政略結婚した公爵閣下は、別邸に何かを隠している
隣国が軍国主義に傾きつつあり、国境沿いがきな臭い——そんな情勢を受け、辺境伯家と王家との結び付きを強めるために辺境伯家の娘である私と王弟殿下との婚約が定められた。
王弟殿下は『皎月の方』との呼び名が高い、麗しい美貌の持ち主だ……そうである。不確かさの原因は、婚約者という立場でありながらも私がまだ実際にお会いしたことがないためだ。隣国の動きに目を光らせるため父も兄も領地を離れず、私もまた火種となることを警戒し自城を離れなかった。釣書きと肖像画だけを拝見し、父が定めるままに婚約が結ばれ、手紙を交わし合うだけの交流で月日が流れた。
婚約から三年後、第三王子殿下が五歳におなりになったことを契機に、王弟殿下の臣籍降下と成婚が決まる。国王陛下より新たな姓を賜って、公爵家を興すのだ。バリエンフェルド家初代公爵アラン・イェオリ・フォン・バリエンフェルド様。王国軍大将であり、将来軍を掌握する立場となるお方。私は彼に嫁ぐため、初めて領地を離れ、王都に向かった。
結婚式の祭壇前で、初めてお姿を拝見したアラン様は、なるほど月に例えられることに納得のいく、麗しいお方だった。肖像画よりもずっと美しい。冴え冴えと煌めく淡い金髪、宵を思わせる紺の瞳。涼やかな切れ長の目と薄い唇が、硬質な冷たさを醸し出している。私のベールが上げられ、初めて交わした視線の先で、彼は驚いたように目を見開いた。
式はつつがなく終わり、私は彼の屋敷に居を移した。暮らし始めてまだ日は浅いが、女主人としてとても丁重に扱われている。使用人は皆礼儀正しく、私が辺境から連れてきた侍女も、奥様が信頼を寄せる者と重んじられている様子だ。
アラン様との関係は『まずは互いを知ろう』という彼の提案により、交流を深める段階から始まった。何度か庭園を歩き、互いに口数は多くないものの、穏やかに会話を交わした。
彼からは毎日のように贈り物が届けられる。花や装飾品、優美なドレスが驚くほどに。ドレスに付けられたレースなど、どこの工房のものかと感嘆するほどに美しい。このような品、一朝一夕で用意できるものではない。きっと、前もって準備をして下さっていたのだろう。
毎夜、夕食も共に摂る。お忙しいだろうに、新婚だからと時間を合わせて下さって。そして夕食の後は『また明日』と、別々の私室に戻るのだ。
何の不自由もない、重用される日々。しかし私は気づいている。アラン様は私が私室に入った後、ひっそりと屋敷を後にし、敷地内に建つ別邸に向かわれるのだ。
アラン様は別邸に何かを隠していらっしゃる。そして私はそれを——愛人ではないか、と踏んでいる。
§
まあまあまあ、そのようなこともあるだろう。この結婚は一点の曇りもなく、政略結婚なのだ。私とて辺境伯家の娘、その辺りは弁えている。命を賭して国を守る軍人が、生きる縁として好い人のひとりやふたり、抱えることもあるだろう。『生命』を感じる必要性については聞きかじっている。いい年をした殿方が会ったこともない婚約者に操を立てるのは、難しいことなのかもしれない。
何の問題があるだろうか。彼も私も、この結婚の重要性を理解している。だから私は正しく妻として下にも置かない待遇を受けているのだから。
「ですがエレオノール様……! あんまりではございませんか!」
「まあまあヘレン、良いではないの」
「何をおっしゃるのです!」
動じぬ私に代わって、侍女のヘレンがご立腹だ。他に人がいないからと、私の髪を結いながらぷりぷりと怒り続ける。
「ご覧くださいこの絹糸のように艷やかな銀の御髪、夢見るような薔薇の瞳! 陶器のようになめらかな白い肌……私達の大切なお姫様を前に、浮気など!!」
「殿方の浮気はままあるものだと、指南書で学んだではないの」
「恋愛小説ではないですか! それに浮気をするのは後に破滅する男でした!!」
「まあ、破滅は困り事ね。……でもねヘレン、アラン様が隠していらっしゃることを、私が目敏く見つけてしまったせいなのよ」
夜、何の気なしに窓の外を眺めて、アラン様のお姿を見かけたのだ。まさかこんな時間にお仕事に向かわれるのだろうか、と案じ、夜ごと外を確認すれば毎晩のこと。もしや向かわれる先に何か、と好奇心を抱いてしまい、昼間ヘレンとふたりで散策して別邸を見つけてしまった。とても小さな、可愛らしい家を。
