第十七話 『名探偵虎獅狼Ⅲ』
「ま、マンチニール?」
料理番の声は震えていない。名前は知らなかったのだろうか。
「毒を持つこの実の名です」
はっきりと告げると料理番は項垂れる。やはり毒があることは知っていたらしい。まったく隠し事ができない素直な女だ。
「何故狩人さんを殺したんですか?」
虎獅狼がわかっているのは狩人の死因だけだった。狩人からマンチニールの症状を確認し、齧られたマンチニールを発見して死因を特定。剥き出しの猟銃を不審に思って銃に詳しい黒兎に確認し、あれは狩人の仕業ではないと見当をつけた。この時点で他殺だと断定した虎獅狼は、晩御飯を貰うついでに第一発見者である料理番から話を聞こうと思ったのだ。
まさか、こんなに簡単に証拠が出てきてこんなに簡単に自白されるとは。ここまで知ってしまったら動機も知りたい。これは、虎獅狼の好奇心の悪いところだった。
「あいつがリタ様を逃がしたから……」
ぼそりと料理番が呟く。
「……逃がしたのがあいつだってバレたら、あいつもあたしも首が飛ぶ。殺すしかないだろう」
我が身可愛さに狩人を始末したか。ただ、とばっちりを受けたくないという料理番の気持ちはよくわかる。すべてを打ち明けた料理番の声は小さく、背中を曲げて地面ばかり見つめていた。
──あぁ。
虎獅狼はそんな料理番を見て不意に思う。
「意味がなかったんですね」
可哀想に。殺された狩人も、殺人鬼になった料理番も。
「どういう意味なの」
声を掛けたのは虎獅狼でも料理番でもなかった。
いつからそこにいたのか、タラが静かに階段を下りてくる。
「どういう意味とは?」
自己完結した虎獅狼はタラの質問の意味がよくわからなかった。
「『意味がなかった』って言ったのはクドウでしょ。それがどういう意味なのか教えてよ」
タラの声色は低く眉間に皺を寄せている。怒っているのだろうか。いや、タラが怒っていたら虎獅狼ははっきりとそうだとわかる。
「ヴァルトラウトが亡くなったのは二日前ですよね」
「そうね」
それは虎獅狼もタラも知っている。
「狩人さんが亡くなったのはいつですか?」
どうしようもないくらい前でも、無意味な程後でもない。リタの逃亡、革命、そして現在を考えるとそれはほとんど差がなかったのではないだろうか。
タラは息を呑んで料理番へと視線を移した。料理番は答える必要がないと思ったのだろう。沈黙で虎獅狼とタラの予想とそう離れている訳ではないことを伝えた。
「マンチニールって、食べたらすぐに死ぬ訳じゃないんですよ」
それが毒というものだ。気付いた時にはもう取り返しがつかない。毒は狩人の全身に巡り、蝕み、ゆっくりと殺す。
ヴァルトラウトはリタが逃亡したことに気付いた。リタを殺すことばかり考えている彼女はリタを殺すことを優先した。
優先しただけでいつかは知られる。怯えた料理番はヴァルトラウトがリタを殺す為に使ったマンチニールを狩人に使い、ヴァルトラウトは直後の革命で命を落とした。
狩人が殺された意味はなかったのだ。料理番が殺した意味もなかったから、料理番は狩人のことを騎士に話したのだろう。そして、自分で見つけたのだ。
「料理番さん、反論はありますか」
最後にタラが尋ねた。タラは途中からだろうがある程度話を聞いていたのだろう。それなのに料理番はそっぽを向く。
「証拠がないね」
今更そんなことを言った。
「え、ありますよね?」
虎獅狼は何故料理番がそんなことを言ったのかがわからずそんな言い方をする。
「この袋、狩人さんの猟銃の袋でしょう?」
そうでなかったらこの袋だけ妙に汚れている理由も猟銃が剥き出しだった理由もわからなくなる。
料理番は「知らないね」と言うが、タラが負けない。
「調べればわかります。猟銃の袋だったなら、それを証明する何かが付いているでしょう」
「それに俺はこれを狩人さんの家で見つけています」
テーブルの上に置いて見せたのは、布に包んでいたマンチニールだ。マンチニールの歯型と狩人の歯型が一致すればこれも証拠になる。
「これが狩人さんの家にあるということは、狩人さんは家でこれを食べたということです。料理番さんは狩人さんの家からマンチニールを回収する為にその袋を盗んだんですよね?」
「────」
料理番は罪を認めてタラに連行された。虎獅狼に対して反論しなかったのは、虎獅狼に逮捕権がなかったことも影響しているのだろう。
「ありがとうございました、タラさん」
牢屋から戻ってきたタラに礼を言った。タラはまだ不満そうな表情をしていた。
「なんでそんな顔をするんですか?」
他人が考えていることは聞かないとわからない。虎獅狼は聞かなくても口に出してほしいなぁと思う。
