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5.唯一



「……は?」



 永遠にも思える間をとってムゲンの口から出たのは、随分と間抜けな声だった。


「婚約者?俺に?俺と?俺が?」

「ムゲン様!お気を確かに!」


 モコがぴくりとも動かなくなったムゲンの肩を掴んで激しく揺するが、焦点の合っていない目で固まったままだ。

 青四片(しょうしへん)の言っている意味は分かるが言っている訳が分からず、ごちゃまぜの感情が頭の中をぐるぐる回る。

 そんなムゲンの心情を知ってか知らずか、青四片は続けた。


『龍は長命ですが、末の姫、青月季(しょうげっき)は先日生まれたばかりでちょうどムゲン殿と同じくらいの歳です。きっと話も合うと思いますよ。』


 15歳を“先日生まれ”扱いするあたり時間の感覚がかなりズレている。見た目に反して永く生きているというのは本当らしかった。

 だがムゲンが気にしているのは年の差ではない。


 あまり出しゃばらないタダヒトだったが、これにはさすがに口を挟む。


「お待ちください青四片殿。それにはさすがの女帝も黙っておられないのでは?婚姻まで進むとなれば内密に進めるのは不可能ですし。」

『その辺はこちらで上手く誤魔化して、女帝には時期を見て私から伝えておきます。騙したり隠したりは私の得意分野ですのでお任せを。』

「怒りを買えば貴方もただでは済まないのでは?」

『無論、八つ裂きどころの騒ぎではないでしょうね。私も命懸けですよ。』


 そう言って青四片は微笑みを浮かべたまま、やれやれと肩を竦めた。

 何故そこまでして和平に踏み切りたいのだろうか。

 青四片の思惑が分からず、頼みの綱であるタダヒトも言葉を呑み込む。


「え、これ、俺、受けなきゃいけないやつ?」


 流れで婚約者が出来てしまいそうだが、ムゲンからするとたまったものではない。

 自分はまだ15歳だ。結婚など想像したことも無い。ただ、獅子王からの冷遇からか、愛情や思いやりのある暖かい家族像にはぼんやりと憧れを抱いていた。

 

 国同士の政略結婚で決まった相手を愛せるのか。

 そこでもし子どもが生まれでもしたら

 はたして自分はその子を愛せるのか。

 もし、もしも、駄目だったら

 目に映すのも、傍に居るのも嫌になったら


 そうなった自分の姿と獅子王の姿とが重なる。

 自分が一番嫌っているものに自分自身が成り果てていく。

 その未来に背筋が冷えていくのを感じた。




「くくっ」




 そんな中

 吹き出すような微かな笑い声が聞こえた。


 誰だ不謹慎な奴はと背後のモコを見るが、彼女はぎょっとした顔で自分ではないと首を横に振る。

 タダヒトは今まで笑ったところなど見たことがないので当然違うし、青四片は微笑んではいるが口はつぐんだままだ。


「くく、くくくっ、ふはっ」


 獅子王だ。

 転げ回りたいほどの笑いを何とか堪えているようで、ガタガタと獅子の面が震え、白銀の(たてがみ)が揺れている。


「お、おい、親父…」


 気味が悪くなり思わず声をかけるが、耳に入っていないのか獅子王は


「く、くく、あー!だめだ!あーはっはっは!」


 ついに爆笑し始めた。


「そうかそうかそういう事か!なんだよそういう事なら早く言えよ青四片!そうか、遂にこの時が来たか。永かったなぁ。随分と待たされたもんだ。」


 歓喜、と言うにはあまりに狂気じみた喜びようだった。

 獅子王から放たれる何かが部屋全体をビリビリと振動させ、その場にいる全員が気圧される。

 ムゲンも獅子王に腹が立つことは幾らでもあったが、恐怖を感じたのはこれが初めてだった。


 獅子王はひとしきり笑った後、がらりと気配を変えて青四片に鋭く言い放つ。

 その喉元に、刃物の切っ先を向けるように。




「ババァが死にかけてんだな?」




 青四片から笑顔が消えた。

 そして心底軽蔑するような表情で獅子王を睨む。




『貴方のそういうところが本当に大嫌いです。』




 呆れと怒気の混じった言葉に、獅子王は益々嬉しそうに笑った。



「そうか、あのババァがな。ようやくくたばるってか。今夜は祝杯だな。」

「親父、どういうことだよ。龍の寿命は永いんじゃなかったのか?」

「だからその寿命が尽きかけてんだろ。まぁ1000年も生きてりゃ十分さ。」

「じゃあ次の皇帝は青四片さんってことか。」

「いや、こいつも王位継承者筆頭とはいえ《龍の国》の皇族は複雑だ。そう上手くいく話じゃねぇのさ。」


 何やら話を濁しつつ、獅子王は長椅子から立ち上がり(仮面の座高が上がったので立ち上がったと思われる)今までの斜に構えた態度とは一変して青四片の方へと真っ直ぐ向き直った。

 

