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第十三話 『黒騎士黒兎Ⅱ』

 ローラが急いで用意した外套を着て雪が積もった山を登る。幸いなことに雪は降っていなかったが、降っても三センチ程しか積もらない月光国げっこうこく出身の黒兎くろとだ。一面真っ白で何センチ積もっているかわからない雪山を歩くだけでも苦しくて寒くて鼻水が出てくる。


「ふ、降ってなくて良かったね!」


 気を遣っているのか声を掛けられた。黒兎が抱えているのはホワイトドラゴンのみで、ローラが背負っているのは食料とローラが愛用している狙撃銃と黒兎がウーリに土下座して頼み込んで騎士団から貰った狙撃銃だ。男の黒兎でも音を上げそうな程の重さだろうが、ローラは一切そんなことを言わない。足場も悪いのに黒兎の様子を確認しながら先を行く彼女は──確かにタラよりも頼もしかった。


「それはほんまにそうやなぁ。ほんで? どこまで行くん」


「ホワイトドラゴンはもっと奥にいるの。多分……あそこかな」


 登り始めて一時間が経ったか。ローラが指したのは何故か雪が下から登っている頂上付近だ。


「俺、あかんかもしれへん」


 あそこまで行くのに何時間掛かるのだろう。先にドナトリア王国に戻るのは任務を遂行した黒兎ではなく結婚式を終えたリタかもしれない。


「だっ、大丈夫! そんなに険しくないし気を付けていれば無事に帰れるよ!」


「無事に帰れへん場合もあんの?!」


 励ましているのだろうが月光国の山はすべて低山だ。登山したこともない、雪にも慣れていない黒兎にとってローラが簡単だと言うものはすべて難しい。ローラはそれを察してホワイトドラゴンだけを預けたのだろうか。


「なぁ、自分の分は自分で持つで」


「えっ? いいよいいよ、これくらい大丈夫だから」


 ローラはぶんぶんと両手を大きく振る。それ程簡単に両手が動かせるならば本当に大丈夫そうに見える。

 黒兎は視線を落としてホワイトドラゴンの様子を確認した。ホワイトドラゴンは既に目を覚ましており、自分を抱える黒兎をずっと不思議そうに見上げている。ヴァルトラウトが世話をしていたのかは知らないが、相当人に慣れているようだ。軽く撫でると気持ち良さそうに鳴いている。


「……おおきに。色々」


 不意に思い出して礼を言った。


「い、色々?」


 ローラは何のことか本気で理解していないらしい。


「ヴァルトラウト撃ったのローラのねーちゃんやろ?」


 ホワイトドラゴンへの狙撃とヴァルトラウトへの狙撃が重なった。勘だったが当たっていたようだ。ローラは否定しない。


「あ、当たり前のことをしただけだよ……」


 胸を張ることもしなかった。何故か申し訳なさそうな表情をしている。


「後悔してんの?」


 何に対してかはわからないが、ローラの表情はそういう表情だった。

 図星だったのかローラは答えない。山登りに専念するようで黒兎に背中を向けてしまう。だから黒兎の瞳には二丁の狙撃銃が映る。


『迷うな』


 それを初めて手にした時に庫田くらたが告げた言葉は、今でも黒兎の胸の中に残っていた。


『迷わずに引け。それが俺たちの役割だ』


 淡々とそう告げる庫田を格好良いと思い、一瞬だけ戦う理由を忘れて庫田のようになりたいと憧れた。


『外したらどうなんの?』


 役割を果たせなかったらどうなるのだろう。想像はできるが庫田の答えが聞きたくて──


『仲間が死ぬ』


 ──血も涙もなさそうな庫田もそう思うのだと安心した。


輝夜かぐや姫もだ』


 続けて庫田が恐ろしいことを言う。


『姫様は戦場に出えへんやん』


 だから大丈夫だ、そんな甘い考えを庫田は否定した。


『狙撃されるんだ』


 それを阻止するのも自分たち狙撃手の役割なのだと仄めかす。庫田はいつも無表情でそれを恐ろしいと思ったこともあるが、それは、どんな時でも誰かを護るという彼なりの気持ちの表れだった。


「ローラのねーちゃんは間違ってへんよ」


 後悔──それはつまりローラが真面目に狙撃対象について考えている証拠だ。

 カラマが帰還組だと知らされた時についでに紹介されたローラを見て、黒兎はカラマが冗談を言っているのだと確信した。そのことをタラに話すとタラは冗談ではないと不思議そうな表情で否定した。冗談を言うような人間に見えるのかとカラマからは汚物を見るような目を向けられ、ローラは申し訳なさそうに縮こまった。


 正直、ホワイトドラゴンに対してもヴァルトラウトに対しても迷いのない狙撃を見せたローラと目の前のローラが同一人物だとは今でも思えない。ただ、狙撃する時の自分と普段の自分はまったく同じかと問われたら──確かに少し返答に迷う。ローラはそれが極端な女なのだろう。


「その子の親を撃ったのは私」


 ローラの声は震えている。


その子の育ての親(ヴァルトラウト)を撃ったのも私」


 銃を背負った背中が余計に小さく見えた。足を止めて項垂れたローラは、ホワイトドラゴンの子供に愛情を向けている。


「……だったらどうする?」


 ホワイトドラゴンがそう言った訳ではない。確定ではないが状況を考えたら否定できない。

 ホワイトドラゴンを撃ったから騎士団は無事にドナトリア王国に辿り着き、ヴァルトラウトを撃ったからリタと黒兎が止めを刺せた。そんなことはローラだってわかっている。その上で遺されたホワイトドラゴンの子供を想うのだ。


