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第一話  『白雪姫が生き返った』

 死んだ人間は生き返らない。生き返ってはならないのだと近衛黒兎このえくろとは強く強く思っている。もしも八百万の神が何かの間違いで人を生き返らせたならば、黒兎は「何故」と神を怒る。「非道」だと神を責める。


 それ程に重い禁忌だった。

 それ程に起きてほしくない奇跡だった。


「な、んで……」


 声が震える。驚き過ぎて掠れたからか、黒兎の声はその場にいる誰の耳にも届いていないようだった。だが、黒兎の耳には周囲の人間──いや、ノームたちの喜びの声が舞い込んでくる。手を取って踊る彼らは先程息を吹き返した少女のことを深く深く愛していたのだろう。その愛が深い程、黒兎は少女の目覚めを受け入れられなくなる。

 何故。非道だ。何故生き返ったのだ。何故──。そう思えば思う程に生き返らなかった者たちが脳裏に浮かんで消えていく。とうの昔に受け入れた〝彼ら〟の死を受け入れられなくなる。


 少女がゆっくりと双眸を開いた。黒檀のような温かみのある黒が黒兎の胸を鋭く刺した。元々そういう色なのだろう──血色の良い赤い唇で呼吸を繰り返せば繰り返す程、白過ぎた肌に赤みが戻る。


 ──あぁ。


 黒兎も吸っていた息を吐いた。どこの世界にも空気はあるのだ。少なくともこの場にいる全員がそうやって生きている。


「……ここ、は……」


 鈴のような可憐な声が耳朶を打った。ノームたちの歓喜も、森の奥から姿を現した小動物たちの歓喜も。聞こえなくなる程に彼女の声が鮮明に聞こえたのは、黒兎が神に見捨てられたことを理解したからだった。両手に付着した砂を拭って両足に力を込めるが、立ち上がれそうにない。



 晴天の下、心地良い風の中、凸凹の木の根の上で──白雪姫が生き返った。





 月光国げっこうこくの都トウキョウは、月光国の東部に位置している。人口は月光国で最も多く、面積は三番目に狭い。その人口密度を鑑みて世界最大の最大都市とも呼ばれている。

 近衛黒兎このえくろとは、そんな世界的にも珍しい国の宮殿に向かっていた。足取りは軽い。宮殿に最も近い正門の桜並木を見て綺麗だなぁと思える程には心の余裕もある。だが、それをのんびりと眺めている時間はない。


 数分歩いて見えてきたのは、正門前に立つ一人の大男だった。大男は月光国と皇帝を守護する月光国軍の軍服を着用しており、黒兎を視界に入れて眉を顰める。黒兎はそんな大男に向かって片手を上げた。


「おっちゃ──ぶごぉ?!」


「誰がおっちゃんだ小僧!」


 旧知の仲でも容赦がない威力で殴り飛ばされた。桜の絨毯を転がった黒兎は確かに無礼だったと反省する。


「すんまへんでした」


「おいコラ! それは謝罪じゃねぇ! 公の場でちゃんとしなかったら入隊取り消すからな!」


 そうやって、まるで父親のように黒兎を叱ったのは月光国軍大佐の石井作彦いしいさくひこだった。四十代後半の石井は筋骨隆々の男だが、彼に腹を殴られた黒兎は痛みを訴えることなく頭を下げる。


「本当にちゃんとします。すみませんでした。許してください」


「まだイントネーションが怪しいな」


 石井の指摘は鋭い。それだけ彼が黒兎を目に掛けて、軍人としてのこれからの成功を期待している証拠だった。


 もう十年にもなるだろう。石井が黒兎と出逢い、黒兎を見た目だけでも軍人に近付けた年月は。

 大きくなったもんだ。口には出さないが石井は感慨深い気持ちになる。石井は独身で子供もいない。その分何かと教えを乞う黒兎が可愛くて仕方がなかった。そう思えば思う程辛くなるのに。黒兎は石井の胸を締め付ける程真剣なのに。


