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龍の軛  作者: 今野 真芽
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王冠を懸けた決闘

 王の言う『丁重に遇せよ』、とは、牢に押し込めろ、との意味だったようだ。じめじめした牢の、硬い床に転がされた白月は、不知火の憎々しげな眼差しを受ける。

「お前のせいで──この醜い傷跡のせいで、私は空見家を離縁されたのよ。王が拾ってくださらなければ、路頭に迷うところだった。この、この私が!!」

「自業自得というものだろう。まだ、私が鷹尾流星を殺したところを目撃したと言う気か?」

 白月の言葉に、不知火は馬鹿にしたように笑った。

「あら、私は、おまえたちが裸で絡み合っていて、おまえが刃物を持っているところを見た、と言っただけよ。流星殿が生きているのと、なんの矛盾もしないでしょう」

 そのふてぶてしい物言いに、白月は不知火を睨みつけるしかできない。

「これから、おまえの世話は私の職務になるわ。さて、どうしてやろうか──」

 その声音に込められた悪意に、ゾッと背筋が粟立つ。不知火は牢の壁にかけられた鞭を取り上げ、それを鳴らす。

「まずはこれで打ち据えて──そう、その顔にも、私と同じように傷を刻んでやらねばね。文字は何にしようかしら。『淫』なんてどう? あなたにぴったりでしょう?」

 その狂気すらはらんだ眼差しに、白月は牢の床を後ずさる。その時、闊達な声が地下牢に響いた。

「母上! おやめください!」

 そこに入ってきたのは、焔だった。息を切らし、ここまで駆けてきたようだ。

「文官によると、その娘、王を決める決闘の儀式に必要だそうです。そのため、儀式までの間は、中立の立場の神官が、神殿にてその娘を預かります!」

「焔……」

 不知火は憎々しげに息子を睨むと、チッと舌打ちした。だが、鞭を壁にかけ直し、醜い傷跡の刻まれた顔で嫣然と笑ってみせる。

「分かりましたわ。では、そのように。──お楽しみは、蛇祐様が王になられたその時に取っておきましょう」

 最後に白月に鞭のような一瞥をくれて、不知火は立ち去った。

 後には焔と白月が残され、焔は気まずそうな、気遣わしげな目で白月を見た。白月は目をそらす。

 焔は白月が好きなのだ、と露草は言った。今も、白月を助けてくれたのだろう。だが、白月の空見家への恨みは決して消えることがない。白月が焔に同じ想いを返すことはないのだ。

「……ここを出る。神殿へ行くぞ」

 その言葉に頷いて、白月は立ち上がり、焔の後に続いた。

「決闘の儀式でのお前の役割は、決闘の見届人であり、審判者だ。その間、お前は一時的に龍の姿に変じることが許される。そして、──これはまだ蛇祐陛下もご存じないことだが、決闘者は、龍を味方につけることができるとの記載があった」

 その言葉に、白月はハッと顔を上げた。龍が一方に味方する。それは、その陣営の勝利を約束したようなものだ。流星が自信満々に蛇祐に決闘を挑んだのは、白月が必ず紫蛇に味方するという、その勝算があったからなのだ。

「だが、決闘者に味方した龍は、生涯をその決闘者に捧げ、仕えることとなる。これはそういう儀式だ」

 ──そして、白月は一切の自由を失う。

 絶望が胸を満たした。


 神殿に移された白月は、呆然と日々を送っていた。用意される膳は豪華なものだったが、砂を噛むような味がした。

 そんな中、紫蛇が白月との面会を希望していると聞き、ろくに考えることもできないまま、頷いた。

 決闘までの間、決闘者と白月は直接顔を合わせてはならない。御簾越しの対面となった。

「──白月さん。俺は、戦うことを決めました。王になります」

「そう」

 白月はそれだけ言った。この少年が、蛇祐の非道への義憤に駆られたのか、あるいは王座への欲に絡め取られたのか、それすらも、もうどうでもいい。

 だが、紫蛇は思いがけないことを言った。

「でも、俺に加勢はしないでください」

「──え?」

 白月は、ようやく思考の靄が晴れたようになって、目を見開いた。御簾越しに、まじまじと紫蛇を見つめる。

「俺は自力で勝ってみせます。貴方の自由を失わないでください。自由を愛する誇り高い貴方が、俺は好きです。そして──勝った暁には、あなたに贈り物をさせてください。そのために、俺は戦います」

 それだけ言って、紫蛇は立ち上がった。白月は何を言うこともできず、呆然と御簾越しのその背を見送った。


 そして、決闘の日はやって来た。白月は神官たちに豪奢な衣装を着せられ、決闘が行われる闘技場に連れて行かれた。

 蛇祐と紫蛇が、互いに剣を持って向かい合っている。巨躯の蛇祐と、小柄な紫蛇。それだけ見れば勝敗は明らかだが──今は蛇祐も、龍の加勢が可能であることについて説明を受けているのだろう。顔色が悪い。

