She’ll be right there ④
「アンナ嬢の双子の妹は……病死ではないそうだな」
「ああ、そうだ」
気まずそうにレイモンドが切り出したのを、俺は肯定した。
エレナは病死ではない。服毒による自死だった。眠っている様にしか見えない穏やかな顔だった。
その傍にあったのは、遺書と呼ぶには切なすぎる『ごめんなさい』というたった一言の走り書き。それから、小さな茶色の小瓶だった。
一見するとその状況は、エレナが衝動的に命を絶った様に思えた。しかし、少しずつ明らかになっていったエレナの前日までの行動は、あまりにも用意周到過ぎるというか、計画性があったとしか言いようがない。
亡くなる数日前、エレナは彼女付きだった三人の侍女達にまとまった休暇を与えていたらしい。彼女達は、突然届いた退職金と紹介状に驚き、どういう事なのかと慌てて公爵家へ戻ったところエレナの死を知らされたのだ。
調べてわかったのは、退職金や紹介状の手配はエレナ自身で行っていた事だった。日付を指定して侍女達へ届く様にしていたらしい。
また、かつて夜会などで着たドレスなどは、辛いことを思い出すからと亡くなる一月以上前から売却しており、その金を孤児のための慈善団体へ寄付していた事もわかった。
それだけではなく、彼女のもとへ届いていた手紙などは処分されていたし、日記や手帳といった手記の様なものも一切見つからなかった。
家具やファブリック、普段着ている衣類はそのままだったものの、彼女の身の回りの私物はほとんど片付けられていたらしい。
用意周到と言わざるを得ないほど計画的に身辺の整理をしていたエレナ。どうして彼女がそんな計画を立て、実行したのか。その理由はわからない。
彼女の母親は、第三王子がアンナと婚約を解消したからだと思っているらしかった。
かつてエレナには、公表されていない婚約者がいた。秘密裏に進められていたそれを知るのは、身内と王族の一部のみ。
けれど、それは婚約者の死によって白紙となった。
数年前に亡くなったエレナの婚約者は、第三王子が婚姻を結んだ隣国ルノワの女王の弟で、かつてはルノワの王太子だった人だ。
アンナの婚約解消の一件で、婚約者と死別した辛い記憶が蘇ったのだと言って聞かない公爵夫人だったが、エレナと元婚約者はほとんどと言って差し支えないほど直接の面識がなく、手紙などのやりとりすら行っていなかった。
というのも、書類上での婚約が成立し、これから親交を深めていこうとしていた矢先の死だったからだ。
それは3年以上前の話だし、エレナが自死を選ぶきっかけになったとは到底思えない。
どちらかといえば、アンナの婚約がなくなってしまった事に対し、エレナもアンナと同様に喜ばしい事と思っていた節すらある。
エレナに婚約者を据えなければと躍起になって見合いの話をせっせと持ち込む公爵夫人にこそ、エレナが辟易としている様に思えたが、それだって自死に繋がるほどの影響を及ぼしていたとは思えない。
とは言え、あの頃のエレナの感情なんて俺にはわからないし、今更知ってどうこうなるわけでもない。それが判明したところで、エレナはもう帰って来ないのだから。
俺が知りたいのは、自ら命を絶った人間のその当時の心境ではない。どうすればアンナとレイラ嬢が元に戻ることが出来るのか、という事である。なんらかの形で影響を及ぼしているであろうエレナから情報を得られれば良いのだろうが、茶会の様子から、協力を願ったところで望みは薄そうである。
「リチャードは証拠を示せとか言わないんだな」
「そんなの今更だろう?」
レイモンドから申し訳なさそうにそう言われるとはおもわなかった。
そもそも、事実とは言えおかしな事を言い出したのは俺だ。
もはや細かいことなどどうでもいい。それよりも、知りたいことは沢山ある。
レイラ嬢がエレナだとアンナが証言しているのならば、エレナの関与は疑いようがないとすら思えてしまう。それほど、双子である二人の間には、不思議な力が働いていた様に思う。
