第十六話 『名探偵虎獅狼Ⅱ』
虎獅狼はちらりと空を一瞥する。空は橙色に染まっており、夜まであまり時間がない。現場は城から近い街にあるらしく、瓦礫を避けながら三人は急いだ。
「亡くなったのはヴァルトラウトに雇われていた狩人です。同じくヴァルトラウトに雇われていた料理番が、狩人が二日前から姿を見せないと話しており、今回の発見に至りました」
「二日前ってことは革命当日ね」
そういえば黒兎が革命云々と話していたっけ。話は聞いているのに覚えられないのは何故だろう。
「はい。ヴァルトラウトが亡くなって、昨日はトレステイン王国で結婚式もあったのであまり気にしていなかったみたいですが、いよいよおかしいと思ったみたいで」
「確かに非日常が連続すればそう思うのも無理はないわね」
「はい。現場はあそこです」
遠くの方の民家に騎士が集まっている。中に入っている人間は少ないといいなぁと虎獅狼は思った。
「あっ、副隊長!」
騎士たちはタラの為に道を開ける。そして、タラに首根っこを掴まれている虎獅狼をぎょっとした表情で見送った。
虎獅狼はそんな彼女たちを無視して民家の中を確認する。一つの部屋にキッチンが付いた、片付けがまったくされていない散らかった部屋だ。中央にはテーブルが、その上には不衛生な状態で放置されてもう食べられそうにないパンが、そして床には中年の男の遺体と猟銃がある。中には誰も入っていないようだ。虎獅狼とタラも中には入らず顎に手を添えて考え込む。
「確かに餓死でも老死でもなさそうだし……魔殺でも呪殺でもないね」
「マサツとジュサツってなんですか?」
この世界の人間ならば誰もが知っている単語だが、虎獅狼は《黒の迷い子》だ。タラは面倒だと思いつつもそれは表情には出さずに質問に答える。
「魔殺は魔法で殺すことで、呪殺は魔法で呪い殺すことだよ。これだと本人以外の魔力が付着してるから、それなりに魔力を鍛えた人間なら見たらわかるの」
カラマも見たらわかる人間だが、魔法に精通したタラが適任だとも思ったのだろう。タラも変死体と聞いて魔殺や呪殺を想像したが、そうではないならお手上げだ。
「うぅ〜ん。絞殺でも刺殺でもなさそうだし、本当になんなんだろう」
中に入らなくても男の首は見えており、床には血溜まりもない。顔は反対側を向いていて見えなかった。
「タラさんこういうの見慣れているんですか?」
ふと疑問に思って尋ねた。騎士たちは遺体が恐ろしいのか中に入ることも自分たち二人に近付くこともない。だが、タラは遺体を見ても顔色一つ変えなかった。
「うん、これも仕事の一つだからね。あの子たちにも早く慣れてほしいんだけどさ」
騎士は大変だ。虎獅狼は「成程」と納得する。
「あとは……撲殺?」
「とりあえず検死したらどうですか?」
遺体を調べずにあぁだこうだ言っていても埒が明かない。検死をする権利がない虎獅狼はタラを言葉で後押しすると、タラは「だよねぇ」と観念した。
タラは騎士から手袋を受け取り、恐る恐る足を踏み入れる。
「あっ、そうだ!」
と思ったら勢いよく振り向いた。
「クドウ、そこから絶対に動かないでね!」
「……わかってますよ」
何故信用されていないのだろう。虎獅狼は溜息を吐いて右手を見つめる。
何か症状が出ている訳ではなかったが、先程から刺激を感じていた。射撃とはいえ黒兎に止められなかったら今頃どうなっていたのだろう。
「んん〜」
タラが困ったように唸る。反対側に回って遺体の顔を確認しているようで、「吐いてるね」と報告した。
「毒殺ですかね」
病死の可能性も消えていないが、医者がいるならば既に駆け付けているだろう。医学には精通していないタラは頭を抱えている。