あの別邸は何か、と使用人に尋ねれば、歯切れ悪く答えをはぐらかされた。それとなくアラン様に別邸の話を振ってみると、「物置き小屋ですよ」と笑顔でいなされた。以後、私が庭園に出るときは、別邸の方に向かわないよう使用人が注視している。ヘレンが同僚たちに問いかけても、答えが得られないらしい。そこで私はピンときたのだ。参考にと読んだ指南書が、私に答えを教えてくれた。
「——失礼いたします、奥様」
扉がノックされ、使用人が姿を見せる。ヘレンはぴったりと口を閉じ、すました顔で私の髪に櫛を通した。
「旦那様から、奥様にと」
「あら、今日も? 広げて見せて頂戴」
「かしこまりました」
使用人が広げたのはレース編みの肩掛け。繊細で美しく、私は思わず息をこぼした。
「まあ、なんて見事なのでしょう」
「すぐにお使いになられますか?」
「ええそうね、そうしたいわ」
ヘレンが肩掛けを受け取り、私の肩にかける。するりとすべる肌触りは柔らかく、花模様が可愛らしい。私は頬を緩め、使用人を振り返った。
「素敵。アラン様にお礼を言わなければね」
「旦那様もお喜びになるかと存じます」
うれしそうに顔を綻ばせる使用人。——ほら、何ひとつ心配することはない。愛人疑惑など別に構うことはないんじゃないかしら、と思いながら私はそっとため息をもらすヘレンに笑みを向けた。
§
「アラン様、肩掛けをありがとうございます」
夕食の席で、私は向かいに座るアラン様を見つめそっと肩掛けを撫でた。
「気に入っていただけましたか?」
「ええ、もちろん。肌触りも大変良いのです。とても気に入りました」
「貴方の肌が荒れてはいけないと……その、当然のことです。とても似合っている。貴方の美しさに比べれば、そのレース編みなど見劣りしますが」
「何をおっしゃいます。なんと見事で繊細なレース編みかと、私は感嘆したのですよ」
「そうですか。であれば、また贈りましょう」
アラン様はどこかきまりが悪そうに瞳を揺らし、それから目を細め、顔を綻ばせた。
夕食後私室に戻り、ふたりきりになったとたんヘレンがぽつりと呟く。
「ご覧になりましたか、あのなんとも気まずげなご様子……もしやその肩掛けは、浮気相手に関係するものでは……」
同じものを贈ったか、それともまさかお下がりなんてことは……! とヘレンが嘆く。
「まあまあ、良いではないの。もしそうだとしても、肩掛けに罪はないわ。本当に気に入ったの」
「お嬢様は!! 気にしなさすぎです!!」
「ヘレン、呼び名が戻っているわ」
「……申し訳ございません、エレオノール様」
「全く、奥様とは呼ばないのだから」
「愛人問題が解決するまで、私は断固としてエレオノール様を『奥様』とお呼びいたしませんよ!」
閣下もです! エレオノール様の前では『旦那様』とお呼びいたしません!! と憤慨するヘレンに苦笑を浮かべる。
「確証があるわけでもなし……それに構わないじゃないの、愛人のひとりやふたり」
「エレオノール様は!! 気にしなさすぎなんですよ!!」
妻の地位は揺るぎない。日々それを実感している。本当に気にすることなどないと思うのだけれど。
「……幸いと言うべきか、エレオノール様が閣下に恋をなさっておられないから」
首を傾げる私に、ヘレンがさめざめと嘆き始めた。
「そりゃあ、確かに政略結婚でございます。でも私はエレオノール様に幸せになっていただきたくて……それなのに最初からこのような疑惑だなんて……」
「ああっごめんね、ごめんなさいヘレン。ちゃんと考えるから」
両手で顔を覆い下を向くヘレンに、慌てて声をかける。ヘレンは「お考えになることがよいことなのかさえ、もう私には分かりません……」と嘆き、気を取り直して私に謝罪し、退室していった。
ヘレンが下がった後、窓の外を眺めひとり考える。確かにヘレンの言う通りだ。手紙は一往復するだけでも日を要し、三年の婚約期間に交わした手紙は数えるほど。手紙のやり取りを好ましく思っても——恋に落ちるきっかけはなかった。恋とは、婚約とはと考え書物を読み漁ったけれど、なるほどと感心するばかりで共感が持てない。
恋とは、なんだろうか。こうして穏やかに過ごし、家門繁栄すればよいのではないのかしら。跡目争いは避けたいけれど、私は『奥様』として尊重されているのだし……