「だってぇ。標準語で話す機会ないですもん」


 黒兎は叱られて反省の意を見せたばかりとは思えない態度を見せる。相手は月光国軍大佐だが、それだけ黒兎が石井に心を許している証拠だった。


「直す気がないんだろ馬鹿野郎。もういい、とっとと行け。遅刻すんぞ」


「引き止めたのおっちゃんやん!」


 相変わらず自分勝手な人だ。だが、急いでいるのは事実である。殴られても落とさなかったボストンバッグを担ぎ直し、黒兎は正門の奥へと進んだ。


「黒兎!」


 と思えばすぐに石井に呼び止められる。


「何があっても諦めんじゃねぇぞ!」


 それはこれからの上司としての激励だろうか。黒兎は振り返ることなく片手を上げて正門を走り抜ける。


 目の前に広がるのは、ひと月振りの宮殿だった。


 近衛黒兎は皇族ではない。血縁者は軍の関係者にさえいない。目指したのは宮殿の隅に位置する部屋の密集地帯だ。そこで暮らしているのは皆、黒兎と同じ境遇の未成年。宮殿と行き来することは叶わない、この場所の数少ない禁所で黒兎は十年も過ごしていた。


「ただいまぁーって誰もおらんよな」


 全員学校に行っているのだろう。黒兎も入隊を志願しなければ高校に通えた年齢だ。急いで自室へと向かい、ボストンバッグをベッドに投げる。代わりに手に取ったのは、今朝方届いたのであろう軍服だった。


「へぇー、作彦のおっちゃんのとあんま変わらんのか。おっちゃんたちが付けとるヤツ奪えば俺も大佐やん!」


 当然そんなことはしないししたとしても殴られるのがオチだが、今更拳を何発食らっても痛くはない。それが黒兎の自信の一つとなっていた。


「よし! 着れた」


 男の部屋に全身鏡なんてものはない。黒兎は脱ぎ捨てたパーカーのポケットからスマホを取り出し、カメラ機能で全身を確認する。反転して写ったのは、これがコスプレならば完璧に着こなしているように見える自分だった。


「…………」


 ついに着た。着てしまった。軍関係者に教えを乞うたのも、入隊を志願したのも、自分の意思だ。それでも喜びは感じない。石井を初めとする軍関係者の愛弟子として鍛えられた経歴故に昇進自体は誰よりも早いだろう。それでも喜びは感じない。黒兎の目的はそれではない。


「俺、諦めてへんよ」


 呟いてカメラ機能を終了させる。ついでに通知をクリアにしようとして指が止まった。


『六十歳から大人に? 成人年齢引き上げか』


 これはフェイクニュースでも冗談でもない。政府が本気で成人年齢の引き上げを行おうとしているニュースだ。


「……アホちゃう」


 政府はその理由を民に説明しないだろう。それらしい説明をしてもこの改正自体馬鹿馬鹿し過ぎて誰も納得しないはずだ。ただ──。

 黒兎は少し気になってニュースアプリを開く。想像通り、今日の一番のニュースは月光国第一皇女の十七歳の誕生日を祝うものだった。


 第一皇女とは言うものの、月光国には彼女一人しか皇帝の血を継ぐ者はいない。彼女が亡くなれば血が途絶えるのは周知の事実だ。だからこそ月光国軍は命を懸けて皇帝と皇女を護る。別にどこかの国と戦争しているわけではないが──命はいつ終わるかわからないのが常だと黒兎は知っていた。


 スマホを軍服のポケットにしまって部屋を出る。今年度の入隊式までそれほど時間はない。入隊式に出席する為にわざわざ宮殿を出て帰ってきたのだ。間に合わなければ今までのすべてが水泡に帰す。

 早歩きで宮殿の中に入った。外にも中にも勤務中の軍人がいるが、全員黒兎の階級章よりも顔を見て道を開ける。彼らにとって黒兎の顔は、我が子の顔よりもよく知る顔だった。


 《入隊式》と書かれた看板をふんわりと確認しつつ奥に進む。宮殿暮らしと言えど皇族が暮らす場所は初めてで──


「どこやここ」


 ──あっという間に少し迷った。


 知っているような、知らないような。一瞬だけ立ち止まったが黒兎は構わず奥に進む。入隊式は奥の部屋で行うと信じて疑っていなかったし、その感覚で突き進んで失敗をした記憶もないのだ。