 だが、決闘前に、紫蛇は蛇祐にまっすぐ目を向けて言った。

「龍の加勢は不要。俺──私の力だけで、貴殿に勝ってみせる」

 その言葉に目を剥いたのは流星だった。

「紫蛇様!! 何を仰るのですか!!」

「すまない流星。でも、そう決めたんだ」

 そうして紫蛇は、緊張と恐怖を隠せない顔で、笑ってみせた。

 状況を理解した蛇祐の顔に、じわじわと笑みが浮かぶ。

「そうか、よく吼えた、小僧!!」

 そして、決闘が始まった。

 紫蛇はよく戦った。小回りと疾さを生かして、蛇祐の隙を突こうとする。対する蛇祐は、剣などろくに振るったこともないのだろう。へっぴり腰だった。だが、体格の差は歴然だ。しだいに、紫蛇は押されていき、その額を汗が流れる。

 見守る白月は、背中に汗が伝うのを感じた。

 神殿に紫蛇が現れてから、ずっと考えてきた。考え続けてきた。

 紫蛇を助けなければいけない。たとえ、それが己の自由を、自ら手放す行為であっても。蛇祐が勝ったら、どのみち白月は自由を失うのだ。しかも、その待遇は悪いだろう。

 ──分かっていても、動くことができない。


 紫蛇の剣が弾き飛ばされた。とうとう白月は、龍に变化しようとした。その時だった。

「おにいちゃんを、いじめるなぁああああっ!!!」

 小さな嵐が飛んできた。否、それは虹色の、小さな龍だった。勢いよく蛇祐に体当りしたかと思うと、その鋭い鉤爪を振り回し、蛇祐の顔を引っ掻く。

 紫蛇が目を丸くした。

「……虹音? おまえ、虹音か!?」

「そうだよ、おにいちゃん! 虹音、やっぱりおにいちゃんと一緒がいい!!」

 虹音の吐いた炎が蛇祐を灼き、蛇祐は悲鳴を上げた。

 呆然と見ていた白月の隣に、いつしか彗が立っていた。

「いやあ、虹音嬢が、兄上のもとへ行くと聞かず、長老の元を飛び出てしまってね。私が長老から追跡を仰せつかったのだけれど、時すでに遅かったか。虹音嬢は決闘者の片方に加勢してしまった。この先の一生を彼に仕えることになる、これはそういう儀式だからね。いやあ、この儀式を見物するのは五百年ぶりだよ」

 あはは、と彗は笑う。白月はその胸ぐらを掴んで揺さぶった。

「どういうこと!? 虹音はなんで鱗の色が変わってるの!? 決闘者に加勢するのは、龍宮家の龍でなくてもいいの!?」

「ああ、揺すらないでくれ──虹音嬢の鱗が色を変えたのは、成長したからだよ。元々彼女は、虹の川の龍の血を引いている。あれが本当の彼女の姿なんだ。──そして、この儀式については、『龍は片方の決闘者に加勢できる』としか定められていない。龍でさえあれば、誰を味方につけても構わないのさ」

 龍の力を得る前から、虹音は小さな嵐だった。今やそれは大嵐となり、その面目躍如とばかりに大暴れしていた。闘技場の観客たちも、虹音の羽ばたきが起こす暴風に見舞われ、悲鳴を上げて逃げ惑う。

 蛇祐はもはや、その鉤爪と炎から逃れることしか考えられなかった。そこに、剣を拾い上げた紫蛇が立ちふさがる。

 剣の一閃。

 蛇祐は倒れ、ここに、紫蛇が新たな王として即位したのだった。


 新王の即位を祝う舞踏会。新王のそばには騎士団長の鷹尾流星が控え、虹色の子龍が王の肩に止まっている。鷹尾流星の妻、露草も、この中のどこかにいるはずだ。彗もちゃっかり参加して、美食に舌鼓を打っている。長老の怒りが怖くて帰れないそうだ。空見焔は、厳しい眼差しで警備の指揮を取っていた。

 そして、龍宮白月は、王の前に進み出て、跪いた。

「紫蛇様。──王よ。即位を心からお喜び申し上げます」

「白月さ──白月。貴方の尽力のおかげです」

 紫蛇は優しい笑みを浮かべて、白月に微笑みかけた。

「そんなあなたに、贈り物がある」

「なんでしょう?」

 言いながら、白月の心には曇りがあった。この王を好いてはいる。だが、結局、胸の内の軛は、この先一生白月を縛るのだ。二度と、あんなに自由に砂漠を駆けることはできまい。

 だが、紫蛇は言った。

「虹蛇王国は新たな龍を得、龍宮一族は、立派にその役目を終えてくれました。──ここに、王の名において、契約を破棄します。龍宮白月、あなたに自由を」

 その言葉が信じられず、白月は目を見開いた。

 だが、胸の内の軛は、音を立てて崩れ去っていく。体中に、力が満ちていくのが分かる。

 ──今や白月は、自由だった!!

 歓びに目を輝かせ、白月は王を見上げた。紫蛇は家族に対するような慕わしさを込めて、白月を見下ろした。

「『砂漠の白龍』よ。どうか、また遊びに来てください。俺──私も、きっとまた、あなたを訪ねるから」

 ──この少年が、白月にどれだけのことをしてくれたか。

 白月は震える声で、王に応えた。

「王よ。誰より優しく、誰より心の強い王よ。私はあなたを尊崇します。契約などなくとも、あなたが助けを必要とする時は、必ず参りましょう。──龍の約束は絶対です」

 王と龍は微笑みあい、そして、真珠色の龍が再び空を駆けるのを、王は手を振って見送ったのだった。


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