She’ll be right there ①
王城を中心に扇状に広がる貴族街の中でも、古くから整備されている地区の一角に佇むリンドグレーン邸。
公爵邸に比べると規模は半分程度ではあるが、歴史を感じる重厚な造りをしており、庭の隅々まで手入れが行き届いている。
迎えてくれたのは、好々爺然とした家令だ。彼の顔を見た途端、アンナとして訪問しているレイラ嬢の顔がほころんだ。
そして、俺達にかけられた歓迎の言葉からも彼がレイラ嬢をとても大切にしている事は明らかだ。
想像以上の歓迎ぶりに、レイラ嬢が戸惑っていたのが印象的だった。
彼の事はレイモンドも頼りにしているらしく、また二人のやりとりからも信頼関係が伝わってくる。
少し気になるのは、やたらと微笑ましげな目をレイモンドとアンナとしてここにいるレイラ嬢に向けている事だ。
レイラ嬢が俺にエスコートをしろと目で訴えてくるのも頷けた。
婚約者のいないレイモンドが、俺同伴とはいえ婚約者のいない年頃の女性を屋敷へ招いた事に何かしらの期待を寄せているのだろう。
応接室でシトリン領関連の書類を確認する彼女の姿を見て、執務をしていたアンナの事を思い出す。彼女の姿がどうしてもアンナと重なってしまう。
アンナの身体に彼女が入り込んでしまっているのだから、外見はアンナそのものなのだが……
とにかく、彼女とレイモンドが真剣な表情でやり取りをしているのは複雑な気分だった。
それから、シトリン領へ行く日程や行程などの説明をレイモンドから受けたのだが、レイモンドも同行するというのには正直驚いた。
流石は妹至上主義者……と思いきや、アンディが一枚噛みたがっているというのには納得したし、王家とモルテンソン家の不仲説を一蹴したいという思惑は理解できる。
シトリン家と王家の共同事業にモルテンソン家が関わるという構図は悪くない。
レイモンドと話し合った結果、共同事業の責任者として、アンディとレイモンドと俺が名を連ねる事になりそうだ。
本来ならばアンナとレイラ嬢の名を使った方が話題性があるのだろうが、肉体と人格が本来の組み合わせではない二人の名を使う事により、何か問題が発生したときの対応が面倒である事、それから後継予定ではあると言え、少々立場が弱いために悪用されかねないという懸念もある。
レイラ嬢はあっさり納得しその提案を受け入れたため、予定よりも少し早く、アンナとの面会の場へ向かう事となった。
応接室からサロンへと向かう道中、レイラ嬢が緊張しているのが伝わってきた。表情もどこか硬い。
けれど、テーブルの上に所狭しと用意されたタルトやパイ、サブレやメレンゲ菓子やフルーツなどを見て少し緊張が和らいだ様だった。
目を輝かせるレイラ嬢を見て、レイモンドは本当に嬉しそうだ。
とろける様な笑みを浮かべて、「君の為に用意させた」なんて言えばそりゃあ使用人たちは勘違いするに決まっている。
俺だってアンナの姿をした彼女の中身がレイラ嬢だと知らなければ、レイモンドが彼女を口説き落とそうとしている様にしか見えないわけで。
レイモンドの笑顔を見て、メイド達まで頬を赤らめている。
鍛えても思うように筋肉がつかないタイプの俺と違って、レイモンドは程よく筋肉のついたバランスの取れた身体付きをしている。身長だって、俺と比べて拳ひとつ分くらい高い。
柔らかそうな蜂蜜色の髪に、アンバーの瞳。きめ細やかな肌はまるで白磁の様な質感だし、穏やかで知的な印象を与える切長の目と形の良い鼻と唇。一言で言えば美青年、それに尽きる。
外見だけで言えば、アンディよりもレイモンドの方が絵本に出てくる王子様っぽいと言えるだろう。
そんなレイモンドが蕩ける様な笑みを浮かべているのだ。そりゃあメイドだって見惚れるだろう。
彼にいい所を見せたかったのか、給仕担当のメイドに俺が持参した茶を入れる事を告げると、頑なに拒まれてしまった。
仕方なく、彼女に淹れ方を説明して淹れてもらったが、それを飲んだレイモンドが顔を顰めた。
原因は湯の温度。具体的な説明をしたつもりだが、説明が不十分だった様だ。
改めて俺が淹れなおし、その茶を先程茶を淹れたメイドに飲む様にレイモンドが言った。一口口に含んだだけでも違いがわかるそれに、メイドは驚愕していた。その様子が皆気になっていたようなので、飲み比べをしてもらう。
「お披露目の際も飲み比べをしていただいたり、各家のメイドを集めてレクチャーした方がいいかもしれませんわ。お茶の淹れ方も事細かに書いて茶葉に添えるべきかと」
ちょっとしたトラブルさえもビジネスのヒントにしてしまう彼女には頭が上がらない。
そのくせ、幸せそうに桃のパイを頬張る姿にギャップを感じずにはいられない。
「……本当に美味そうに食べるな」
思わずそう呟けば、蕩けるような笑顔を向けられて。
姿は変わっても、彼女はレイモンドと兄妹なんだなと実感した。なんというか、雰囲気が似ているのだ。
すっかりレイラ嬢として過ごしているアンナと面会する事なんて頭から抜け落ちてしまうくらいには、用意された菓子類が美味で茶にもよく合う。
あまりに和やか過ぎる時間が経過しており、またそれが短くはなかったので、今日は不発に終わったのだなと思っていた矢先。
好々爺然とした家令が連れてきたレイラ嬢は、あまりにも俺の知るアンナとはかけ離れた雰囲気を纏っていた。
残り55日