「分かった。この話、受けよう。」

「はぁ!?」


 いつも何でも勝手に決めてしまう獅子王であったが、今回の当事者であるムゲンに何の話のすり合わせも無いのはさすがにあんまりである。

 当然ムゲンからは怒りと困惑の叫びが上がり、タダヒトとモコは「あちゃあ」と頭を抱えた。


「おいコラ!何勝手に決めてんだ!」

「モコからもお願いします獅子王様!きちんとムゲン様が納得いくように話をして差し上げてください!」

「あ?この国の王は俺だ。俺が決める。そしてお前は王子だろうが。拒否権があると思うか?受けろ。」

「なんだとこの「 命令だ。」


 ムゲンとモコの反論も虚しく一蹴される。 

 命令と言い切られてしまっては2人は言葉を失くすしかなく、モコに至っては可哀想なほどしょぼんと項垂れてしまった。


 ムゲンも自分の立場は弁えているつもりだ。

 国が戦争を回避し和平に持ち込む事ができるなら、自分の家族への淡い憧れや心の奥底の気持ちなど捨てるべきである。

 だが何の説明も相談もされず、納得も出来ぬまま、ただただ道具のようにぽいと差し出されて素直に受けられるほど大人にもなれなかった。


 自分の息子の未来を左右するのに、少しでも、ほんの少しでも、躊躇いはないのか。



(馬鹿馬鹿しい。こいつはずっとそうだったじゃねぇか。)



 ぐっと唇を噛み締めるムゲンの様子に、タダヒトは今日何度目になるか分からない深いため息をつく。

 そしてその手の錫杖と槍が一体化したような身の丈ほどある物騒な杖で、獅子王の鬣に隠れた身体部分をごんと小突いた。


「いて。おい、尻を叩くな。」


 尻だったらしい。

 

不実(ふじつ)の杖《無二(むに)》。これで()()()()()という事は、貴方が“正しくない”ということです。自覚してください。」

「あ?何をだ?」

「さぁ。自分で考えてください。この国の王なんでしょう?」


 先程の自分の言葉を弄ったようなタダヒトの意地悪な言い方に、獅子王は拗ねたのか、何か考えているのか、急に黙ってしまった。

 自由気ままでやりたい放題な獅子王の手綱を握れるのは、恐らくこの男だけだろう。



(ありがとな。タダヒト)



 タダヒトなりに、ムゲンの代わりに仕返しをしてくれたのだろう。いつも澄ました顔をして淡々と物を言う奴だが、優しい男なのだ。

 ムゲンの心情も、獅子王より理解してくれる。

 

「ムゲン様。色々と不安と不明な点もあるでしょうが、そこは後々獅子王様に必ず説明させますので今暫く辛抱を。」


 タダヒトがちらりと視線を青四片に向ける。


 青四片は元の微笑みを浮かべた表情に戻り、こちらをじっと傍観していた。


 その余裕な態度は崩れることはない。

 獅子王がこの話を受けるのを確信していたのだ。

 ムゲンが受けるしかないのを分かっているのだ。

 今日の和平の交渉というのは、話し合いという皮を被った強要だった。


 獅子王といいこの男といい、やはり信用ならない。


 タダヒトの目配せは恐らく、客人の前では話しにくい何かがあるということだろう。


「私などからお願いする形になってしまい申し訳ありませんが、貴方に《龍》と《森》の未来がかかっています。受けて下さいますか?」

「……分かった。」

「ありがとうございます。私も全力でサポートさせていただきます。モコも良いですね?」

「お任せ下さい!ムゲン様は女心がまったく分からないでしょうから、モコが手とり足とり教えて差し上げます!」


 ムゲンが受けると決めたならと、モコは拳を自分の胸に当てる。どんとこい、と言いたいらしい。

 主人を盾にする護衛の言葉に不安が増した気がするが、獅子王の言う通り自分には拒否権はない。


 ならせめてもの悪あがきだ。

 命令ではなく、自分の意思で受けて全うする。

 まだ気持ちの整理はつかないが腹を括るしかない。


『ありがとうございます。貴方なら受けて下さると信じていました。』

「…でしょうね。」


 青四片が蛸護衛の背中から立ち上がり、ムゲンへと歩み寄ってきた。


 信じるも何も、疑いもしていなかったくせに。

 白々しいにも程がある。


 そんなムゲンの嫌味を含んだ言葉に、彼は怒るどころか嬉しそうに口端を上げた。


『おや、棘のある言い方だ。少しは仲良くなれたという事でしょうか。嬉しいです。』

「そりゃどうも。それより青四片さん。気になることがあるんですけど聞いていいです?」

『おや、ムゲン殿から私に質問ですか?なんでしょう。』

「相手のお姫様は大丈夫なんですか?婚約とかは女の子のほうが、その、気持ち的に…」


「愚問だわ。」


 突然だった。

 ムゲンの言葉が遮られた。

 聞き覚えのない高い声に。


 迂闊だった。

 その可能性を失念していた。

 先程()()()()()だというのに。


「国のためにこの身を捧げるは皇族の(つと)めであり最高の誉れ。その質問は私への侮辱と取るわよ。」


 青四片の隣の何も無い空間からぱしゃりと水飛沫が上がり、その正面にいたムゲンの全身を盛大に濡らした。

 水と顔に張り付いた前髪を腕で乱雑に拭って視界を開けば、そこには自分と同い歳くらいの少女が立っていた。

 そして彼女は高らかに名乗りを上げる。


「お初にお目もじいたします。《龍の国》末姫、青月季(しょうげっき)でございます。以後末永く、よしなにして下さいませ。」




 齢15年の人生で幼少期以外は泣いたことのないムゲンであったが、この時ばかりは少し泣きたくなった。





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