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60 days left

「本来ならばこれは俺の仕事ではないのだが……」

「それは私も同じです……」


 アンナ様の寝室と続きの部屋は、やはり単なる私室ではなく、執務室であるらしい。

 現在その部屋の主であるかの様に書類を捌いているのは、アンナ様に成り代わった私ではない。


 私がレイラ・リンドグレーンであると打ち明けた翌々日から、リチャード様は毎日やって来るようになった。

 そして、私は無理のない程度に彼のお手伝いをしている。


 大きな執務机で恨み言をぶつぶつ呟きながらすごいスピードで報告書を仕上げているのは、リチャード様だ。

 アンナ様はリチャード様は幼い頃から仲の良い従姉弟同士だそうで、アンナ様はリチャード様を「リック」と呼んでいるらしい。

 出来れば私もそう呼ぶべきなのだろうが、難易度は高い。ひとまず、人前で敬称を付けない呼び方であれば当面はどうにかごまかせるだろうと言われている。愛称で呼ぶのはそれになれてからで構わないそうだ。

 ただ、私達の会話が余所余所しいのは、アンナ様とリチャード様を知る人に違和感を与えかねないとの事で、目下気安く会話をする練習中である。まだまだ敬語は抜けきらないが、なるべくアンナ様が彼に対してそうしていた様なテンポで話せるようになってきたと自負している。それに加えて、なるべく気安い口調で話す事を心がけている。


「アンナのやつ、俺に仕事を丸投げしてそのままいなくなりやがって……」

「私はアンナ様ではありません。八つ当たりされるのは理不尽です!」

「ごちゃごちゃ言わず、アンナの分も働け!」


 どさりと、新たな書類が置かれる。

 誤字や脱字、計算などの間違いがないかを確認する単純な作業なのだが、いかんせん量が多い。


「人使いが荒い……」

「俺を『人使いが荒い』って言うけどな、これでもアンナよりはずっとマシだと思うぞ」


 リチャード様はアンナ様の指示で領地へ行っていたそうだ。もちろんアンナ様の事故の知らせを受け、こちらへ戻る事も考えたが、ひとまず片付けてから戻ってきたらしい。

 あちらにいる間、ネルさんからアンナ様になってしまった私の様子についてやりとりをしていたことから、アンナ様の仕事が滞っていた事は覚悟していたと言うが、彼の想像以上に滞っていたそうで。

 色々協力をしてもらう見返りとして、こうして書類仕事を手伝っているのである。


「それにいずれ、領地経営に携わるんだろ? 過酷な環境に慣れておいて損はない」

「……やはりこき使っている自覚はあるのね」


 寝室から持ち込んだライティングビューローで作業する羽目になったきっかけは、自業自得なのだ。

 私がうっかり兄の手伝いをしていた話から、母の実家を継ぐために勉強をしていた話になったせいだ。

 とは言え、私の負担なんて彼の負担に比べたらほんの些細なものだ。


「おやおや、仲がよろしいですね」


 言い合いをしながら手を動かしていると、ワゴンを押したネルさんが戻ってきた。

 ニコニコ笑みを浮かべながら、応接セットへと休憩の準備を整えてくれている。


 リチャード様と私のやりとりを見て、ネルさんはクスクス笑っている。


「何がおかしい?」

「いつもとは立場が逆転しておりますが、アンナお嬢様とリチャードのやりとりを見ている様だなと思いまして」


 長い時間を共に過ごしてきたアンナ様とリチャード様は似たもの同士らしい。

 リチャード様は似ていると言われるのが嬉しくない様で、嫌そうな顔をしている。


「とにかく今日中に片付けるぞ」


 そう言いながら立ち上がった彼は、室内の僅かな距離ですら律儀にもエスコートしてくれる。

 初めて会った日こそかなり失礼な態度だったし、そんな出会いだったせいか口調こそ崩れているけれど、流石は公爵家の縁者と言うべきか、動きが洗練されているし、普段からそれを当たり前にしているのだろうなと感じさせるレベルでサラリとこなす。しかも話し上手で聞き上手。気安く話す練習がうまく行っているのは間違いなく彼のおかげだ。


 決してキラキラしい王子様タイプではないけれど、整った顔立ちの人だ。人好きのする柔らかい笑顔かと思えば、精悍で近寄り難い雰囲気を纏う時もある。表情ひとつで印象が大きく変わる不思議な人。

 すごく背が高いというわけでもないが、細身なので全体的にとても均整が取れているというか、スタイルがいい。

 仕事も出来て、紳士的。話していて退屈しない。その上容姿にも恵まれているのに婚約者も恋人もいないというのだから、女性の人気も凄そうだなぁ……なんて、向かいに座る彼を観察しながらそんなことを考えていた。


「明日、レイモンド・リンドグレーンが登城するらしい」


 ネルさんが淹れてくれた紅茶のさわやかな香りが広がる中、リチャード様がそう切り出した。

 先程まで軽口を叩いていた時とはまるで別人である。緊張しているのか、とても畏まった態度だった。


 私がレイラである事を証明する方法として、レイラの兄レイモンド・リンドグレーンから話を聞いてほしいと伝えたところ、リチャード様はその話をした翌日に兄に会いに兄の職場である王城へ向かったらしい。

 だが残念な事に兄は仕事で王都を離れており、会えずじまいだったのだ。


「明日、彼に会って君が本当にレイラ・リンドグレーンなのかを確かめてくる」


 兄に会ったら、事故に遭った日、どうして私が中央公園へ行ったのかをリチャード様から兄に話して欲しいと言ってある。

 兄から話を聞こうとした場合、妹思いの優しい兄は本当の理由を話してくれない可能性があるからだ。


「……その上で、彼に協力を仰ごうと思う」

「私も、一緒に行ってはいけませんか?」

「明日は俺一人で行く」

「わかりました……」

「そのうち、会える様に取り計らうつもりだからそう気落ちするな」


 断られるとは思っていたけれど、言わずにはいられなかった。少し意外だったのは、彼が存外優しい言葉をかけてくれた事だ。


「アンナの性格上、今まで音沙汰がないのは不自然だ。様子見をしているにしても、長すぎる。……何かあると考えるべき、だと思う」


 少し俯いて喋るリチャード様の声は少し震えていた。


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