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60 days left ②

主人公視点

 リチャード様が出かけた後、私はネルさんと少し庭の散歩をして、それから寝室と呼ぶよりも私室と呼ぶべきな部屋のソファでウトウトと微睡んでいた。

 長い事身体を動かしていないせいで、すっかり筋肉が落ちてしまったらしい。少しずつ動くようにはしているものの体力も筋力も回復には至らず、少し動くとすぐ疲れて眠くなってしまうのだ。


 そんな時、ドアをノックする様な音と重たい扉が開く様な音が聞こえた気がして、目が覚めた。

 隣の部屋から人の気配がする。きっとリチャード様が帰ってきたのだろう。

 簡単に身だしなみを整えて廊下に出た。こちらの部屋と執務室はコネクティングルームになっているので廊下を経由しなくとも行けるのだが、なんとなく廊下を経由してしまう。


「リチャード様?」

「ああ、今戻った。君に客人だ」

「私に、お客様……?」


 重たい扉をゆっくり開けて中を覗き込むと、そこには会いたかった人がいて。ソファに座っていたその人と目が合った瞬間、その人が立ち上がりこちらに向かって早足で近づいてきた。優しく背中を押された私はゆっくり歩みを進める。気付けばあっという間に近づいてきた兄の腕の中に私はすっぽりと収まっていて、その温かさに安心しきってしまっていた。


「お兄……様……?」


 今、私の外見はアンナ様なのにもかかわらず、つい溢れてしまったその呟きを拾ったその人は嬉しそうに言った。


「レイラ……レイラなんだね」


 私の視界が滲んでしまうのは仕方がないに決まっている。どうにか頷く事で肯定すると、レイモンド兄様の匂いがした。

 愛用している、ベルガモットの香水の香りに僅かにインクの匂いが混じっている。


「元気にしてたか? 身体の痛むところはないか? ちゃんと食事は取っているのか? 困った事はないか? ……事故は怖かっただろうし、心細かっただろう?」


 冷静になれば、未婚の令嬢が抱きついて泣いているなんてはしたないと怒られそうなものだけれど、この時の私はそんなこと考える余裕などなく、子供の様に声をあげて泣きじゃくってしまった。

 小さい頃そうしてもらっていた様に、お兄様の手がゆっくりと背中をさすってくれる。それだけで気持ちがおちついてゆく。


「……リチャード様と、アンナ様の侍女のネルさんがとても良くしてくださるの。だから大丈夫よ」


 深呼吸してどうにか呼吸を整え、顔を上げてそう伝えるとハンカチで優しく涙を拭いてくれたお兄様。

 けれど、私は気付いてしまった。いや、忘れていた方が悪いだろう。

 この部屋にいるのは私と兄だけではない。兄を連れてきてくれたリチャード様がいる事に。


 ふとリチャード様の方を見ると、目のやり場に困ったのかこちらに背を向けていたので申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


「……リチャード様、ごめんなさい」


 完全に周りが見えていなかった。いつのまにか、執務室のドアも閉まっていたし、私が部屋を覗いた時には執務室の奥にいたはずのリチャード様がドアのすぐ前にいたのだから。

 きっと、気を利かせてドアを閉めてくださったのだ。


「いや、気にするな。今までずっと不安だっただろう? 久しぶりに家族に会えたんだ、そういうもんだろう」


 背を向けたままそう言われてしまった。

 私はレイラでも、外見はアンナ様だ。兄と妹と理解していても、視覚的にアンナ様とレイモンド兄様が抱き合っていたのだ。

 客観的に見れば、複雑な気持ちになるのだろう。


 リチャード様はアンナ様をとても大切に思っているから、そんな姿を見たくなかったに決まっている。

 私は、兄との距離の取り方を反省した。今まで通りじゃダメだ。


 その時、ノックの音がした。

 リチャード様がドアを開けると、ワゴンを押したネルさんが立っていた。





 ***


「彼女がレイラだと知るのは、俺とアンナの侍女、ネルだ。ネルは俺の母方の従姉にあたる。母の実家は武に長けた家で、彼女は一通りの武術を習得している」

「もしかして、グレアム・フロスト卿の?」

「はい、娘でございます」


 兄は顔が広いと知ってはいたけれど、ネルさんのお父上まで知り合いらしい。騎士団で最も実戦に強いと言われる第二師団の師団長で在られるとか。


「それは心強い。安心して妹を任せられる」

「そう仰って頂けると光栄にございます」


 なんでも代々実力で騎士爵を賜っている御家柄だそうで、過去にはその功績が認められて一代限りではない男爵位の授爵の話もあったそうだが、緩い環境では腕が廃れてしまうからと辞退した経緯を持つ事で有名な家らしい。


