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第七話  『全てを知る者』

 ヴァルトラウトはコツリと玉座の肘掛けを黒に染まった爪で叩いた。正面にはドナトリア王国が一望できるバルコニーがあり、その遥か先には微かにトレステイン王国が見える。

 コツリと再び玉座を叩いた。コツリ。コツリ。思い通りにならない現実を前にして、真っ赤に塗った唇を歪める。腹の底からふつふつと湧き上がってきた感情に付ける名前は知らない。彼女が気分良く暮らす為には不要な感情だからだ。


「ハインツ」


 透き通った綺麗な声が謁見室に響く。ヴァルトラウトはドナトリア王国の女王だが、この場には彼女しかいない。それでも彼女に応える声がある。


「あの騎士団を指揮している者は誰だ」


 ヴァルトラウトはトレステイン王国から進軍する騎士団を自身の身長と同じくらいの長さの杖で差した。

 ヴァルトラウトがドナトリア王国の国王を殺害し女王になって二年、一度も交流していないあの国が何故今腰を上げたのか。杖を下ろして頬杖をつく。邪魔者を排除したと思った矢先の侵攻だ、余計に気分が悪くなる。


 数秒の間があって、ハインツと愛称で呼ばれているハインリヒが答えた。


「リタ・リープクネヒト嬢だね」


 低い、落ち着いた男の声も部屋に響く。ハインリヒはいつも落ち着いているが、ヴァルトラウトはそこが気に食わない。


「リタ、だってぇ……?」


 ヴァルトラウトの声が低くなった。両目を見開いた彼女は立ち上がり、杖を限界まで強く握り締める。

 ヴァルトラウトが知るリタの苗字はリープクネヒトではない。ヴァルトラウトが知るリープクネヒトはトレステイン王国の王族の苗字だ。ヴァルトラウトの脳裏には点と点があり、それを結び付けると怒りでは済まされない感情に支配される。


「一体何がどうなっている! また生き返ったのか!」


 床に引き摺る程長いローブを翻してハインリヒに詰め寄った。継子のリタとリタ・リープクネヒトが別人だとは考えない。リタの生命力の強さを誰よりも知っているのは他でもないヴァルトラウトだ。

 ヴァルトラウトは何度もリタを──またの名を白雪姫を殺害している。愚鈍な国王を殺害して、純朴なリタの殺害を試みて二年、リタが生きている限りドナトリア王国は真の意味でヴァルトラウトの国にはならない。


「残念ながら」


 ハインリヒはリタを恨んでいないが、ヴァルトラウトに殺害される度に何故か生き返る彼女を見て〝頼むからそろそろ死んでくれ、人として〟とは思っている。

 国王がヴァルトラウトを娶った時のリタも、国王が殺害された時のリタも、戦いとは無縁の肉体だった。塔に幽閉されてからはあったはずの筋肉もなくなってしまっただろう。歴戦の猛者でさえさすがに命を落とすだろうに何故か彼女はまだ死なない。ドラゴンも死ぬはずの毒も効かなかったのだ、ハインリヒは悪の魔女と呼ばれるヴァルトラウトよりも白雪姫と呼ばれるリタの方が恐ろしかった。


「あぁぁああぁぁあ!!」


 我を忘れたヴァルトラウトが叫ぶと南西から咆哮が聞こえてくる。ドナトリア王国の南西にあるのは年中雪が降り積もる白銀の山で、咆哮の持ち主はその山の主である氷のドラゴンだ。

 大陸の最北西に位置する小国──ドナトリア王国を支配すると決めたヴァルトラウトが道中で下僕にした氷のドラゴンは、ドナトリア王国に近付く者を排除せよと命じられている。それがなくても彼らの縄張りである雪山に近付いた者は誰であろうと狙われるのだ。あの種族を使わない理由はなかった。


 ──ドォォォオン!


 ヴァルトラウトの思惑は一瞬で崩れ落ちた。騎士団の後方から撃たれたのだ。

 氷のドラゴンは一撃で沈んだのか起き上がらない。ヴァルトラウトは唇を強く噛み、杖の底で床を叩いた。


「トレステイン王国は今、リタ嬢とウーリ・リープクネヒトの結婚式の準備をしているね」


 追い討ちをかけるようにハインリヒが告げる。


「結婚式ぃ……?」


 ならば今ドナトリア王国に向かっている騎士団はなんだ。ヴァルトラウトの目には甲冑を着たリタとウーリが映っている。掲げている旗はトレステイン王国の金青色の国旗だ。


「ふざけているのか、あの餓鬼どもは……!」


 ハインリヒは答えない。ハインリヒはリタとウーリの心の中まではわからないのだ。

 ヴァルトラウトもハインリヒに答えてほしかった訳ではなかった。二人の心の中がどのようなものでも腹が立つことに変わりはないからだ。


 リタが結婚をしてまで連れて来た騎士団は脅威ではない。真の脅威は不死身のリタだ。心臓を短剣で刺しても翌日には回復するリタを殺す術を考える。怒りはあるが、狂えないのはリタのせいだ。