「クドウが一人で事件を解決しようとしたからでしょ!」
タラは役に立てなかった自分のことが嫌になった。いない方がマシだからキッチンに連れて行ってもらえなかったのだと傷付いていた。
「そう言われても、俺、あの人が犯人だって知らなかったですし……」
「えっ?」
タラが目を白黒させる。
「ぐ、偶然だったの?」
「はい。偶然です」
刹那、タラがへなへなとその場に座り込んだ。「よ、良かったぁ〜」と言葉が出てくるのは、役立たずだと思われていなかったからか、虎獅狼が自らの意思で危険に飛び込んだ訳ではないからか。
一方、良かったと思っていない者もいる。廊下まで聞こえてくるのは泣き叫ぶリタの声だ。虎獅狼とタラは窓際まで歩いて中庭にいる黒兎とリタを眺める。複数のランプの明かりが中庭を仄かに照らしており、それ故に夜でも遺体の顔が確認できた。
黒兎はリタの肩に手を置いて、無言で彼女を慰める。虎獅狼にとって黒兎はうるさく吠える犬のような男だったが、リタにとってはそうではないようだ。成程。女に対しては良いところもあるのか。虎獅狼は思春期の少年をふぅんと笑いながら眺める。
そんな時、隣にいたタラが鼻を啜った。見るとリタに釣られたのかぼろぼろと涙を流している。
「……リタ様はタラさんを泣かせる為に存在している訳ではないですよ」
自分のことで泣くのは理解できる。ただ、虎獅狼は他人のことで泣く人間が理解できない。自分は自分で他人は他人だ。虎獅狼は他人に流される人間ではない。
「……ど、どういうことぉ?」
タラは虎獅狼の発言の意図を今回も理解できなかった。虎獅狼は面倒になって「なんでもないです」と流す。
「クドウは言葉足らずだ」
「タラさんに理解力がないだけです」
殴られた。そこそこ痛いが殴ったタラも痛いらしい。
「リタ様、冷えます。戻ってください」
傍でリタを見守っていたカラマが声を掛ける。リタは黒兎に支えられてゆっくりと立ち上がり、カラマとローラに先導されながら城に戻る。虎獅狼とタラが彼らに合流すると、リタは泣き顔を虎獅狼に向けた。
「…………狩人様の件、ありがとうございました」
虎獅狼とタラはリタに犯人が見つかったことしか話していない。動機は絶対に話すなとタラからきつく言われている。
「いいえ。俺は特に何も」
虎獅狼も月光国人だ。とりあえず謙遜するとタラに殴られる。
「全部クドウのおかげです」
タラは自分の手柄にしない。何もしていないと言う虎獅狼に腹を立てて殴ったのだ。
リタは涙を拭って頷き、「あの」と口を開く。
「クドウ様は狩人様が私を助けてくださった理由がわかりますか?」
狩人はヴァルトラウトに囚われていたリタを逃がした。その事実はわかるが動機がわかる虎獅狼ではない。
「わかりません」
素直に答えると今度は黒兎とタラから殴られた。カラマは呆れた表情で、ローラはおろおろと全員の表情を見つめている。
何かを言わなければならないらしい。面倒臭いな、虎獅狼は頭を掻いた。
「生きるってそういうことじゃないですか?」
思ったことを素直に言うと、全員不思議そうな表情で虎獅狼を見上げる。
「じゃあ、何故皆さんは革命を起こしたんですか?」
虎獅狼もそういう表情をしたい。革命に参加していない虎獅狼は、その動機だってわからなかった。
「あ……」
リタが声を漏らす。
「動けない人は、動ける人を生かす為に逃げろと言います。動ける人は、動けない人を置き去りにできないから残ると言います」
思い出すのは昔話だ。昔々、災害が多かった国の本当にあった命の話。虎獅狼は月光国を覚えていないが、その話は虎獅狼の記憶から消えていなかった。
「理由なんてないですよ」
月光国の昔話とドナトリア王国の革命が重なる。理由があったとしても自分たちには知る術がない。ならばそう思っていた方がいい。
全員納得してくれたようで、ようやく虎獅狼を解放する。虎獅狼は溜息を吐いて体を伸ばした。
「自分、覚えとるやんけ」
いや。黒兎は納得していないようだった。ジト目で虎獅狼に詰め寄ってくる。
「えっ、何を?」
「それは月光国の昔話や」
「あぁ。そうなんだ」
だから知っていたのか。他に何か覚えていることはないかと黙考すると、黒兎に胸倉を掴まれる。
「いてこますぞ自分! ええから知っとること全部話せ!」
「えぇ〜……」
早く晩御飯を食べたいのに黒兎は全部吐き出すまで離す気はないようだ。何故こんなにも面倒事が舞い込んでくるのだろう。
「……厄祓いしようかな」
遠くを眺めながら呟いた。
「覚えとるやんけーッ!」
怒声は城中に響き渡った。