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第八話  『戦場ドナトリア』

 黒兎くろとは自分の役目を果たしたしょうゆに感謝の気持ちを込めて触れる。しょうゆはまだ震えていない、しょうゆはまだ大丈夫だ、しょうゆならば走っていける。黒兎はしょうゆから飛び下りて「はよ逃げ!」と叫んだ。しょうゆがこれ以上ヴァルトラウトに──十三メートル程の体躯のドラゴンに近付くのは危険だ。黒兎は足を怪我した馬の末路を知っている。しょうゆの死に場所はここではない。


「バルッ!」


 しょうゆはまだ戦えると言いたいのか苛立たしそうに返事をしたが、やはり賢い馬だ。黒兎を置いて引き返していく。

 リタも黒兎に倣って下りた。マヨネーズはリタから何も言われてないが、「バルン!」と黒兎を見て声を上げる。


「当たり前や!」


 返事をするとしょうゆの後を追い掛けていった。


 黒兎もヴァルトラウトに向かって走る。ヴァルトラウトは黒兎を視界に入れているのかいないのか、リタに向かって飛んでいく。


「こっち見ろやボケェッ!」


 地面を大きく蹴った黒兎は両者の間に割って入った。討伐依頼が出ていたのだ、それだけヴァルトラウトはリタに対して異様に執着しているのだろう。黒兎の心の中に渦巻くどす黒い怨念は一切感じていないようだ。


「ぶち殺したるって言うたやろがァッ!」


 今度は軽く跳躍する。口を限界まで開いて低空飛行するヴァルトラウトの上を取り、今の黒兎の全力で振り被った剣を下ろす。風を纏った剣はヴァルトラウトの硬い鱗を斬り刻むように激突し、軽く削ってヴァルトラウトの墜落に一役買う。

 リタはその隙を逃さなかった。黒兎の背後にいた彼女は黒兎を巻き込まないよう右足を踏み出して剣を突き出す。


「ギャッ!」


 切っ先から銃弾のように放たれた水はヴァルトラウトの左目を潰した。黒兎も負けじとヴァルトラウトの右目に剣を突き刺す。


「ギャァァァア!!」


 この数秒でこの世界の人間が武器に魔力を込めて戦う理由を痛感した。武器に魔力を込めなければドラゴンの鱗は削れない。武器に魔力を込めなければまともに戦うこともできないのだ。

 ヴァルトラウトが地面に伏した瞬間を見計らって剣を抜く。対人の模擬戦は経験したことがあるが、化け物の模擬戦は皆無で。狙撃ならば先程見たように一撃で倒せたかもしれないが、今の黒兎には剣しかなく。カラマのような剣士ならば連撃で倒せたのだろうかと実力不足を悔やみながら再び振り被る。

 ヴァルトラウトは両目を潰されても黒兎の動向が見えているのか。鱗の隙間から全方向に放たれたのは例の黒い光線だ。咄嗟のことで黒兎もリタも躱せずもろに喰らうが、甲冑が守ってくれたのか痛くも痒くもない。


「リタ! 無事か?!」


「平気です!」


 二人の会話を聞いたヴァルトラウトが尾を地面に叩き付ける。ヴァルトラウトの苛立ちが地面に伝わったのか数秒間だけ大地が揺れた。すぐに収まらなければ二人はよろめくどころか倒れていただろう。体勢を立て直しヴァルトラウトの前足を狙う。

 だが、連撃に乗れなかった二人の剣には勢いが足りなかった。どちらの剣も硬い鱗に弾かれ腕が痺れる。


「──ッ!」


 考えることは同じだ。跳躍して距離を取る。

 ヴァルトラウトもこの隙を逃す気はないようで、翼を広げる動作を見せた。


「何するんじゃあ!」


 ヴァルトラウトには何もさせない。剣を握った右手を前に突き出して高らかに叫ぶ。


「ドンッ!」


 予想通り十メートルの穴が空いた。黒兎が崩したのは前足が置かれていた地面だ。ヴァルトラウトは為す術なく前のめりに倒れる。


 今だ──。


 再び攻撃態勢に入った黒兎とリタを襲ったのは、かつて大勢の軍人の命を奪った黒の鞭だった。





 廃屋寸前の家にも人は住んでいる。他国で生まれ育ちトレステイン王国に流れ着いたカラマはそういう国があることも知っているが、他の騎士は衝撃を受けているようだった。


「ドナトリア王国の皆様、我々はトレステイン王国の騎士団です! 今からアベルとの戦闘が始まるので避難してください! 誘導します!」


 カラマは栗毛の愛馬と共に街を走る。小国のドナトリア王国は城と街の距離がトレステイン王国よりも近い。ヴァルトラウトが無差別攻撃を始めれば壊滅は一瞬だ。

 馬を下りた騎士たちは民家に入り住民の避難を直接促す。やがて出てきた住民の大半は騎士たちに背負われており、それだけで、カラマはすべてを察し顔を歪めた。


「すみません、他に民家はありますか?」


 カラマについて来たタラは最も近くの家から背負われて出てきた住民に尋ねる。老いもあるが飢えもある、痩せ細った老婆は視線で答えた。


「歩ける者は歩かせて! 馬に乗せられる者は馬に! どちらも難しそうなら担いで! 行って!」


 カラマは指示を出して老婆が答えた方角へ走る。街であることに変わりはないが、トレステイン王国とは違い道は舗装されておらず水路もないように見える。

 メルヒェン大陸の最北西とはいえ、中心に位置している大陸一の大国オズ王国とは雲泥の差だ。大陸一の辺鄙な国はヴァルトラウトの支配によって信じられない程に寂れてしまい、リタが女王になったとしても失くした二年を取り戻せるかどうかは怪しい。