当然虎獅狼も医学には精通していない。故郷も両親も覚えていないが、知識や記憶がすべてなくなった訳ではなかった。
ヴァルトラウトの部屋にあった毒林檎。そしてヴァルトラウトの関係者が毒殺と思えるような死に方をしたならば、どうしても確認しておきたいことがある。気になったら立ち止まれない虎獅狼だ、すぐに民家に足を踏み入れた。
「あっ、こら!」
間髪入れずに怒られる。だが、これ以上タラがこの場にいてもできることはない。タラの隣に腰を下ろしてタラの手首を掴み遺体の口元を開けさせると、虎獅狼の予想通り炎症を起こしていた。
「病死じゃないですね」
辺りを見回すが、服だけではなく皿もスプーンも落ちている。落としたのではなくそこが定位置のようだ。何かを落としていたら見つけるのは困難だろう。こうしている間にも日は沈んでいく。
「副隊長、明かり要りますか?」
気を利かせた騎士が中を覗いてランプを翳した。おかげで全体がよく見える。虎獅狼は懸念していた現場荒らしを自ら行って笑顔を浮かべた。
「あぁうん、お願──」
「要らないです。それより布あります?」
遺体の周辺を中心に探して良かった。虎獅狼がそれから目を離さずに右手を伸ばすと、しばらくしてタラから布が手渡される。
「何か見つけたの?」
「はい。ご遺体も城に運びましょう、手伝いますよ」
布でそれを拾い上げた。男を女が運ぶのは至難の業だろう、そう思って振り返ると女騎士たちは男を軽々と持ち上げて担架に乗せる。だが、直視はできないようだった。
「布、もう一枚ありますか?」
今度は女騎士が虎獅狼に手渡した。タラが手渡した布と同種の布のようだ。虎獅狼はそれを男の顔にかける。
「あ、ありがとう……。けど、死因わかったの?」
「これですよ」
虎獅狼は布を開いてタラに見せた。中に入っていたのはタラの拳程の大きさの、齧られた黄緑色の実だ。
「……林檎?」
思わず身を引く。虎獅狼は「正確には林檎ではないですけど」と再び実を布で包んだ。
「まぁ、毒林檎ですね」
タラはごくりと唾を飲み込む。虎獅狼は遺体の傍に置かれていた猟銃を一瞥し、扉を閉めて城へ戻った。
*
黒兎はリタと共に晩御飯を食べており、騎士であるカラマとローラはそんな二人を見守っている。黒兎は戻ってきた虎獅狼とタラに真っ先に気付き、何故か眉間に皺を寄せた。
「……おかえり」
一瞬何を言われたのかわからなかったが、虎獅狼はその言葉を知っている。リタたちが不思議そうな表情で二人を見ている中、虎獅狼は笑顔を浮かべてこう答えた。
「──ただいま」
最初にそう言われた時は実感がなかったが、確かに黒兎と虎獅狼は同郷だ。黒兎の言葉はたまに理解できないが、同じ世界で生きてきた仲間だと思える。
「いつ戻ってくるかわからなかったからクドウの分は出してないの。自分から取りに行ってくれる?」
自分も先に食べていいらしい。虎獅狼はカラマに返答し、黒兎の下へと歩いた。
「どないしたん」
先程は完全に嫌そうな表情をしていた黒兎だったが、用があって近付く虎獅狼を邪険に扱うつもりはないらしい。狂っているが根は良い子なのだろう。
「猟銃って剥き出しのまま床に保管しないよね」
特に声を潜めずに尋ねる。
「はぁ?! 当たり前やドアホ!」
とんでもない勢いで怒鳴られた。
やはり黒兎は銃の使い手か。かなりの反応速度で虎獅狼の右手が持った林檎を正確に撃ち抜いたのだ。一回り程ではないがまぁまぁな年下なのに生意気な黒兎の実力は確かだと認める。
「了解。ありがとう」
踵を返すと呼び止められた。
「自分、タラのねーちゃんの言うこと死ぬ気で聞いたか?」