 そんな黒兎の予想通り、最奥の扉を開くと多くの軍人の背中が見えた。予想通りではなかったのは、彼らの後頭部も見えたことだった。


 ──ここ、二階やんけ。


 声には出せない。そういう雰囲気ではないことはさすがにわかる。


「只今より、第百二十二回月光国軍入隊式を開始致します」


 ……間に合ってはいるはずだ。黒兎は腕を組んで彼らを見下ろす。数は百人前後だろうか。前方には当然、黒兎が尊敬している師匠の姿もある。彼はステージに背を向けており、そのステージは上手から下手まで幕で覆い隠されていた。


 ──なんやあれ。まぁええか、しれっと合流したらバレへんやろ。


 黒兎は音を立てずに非常口の扉を開け、ゆとりのある階段を下りる。直後に黒兎を妨害したのは数々のダンボールだった。


「うげぇ。掃除しとけや〜」


 黒兎は石井程の大男ではないが狭い場所は得意ではない。気を抜いたら大体の物を薙ぎ倒してしまう。それは不味い。

 慎重に。慎重に。進み続けると光が双眸を刺激した。


「────ッ」


 眩しい。何が起きたのか。目を凝らす黒兎が光の中で見つけたのは、黒兎がよく知る少女だった。

 存在だけならば月光国中の人間も知っているだろう。彼女たちの一族は国中から慕われている。黒兎だって敬愛している。そうされて当然の愛を国に注いでいる尊い人だと知っている。


 光に包み込まれていたのは、月光国の第一皇女──月皇輝夜つきがみかぐやだった。


 夜空のように温かみのない黒の双眸が見つめる先には、皇女と軍人を隔てる幕がある。あぁそうか。ここはステージの裏なのか。まるで皇女を隠すように用意された幕はいつまで経っても開かない。


「只今から、陛下のお言葉がございます」


 訝しんでいる間に司会が告げる。


「入隊、おめでとうございます」


 厳かな声色で応えたのは、皇女輝夜だった。十年もの月日を共に過ごした、たった数時間前に十七歳になった一歳年上の彼女が月光国の皇帝だった。


「──は?」


 有り得ない。ならば、十年信じていた皇帝はどこに。

 黒兎の声が聞こえたのだろう。勢いよく視線を向けた輝夜と目が合う。腰まで伸びた黒髪が少し乱れてしまったが、輝夜はまったく気にかけない。今の輝夜の最重要事項は、髪でも挨拶でもなく突然目の前に現れた黒兎にある。


「貴様……ッ!」


 夜空のように温かみのない黒の双眸が揺れた。身体が小刻みに震えている。それはあまりにも、いつも高飛車な態度を取る──皇女だから黒兎は当然の態度だと思っているのだが──強気な彼女からは到底想像ができない反応だった。


 怯えでもあり、恐怖でもあるのだろう。傷付いた少女の双眸に黒兎も傷付く。


 どうしようもないくらいに身分が違う。それでも一度だけ「友」と呼んでくれた彼女にそんな態度を見せられたことがこの十年で一番の衝撃だった。


「捕らえろッ!」


 そうだ。それでいい。それでこそ近衛黒兎が知る月皇輝夜だ。

 なのに苦い。自分は十年も何をしていたのだろう。


「なッ?! 黒兎?!」


 輝夜の背後から現れたのは、黒兎の師匠──月光国軍大佐、庫田響持くらたきょうじだった。


「響持のおっちゃん……!」


 言い訳をするつもりはない。輝夜を傷付けたのは確かに自分だ。


「なんでお前が……!」


 だが、これは子供同士の喧嘩ではない。黒兎も輝夜も成人はしていないが子供ではない。それぞれに立場があった。それを自分の手で壊してしまった。


 近衛黒兎は、月皇輝夜の命令に従った庫田響持の手によって宮殿の地下に幽閉された。

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