それともいつか、許しがたく思う日がくるのだろうか。——思い悩む視線の先で、アラン様が宵闇の中別邸に向かっていった。
§
「奥様、お客様がお見えになられました」
「まあ、もういらしたの?」
「はい。応接間にお通しいたしましたが、いかがなさいますか?」
「向かいましょう。私が対応します」
数日経っても答えがわからないままでいる。そんな折、アラン様のご同輩がお見えになった。アラン様と同じく王国軍大将を務めておられる、ダグラス閣下。
元々予定は聞いている。結婚祝いに来てくださったのだ。昔からアラン様と交流が深いと伺っている。でも、アラン様はまだご帰宅していらっしゃらない。共に迎えるはずだったのになぜ、と首を傾げながら、ヘレンを従え私は足早に応接間に向かった。
「早く到着してしまい、申し訳ない」
「いいえ、お会いできて光栄です」
立ち上がり快活な笑みを浮かべるダグラス閣下と握手を交わす。見上げるほどの巨躯に、威厳を感じさせるお顔つき。触れた手は分厚く、私の手の倍以上あるように感じられた。
「これを結婚祝いに贈ろうと思えば、気が急いてしまって。アランを置き去りにしてしまいました」
席に着くなり、ダグラス閣下がローテーブルに箱をのせる。差し出された贈り物に目を瞬き、私は頬を緩めた。
「まあ、開けてもよろしくて?」
「もちろん」
閣下のお言葉に、可愛らしく結ばれたリボンを解き蓋を開ける。手に取り広げれば、贈られたのは見事な刺繍の施されたテーブルクロスだった。
「まあ、まあ! なんて美しいのでしょう」
艷やかな白地に紺と薔薇色、金糸や銀糸もふんだんにつかい、緻密な柄が布に描かれている。さりげなく配置された月と薔薇が愛らしく、私は目を細めて糸をなぞった。
「こんなに見事な刺繍、めったにお目にかかれないほど。額に入れて飾りたいくらいです。とても素敵」
「ハッハッハ、そうもお褒めいただくと、なんとも面映ゆいですな!」
ダグラス閣下が胸を張って笑う。どうなさったのか。私は驚いて閣下を見つめた。
「いや、私が縫ったのです。自分で言うのも何ですが、我ながらいい出来だと思いましてな。早くお見せしたくなり、こうして約束の時間より先に押しかけてしまいました」
「閣下のお手製なのですか……!」
目を見開いて、刺繍とダグラス閣下、交互に視線を送る。
「やはり意外ですかな?」
「思いがけないことでした。閣下の手は、とても大きくていらっしゃるから」
「こう見えて器用なのです」
「閣下はお強い上に、繊細で優れた技巧をお持ちなのですね。尊敬いたします」
和やかに歓談していると、大きな音を立てて勢いよく扉が開かれた。
「ダグラス!! 私を差し置いて先に屋敷に向かうなど、何を考えて……!」
慌てたようにアラン様が応接間に入ってこられる。足音を鳴らし、眉根をしかめて声を荒らげたお姿は、今までに見たことがないご様子。私が目を瞬くと、アラン様は気まずげに咳払いをした。
「ンンッ……ただいま戻りました、エレオノール」
「おかえりなさいませアラン様。ダグラス閣下から、贈り物をいただいたのです」
「私の刺繍を奥様が気に入ってくださってな。『額に入れて飾りたい』とのお言葉を賜ったぞ」
「な、な……!」
アラン様は言葉を失って口を開閉する。親しいと伺っていたのに、ダグラス閣下のご趣味をご存じなかったのかしら。不思議に思っていると、ふいにダグラス閣下が大きな声を上げた。
「そうそう奥様。アランの手仕事はご覧になりましたかな?」
「待て、ダグラス!!」
「いいえ、アラン様も何かお作りになられるのですか?」
「おお! それはいけない!!」
驚きに目を見開くと、ダグラス閣下が両手を広げ、芝居がかった口ぶりで声を張る。
「ぜひともご覧いただかなければ! 勝手知ったる友の家です。ご案内いたしましょう」
勢いよく立ち上がり、ダグラス閣下が外に足を向ける。止めようとするアラン様の肩をがっちりと抱え込み、力ずくで引きずっていく。
「待て、やめろこの、馬、鹿、力、がッ!!」
「さあさあ、参りましょうぞ!」
快活な笑い声を上げて、ダグラス閣下がずんずんと歩いていく。壁際に控えていたヘレンと顔を見合わせる。どうしたものかと困惑しながら、ひとまず彼らについていった。
§
たどり着いた先は、なんとあの可愛らしい別邸だった。
「私は『やめろ』と言ったぞ! ダグラス!!」
