の青と航行灯の緑が、空に細い軌跡を引いていた。


---


 王都の終着港。

 魔導飛行船が静かに着陸すると、局員たちが駆け寄り、真鍮の係留柱に船体を繋ぐ。


 副操縦士であるエリオットは、操舵室から軽やかに降りると、客席の扉を開けた。


 蒸気が漏れる音。


「ご利用、ありがとうございました」


 彼は帽子を取って胸に当てた。

 頭を下げると、整えられた黒髪が光を弾いた。


 乗客たちが次々と降り、微笑みをつくる彼に会釈をしたり、礼を言ったりしながら船を離れていく。

 いくつもの足音が甲板を鳴らした。

 彼らは一様に空陸両用車へと、吸い込まれるように向かっていく。


 港の端には、馬のいない馬車のような空陸両用車が並んでいた。木製の車体に、後付けのように魔導管が這っている。車輪の横には、不釣り合いなほど大きな魔導炉が括りつけられていた。


 王都の空は広い。だが、出入り口は案外狭い。

 

 局員が客室に入って中を確認したのち、エリオットに合図を送る。


「次の便は、定刻通りに出発予定です。

 どうぞご乗船ください」


 エリオットがまばらに港に佇んでいた乗客たちに声をかけると、彼らは客室に乗り込んでいく。

 客室の扉は局員に任せ、エリオットは操舵室に戻った。


 大きなため息を吐く。


 操舵席に着いて待っていた船長の男は、それを聞いて笑った。


「ずいぶん大きなため息だな」

「……すみません」

「今日はあと一往復だ。君は仕事の後は何をするんだ?」

「寮に戻って寝ます」


 船長はまた声を上げて笑った。


 半円形に張り出した操舵室。

 前面は厚い硝子張りになっていた。


 真鍮枠の計器盤には、魔導式の高度計が淡く青く脈打つ。


「船長、時間です」

「そうだな。もうひと踏ん張り。行くぞ」

「……はい」


 船長が静かに舵輪を握り、エリオットは高度調整輪に手を添えた。


「出航」

「了解」


 魔導炉の低い唸りが、足元から伝わる。

 魔導飛行船は、また、空の道に戻った。


---


 その日も、エリオットはいつものように操舵室を出て、乗客の見送りをしていた。


 いつもの仕事。

 名も知らぬいつもの乗客たち。

 頬に笑顔を貼り付けて、彼らの背を見つめる。


 だが、ふと、ある女性に目が留まる。


 最近、よく見かける女性だった。


 白い肌に、ストンと落ちた橙に近い赤毛。淡い青の瞳によく似合う、ペールブルーのドレスを着ている。

 決して派手ではない。

 だが、なぜか目が離れなかった。


 視線が絡む。


 彼女は、ふわりと笑って頭を下げた。

 白い頬にはそばかすが散っている。


---


 またある日。

 

 この日も、乗客の中に彼女の姿があった。

 華奢な身体に見合わない、大きなバッグを肩から下げている。


 エリオットが彼女を何となく目で追っていると、赤毛の女性はふと、振り返った。


 ペールブルーのドレスの裾をゆったりと揺らしてエリオットの前までやってくると、彼女は小さく頭を下げた。


「素敵なパイロットさん、今日も空は美しかったわね」

「……それは、良かったです」


 エリオットが軽く頭を下げると、アイボリーの制服につけられた真鍮の翼章が、胸元で静かに光る。


 彼女は鞄から蛇腹式のカメラと、一枚の写真を取り出した。魔導式が出回る時代に、あえてアナログの蛇腹式だった。

 

「私、写真が趣味なんです。

 それで、これ、こちらの飛行船からみた夕陽を以前撮ったんです。見ていただけますか?」


 エリオットは女性から写真を受け取る。


「とても綺麗でしょ?

 自分で撮っておいて何ですが、感動してしまって。自慢したくなってしまいました。

 ……ふふ、こんな夕陽を毎日独占できるなんて、素敵なお仕事ね」


 女性はカメラで口元を隠すようにして、ふわりと笑った。


「……ルートは、王立魔導航路局が決めているだけですから」

「ふふ。そんなご謙遜を。

 王都のルートを操縦できるパイロットはエリートだって、みんな知っていることですよ?