 ヴァルトラウトは無言で謁見室の外に出る。ハインリヒは、怒りに震える彼女の背中を眺めることしかできなかった。





 ──コイツはトレステイン王国一の名馬だ。


 黒兎くろとがそう確信したのは、コイツが城に向かって数秒でリタの背中を捉えたからだった。性格が致命的なだけで、そこを直せばウーリの馬にだってなれる。コイツとウーリの相性はどうしようもない程に最悪だろうが。


「リタッ!」


 声を張り上げて彼女の名前を呼ぶ。城に向かっているのはリタだけのようだった。


「恩人様ッ!」


 リタは黒兎を視界に入れ、一瞬だけ険しい表情を緩める。険しい表情が似合わないなぁ、と黒兎はほんの少しだけリタを愛しく思って眉を下げた。


「なんで一人なん、ウーリは?!」


「ウーリ様を危険な目に遭わせる訳にはいきません! ウーリ様には騎士の方々と民たちの避難をしていただいております!」


 その言葉の中でリタが険しい表情を緩めることはなかった。自分は間違っていない、正しいことをしていると本気で思っているようだ。

 元々、ヴァルトラウトの討伐は傭兵がすることになっている。その傭兵が黒兎しか集まらなかった時点でこの作戦は破綻しているも同然だ。騎士団の一部を討伐に割いてくれていると思っていたがそうではないらしい。


 ヴァルトラウトの実力を知らない黒兎だが、リタと黒兎だけで倒せるとウーリが本気で思っているのならぶん殴っても気が済まない。二人で充分ならばヴァルトラウトは既に討伐されている。それくらいは馬鹿な兎でもさすがにわかる。


「援軍や! 援軍呼びに行け!」


 リタが戦わなければ革命にはならないのだろう。そういうものだとわかっていてもリタを前線から遠ざけたいと思ってしまう。出逢って一日も経っていないが、リタが戦いに向いていない少女であることは見ていればわかることだった。


「ならば恩人様が!」


 なのに何故リタはこうも強情なのか。黒兎はどうしても理解できない。人を使うことができないならば、リタはきっと、女王にさえ向いていない。この戦いは負け戦だ──このままでは確実に負ける。


『そう思ったら逃げろ』


 息が止まった。訓練する黒兎に有無を言わせずにそう言ったのは、訓練に付き合ってくれていた石井いしいだ。庫田くらたは狙撃の技術を叩き込んだだけでそれ以外のことは何も教えなかったが、石井はその逆だったように思う。


 ──石井は、黒兎が生きることを望んでいるのだ。


 多分だが、阿倍あべは皇帝の為に死ねと言う。庫田は無駄死にを許さないだろう。石井は逃げろと言っている。


「勝ち目はあんの」


 黒兎だってリタを死なせたくなかった。彼女を生き返らせた責任は取ると決めている。リタもウーリと同じ馬鹿ならば、多少傷付けてでも止める覚悟を持たなければならないのか。


「あります」


 空はまだ今にも泣き出しそうな曇天なのに、リタの瞳に曇りはなかった。黒兎はぐっと唇を噛み締め、彼女を信じても良いのかと迷う。

 瞬間、視界の隅が黒く光った。黒兎が反応すると同時にコイツもリタの白い馬も素早く避ける。


「じっ、自分らぁ! むっちゃ最高やなぁ!」


 驚く程に優秀だ。コイツではなくしょうゆという名前を授けよう。

 しょうゆはこれくらい当たり前だと言いたいのか黒兎の褒め言葉を一切受け取らず、「バルンッ!」と黒兎の意識を敵に向けさせる。だが、しょうゆに言われなくても気付いていた。


 黒い光線は休む間もなくリタと黒兎に降り注ぐ。ここまで来ると気のせいではない、確実にリタと黒兎を狙っていた。


「誰や!」


 顔を上げて狙撃手を探した。遠距離用の銃があればすぐに反撃できるのに。自分の準備不足を呪う。


継母様おかあさまですッ!」


 狙撃手の黒兎は、すぐに狙撃手──いや、魔女を視界に入れた。彼女には隠れるという発想がないのか堂々と城のバルコニーに姿を現しており、自分の身長と同じ長さの杖を振り上げている。