「どうもせえへん」


 答えられるのは同じ狙撃手の黒兎だろう。


「俺がローラのねーちゃんでも撃つで。ほんで子供が出てきて産みの親やったんかなぁとか育ての親やったんかなぁって思うても後悔だけは絶対せえへん」


 振り向いたローラの青色の瞳は涙で潤んでいた。可哀想に、涙は一瞬で凍るだろう。黒兎の鼻水がずっと凍っているように。


「俺が後悔する時は誰も護れへんかった時だけや」


 そうすると十年前から決めている。輝夜もリタも護れない自分でいたくない。


 ローラは静かに鼻を啜った。頷いて涙を拭った。ローラもリタと同じで優しい女だ。その優しさがこの世界では牙を剥く。そんなこと、あっていい訳がないのに。


「ローラのねーちゃんが撃ったからみんな助かったんやで」


 黒兎の口から告ればローラは自分を許せるだろうか。


「仲間の道を切り開くのが俺ら狙撃手やろ?」


 黒兎も改めて自分の心にそれを刻み込む。

 その時、初めてローラが黒兎の前で微笑んだ。タラの笑顔とは大きく異なる儚い笑顔だ。


「あ、ありがとう」


 嬉しそうなローラを見ていると黒兎も嬉しくなる。


「せやからやっぱそれ自分で持つわ」


 手を伸ばすとローラはあっさりと狙撃銃を返した。ローラは一切悪くないが今回の件の責任を感じていたらしい。怯えていたのに名乗り出た理由をようやく理解する。

 受け取った狙撃銃はやはり軽くなく、紐を解いて中身を確認しようとすると視界の端を何かが横切った。


「お。雪玉ころころか」


 黒兎は動体視力が良い。それは同じ狙撃手のローラもだろう。上から転がってきた雪玉を二人でのんびりと目で追い掛け、ローラは「コノエ! 狙撃準備!」と叫んだ。


「えっ?」


「早く!」


 焦るローラに合わせて慌てて狙撃銃を取り出す。ローラが指したのは雪玉が転がってきた方向──つまり上だ。


「風属性の魔力込めて!」


「おっ、おぉう……?」


 狙撃銃を構えてローラの指示通りに銃口を上に向ける。やがて落ちてきたのは雪の塊だった。


「でぇぇえぇぇえぇえっ?!」


「撃ってぇ!」


 あっという間に目前まで迫って来たそれに向かって引き金を引く。銃口から飛んで行くのは小さな銃弾と凄まじい勢いの風だ。雪は風と正面からぶつかって吹き飛ばされる。黒兎が風を当てなかった場所はそのまま下まで落ちていき、あれに巻き込まれていたら命はなかったと肝を冷やした。

 起き上がろうとしても起き上がれない。黒兎に覆い被さっているのはローラだ。


「ローラのねーちゃん! 無事か?!」


 背中に雪が当たっていたら笑えない。


「なぁ! ねーちゃん! なぁって! ねーちゃん!」


 左手でローラの背中を何度か叩く。


「ん、んん……」


「ねーちゃん! 良かった!」


 気が付いたようだ。ローラは謝って黒兎から退く。


「何言うてんねん! ローラのねーちゃんが助けてくれたんやろ?!」


 もう一度謝ったらカラマとタラに文句を言おう。何故ずっとローラのこの性格を放っておいたのかと。


「え、えへへ……」


 黒兎が勢いよく反論するとローラがにやにやと笑い出した。少し気持ち悪いが嬉しいのだろう。笑い慣れていないローラが笑うのは良いことだ。


「今のなんなん? 雪が落ちてきたで」


「雪崩だよ」


「ナダレ……」


 なんだそれは。タラは水鉄砲を知らないが黒兎は雪崩を知らない。とりあえず理解した振りをして頂上を見上げる。


「今日はもう厳しいかもね」


「え、なんでや」


「また雪崩が起きるかもしれないし」


「それはあかんな」


 成程、と黒兎は頷く。半分まで登っただろうか。戻れない訳ではないが落ちてきた雪が退路を塞いでいる。


「かまくら作って休憩かな」


「かまくら?」


「雪の家だよ」


 ローラは雪を集めて壁を作り始めた。黒兎もローラに倣って雪を集め、かまくらを作る。すると、ホワイトドラゴンも布から出てきて雪を吐き出した。


「おっ、手伝ってくれんの自分」


「キュイ!」


 声を掛けると元気に返事をする。人間の言葉がわかるようだ、黒兎は「可愛ええなぁ〜」と全力でホワイトドラゴンの体を撫でる。もうドラゴンは怖くない。飼う気にはなれないがヴァルトラウトにもこういう風に懐いていたのだろう。想像しただけで嫉妬してしまう。


「ちょっと早いけど今日はもう寝ようか」


「ええで」


 空を見ると橙色に染まっていた。あと少しすれば紫色に、そして黒色になるだろう。そうなったらどちらにせよ進めない。

 黒兎とローラはかまくらの中に入って腰を下ろす。布団は外套を着ていれば代わりになる。かまくらの中は意外と暖かく、ローラは「寒かったら言ってね」と掌に一瞬だけ火を灯した。


「おおきに〜」


 礼を言うと黒兎とローラの間にホワイトドラゴンが寝そべる。本当に飼う気にはなれないがこのままだと離れ難くなってしまう。黒兎はホワイトドラゴンに顔を寄せて「可愛ええなぁ〜」とにやにや笑った。

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