 とってもすごいことよ。誇りを持って」


 エリオットは表情を崩さないまま小さく頭を下げ、写真を彼女に戻す。

 だが、女性は受け取らずに、小さく手を上げた。


「差し上げます」

「……しかし」

「空を見せてくださった御礼ですわ」

「……ですが」

「写真一枚くらい、良いではありませんか」

「……では、ありがたく」


 彼女は鞄に丁寧にカメラをしまうと、エリオットに向かってにこりと笑った。

 そばかすのある笑顔は、どこかあどけなさを感じさせる。


「それでは、素敵なパイロットさん。

 ごきげんよう」

「えぇ。またのご利用をお待ちしております」


 エリオットは頭を下げ、帽子をかぶり直した。

 赤毛の彼女は踵を返すと、空陸両用車の方へ歩き出す。

 エリオットはその背を黙って見送った。


 客室を確認していた局員がエリオットに向かって合図を送るのが見える。

 彼は小さく息を吸った。

 

「次の便は、定刻通りに出発予定です。

 どうぞご乗船ください」


 いつもの台詞。


 エリオットは扉を局員に任せて、操舵室に戻った。

 手に持っていた写真を、胸ポケットに滑り込ませる。

 

 いつものように、操舵席に座り、計器を見た。

 

 いつもの仕事。

 いつもの流れ。

 いつもの航路。


 ポケットの中で、紙が小さく鳴った。


---


 エリオットは寮の部屋に戻ると、オイルランプを灯した。


 制服を着替えてクローゼットにしまい、書き物机の前に座る。


 小さくため息が漏れた。

 

 薄いカーテンの向こうでは、魔導街灯の青白い灯りが部屋にまで滑り込んでくる。

 手を置いた机上を、それは冷たく染めていた。


 指先が紙に触れる。

 あの日、彼女に貰った写真。


 エリオットはそれを持ち上げ、オイルランプの明かりにかざした。


 ――美しいな。


 空に浮かぶ夕陽。

 細い雲が、まるで陽に吸い込まれようとしている。 

 風の音と、魔導の唸りが、遠くに聞こえた気がした。


 写真の端に、影があることに気づく。

 

「操舵席かな」


 ――自分が座っていたはずの操舵席の向こうに、こんな空があったのか。


 エリオットは、写真をまた静かに机の上に置いた。


---

  

 またある日の運航中。

 エリオットは、前面のガラス窓を見た。


 燃えるような夕陽。

 空が、橙から桃色、そして群青へと色を変えていく。

 雲は空に溶け、風は飛行船を避けるように道を作る。


 ――こんなに目の前にあったのに。

 ――いつから僕は、空を見なくなっていたんだろう。


 この日の空は、やけに澄んでいた。


---


 魔導飛行船が終着港に着き、エリオットはいつものように乗客を見送った。

 御婦人の一人が「副操縦士さん、今日もお疲れ様ね」と声をかけ、彼は柔らかく頭を下げて返す。


 顔を上げた時、ふと、赤毛の彼女の姿を見つけた。


 (あっ……)


 口が僅かに開く。

 だが、すぐに閉じた。

 いつもの笑みを崩さないように。


 女性は気づいたらしく、こちらへ歩いてきた。


「こんにちは。素敵なパイロットさん。

 今日の夕陽も素晴らしかったわね。涙が出そうになったわ」

 

 彼女の笑顔は、変わらずあどけない。


「……それは、良かったです」

「ふふ。それだけ。

 誰かとあの夕陽を共有したかったの。

 ごきげんよう」

「はい。またのご利用をお待ちしています」


 エリオットが頭を下げると、女性は小さく手を振って去っていった。


---


「こんにちは、エリオットさん」


 それから幾日か。

 また別の日も――

 赤毛の彼女は、飛行船に乗っていた。

 エリオットは変わらず、客室の扉の脇に立ち、彼女を迎える。


「こんにちは、クララさん」 


 赤毛の女性、クララとは、いつからか簡単な会話をするようになっていた。


「明日は雨ですって」

「そのようですね」

「雷も降るかしら」

「雷雨でしたら、休航になるかもしれません」

「ふふ、そうね。

 休航になったら、貴方はお休みになるの?」

「訓練があります」

「まぁ、お忙しいのね」


 彼女は朗らかに笑う。

 エリオットはそれを、静かに見つめた。


---


 エリオットはいつものアイボリーの制服に身を包み、同僚と小さなテーブルを囲っていた。


 王都魔導産業振興会の晩餐交流会。

 

 王立魔導航路局のパイロットである彼らや、魔導工房関係者、王立技術院の職員たちが、それぞれに低い声で談笑している。


 真鍮の燭台には魔導灯が灯り、会場には淡い光が満ちていた。


 グラスの触れ合う音。

 会場の端の長机には、白いクロスがかけられ、大皿の料理がいくつも並んでいる。


 エリオットが視線を上げると、彼は見知った顔を見つけた。


 薄い布を幾重にも重ねたようなペールブルーのドレスを纏った彼女、クララ。いつもは下ろしている赤毛は、きっちりと結い上げられている。

 彼女の隣には、濃い色の礼装をまとった男性。

 

「なぁ、古臭い趣味は手放してくれないか」

「……なんのことです?」

「アンティークのカメラで写真を撮って回ることさ」

「何がいけないのですか?」

「君の家は最先端の精密機械を扱う工場をいくつも運営しているのだろう?