立ち止まったダグラス閣下の手を振りほどき、アラン様が声を荒げる。
「しかし変に隠すと誤解を生むと忠告しただろう」
「何の誤解を生むと言うのだ!」
憤るアラン様のお言葉に、私は思わず口を挟んだ。
「その……私はてっきりアラン様がここに愛人を囲っていらっしゃるのではと思っていたのですが、もしや違うのでしょうか?」
私の言葉にアラン様がこの世の終わりみたいな顔を見せる。ダグラス閣下が呆れたように「ほらな」と肩をすくめた。
悄然と肩を落とし、アラン様が別邸の扉を開いた。扉の先には、広い一室にレース編みがかかったテーブルセット、壁一面の収納にずらりと並ぶ色とりどりの糸たち。これまたレース編みのかけられたソファーの上には可愛らしいぬいぐるみ。そして横長の作業台に広げられた——編みかけのレース。
「さて、出しゃばりましたが、私はここでお暇しよう。後はふたりでじっくり話し合われるといい」
「——ありがとう。助かった、ダグラス」
「いやなに。お前にも器用に立ち回れぬことがあるのだな」
振り返ると、ダグラス閣下が笑顔で手を上げ、踵を返したところだった。
「ありがとうございました」
閣下の背中に礼を言い、ひらりと振られた手に手を振り返す。それから……アラン様を見上げた。
「どうぞ、こちらへ」
アラン様は気まずげな表情を浮かべ、室内に招いてくださる。足を踏み入れ部屋を見回すなり、アラン様が取り繕うように口を開いた。
「その、違うのです」
振り返れば、顔色の悪いアラン様が弁明を始める。
「元帥閣下のご意向で、手先を使う細かな作業が集中力や忍耐力を鍛えることに役立つと、その、鍛練の一環でですね」
「……もしや、肩掛けや、今までいただいたドレスにあしらわれていたレースはすべてアラン様が?」
「そ、の通りなのですが」
「『鍛練の一環』という理由だけで、あれほどまでの技巧を?」
「制作を……好ましく思っていたのは、その、事実なのですが」
眉根をよせたアラン様が、頬を染めて観念したように口を割った。
「貴方をもっと飾りたいと、ここの所制作に熱が入っていたのも、また事実です」
「そもそも、どうして隠そうとなさったのです?」
ソファーに腰掛け、向かいの一人掛けソファーに座ったアラン様に問いかける。私の左右は可愛らしいぬいぐるみで埋まっていた。
「その、気味が悪いでしょう。成人した男の、しかも軍人が、レース編みなど」
いえそんなことは、と言おうとした瞬間、アラン様が深刻そうに呟く。
「現に私はダグラスが刺繍している姿を、薄っすら気味悪く思いながら眺めています」
「まあ、まあ」
あまりの物言いに私は目を瞬いた。
「大きな体を縮めて、大きな手でちまちまと針を動かすお姿は、お可愛らしいだろうと思いますけれど」
「……私は本当にいらぬ気を回しすぎていたようです」
そう言って、アラン様は困ったように笑った。
「気にされるご様子がないので散策中にたまたまこの別邸を見かけたのだろうと思っていたのですが、私がここに通っていることをご存じだったのですね?」
「ええ。夜ごと足繁くお通いになっていると」
私の返答に、アラン様は目を瞑って天を仰ぎ、大きな息を吐かれた。それから両手で顔を覆い俯いてから、ゆっくりと顔を上げ、真剣な眼差しで私を見つめる。
「私は誓って浮気などいたしません。私が欲しているのは唯一貴方のお心だけです」
視界の端で、ヘレンが気まずそうな顔をする。私も申し訳なくなって、アラン様に向かって深く頭を下げた。
「いらぬ誤解をいたしました。申し訳ございません」
「いいえ、ダグラスの言う通りでした。私が愚かだったのです」
アラン様が眉を下げ、目元を赤らめて柔らかく微笑む。
「結婚式で、あなたをひと目見たときに心奪われたのです。親しみを感じていた女性が、夢見るようなお姿で現れて……肖像画よりもずっと美しい、なんと可憐な——まるで陶器人形のようだ、と」
奇しくも同時に、『肖像画よりもずっと美しい』と感じていたのだ。そしてそれが、アラン様にとって恋に落ちるきっかけとなった——あの見開かれた瞳を思い出し、その理由を知り、今になって落ち着かない気持ちになる。
「元より手紙の交流を好ましく感じていました。ひと目見るなり魅了され、言葉を交わせば落ち着いたお人柄に日に日に想いが募っていく」