声色を低くして聞いた黒兎はやはり虎獅狼を信用していないらしい。虎獅狼はどうだったかなぁと思い返しながら全力で逃げた。
「あっこら! キッチンの場所知らないでしょー!」
タラは優しい。黒兎に何も言わず虎獅狼を追い掛ける。
「しょうがないなぁ。一緒に行くよ」
タラは黒兎の面倒も見るが、年上の虎獅狼の面倒も見る。《黒の迷い子》は面倒臭いが殴り倒す程ではなかった。
「あ。来ないでください」
理性がなかったら殴っていた。タラは良く言えばマイペース、悪く言えば自分勝手な虎獅狼に拳を見せる。
「ほ、ほら、リタ様? に報告するべきだと思うので」
理由はわからないがさすがの虎獅狼もタラが怒っていることには気付いた。慌ててそれらしいことを口にして納得したタラと別れる。
晩御飯時で丁度良かった、ドナトリア王国のキッチンは地下にあるらしく階段を下りる。キッチンには扉も壁もなく、虎獅狼は椅子に座って茶を飲む中年の女に声を掛けた。
「こんばんは」
女が例の料理番らしい。声を掛ける前から虎獅狼に気付いていた料理番は茶を飲み干して立ち上がった。
「お前がリタ様の客人かい。待ってな、すぐに温める」
「ありがとうございます」
成程、自分は客人なのか。虎獅狼は料理番の仕事が終わるのをキッチンを観察しながら待つ。
狩人の家と違い片付けられた清潔なキッチンだ。食料庫がないのか食材が端に集められているのが気になるが、虎獅狼はその中からキッチンに不釣り合いな汚れた袋を見つける。
「ヴァルトラウトに雇われていたのは狩人さんと料理番さんだけなんですか?」
「そうだよ。ヴァルトラウトは狩りも料理もできなかったからね」
魔女は万能ではないらしい。魔法が使えたら何をしよう、そう考えていた虎獅狼の夢が少し壊れる。
「なら、寂しいですね。ヴァルトラウトも狩人さんも亡くなるなんて思わなかったでしょう」
「何言っているんだい。ヴァルトラウトが亡くなって喜ばない国民はいないよ」
料理番は溜息を吐いた。
「そうなんですか」
本当に悪い魔女だったんだな、と虎獅狼は思った。
「俺は知らないんですけど、国民は凄く痩せてるらしいですね」
「ヴァルトラウトが貿易を止めたからね」
「でも狩人さんには脂肪が付いていました。貴方もそれ程痩せているようには見えません」
「失礼な小僧だね。狩人が獲物を狩る、あたしが料理を作る、それを全部平らげる程ヴァルトラウトは大食漢じゃない」
二人はヴァルトラウトのおこぼれを貰っていたらしい。虎獅狼は食料の下へと歩く。
「俺は大食漢なのでデザートを追加してもいいですか?」
「材料がないよ」
料理番は振り向いて、とある袋に手を伸ばす虎獅狼に驚く。袋の山の中で唯一汚れた袋の紐を解くと、大量の黄緑色の実が零れた。
「何してるんだい!」
料理番が怒る理由はわかる。
「これ、林檎ですよね。アップルパイにできませんか?」
虎獅狼は気にせずに注文した。
「早く片付けな!」
「じゃあ手伝ってください」
「何言ってるんだい! お前が零したんだろう!」
「触れないんですよね」
料理番の反応を一つも見逃してはならない。虎獅狼は料理番を見つめていたが、その必要はなかった。
言葉に詰まった料理番は虎獅狼の視線から逃れるように視線を逸らす。
「料理番さんが知っているなんて知りませんでした」
料理番が喉を鳴らした。
触れるが零したのはお前だからお前が片付けろ、とか。知らない、とか。そう言えば良いのに何も言えず固まっている。
「これが死の小林檎だって」
その反応は虎獅狼にとって、自分が狩人を殺した犯人だと言っているようなものだった。