 その家の娘なのだから、誇りに思いたまえよ」

「誇りには思ってますわ。魔導式もアナログ式も、それぞれがとても良いものです」


 クララはふわりと笑う。

 男はそれを見て、口端を歪めた。


「君は……少しは私の言うことを聞いたらどうだ。……この、成り金が」

「……なんとおっしゃいまして?」

「そのそばかすも……。社交の場に相応しい顔をしたらどうだ」

「関係ありまして?」

「もういいや。あちらに挨拶に行こう」

 

 彼女の眉が歪む。

 男は、クララの腕を強く掴んで引いたのだ。


「……それは、レディにしていいことではありませんよ」


 男が視線を上げる。


 エリオットは、いつの間にか彼らの前に立っていた。

 グラスのシャンパンが、ひとつ弾ける。


「これはこれは……。魔導航路局の方ですか。

 私はあちらに用がありますので、失礼しますよ」

 

 男は彼女の腕を離すと、踵を返して去っていった。


 クララは目を見開き、エリオットと男を見比べる。それから、ふわりと笑って小さく頭を下げた。

 

 エリオットも僅かに頭を下げて返すと、同僚のもとに戻った。


 料理の乗った皿を抱えていた同僚は、眉を小さく下げて、あきれたように笑っている。


「エリオット……、あまり人のことに口を挟むなよ。

 君が見目だけでなく中身も良い男なのは誇りに思うが、変なことに巻き込まれるぞ」

「それは……、すまない。わきまえよう」


 同僚は笑いながら彼の背を叩いた。

 エリオットは小さく息を吐くと、シャンパンに口をつける。


 クララは婚約者の男のそばを離れ、女性の友人たちと話しているようだ。


 ふと、視線が絡む。


 彼女は、エリオットに向かって小さく手をあげると、あのあどけない顔で微笑んだ。

 彼は、瞳をわずかに伏せて返す。


 会場は、白く、淡い光で包まれている。

 人々の声が、波のように穏やかに揺れていた。


---

 

 翌日も、エリオットは魔導飛行船の操舵席に座っていた。


「高度、あと二十」

「了解」


 船長の声に従いながら、エリオットは無意識に窓の外を見る。


 王都の尖塔群が、夕陽に縁取られていた。

 陽が硝子越しに差し込み、計器盤の真鍮が金色に染まる。

 エリオットは思わず目を細めた。


 ――やっぱり婚約者がいたのか……。

 ――あれほど美しい人だ。当たり前か……。


 橙の空には、白い月もすでに浮かんでいた。


 魔導飛行船が終着港に着き、エリオットはいつものように乗客を見送る。

 今日もクララは、飛行船から降りてきた。


 目が合い、彼女はふわりと笑う。 


 夕陽のような赤毛。

 空のような淡い青の瞳。

 エリオットはそれを静かに見ていた。

 

 空の胸ポケットが、小さくカサリと鳴ったような気がした。


---


 それからまた、幾日も過ぎた。


 変わらず二人は雲の上で、挨拶と、簡単な会話を繰り返した。


 時に、天気の話をし、

 時に、彼女の写真の話をした。


 そんなある日。


 その日も、飛行船からクララは降りて、彼の前に立った。

  

 彼女は笑う。


「無事、婚約破棄されたわ」

「え……」


 エリオットは、奥歯を噛み締めた。

 胸の奥で、何かがぽつりと浮かんでくる。


「ふふ。こうなってよかった気もする。

 あんな人と結婚だなんて、ゾッとするもの」


 クララは、そばかすの散った白い頬で、軽やかに笑っている。

 その空色の瞳には、少しも卑屈さは見られない。

 

 エリオットは、思わず彼女に手を差し出した。

 クララはその手を、不思議そうに見る。


「……お嬢さん、僕の船に乗船されませんか?」

「え? 飛行船なら、今降りたところよ」


 エリオットは唾を呑みこみ、唇を舐めた。


「……人生の、船です」


 クララは目を見開いてエリオットを見つめる。

 そして、少しだけ頬を染めて笑った。


「まぁ……、気障だわ。ふふ」


「僕なら、貴女に素敵な夕陽をプレゼントできます」


 エリオットの瞳と、クララの空色の瞳が真っ直ぐに交わる。


「それは……、断れないわね」


 彼女の指先が、彼の手に触れた。

 エリオットは、ほんの僅かに目を細める。


 魔導炉の低い唸り。

 緑の航行灯が点る。


 雲がゆるやかに流れ、空は色を変えた。


 赤い夕陽が、二人の横顔を、柔らかく染める。


 この日の夕陽は、やけに澄んでいた。


 第七航路は、いつもと同じ高度を飛ぶ。

 空は今日も、美しかった。

 


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