第一話 『再来トレステイン』
東へ走れば走る程に空は青く澄んでいく。どれ程ドナトリア王国の天候が悪いのだと、黒兎はリタたちを憐れんだ。
「──素晴らしいッ!」
大きな声を出して喜ぶのは外套の外ポケットから姿を出したハインツだ。ハインツは周りに虎獅狼とカラマしかいないことを好い事にドナトリア王国から出た直後からはしゃいでいる。
こんな性格だったのか。いや、初めての知らない世界に異常に興奮しているだけなのか。
「これが風! あれが廃墟! 成程面白い!」
黒兎の中のいつも落ち着いているハインツ像が崩れていく。何がそんなに面白いのかはわからないが、ここまで喜んでくれるならば連れ出した意味はあっただろう。
「バルルルルッ!」
「ハインツ、しょうゆが『やかましい』やって」
しょうゆは感情表現が上手い馬だ。表情は見えないが荒れた走り方でそれを察する。黒兎がどんな走り方をされても落馬しないのは慣れているからだが、ハインツが落ちないように体を動かすのは至難の業だった。
「すまない、気を付けよう」
そう言うが、ハインツもしょうゆも十分経つとまた同じことを繰り返す。
「……俺、酔うてまうかも」
しょうゆは可愛いし、ハインツも声を除くと可愛らしい子供のようだ。ただ、厄介と厄介を足すと自分の身が持たなくなる。
「もう着くわ」
「本当にお疲れ」
顔を上げると、カラマの言う通りトレステイン王国を囲む壁が見えた。よく見ると壁は黄色を汚したような色で、黒兎は不意に疑問に思う。
「あの壁ってレンガ道のレンガと一緒なん?」
これから向かうマーヴァル王国とオズ王国を繋いでいるレンガ道は黄色で、魔獣を寄せ付けない素材でできている。
「えぇ、そうよ」
「便利やなぁ」
カラマは黒兎と虎獅狼よりも先に門に向かった。門の前に立っている門番はカラマを知っているらしく、「また来たんですか?」と驚いている。
「これからも来るわ」
門番は追い付いた黒兎と虎獅狼を見上げ、「貴方たちもまた来たんですね」と言った。
「早く入国したいのだけれど」
「はい。わかりました」
門番はあっさりと扉を開けた。だが、扉の奥にトレステイン王国の街は広がっていない。あるのは黒兎の半分程の大きさの紫色の宝石で、奥には別の扉があった。
「進軍する時ここ通った気ぃするけど、こんなんあったか?」
「その時は退かしているわ」
カラマはソースから下り、門番に言われる前に宝石に触れる。
「どうぞ」
門番は宝石を確認してカラマを奥に通した。
「見てましたよね? お二人も同じようにやってください」
「なんですか? これ」
マヨネーズから下りた虎獅狼が両手でしっかりと触りながら尋ねる。カラマの真似ではなく好奇心で触っているようだ。
「魔法を吸い取る石です。別人に変身して入国しようとする不届き者がたまにいるので、その対策で置いています」
「へぇ〜。おもろいなぁ」
「いいですね。欲しいです」
「要らんわアホ」
ここからオズ王国に行く自分たちにとって、この石は荷物にしかならない。それがわからない虎獅狼ではないはずだが、虎獅狼は名残惜しそうに黒兎とカラマについて行った。
門番が扉を開けると、黒兎が期待していたトレステイン王国の街が広がる。この辺りは店が多く、店の看板とトレステイン王国の金青色の旗が至る所に掲げられていた。