「ドナトリア王国の皆様、我々はトレステイン王国の騎士団です! 今からアベルとの戦闘が始まるので避難してください! 誘導します!」


 それでも再度叫んだ。守れる命があるなら守る。それが大陸を旅したカラマの答えだった。

 見えてきた集落の陰から男が出てくる。男は歩けるようで、カラマを含めた騎士たちを視認して「助けてください!」と両膝を地面に付ける。


「行って!」


 騎士たちに命じた。ここが最後ではない、城に近い街はまだ存在している。馬から下りて集落へと走る騎士たちを確認し、カラマは息を呑んだ。


「何故……」


 カラマが率いた騎士団の背後にいたのは、ウーリだった。

 ヴァルトラウトと戦って生き残った人間はいない。騎士団の人間としてヴァルトラウトと国王の戦闘は許容できないが、ウーリがここにいるということは、リタを一人で行かせたということだ。それは一人の人間として許容できない。


「……また、死にますよ」


 どう言えばいいのかわからなかった。


「王妃が選んだ道だろう」


 ウーリは戦闘に参加する訳でもなく避難を手伝う訳でもない。ドナトリア王国の現状に心を痛める訳でもなくリタを心配する訳でもない。

 散歩と言って魔獣狩りをするのと同じだ。ウーリは革命と言って観光に来たのだ。興味深そうにドナトリア王国の荒れた景色を眺めている。


 ──ドォンッ!


 息が止まるかと思った。城からある一点に降り注いでいるのは他者を呪い殺せる黒い光線だ。

 ヴァルトラウト自身の強さは未知数だが、あれを出されたら最後、誰もが手も足も出ずに殺される。他者を呪い殺す力があるかどうかが魔女に二つ名が付く条件だった。


 ヴァルトラウトが黒い光線を出す度に上空が黒く濁っていく。空が黒く濁ればその下で誰かが呪われているというのはこの大陸の常識だ。そうして悪名を馳せたのがヴァルトラウトなのだ。


「ッ! タラ! ローラ!」


 カラマは同期二人の名前を呼ぶ。同期であり部下でもある二人はカラマが心置きなく頼れる数少ない騎士だ。


「援護して!」


 同時に愛馬に方向を指示する。愛馬はカラマが危険な場所へ行こうとしていることをすぐに理解したが、「バル!」と頼もしく返事をした。


「えっ?! 待って、行くの?!」


「死んじゃうよ?!」


 当然だが、勝ち目がない戦いだと理解しているタラとローラはカラマを止める。ウーリも何故、と言いたそうな表情だ。


「弟子を死なせたい師匠なんていないわ!」


 そう言ってヴァルトラウトの下へと走った。あの空の下で一体何が起きているのか。直後に姿を現したのは黒色のドラゴンだが、すぐにあれがヴァルトラウトだと理解する。変身したのだ、ならばまだ、黒兎くろととリタは倒されていない──。カラマは一縷の望みを抱く。


「ローラ、乗って!」


 タラが魔法で作ったのは土の塔だ。ローラが土の出っ張りに両足を乗せると出っ張りは頂上まで上っていく。

 タラ自身も同じ要領で頂上まで上り、カラマが目指す場所を捉えた。十三メートル程の巨大なドラゴンが暴れている、見たことがない黒色だ──。あれがヴァルトラウトなのだろう。奥から魔女の魔力を感じる。

 タラはすぐにローラが狙撃できるように土で狙撃台も作った。ローラは銃口をドラゴンに向ける。


「ユーたち正気かい?」


 ウーリだけがまだ状況を理解していないようだった。ウーリだって勝ち目がない戦いだと思っている。


「同期を死なせたい騎士もいないんですよぉ!」


 答えたタラは奥歯を強く噛んだ。攻撃がローラの役割ならば防御はタラの役割だ。土で壁を作り戦場を注視する。ヴァルトラウトが無差別攻撃を仕掛けた時にローラとウーリを守れるのはタラしかいない。その責任を噛み締めていた。

 一方、全速力で走るカラマは逆走する二頭の馬に気付く。二頭は黒兎とリタを乗せていた黒鹿毛と白毛の優秀な馬だ。怪我をしている訳ではなさそうで一瞬だけ安堵する。


「バルルンッ!」


 栗毛の愛馬も嬉しそうに鳴いた。二頭の馬──しょうゆとマヨネーズはカラマの実力を知っている。知っているから二頭はカラマに向かって鳴く。二頭は騎手を戦場に置いてきたのだ、二頭が鳴けば鳴く程にカラマの全身から嫌な汗が吹き出す。

 二頭とすれ違って戦場に到着したカラマが見たのは、黒いドラゴンとドラゴンを囲む黒い棘だった。地面には血痕が付着しており、その血の形がどのような状況でできるのかを知っている彼女は上を向く。


 そこには甲冑ごと全身を貫かれた黒兎とリタが吊るされていた。

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