第五話 『黒の傭兵』
帰還したウーリが最初に行ったのは、ドナトリア王国の第一王女、リタとの結婚報告だった。国王を迎えようと城門まで来ていた人間には肉声で、都の人間には新聞で、都の外の人間には伝聞で。情報はあっという間に広がっていく。
同時に都の複数の場所に送られたのは、セピア色の紙だった。
「なんやこれ」
城内の一室に通された黒兎はリタと共にウーリの指示を待つ。虎獅狼はウーリのメイドに預けており、身軽になった右手で彼が作成を命じたそれを手に取った。
「書いてある通りさ」
黒兎を《黒の迷い子》だと思っているウーリは黒兎の疑問に答えたが、黒兎の疑問は解消されない。
「……読めへん」
言葉は通じているのに文字は違うのか。学校で他国の言葉を習ったことはあるが、その言語とも違う。
「討伐の依頼書だよ」
そう言いながら、メイドの手によって甲冑を身に付けた。
「討伐?」
そういう話だっただろうか。首を傾げるがリタは否定しない。
「天の魔女──」
ウーリが声色を低くして呟く。
「──それがドナトリア王国現女王、ヴァルトラウト・アベルの二つ名です」
リタがその後を引き継いで、討つべき者の正体を明かした。
ドナトリア王国はメルヒェン大陸の最北西に位置する小国らしい。壁に掛かっていた巨大な地図で馬鹿でもわかるように説明される。トレステイン王国はその東側に位置する大国のようで、彼らと出逢った森はドナトリア王国寄りの北側に位置していた。
両国の間には人口においても面積においても大きな差がある。盗賊が騎士に勝てないように、ドナトリア王国はトレステイン王国に勝てないのではないだろうか。説明を聞いただけならばそう思うが、両国の間にはそれを埋める戦力があった。
「魔女、なぁ……」
魔法道具があるのだ。魔女だっているだろう。
「けど討伐ってどういうことなん? 魔女っちゅーても人間やろ? 害獣やないんやし」
大昔、他国で魔女狩りがあったのは知っている。彼女たちが本当に魔女だったのかはわからない。その行いが正しかったのかもわからない。わかっているのはそれで大勢が死んだという事実だけ。
一瞬だけ、ウーリは冷たい双眸で黒兎を射抜いた。不自然な間があって、リタも──メイドたちでさえ黒兎の言葉を聞いて呆気に取られていることに気付く。
「ユーは一体どこから来たんだい?」
地図の至る所を指してどこだともう一度尋ねてくる。
「……少なくともメルヒェン大陸なんて聞いたことないわ」
何が彼らの心に引っ掛かったのか。わからないのはやはり黒兎が異邦人だからだろう。
「成程。ユーはそういう概念がない世界にいたんだね」
何度でも言うが、黒兎は月光国で何年ものんびりと過ごしていた。薄々気付いてはいたが、ウーリのこの一言で、黒兎とこの世界の人間の価値観が大きく異なっていることを理解する。
「ボクだって他国の人間から見たら討伐対象だよ」
ウーリは「昔はヤンチャしたからね」と言いながらメルヒェン大陸の東側を叩く。
「リタだってドナトリア王国の最優先討伐対象らしい」
ウーリが手を出すと傍らのメイドがセピア色の紙を手渡した。見せて来たのはリタの写真が印刷された依頼書だ。
「ッ」
息を呑んだのはリタだった。彼女は知らなかったのか。顔色を青ざめさせて小刻みに震えている。
棺の中にいたリタだ。傷一つ付いていない体だったが傷付いていない訳ではない。彼女のそれまではきっと言葉にできない程の人生だったのだろう。盗賊たちの事情だって容易に想像できるから、黒兎は何も聞かなかった。
「人は死ぬ」
ウーリはそれを知らない馬鹿ではなかった。黒兎もそれを知っていたが、月光国では許されない殺人が容認されているこの世界では重みが違う。過酷な世界を彼らはずっと生きているのだ。
「まぁ、安心したまえ。元々王族だ、命を狙われるのは慣れているよ」
何の躊躇いもなく食べ物を口内に運び、朝になっても中々起きれない程にしっかりと寝る。黒兎はそうやって伸び伸びと育ってきた。そんな恵まれた世界で生きた黒兎を気遣う心がウーリにはある。だから黒兎も価値観をこの世界に寄せる努力は惜しみたくない。
「すまんなぁ。変なこと言うて」
そう告げた黒兎をウーリは物珍しそうに眺めていた。
騎士たちと同じ金青色のマントを羽織ってウーリの準備は終わる。リタも、話の途中で室内に入ったメイドたちから女性用の甲冑を身に付けさせてもらっている。残った黒兎が身に付けさせてもらったのは、銀色の甲冑ではなく黒色の甲冑だった。