道幅はかなり広く、馬に乗ったままでも邪魔にはならない。虎獅狼と──そしてハインツは興味深そうに辺りを見回した。
「とりあえず城に行くわよ」
トレステイン王国の城は門からかなり離れた位置にあるが、周辺の建物の高さはすべて低く、門からでもよく見える。
「せやな。俺あいつからまだなんも貰うてへんし」
黒兎は忘れていなかった。金貨十枚も、革命の報酬も。その上トレステイン王国はヴァルトラウト討伐の依頼書を出している。その報酬も忘れたとは言わせない。
「馬車は絶対に貰った方がいいわ。あと食料も」
「いや、全部や! タダで貰えるもんは全部貰うで!」
黒兎はトレステイン王国で旅の準備をするつもりだったが、店で買おうとは思っていない。ウーリから絞れるだけ絞り取ってやろうと思っている。それくらいは許されるはずだ。
「絶対要らない物も貰うよね」
虎獅狼の冷めたような視線を無視して再びしょうゆに跨った。カラマと虎獅狼もそれに倣い、城まで走る。ハインツは、人目を気にしているのかさすがにもう喋らなかった。
城に近付くと騎士が増えるが、全員カラマや黒兎の顔を知っている。
不審者として引き止められることなく、「止まれ」とようやく言われた場所は前にウーリとリタが革命を宣言した階段の前だった。
「何しに来たんだ、カラマ」
騎士の一人がカラマに声を掛ける。少し前までは同僚だったが、今は隣国の騎士だ。理由もなく城には入れない。
「コノエとクドウの付き添いよ。この国の国王、まだコノエに報酬を渡していないでしょう?」
「狙撃銃をやっただろう」
「騎士団がね。それだけしか渡してなかったことが国外に漏れたら、もう二度と傭兵は雇えないわよ」
騎士は反論できず、「確認してくる」と告げて階上に姿を消す。許可が下りたのは三十分後だった。
案内されたのはドナトリア王国にもあった謁見室で、頬杖をついて玉座に座ったウーリは面倒臭そうに黒兎を見下ろしている。
「待たせ過ぎやで」
文句を言うと、「ヘイユー! 相変わらずの不敬野郎だね!」と返される。虎獅狼はウーリよりも謁見室に興味があるのかウーリを一切視界に入れず、ウーリは「この男もユーに似て腹立たしいね!」と文句を言った。
「今日はええ天気やから外にでも行きまひょか」
「なんだって?」
黒兎の返事はウーリには伝わらない。だが、今回は別に伝わらなくてもいい。
「なんも。そんなんより、俺らこれからマーヴァル王国に行くねん。むっちゃでっかい馬車ちょーだい。あと金貨十枚。とヴァルトラウト討伐報酬と旅に必要なもん全部な」
「清々しい程の強欲だね」
「正当な主張やで。あ、あとしょうゆも貰うてええ?」
「なんだいそれは」
ウーリが眉間に皺を寄せると、「コノエが革命時から乗っている馬です」とカラマが補足する。
しょうゆを理解したウーリはあからさまに嫌そうな表情をした。ウーリにとって、しょうゆは乗る人を選ぶと言ってもなるべく手離したくない馬だった。
しょうゆは賢く、速く、そして強い。しょうゆ並に血統が良い馬は他にもいるが、しょうゆ並に才能に溢れる馬はいなかった。誰も乗りこなせなくてもその血は惜しいと騎士団の誰もが思っている。
「断る! しょうゆはトレステイン王国の種馬に──」
──バリィィイィン!