「────」


 黒兎は狙撃手だ。近距離よりも遠距離が得意で、近くのものよりも遠くのものを見ることが多い彼は当然視力も良い。

 全身を覆える程に長い黒色のローブ。そこから覗くシンプルだがボリュームのある紫紺色のドレス。綺麗に一つに纏められた榛色の髪を宝石で彩られた黄金の冠が覆っている。真っ赤に染まった紅色の唇は怒りで歪み、紫紺色の瞳で黒兎とリタを睨み付けている。身長は百八十センチ近いだろう。同じくらいの長さの杖を持ち上げた美し過ぎる女に──見覚えがあった。


「嘘やろ……」


 あの日のことは忘れられない。忘れたくないからリタが生き返った時も〝彼ら〟のことを想っていた。

 心臓が早鐘を打つ。大人たちが一人残らず倒れたあの日。縋る思いで宮殿を訪れたあの日。あの宮殿が中心から崩壊していることに気付いて絶望したあの日。宮殿で想像を絶する程の戦闘が繰り広げられていて。怒り狂った軍が一人の女を追い掛けていて。高笑いをしながら逃げる女が忘れられない。


 ──黒兎はヴァルトラウトを知っていた。


 そして思い出す。黒兎は魔法だって知っていた。

 女の体から伸びる黒い鞭は宮殿を更に破壊して、追い掛ける軍人たちの体を槍のように貫いて、宮殿に避難した子供たちを恐怖に陥れた。子供たちに気付いた女は躊躇いもなく杖を向ける。軍人たちは何も知らない子供たちを守って命を落とした。倒れた大人たちも命を落としていた。


 黒兎には帰る家がない。育ててくれたのは宮殿に雇われた女たちで、鍛えてくれたのは石井、庫田、阿倍たちだ。

 黒兎には返しきれない恩がある。命を懸けて守ってくれた軍人たちにも。今思えば決めたのは輝夜かぐやだったのかもしれないが、自分たちを引き取ると決めてくれた皇帝にも。敵を討つから戦い方を教えてくれという無謀な願いを叶えてくれた生き残りの軍人たちにも。死ぬ間際まで愛してくれた両親にも。


「おんどれぇぇえぇッ!! ぶち殺したるッ!!」


 黒兎は烈火の如く怒る。

 兎でも牙を剥く時はあるのだ。


 復讐する時は今。黒兎は今日この日の為に生きてきたと言っても過言ではない。絶対にしくじる訳にはいかなかった。

 輝夜には永遠に感謝する。輝夜がいなければ黒兎はヴァルトラウトに会えなかった。一番会いたいと願ってもう二度と会いたくないと恐怖した女も黒兎に怒りをぶつけている。これを逃せばもう二度とヴァルトラウトを討つ機会は訪れない。ヴァルトラウトを見据えながら剣を抜く。黒兎の心に共鳴したのか、剣は既に風を纏っていた。


「バルルッ!」


 それは、黒兎の怒りを間近で聞いたしょうゆも例外ではなかった。風は追い風。しょうゆは素早くそれに乗って速度を上げる。


「恩人様ッ?」


 リタは驚き、豹変した黒兎を見上げた。リタの白い馬も黒兎が生み出した追い風に乗ってヴァルトラウトの下へと駆ける。

 しょうゆも白い馬も相当賢い。白い馬はマヨネーズと呼ぼう。


「リタ! 俺はあいつを討つ! ついて来ぃ!」


「はい!」


 リタも剣を抜いた。ヴァルトラウトは魔法攻撃を諦めたようで杖を勢いよく床に投げる。

 城まで約五百メートルか。ヴァルトラウトはバルコニーの縁まで歩き、そこに立って恨めしそうにリタと黒兎を見下ろす。身投げする訳ではないだろう、そう思った瞬間ヴァルトラウトはやけにあっさりと飛び下りた。


「何してんねん!」


 勝ち逃げは絶対に許さない。間に合うだろうか──唇を噛み締めるとヴァルトラウトが黒く光った。

 眩しくて目を細めるが、完全に見えなくなった訳ではない。ヴァルトラウトは一回り大きくなり、二回り大きくなり、気付けば背中に翼のようなものが生える。


「あれは……」


「……ドラゴン!」


 黒色のドラゴンの着地は大地を軽く震わせた。危険を感じたのか直前に止まっていたしょうゆとマヨネーズは踏ん張って、乗せている人間を落とさないように必死に守る。


 おどろおどろしい雰囲気を纏うドラゴンは、リタに向かって咆哮した。

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