 ネルさんも相当な腕前の持ち主で、その腕を買われてアンナ様の侍女兼護衛として仕える事になったそうだ。


「レイラは確かにここにいる……という事はつまり、モルテンソン公爵令嬢がレイラとして過ごしている可能性は高いという事か」

「レイモンド以外に、彼女の異変……違和感を覚えた者はいないのか?」

「残念ながら。昨年兄夫婦に子どもが産まれて、一年半近く兄夫婦と母は領地で過ごしているし、父は領地と王宮を行ったり来たりで、レイラの様子がいつもと違うと訴えても、年頃の娘はそういうもんだで済まされてしまう。挙句、声が出せなくなったのも、俺による過干渉のストレスではないかとまで言われたよ。実際避けられているのだから、皆がそう思うのも仕方ないだろうな」


 兄によると、今の()()()は声が出ないらしく、身振り手振りと筆談で意思の疎通をしているそうだ。

 兄の目から見れば私の字ではないらしいのだが、周囲は書類や手紙に丁寧に書く文字と、筆談の際の走り書きの文字は違って当たり前だと一蹴されてしまったらしい。


「レイラの姿をしたモルテンソン公爵令嬢ならば、俺に対する態度も仕方ないだろうな……レイラが気になるあまり、世話を焼きすぎだという自覚は……ないわけではない」


 私だってレイモンド兄様に頼り過ぎな部分は否めないからお互い様ではある。

 けれどそれは私と兄だからであって、他人でそれが異性となれば拒否してしまうのは仕方ないだろう。


「実はアンナの異変に最初に気づいたのはネルなんだ。レイラ嬢付きの侍女は気付かないのか?」

「それが、レイラの慕っていた侍女は最近子どもが産まれて産休を取っているんだ」

「ケリーの赤ちゃん、無事産まれたのね……!」

「ああ、男の子でシリルという名だそうだ。母子ともに健康だと聞いているよ」

「よかった……!」

「一緒に用意したシルバーのスプーンはどうする?」


 兄と二人で選んだのは、定番のスプーンだ。

 食べ物に困らないとか、魔除けとか、色々な意味があるけれど、産まれてくるのを心待ちにしていたという気持ちを込めて二人で選んだのだ。


「さすがに今の姿で会いにはいけないわ……だから、一緒に手紙を送って欲しいの。それと、他にも用意したプレゼントがあるからそれもお願いしてもいい?」

「勿論だ」


 私は席を立って、ケリーへのプレゼント取りに行った。執務室に戻ると、ネルさんが「一生懸命刺繍されてましたから、喜んでいただけると良いですね」と笑顔で言ってくれた。

 結局プレゼントはラッピングをしていないままだけれど、大きめの巾着にまとめるとラッピングをした風に見えなくもない。せめてもと思いリボンをかけて、兄に託した。

 それと、手元に残しておいたRの刺繍が入ったハンカチも兄へ渡す。これは兄へのプレゼントだ。


「レイラ、ありがとう。大切に使うよ」


 嬉しそうにジャケットの内ポケットにしまう姿を見ていると、私も嬉しくなる。


「……レイラ嬢の慕っていた侍女が産休で不在なのはわかったが、今彼女に付いている侍女は何か言っていないのか?」


 ケリーの赤ちゃんの話ですっかり脱線してしまっていたが、今の話題は()()()の現在の侍女の反応についてだ。リチャード様の声は少し硬い。


 おめでたい話につい浮かれてしまったが、アンナ様の行方がわからないのだ。リチャード様にしてみたらどうでもいい会話でしかない。


「……残念ながら、今レイラのそばに控えているのは最近雇い始めたばかりの新人だ。彼女はそもそもレイラをよく知らない。レイラの婚約者の家、ヴィッカーズ侯爵家の遠縁にあたる子爵家の令嬢らしいが……あまり侍女らしくないというか……」


 ケリーの産休の間だけ来てもらう事になった彼女はジェーンという名で、侍女というよりも私の友人になればとの思惑で我が家にやって来る事になったようだった。

 事故に遭った3日前にやって来た彼女と私が一緒に過ごしたのは、事故前日と当日午前のみ。

 彼女の行儀見習いとしての側面もあるらしく、我が家にやって来てすぐは私が伯父のところで過ごしていたこともあり、彼女はマナー講師が付けられ色々学んでいたはずなのだが。


 兄が言い淀んだのはきっと「侍女という自覚がない」という事だろう。

 たった一日と数時間一緒に過ごしてそんな気がしていた。

 きっと本人にも「友人候補」である事を誰かが伝えているのだろう。

 私に対する態度よりも、彼女の同僚となった我が家の使用人たちへの態度が少し気になったのを覚えている。


 そんな環境で、アンナ様は不自由していないだろうか。

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