耳を劈くような音を立てて黒兎の背後の窓硝子が割れた。何者かが侵入した気配を感じた瞬間、荒れ狂う足取りで謁見室を走り回るしょうゆが視界に入る。
「おまっ……!?」
しょうゆを宥める為に追い掛けると、しょうゆは鳴きながらウーリの下へと走っていった。
「しょうゆ! 気持ちはわかるけど止まってくれぇ!」
ここに来るまでの間ずっと握り締めていた手綱を引っ張る。しょうゆは自分を引っ張った相手が黒兎だとわかるのか、立ち止まりつつも不満そうな表情をウーリに向けた。
「処刑されたいのか……?」
ウーリは顔を歪める。しょうゆは理由なくこんなことをする馬ではない。
「馬刺しにしたらあかん!」
「バサシ……?」
「殺したらしょうゆ食べる気ぃやろ!」
大真面目に抗議するが、この場にいる虎獅狼とカラマ以外の全員の表情が引き攣った。
「食べるのか……馬を……?」
あのウーリが引いている。騎士たちや従者たちに引かれるのは構わないが、ウーリに引かれるのは心外だ。
「国によっては食べます」
「むっちゃ美味いで!」
「肉は食べるものですよ」
カラマ、黒兎、虎獅狼は馬肉を肯定するが、文化があまりにも違うのかトレステイン人は一人も表情を崩さなかった。
「バルッ! バルルルルッ!」
しょうゆは鳴きながら黒兎の頭を噛む。
「『食べんなアホ』やって」
「食べられてるのは近衛だね」
ウーリは大人しくなったしょうゆと、しょうゆに噛まれている黒兎と、それを冷静に眺めている虎獅狼をそれぞれ見て頷いた。
「そいつは要らない。やる」
人間の頭を躊躇なく噛む馬も、噛まれても無傷な人間もいない。ウーリは黒兎の首が噛み千切られる様を想像していたが、黒兎は獅子舞みたいやなぁと思っていた。
「ほんじゃま、さっき頼んだこともよろしゅうな。あと風呂入ってもええ?」
「図々しいね」
黒兎は月光国を追放されてから一度も風呂に入っていない。毎日風呂に入らなくても平気だと思っていたが、結局、黒兎も風呂好きの月光国人の一人だった。
「リタに怪我させへんかったで」
その分の報酬として貸してもらえるならばそうしてほしい。ウーリは眉間に皺を寄せ、「好きにしたまえ。礼ならたっぷりとするって言ったからね」と謁見室を後にした。
*
「おっしゃあ! 風呂やぁ!」
黒兎は「ここが浴場です」と案内してくれたメイドに礼を言い、廊下を走る。扉のない部屋に進むと、複数の木桶が置いてあった。
「……なんやここ」
想像していた風呂場と少し違う。木桶の中を覗くと空で、「さ、先に行かないでください!」と追い掛けてきたメイドを見た。
「……風呂?」
「浴場です」
メイドは胸元から杖を取り出して、軽く振るう。すると一瞬で水が木桶の中に溜まった。
「お湯は?」
「お湯です」
恐る恐る水の中に手を入れると、水ともお湯とも言えない温度だ。
「もう一息」
「えっ」
メイドは戸惑ったが、黒兎に言われるままに杖を振るう。少し湯気が出てきたが黒兎が望む温度ではない。
「もう一息!」
「えぇっ?!」
驚きつつも再び振るう。湯気は増えているが、手を入れるとまだまだぬるい。
「あともう一息!」
「死にたいんですか?!」
メイドの顔色は青白かった。馬肉の件もあってか狂人を見るような目で黒兎を見上げる。
「可哀想だから諦めなよ」
妥協できない黒兎を止めたのは虎獅狼だった。
黒兎も虎獅狼も報酬が集まるまでやることがない。集まっても今日中の出発は無理だ。ならば明日に備えて少しでも長く休みたい。
「ぐぬぬ」
黒兎は渋々諦めてメイドに「もうええわ。おおきに」と告げる。メイドは深々と頭を下げたが、いつまで経っても立ち去らなかった。
「何してんの」
メイドは女だ。散々狂人扱いされた黒兎だが、女の前で服を脱ぐ趣味はない。文化の違いで言い争うことになるだけで、月光国の常識がない訳ではないのだ。
「え?」
「ん?」
不思議そうな表情を見せたメイドに首を傾げた。
「お手伝いしなくてもよろしいのですか?」
メイドは心底驚いて尋ねる。黒兎も、そして黒兎と共に入る気でいた虎獅狼もしばらくの間黙ったが、勝ったのは欲ではなく恥だった。