「なんで色ちゃうん?」
「ユーはトレステイン王国の騎士じゃなくて傭兵だろう?」
「成程なぁ」
「今、都の冒険者ギルドで傭兵を募集している。ユーたち傭兵はアベルの討伐、騎士の大半はドナトリア王国民の避難をさせる」
黒兎は写真が印刷されていないヴァルトラウトの討伐依頼書を確認し、「御意」とメイドに返却する。
「避難まで……。ウーリ様、お心遣い感謝致します」
「ボクたちの未来の国民だろう?」
自国のことなのにたいした説明もできず、頭を下げることしかできないリタは飾りの王女だったのか。これが国王と王女の差かと王の器たちを眺めていると、黒兎の準備も終わる。
「ヨシ。では行こう!」
「え? もう?!」
「手が空いていてやる気のある傭兵ならもう集まっただろう。これ以上待っても集まるのは実力不足の者だろうしね!」
わかるようなわからないような理屈だが、討伐依頼書を出す頻度が高いであろうウーリがそう言うならそうなのだろう。
部屋の外に出てリタと共にウーリについて行く。甲冑は意外と歩きやすかった。
「いいかい恩人。最後に教えよう。アベルは悪名高い魔女で、既に複数の国で討伐依頼書が出ている。なのに未だに討たれていないのは、アベルがドナトリア王国の女王になったという情報が出回っていないこともあるが、ドナトリア王国内で大人しくしているからなんだ」
「裏を返せば、ドナトリア王国内では大人しくしてないっちゅーことやな」
大人しくしていないから国民が逃げ出して盗賊にならざるを得ないのだ。馬車に乗ってわかったことだが、両国は徒歩で行ける程近くはない。一度出たらどこの国の領土でもない土地で生きていくしかないのだ。
「ドナトリア王国の悪政はトレステイン王国には関係がない。当然アベルの討伐依頼書を出してる他国にもね」
「要するに見殺しにしてたんやな」
「内政干渉になる」
「まぁ、せやな」
そこを責める黒兎ではない。壊してはならない立場はこの世界にも存在しているのだ。
「ボクはこの国から出なければ比較的安全に生きていけるけれど、それはアベルにとってもそうだ。つまり、戦場は──ドナトリア王国のすべて」
「せやろなぁ」
ドナトリア王国民が女王を救う為に戦いに出るとは思わないが、王同士の戦いは基本そうなる。
視線を上げると、青い空が見えた。この先は外なのだろう。王であるウーリと話せるのはこれが最後かもしれない。
「最後に聞いてええか」
「最後だよ」
ウーリは黒兎を見もしなかった。遠くから聞こえてくる騎士たちの声がウーリを王の表情にさせるのだろう。丁度いい。リタの夫ではなくこの国の王に尋ねたかったから。
「──これ、戦争なん?」
「──革命と呼んでくれ」
そう呼べる未来になる為に、黒兎は外へと続く階段に出た。
*
ウーリが帰還した瞬間、トレステイン王国騎士団に緊急召集がかかった。ウーリの結婚報告に度肝を抜かれた騎士たちは急いで城の前に集い、「相手は誰だ」「ドナトリア王国の王女らしい」「ドナトリア王国?!」「王が代わってから交流してなかっただろ」「つーかドナトリア王国行ったのか?! いつもの散歩じゃなかったのかよ!」と騒ぐ。どこの集団もその話ばかりで、いつもの散歩に同行した騎士たちは質問攻めに遭っていた。
そんな彼らから少し離れた場所に集っているのは女騎士たちだ。騎士団の男女比は半々だが、男女混合の集団はほとんどない。なんとなく性別で分かれるのはどこの集団も同じだった。
「よっ! お疲れー!」
当然、誰とも話さずに孤立している人間も男女問わずにいる。そんな一人の女騎士に声を掛けたのは、快活な女騎士だった。
「カラマも散歩行ったんでしょ? 聞かせてよぉー色んなウ・ワ・サ」
肩を組まれた女騎士はカラマ・アーウィット。帰還してすぐにこの場に来た彼女は肩を組んできた女騎士──タラ・ヴァーグナーを一瞥する。
「すぐにわかるわ」
カラマは口数の少ない女だ。余計なことも秘密も言わない。ウーリのお気に入りの騎士の一人である。
身長は人並みで年齢は来月で二十歳になるが、その顔は年不相応に幼い。灰色の髪を無造作に結び、切るのが面倒臭いと言って前髪は青いピンで留めている。それも彼女を幼く見せている理由だが、侮って彼女に近付いた者は皆氷のように冷たい水色の瞳に刺されるのだった。
「今気になるの!」
そんな彼女に臆することなく近付いたタラはカラマの同期だ。適当に切り揃えた燃えるような橙色のボブヘアは、彼女の身なりの無頓着さがカラマと同レベルであることを表している。だが、輝くような青色の瞳がカラマに足りない愛嬌を彼女に足していた。