「アンナ嬢は妹御の死について……リチャードに隠していることがあるそうだ」
「俺に隠している事?」
「ああ。彼女が言うには、走り書きと一緒に日記があり、その日記の最後にはアンナ嬢に宛てた文章があったらしい」
つまり、アンナはエレナが自死を選んだ理由を知っていたという事か。俺にはずっと何も知らないと言っていたのに、どうして今更と思わなくもない。
「アンナ嬢は、その日記を公爵夫妻には絶対読ませてはいけないと思い、咄嗟に隠したそうだ。そして、それを今後も見せる気はないと言っていた」
「……そうか」
余程公爵夫妻には言えないような事が書かれていたのだろう。ならば、俺にも隠そうとしたのは理解できなくもない。
「ただ、リチャードには日記を読む権利があると言っていた」
「俺に、読む権利……?」
「日記には、リチャードに宛てた文章もあったらしい」
エレナと俺は、特別仲が良かったというわけではない。アンナを介していたからこその関係だ。
きっとアンナがいなかったらほとんど交流はなかっただろう。
だから、彼女が俺宛に文章を残していたことは意外だった。
「……その理屈でいくと、実はもう一人『知る権利』を持つ者がいるのだけれど……彼女には直接読ませるべきではないというのがアンナ嬢の意見だ。けれど知らない事が近い将来、不利益に繋がるのは避けられないから、ある程度説明は必要かもしれない」
「もう一人とは……」
「おそらくはレイラだろうと思われる」
「……どうしてそこでレイラ嬢が出てくる」
「読めば彼女がレイラに成り代わっているのかもわかる、アンナ嬢はそう言っていた」
そして、レイモンドは俺にメモを差し出した。
そこに書かれていたのは、3桁の数字と6桁の数字、それから図形だった。
3桁の数字の並びには見覚えがあった。図形の意味も理解した。となると、6桁の数字も何を示しているのか心当たりはある。
「つまり、金庫を開けて読めと?」
「ああ、そうして欲しいそうだ」
それまでのどこか緊張を孕んだ雰囲気はなりを顰め、レイモンドの表情が心なしかゆるんだ気がする。
「アンナ嬢の言った通りだな」と呟いたことから、どうやらメモを見せれば俺にはわかると、アンナがレイモンドに言っていたらしい事が伺える。
俺が彼の言う事を信じない場合には、金庫を開けて見せて証明すれば良いとでも言っていたのだろう。
ふと、あの時の彼女の姿を思い出した。お前は誰だと問い詰めた時の、彼女の姿を。
「アンナ嬢がいなかったら、レイラはどうなっていたんだろうな……」
レイモンドがこぼしたそんな一言に、なんと返すべきなのか俺は思いあぐねていた。しかしレイモンドは俺の返答など必要としていなかったらしく、静かに語り始めた。
「レイラが事故に遭った際、何らかの力が働いて、レイラの精神がレイラの身体とは分離してしまったらしい。おそらく呪術か何かの類だろうと思われるが、レイラを庇おうとしたアンナ嬢もその影響を受けていたそうだ」
以前の俺ならば鼻で笑ってバカにするような、荒唐無稽な話である。けれど、今となってはバカになどできない。
「アンナ嬢は、レイラの身体の中にモルテンソン公爵令嬢……エレナ嬢が入り込み、咄嗟にレイラを自身の身体の中に押し込んだらしい」
「それじゃあ、アンナは……?」
「彼女が言うには、いわゆる『幽霊』とそう大差ない状態で過ごしてきたらしい。もちろん、今現在もだ」
レイモンドがアンナから聞いた話によると、これまではレイラ嬢の身体の中に入り込んだエレナの動向を窺っていたらしい。
そして、レイラ嬢へ身体を返すように訴えていたそうだ。
残念ながらエレナはアンナの姿や声を認識する事が出来ず、アンナの訴えは彼女に届くことはなかった。
「アンナ嬢と相談して、先にレイラを元に戻す方法を調べることにしたんだ」
「……手がかりはあるのか?」
「……呪術の類に詳しそうな人物なら心当たりがある。向こうに着いたら、アンナ嬢と会いに行こうと思っている」
なんでもその人物はシトリン領にいるらしく、アンナもシトリン領へ同行するらしかった。