Episode1-3 召喚獣の召喚獣による召喚獣の為の大騒動
清々しい日光が窓越しに降り注ぐ、清潔なリビング。
パンの焼ける香ばしい匂いが、リビングを満たす。木の壁際には食器棚や香辛料などを入れたビンが並んでいる棚が、ずらりと並べられている。リビングの床にはベージュのカーペットが敷かれ、その上には重量感のあるずっしりとした木のテーブルが、四本の足で支えられていた。四角の形をしたテーブルの一つを除いた三辺には、それぞれ椅子が並べられている。キッチンと一体のあまり広いとは言えないリビングには、それ以外に家具らしいものはない。リビングの南側の壁には、玄関らしきガラス窓のついたドアが取り付けられていた。窓には薄いレースのカーテンがかかっているため、外はうかがうことができない。
穏やかな朝の風景。どこかで鶯が、その軽やかな声でさえずる。
「…………」「…………」
縦に切り分けられ木の籠に入れられた食パンやバケット、小瓶に入った色とりどりのジャムやクリーム色の滑らかなバター、そして金色に艶めく蜂蜜などが置かれたテーブルを挟んで、立ったままの青年とテーブルに据え付けられた椅子に座る姉のユイは、口を固く引き結んでにらみ合っていた。正確に言うと、ユイが一方的に青年を睨んでいるだけで、青年はその視線を居心地悪そうに受け止めているだけなのだが。
黒曜石のような二対の瞳がぶつかり合う中、
「……プッ。ギャハハハハッ!」
沈黙に耐えかねたようにしてふいに盛大な笑い声を上げ始めたのは、一匹の召喚獣だった。沈黙に支配されていたその空間にその笑い声は、やけに大きく響く。
ゲタゲタと下品に笑い続ける金色の目をした召喚獣に、青年は密やかなため息をもらす。
「――火影。五月蠅い。もっと緊張感を持てよ。それからついでに、十発くらい後で殴らせろ」
「何だ。その話の突然切り替えは?」
すっと視線をユイから離し、火影というらしいニタニタと笑い続ける召喚獣を青年は睨みつけた。
「とりあえず黙れ。お前の笑い声は神経に触る」
「や、スマン。つい昨日のことを思い出しちまって。クククッ。あン時のお前さんは見物だったなぁ。お前さんの部屋からデカい音が聞こえたもンだから、驚いて見に行ってみればなんとビックリ! 入り口前には主が真っ蒼な顔して突っ立ってるし、部屋の中じゃお前さんがべっぴんさんを押し倒して馬乗りになっているじゃないか。あたいはもうビックリして、声も出なかったね」
「うっ、五月蠅い! しかもあれは押し倒したんじゃねぇよ! オレがこの子の上に倒れて、それで……そういう風な形になったんだよ!」
恥ずかしげに顔を真っ赤にする青年を見つめ、クスクスといやらしく火影は笑い続ける。亜麻色のふんわりとしたフェミニンボブの髪は揺れる肩とともに小刻みに震え、髪の毛に呼応するようにして火影の尻尾がふわりと揺れた。
火影は、ユイの召喚獣である。金色をした長い耳とふさふさの九尾を持つ、善狐の召喚獣だ。
「ハル。昨夜のことはいい。それよりも今は、この召喚獣の娘をどうするかが問題だ」
張りのある、ユイの低い声が響く。ハルというらしい青年は火影から視線を外し、俯きがちにユイへ視線を向ける。
「それは、自分でも十分分かってる。けど――」
「召喚獣使いの禁忌、三つを上げろ」
だしぬけに、ユイはハルに問うた。「は?」とハルは間の抜けたような声を上げて口を開く。
「姉貴? 別にそんなこと言わなくても分かって――」
「あたしは言えといっているんだ! 口答えをする気か?」
ユイの拳が思い切りテーブルに叩きつけられ、テーブルが僅かに振動しながら鈍くも大きな音を立てる。
テーブルを挟んで火影と向かい合って座っているハルが昨夜召喚した召喚獣の少女は、ユイの激声にびくんと肩を震わせ双眸を見開く。少女の向かいでやれやれという風に首を横に振る火影は、小さく肩をすくめた。
テーブルに並べられたパンやジャムなどの小瓶は振動によって僅かに揺れ、それぞれ二人と一匹の前に置かれている紅茶の水面が揺れる。四つの中で最も激しく揺れたユイのカップに注がれた紅茶は、小さな波を作り上げテーブルの上へ僅かにこぼれた。
「…………。禁忌その一。召喚獣使いと召喚獣の間に恋愛感情があってはならない。その二。その一を守るために――召喚獣使いは、異性の召喚獣を召喚してはならない。その三、召喚獣使い一人につき、三匹以上の召喚獣を召喚してはならない」
ハルは俯いたままぼそぼそと喋り、ユイはハルを男顔負けの勇ましく恐ろしい表情で睨みつける。
「分かっているのならば、何故お前は禁忌を犯した? しかも、最大の禁忌と呼ばれる異性の召喚獣の召喚を」
ユイの厳しい声音に、ハルは力なく首を横に振り否定する。
「違う。犯すつもりは、なかったんだ」
「では何故、この娘はこうしてここにいるんだ?」
ユイはちらりと斜め左前に座る少女を一瞥し、再び穴が開いてしまうのではないかと心配になるほど、じっとハルを睨みつける。ハルはまるで自分の発言に自信がないかのような様子で、口を小さく開く。
「……その。それはオレにも、よく分からないんだ」
「ふざけているのか?」
間髪入れず、ユイが問う。
「本当だって。――オレはこいつを召喚するつもりなんて……禁忌をおかすつもりなんて、更々なかったんだ」
ハルは眉間に皺を作って顔を歪め、視線をだんだんと下へ下げながら言葉を弱々しく紡いだ。
ユイはハルの仕出かしてしまった事と、その態度に呆れるようにしてため息をつく。
重苦しい空気が清々しい朝の香りと光に包まれた部屋を満たす中、
「運命、なのではないでしょうか?」
ふいに、緊迫した空気に似合わぬゆったりとした声が響いた。