Who the hell is she? ②
ネルからの手紙を受け取るうち、俺の中でとある仮説が生まれていた。
その仮説とは、アンナではない誰かによって、アンナが支配されているのではないかということだった。
アンナの記憶が欠如しているといっても、よくよく聞いてみれば、欠如しているのは彼女個人に関わる事ばかりだ。
むしろ、公になっている部分はよく理解しているらしい。
エレナの死についてもそうだ。表向きは、病死ということになっているが、エレナは病死ではない。
日常生活に支障がない点も、マナーや立ち振る舞いなどに問題がないどころか、アンナにしては普段の所作が綺麗すぎるというのだ。必要な時は公爵令嬢らしい振る舞いをするが、ごくごくプライベートな場面でのアンナはガサツなのである。
アンナではない誰かが、それこそある程度の教養を身に付けた者が彼女を支配しているのならば全て説明がつくのではないか。
アンナの記憶が欠如したのではなく、アンナを支配している者がアンナ個人についてや公爵家の内情についての知識がないだけなのではないか。
そう考えると、アンナに成り代わった誰かが俺の顔を知っている可能性は低いだろう。
貴族と同じ教育を受け、貴族と同じレベルかそれ以上の生活を送らせてもらっているが、俺は正確には貴族ではない。
公爵家の嫡男として産まれた父親は、俺の母親と結婚するために、その立場を弟に譲り独立しているからだ。
現公爵は俺の父親にとって弟だ。
公爵である叔父の勧めで、ニ年に一度行われる公爵家主催の夜会には参加しているし、アンナやエレナのパートナーとして他の夜会に参加した事がないわけではないが、顔が広いとは到底言えない。元々そう多くなかった機会も、特にアンナが第三王子と婚約してから随分と減っていたし。
俺の存在を知っていても俺の顔は知らない可能性は高い。夜会などで俺が目立つことを奴は嫌っていたから、目立たず地味に気配を消して過ごしていたし。
俺を知っているか否かが、アンナがアンナであるか否かを証明してくれるだろう。
もしアンナではなかった場合は、然るべき措置を取る。
悪しき考えを持つ者であったら、アンナの中から追い出すだけだ。
そして、迎えた対面の場。
アンナのお気に入りの場所の一つである、中庭のガゼボだった。
アンナの居場所を侵食される様で、その場を選んだネルには少し腹が立ったが、アンナのお気に入りの場所だからこそ見られる反応もあるかも知れないと自分に言い聞かせて、その場へと歩みを進めた。
「アンナお嬢様、初めまして」
ジャスミンのアーチを潜って近づいていた俺に気付き、俺から目を逸らさなかった彼女。俺はそんな彼女に初対面を装って白々しい挨拶をした。
「……初めまして」
「ダニエル・モルテンソンの遣いで参りました、リチャードと申します」
こちらから仕向けたとはいえ、なんの躊躇いもなく「はじめまして」と言われたことに俺はふざけるなと思いながらも傷付いていた。
学院にいた頃、否、第三王子の世話をしていた頃は、本心を隠して媚を売る奴だとか、利用してやろうとか甘い汁を啜ってやろうと下心を持って近づいてくる奴を近くでたくさん見てきた。
人を見る目はそれなりに培ってきたと自負している俺だが、目の前にいるアンナの姿をした人物には、そういった気配を全く感じなかった。
こちらが笑顔で接しているせいか、相手も笑顔で。しかも、のほほんと能天気そうな雰囲気が、ネルの言う通り、昔のアンナを思い起こさせる。
記憶が欠如したアンナなのか…? そう思ってしまうのも無理はないと思う。
初めましてと言った割には、いつものアンナと同じ目で俺を見るのだ。俺の事を信頼しきっているというか、あまりにも無防備すぎる。
彼女のまっすぐな視線から逃れたくて視線を外した俺は、彼女の座るベンチに置かれていた刺しかけの刺繍を見つけた。
今思えば、俺は必死でアンナらしくないところを見つけようとしていたのかもしれない。
「刺繍をされていたのですか?」
「ええ」
「モチーフはライラックですか? 少し見せて頂いても?」
「途中なのですが……どうぞ」
ライラックがモチーフの繊細な刺繍は、アンナが好みそうな雰囲気だった。
華やかで派手なものが好きだったエレナと、可憐で可愛らしいものが好きだったアンナ。
女性にしては長身で、美人だがキツめの印象を与えがちな容姿の二人。
外見がそっくりな双子だった彼女らに似合うのは、エレナが好むデザインのものが多く、仲の良かった二人は、色違いで同じデザインを身につける事も多かった。
彼女の作りかけの刺繍は、アンナの『好き』と『似合う』が共存するデザインに見えた。
それにしても、見事な刺繍だ。
一針一針無駄な力がかからない様に丁寧に刺されたであろう刺繍は、本当に見事だ。
だから思わず言葉にしてしまったのだ。
「刺繍がお得意なのですね」
「得意か苦手か……どちらかで答えるならば得意ですけれど、得意というよりも、好きという方がしっくりきますね」
「好き、なのですか……」
アンナは刺繍が嫌いだ。
けれどそれは、第三王子と婚約してからの話。
昔は——それこそ習いたての、子供だった頃の彼女は刺繍が好きで、刺繍する事をとても楽しんでいたのだ。
『エレナみたいに得意ではないかもしれないけれど、私は刺繍する事が好きなの』
なぜか、幼いアンナのそんな言葉を思い出してしまった。
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