「さ、左様でございますか」
「……打ち明けるより先に、好いていただこうと思ったのです。想い合った後であれば、痘痕も笑窪になるのではないか、と」
手紙の交流を好ましく感じていたのも同じこと。気恥ずかしげに頬を染めるアラン様がお可愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。心が浮き立つ。抑えきれない笑顔を浮かべ、アラン様を見つめた。
「私は、今のアラン様をとても好ましく思います」
§
アラン様が別邸に籠もられるとき、同伴することが日課になった。
アラン様お手製のソファーカバーがかかったソファーに腰掛ける。左右には大小いくつもの熊や兎のぬいぐるみ。皆可愛らしいレース編みの付け襟をつけている。ヘレンが淹れたお茶を飲みながら、滑らかに動き続ける手元を、流れてゆく糸をのんびりと眺める。
「——貴方も何かお作りになりますか?」
手元から顔を上げ、アラン様がふいに口を開く。彼からそっと目をそらし、私はあいまいな笑みを浮かべた。
「いえ、あまり得意ではないのです」
「ですが、手紙に添えてくださったハンカチの刺繍は見事でした」
「あれは手ほどきを受けて——」
つい誤魔化そうとして、思い直す。アラン様に秘密を打ち明けさせておきながら、自分は秘めておこうなど、公平ではない。私は観念して口を割った。
「見栄を張りました。あれはそこのヘレンが作ってくれたものに、目立たぬよう針をひと刺し」
私の告白に、アラン様が目を瞬いて楽しげに笑う。そしてヘレンに顔を向け、彼女に声をかけた。
「どうだ、君が座って刺繍をするかい?」
「いいえ旦那様、滅相もございません」
恐縮しきって肩を縮めるヘレンに「無理を言ったな」ともう一度笑い、アラン様は気にされる様子もなく手を動かし始めた。
ほっと息を吐く私の隣で、ヘレンもそっと息を吐く。……アラン様に誤解していたと直接告げることができず、つまりは謝罪することもできず、ヘレンは地に埋まりそうな気持ちを抱え、今までの分を取り戻さん勢いで『旦那様』と口に出している。私のことも『奥様』と。『責任は私にあるし、アラン様もきっとお許しくださる』と慰めているけれど、なかなかいたたまれなさを拭えない。
ゆったりと流れる時間に暖かい部屋。ぽつぽつと交わす会話、興味深い彼の手元。穏やかなひとときにくつろいでいると、アラン様が手を止めた。糸を始末して編み針を置き、完成したばかりのレース編みのストールを手にアラン様が立ち上がった。座る私の前に片膝をつき、ふわりと、まるでベールのように私の頭にストールをかける。
「死が二人を分かつまで、私が作ったものを身につけてくださいますか」
まるで結婚式の再現——まだ心が通っていなかった政略結婚での誓いを上書きするように、彼らしい言葉で。
ずっとこの方の隣で……こうして茶を飲みながら、編み針を動かす器用な手先を見つめて。出来上がったものをアラン様が掲げ、私は笑って素晴らしい出来栄えだと褒めて、うれしそうに細められる目元を見つめる。そんな日々を、死が二人を分かつまで。それはとても、心温まる日々。
どうかこの方がご無事で、末永く、共に年を重ねられるように、と願いが自然と心に沸き起こる。アラン様がお作りになったもので飾られることを、うれしく思う。私は満面の笑みを浮かべ、彼の手をとった。
「ええ、喜んで」
【登場人物紹介】
アラン・イェオリ・フォン・バリエンフェルド
まずは外見からでも、紳士的に振る舞い好意を持ってもらおうとして、策に溺れた。恋にはから回ったが、隣国に穏健派が増えるようせっせと工作している。好意を持ってもらおうととった行動は『妻の地位は不動』と確信させるだけに留まり、愛人がいても気にしない程度の好感度に愕然とした。早く敬称を取ってもらいたいと思っている。
エレオノール・ベルタ・フォン・バリエンフェルド
大雑把。可憐な外見と裏腹に、どっしりと構えている。大雑把かつ不器用なので、手先の器用な人を心底尊敬している。
ダグラス
恋にから回るアランを心配していた。自分が作ったものだと明かし刺繍を見せ、エレオノールの反応を伺いいけると踏んでアランの秘密を明かした。とてもいい人。
元帥閣下
趣味はぬいぐるみ作り。アランの別邸に飾られているぬいぐるみはすべて元帥閣下作。