「国王、結婚、私たち、戦争」
休む暇はない。準備に時間を掛ければ掛ける程、この戦いは不利になる。
「戦争?」
タラは眉間に皺を寄せた。それは穏やかな話ではない。国王を祝福しようと結婚式の準備を始めている国民との間にかなりの温度差がある。
タラはカラマの言葉の意味を考えた。彼女は噂好きの女だ。すぐにその意味を理解する。
「駆け落ち、ってことね……!」
「全然違うわ」
女のロマンと思っているのだろうか。うっとりとした表情のタラを切り捨てる。
「じゃあなんで」
知りたくて一気に詰め寄ったが、場の雰囲気が変わったことに気付いて口を閉ざした。城の前に集った騎士たちが見上げているのは階上に姿を現した国王ウーリだ。その隣には、死を恐れていないのか──トレステイン王国の甲冑を着た女が立っていた。
「何あの子……」
タラがごくりと唾を飲み込む。
「……すっごく綺麗」
美に興味がないカラマでさえ、ウーリの新しい王妃の顔をそう評価していた。騎士団は別の意味で再びざわめき、並んだ二人に圧倒される。どちらも千人に一人いるかいないかの美形なのだ。彼らが王族でなくても従ってしまいそうな魅力があった。
「彼女が今日からトレステイン王国の王妃となった、ドナトリア王国の第一王女リタだ」
第一王女と言うが、ドナトリア王国の王女は一人しかいない。王子は──一人もいない。
「我々は今から王妃の故郷であるドナトリア王国に向かい、女王ヴァルトラウト・アベルを討つ」
ウーリの言葉でまた騎士団がざわめいた。ヴァルトラウト・アベルの悪名は大陸中に轟いている。天の魔女が彼女の二つ名だが、悪の魔女と呼ぶ者も少なくはない。
「うわーお」
カラマが様子を窺うと、タラの表情は強張っていた。タラだけではない。「マジか」「なんでそんなことに」と怖気付く者もいた。
「騎士団はドナトリア王国民の避難誘導をしたまえ。で? 傭兵はどれ程集まったんだ?」
ウーリが辺りを見回すと、リタとウーリの間に男が姿を現す。黒い髪に黒い瞳、そして黒い甲冑を着たその男はウーリが森で拾った三人のうちの一人だった。
「なんだあの男」
「傭兵がなんであんな所に?」
「死にたいのか、殺されるぞ」
「あれ、もしかして《黒の迷い子》か?」
今日の騎士団は騒いでばかりだ。
「私語は慎みなさい」
カラマの忠告が聞こえた者はタラと同じように口を閉ざしたが、彼らの言葉は、ウーリの散歩という名の魔獣狩りについて行かなかった者たち全員の疑問そのものだった。
「え? いない? ……らしいよ、恩人クン」
「ぶち殺すぞ自分!」
「「なんだとテメェ!!」」
らしいよ、と片目を瞑ってできる限り明るく伝えたウーリ。に激怒するリタの恩人。に激怒するトレステイン王国騎士団。「王に向かってなんて態度だ!」「不敬罪で死ぬな」「殺してやろう」彼らはウーリに忠誠を誓っている訳ではないが、男を不敬罪で処刑しようと判断する程度には尊敬している。
男はただの傭兵ではなく王妃が直接雇った傭兵だ。リタの許可なく処刑はできない。カラマは不毛なやり取りを前に息を吐き、《黒の迷い子》にしては様子が可笑しい男が血気盛んな騎士たちを避ける大道芸人じみた動きに感心した。
「おっ、おやめください!」
リタが慌てて声を上げると騎士たちはぴたりと動きを止める。見ず知らずの女だが、この国の王妃だと国王が決めたら誰がなんと言おうと王妃なのだ。命令に従わなければ首が飛ぶ。
「彼は私の命の恩人です」
リタはそう告げて、集まった騎士たち──総勢五百人に目を配った。リタの双眸は潤んでいる。それは無力な自分を嘆く涙か、虐げられた民たちを想う涙か。
「私は……継母様が許せません」
涙を流すことはなかったが、泣けないのではなく、我慢しているようだった。
「人は皆、幸せになる権利があります。その幸せを奪うことしかしない継母様を倒して、女王になって、私はドナトリア王国の民たちを幸せにしたい。だからどうか、皆様も私の恩人になってください」
頭を下げるリタをカラマは馬鹿だと思う。王妃ならば堂々と自分たち騎士団に命じれば良いのだ。
そもそも、ウーリもトレステイン王国の民たちを幸せにしようと思って国を動かしている訳ではない。そう思わなくても、そうしなくても、国は案外正常に動いている。リタは女王にさえ向いていない。
それでも力を貸したいと思う人間はいるものだ。騎士団の雄叫びを、リタは再び頭を下げて聞いていた。